たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

夕暮れ散歩・ウオーキング、

2022年08月31日 21時56分56秒 | 散歩・ウオーキング

今日は、5時頃には目覚めたが、どーんより、霧雨模様、
気温は、22℃前後で、肌寒くも感じ、
早朝散歩・ウオーキングは、取りやめ。
このところずっと、天気の具合や体調イマイチ理由に休み(サボり)続けて、
もう1週間も歩いておらず、
いかん、いかん、
午前中にはすっかり晴れ、日中は33℃前後まで上がり、
真夏のような蒸し暑い1日だったが、
日が傾き掛けた頃には、秋を感じる涼風が出てきて・・・、
やおら重い腰を上げ、
久し振りの、夕暮れ散歩・ウオーキングと、相成った。
スマホの歩数計で、約5,600歩。

 

アオサギ                 ダイサギ

 

カルガモファミリー

カマキリ

ハナトラノオ(カクトラノオ)

 


爺さんの備忘録的花図鑑「ハナトラノオ(花虎の尾)」→こちら


ツルボ

 


爺さんの備忘録的花図鑑「ツルボ(蔓穂)」 → こちら


 

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アフリカハマユウ(阿弗利加浜木綿)

2022年08月31日 10時51分48秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


昨年、2021年7月1日、散歩・ウオーキングの途中で撮った花に写真の中に、やはり、「君の名は?」だった花が有ったが、相互フォロワー登録している植物に詳しい方から教えていただき、「アフリカハマユウ」という花名であることを知ったものだったが、その後ずっと見掛けておらず、すっかり忘れてしまっていた。また思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことする。

2021年7月1日に撮っていた「アフリカハマユウ」


アフリカハマユウ(阿弗利加浜木綿)

ヒガンバナ科、ハマオモト属、多年草、
    別名「インドハマユウ(印度浜木綿)」
原産地 南アフリカ
    日本には、明治時代初期に、インドを経由して渡来、「インドハマユウ」と
    呼ばれてきたが、最近になって、原産地名で「アフリカハマユウ」と
    改められているのだそうだ。
草丈 50cm~75cm
花色 白色、
   花は、テッポウユリを一回り大きくしたような形をしている。
   1茎に10数個の花を咲かせるものもある。
   花後、軽くて大きな種が出来る。
開花時期 6月頃~8月頃、
花言葉 「どこか遠くへ」「あなたを信じます」「快楽」「清潔」


 


爺さんの備忘録的昆虫図鑑 No.05 「クルマバッタモドキ(車飛蝗擬)」

2022年08月30日 09時44分50秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

昆虫にも疎い爺さん、数年前までは、まるで興味も関心も無く、しっかりと昆虫の写真を撮るなんてこと等、ほとんど無かったような気がするが、ブログをやるようになってからのこと、散歩・ウオーキングの途中や畑地や猫額庭等で見掛けると、やたら写真を撮るようになっている。もちろん、そのほとんどが、初めて見掛けるような昆虫ばかりで、名前も知らず分からずで、「君の名は?」。帰ってきてから、息子達が子供の頃に使っていた「小学館昆虫の図鑑」で調べたり、ネットで確認したりしている次第。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。せっかくネット等から得た情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的昆虫図鑑」に 書き留め置こう等と思っているところだ。昆虫に詳しい方からは、「なーんだ、そんな昆虫も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては新知識、新情報。自分のための「備忘録的昆虫図鑑」だと思っている。


日々、やたらコンデジで、カシャ、カシャ撮っている爺さん。外付けHDには、拙劣写真が大量に溜まっており、時々その気になって、不要無用写真を大胆に削除整理仕訳をしているところだが、2年前に撮っていた昆虫の写真が目に止まり、引っ張り出してみた。なかなか思い出せなかったが、「ブログ内検索」してみたところ、その日の朝、ベランダに出入りするドアの網戸に止まっていたバッタ、「クルマバッタモドキ」だった。どうも、開けっ放しにしていたところ、迷い込んだようだったが、予期せぬ朝の訪問者、コンデジで、カシャ、カシャ撮ったものだが、もちろん、その時調べて、初めて知った名前であり、以後全く見掛けていない。また、すっかり忘れてしまわない内に、書き留め置くことにする。

2020年8月11日に撮っていた「クルマバッタモドキ」

 


クルマバッタモドキ(車飛蝗擬)

