長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっている。今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真を「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真が消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
古い写真から蘇る思い出に山旅・その22
「初めての陣馬山から高尾山ハイキング」(再)
まだ、都内の公社団地に住んでいた頃の話、長男が7才、次男がまだ3才だった、1980年(昭和55年)5月4日、大型連休中の好天でどこかに出掛けたい気分となり、軽い思いつきで「陣馬山から高尾山」を歩こうということになったのだと思う。幼児の体力や「陣馬山から高尾山」の所要時間等、さほど考慮せずに、家族4人、「陣馬高原下行き」バスに乗車してしまったようだ。
その時、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮った、色褪せたスナップ写真が何枚かアルバムに貼って有るが、写真があるだけで、記録やメモが全く残っておらず、写真から炙り出される記憶を頼るしかない。何年か前にも書き込んでおり、コピペ、リメイクしてみた。
陣馬高原下バス停→陣馬山山頂(標高857m)→奈良子峠→明王峠→底沢峠→景信山山頂→
小仏峠→城山山頂(標高670.3m)→一丁平→高尾山山頂(標高599m)→
高尾山ケーブルたかおさん駅 (標準歩行所要時間=約6時間)
昭文社の「山と高原地図27(高尾・陣馬)」から拝借
何時頃の「陣馬高原下行き」バスに乗車したのか不明だが、バスには、偶然にも、同じ団地で懇意にしていたIさん母子も乗車しており合流、陣馬山から高尾山まで、ずっと一緒に歩くことになったのだった。
初夏のような陣馬山山頂、
早目のお昼にしたようだが、息子達は、Iさんの子供(小学生2人)にくっついて、大はしゃぎ、元気に走り回ったりしていたように思う。
陣馬山から高尾山への長い尾根筋縦走路、景信山、城山へと進むにつれ、息子達は、単調な歩きに飽きと疲れが出てきて動きが鈍くなり、次男は、ついに眠気を起こしてしまい、歩ける状態ではなくなってしまった。保育園では、昼寝の時間でもあり、無理もなかったわけだが・・。
頑張れ!、頑張れ!、励ましながら・・・、
途中、何度かおんぶしたように思うが、どの位の距離をおんぶしたかの記憶は無い。子供をおんぶして山歩きする程の体力は無かったはずで、休み休み歩いたんだと思う。
後半にスナップ写真が1枚も無いのは、写真どころではなかったからだろう。
よくもまあ、そんな幼児を連れて、「陣馬山から高尾山」を歩いたもんだと反省したりもしたが、 若気の至りというか、若かったから出来たことだと思う。
その日、高尾山ケーブルたかおさん駅に何時に着いたのか、帰宅が何時頃になったのか等の記録はないが、多分、疲労困憊の山歩きであったことに間違いない。
ただ、それで、山は懲りた・・・ということにはならずに、その数年後には、今度は、家族4人で 尾瀬へ、そして、次男が、小学生、中学生、高校生になっていくにつれ、家族で、八ヶ岳、乗鞍岳、木曽駒ヶ岳、白馬岳、槍ヶ岳、穂高岳、劔岳、等々に、登ることになっていったのである。
今は遠い昔話になってしまったが・・・。