バッタ科、クルマバッタモドキ属、
    「クルマバッタ(車飛蝗)」によく似ていることから付けられた名。
    クルマバッタより、やや小さい。
    背面に一対の「く」の字の模様があり、「X」の形にも見えることが
    特徴。
分布 日本、朝鮮半島、
   日本では、北海道、本州、四国、九州で見られる。
   草丈の低い草原等に生息しているが、住宅地周辺の空き地等でも、    
   生息する。
生態 体長 (オス)3.0cm~4.5cm、
      (メス)4.5cm~6.0cm、
   オス、メス共、体色は、褐色と薄灰色の模様が多い。
   緑色の個体も有るが、クルマバッタ程、鮮やかではない。
成虫が見られる時期 7月頃~11月頃、


「クルマバッタ(車飛蝗)」
(ネットから拝借画像)

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地這いキュウリ初収獲

2022年08月29日 18時56分27秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、1日中、雨雲が低く垂れ込め、今にも降り出しそうな空模様だった。
最高気温も、24℃~25℃だったようで、
体感的には、涼しい、より、薄ら寒くもあったが、
過ごしやすい気候になってきたものだ。
降り出す前に・・・、
ということで、午後、畑へ。

(1)地這キュウリ初収獲(1本だけ)、
   夏野菜キュウリは、とっくにおしまいになっていたが、
   バトンタッチの形で、
   地這いキュウリが、花を沢山付けており、これからが楽しみに・・、
   ゴーヤ、トマト、ナス、ピーマン、シシトウは、まだ元気?

(2)白菜、ポット種蒔き。

夕方には、小雨が降リ出したが、いい塩梅である。

 

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三角乗り(再)

2022年08月29日 10時33分43秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、10年も前、gooブログに引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事「三角乗り」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事をクリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「三角乗り」(再)

昭和20年代後半から30年代前半頃、北陸の山村で、M男が小学4年から6年頃の話であるが、一時、自転車の「三角乗り」に夢中になって挑戦していた時期があった。終戦後10年程経っても、農村部の貧しい暮らしは相変わらずだったが、ちらほら、自転車を保有する家が出始めていた頃だった。

自転車と言っても、今のような、軽量で乗り心地の良い作りではなく、後部には、大きな荷台が付き、鉄厚、重いフレーム、コールタールを塗ったようなゴッツイ作りの自転車がほとんどで 主として、通勤通学用というより、むしろ荷物の運搬が目的だったようなものだった。しかも、なかなか新車購入とはいかず、自転車店で販売していたポンコツに近い中古自転車が多かったと思う。おそらく、都市部で用無しになったものが、格差のあった地方に流れてきて、出回っていたのだと思われる。当然、子供用の自転車等有るはずもなく、子供達は、そんな大人用のデカい自転車に何とかして乗ろうと、必死に挑戦していたのだが、その方法が「三角乗り」」だった。

M男の家でも、ある時、父親が、中古の自転車を手に入れたが、多分、勤務先の印刷店の口利きで 同じ商店会の自転車屋から、安く買ったのだと思われる。昼間、自転車の有る家の子供達は、いち早く、自転車に乗れるようになり誇らしげにしていたが、自転車を父親が通勤に使っていたM男の家には、昼間自転車は無く、遅れをとっていたM男は、毎日イライラしていたように思う。一刻でも早く、自転車に乗りたくて仕方なかったM男は、夕方、父親の帰ってくる時間帯には、国道から 家に向かってくる農道の途中まで行って待ちかまえ、奪うようにして借りて乗ったものだった。三角フレーム、サドルの調節も出来ない大人用自転車とて、小学生がまたがってペダルをこぐことは不可能。乗り方は、三角フレームの間に、右足をくの字に曲げて突っ込み、右のペダルを踏み、自転車をやや右に傾けて、体で微妙なバランスをとりながらこぐという、なんとも不安定な、危なっかしい乗り方で、それを、「三角乗り」と呼んでいたのだ。

当時の農道は、もちろん舗装も無し、リヤカーの轍有り、雑草の盛り上がり有り、石ころ有り、凸凹、軟弱な道。倒れた自転車を起こすのもやっとの子供にとっては、四苦八苦の連続。倒したり ぶつけたり。父親にとって、大事な通勤用の「マイカー」。ヒヤヒヤしていたに違いない。実際 あちこち壊して修理に出すはめになったこともあったような気がする。M男自身も、打撲、擦り傷、切り傷、あざが絶えなかったが、当時の大人達は、だから「やめろ」と言わなかったような気がする。家に戻り、赤チン軟膏を塗って、「治療終了」。多少の怪我で大騒ぎするような時代ではなかったのだ。
「三角乗り」で連続して長い距離を走れる訳はなかったが、ほんの10数メートルでも、走れた瞬間は嬉しくて仕方なかったものだ。
発育盛りとて背丈はどんどん伸び、やがてサドルにまたがって、なんとかペダルに足が触れるようになると、今度は、腰、尻を大きくシーソーさせて、こぐ乗り方に変化。この乗り方であっても 悪路を走るとなるとハンドルがくねくねし、かなり危なっかしい。しかし、曲りなりにも大人の自転車に乗れたという喜びで有頂天だったものだ。

(ネットから拝借したイラスト)
「三角乗り」

M男が中学生となった年、どんなやり取りが有ったかの記憶にないが、M男は、通学用に新しい自転車を買ってもらった。両親にしたら、かなり無理をした買い物だったに違いないが、M男の家が 学校から最も遠い集落に有り、学校側が特別自転車通学を認めてくれたといういきさつもあったのだと思う。かくして、M男は、3年間、相変わらず凸凹で、軟弱な農道を自転車で通学することになったのだった。当時、中学校のほとんどの生徒の通学用履物は、何故か、駒下駄(こまげた)、あるいは、足駄(あしだ)(高下駄)だった。M男も右へ倣えで、駒下駄、足駄で通ったものだが 雨の日には、今は禁止になっている、左手に傘を差し、右手でハンドルだった。しかも、滑りやすい下駄を履いて、泥んこ道を悪戦苦闘、まったく危険極まりない自転車通学をしていたことになる。しかし、それが当たり前だと思っており、禁止もされず、平気な時代だったのである。
わずか60年、70年前の話だが、遠い昔話、隔世の感有りである。

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その22

2022年08月28日 16時21分31秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっている。今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真を「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真が消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出に山旅・その22
「初めての陣馬山から高尾山ハイキング」(再)

まだ、都内の公社団地に住んでいた頃の話、長男が7才、次男がまだ3才だった、1980年(昭和55年)5月4日、大型連休中の好天でどこかに出掛けたい気分となり、軽い思いつきで「陣馬山から高尾山」を歩こうということになったのだと思う。幼児の体力や「陣馬山から高尾山」の所要時間等、さほど考慮せずに、家族4人、「陣馬高原下行き」バスに乗車してしまったようだ。
その時、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮った、色褪せたスナップ写真が何枚かアルバムに貼って有るが、写真があるだけで、記録やメモが全く残っておらず、写真から炙り出される記憶を頼るしかない。何年か前にも書き込んでおり、コピペ、リメイクしてみた。

陣馬高原下バス停→陣馬山山頂(標高857m)→奈良子峠→明王峠→底沢峠→景信山山頂→
小仏峠→城山山頂(標高670.3m)→一丁平→高尾山山頂(標高599m)→
高尾山ケーブルたかおさん駅  
(標準歩行所要時間=約6時間)

昭文社の「山と高原地図27(高尾・陣馬)」から拝借

何時頃の「陣馬高原下行き」バスに乗車したのか不明だが、バスには、偶然にも、同じ団地で懇意にしていたIさん母子も乗車しており合流、陣馬山から高尾山まで、ずっと一緒に歩くことになったのだった。

初夏のような陣馬山山頂、

 

 

早目のお昼にしたようだが、息子達は、Iさんの子供(小学生2人)にくっついて、大はしゃぎ、元気に走り回ったりしていたように思う。

陣馬山から高尾山への長い尾根筋縦走路、景信山、城山へと進むにつれ、息子達は、単調な歩きに飽きと疲れが出てきて動きが鈍くなり、次男は、ついに眠気を起こしてしまい、歩ける状態ではなくなってしまった。保育園では、昼寝の時間でもあり、無理もなかったわけだが・・。
頑張れ!、頑張れ!、励ましながら・・・、

途中、何度かおんぶしたように思うが、どの位の距離をおんぶしたかの記憶は無い。子供をおんぶして山歩きする程の体力は無かったはずで、休み休み歩いたんだと思う。
後半にスナップ写真が1枚も無いのは、写真どころではなかったからだろう。
よくもまあ、そんな幼児を連れて、「陣馬山から高尾山」を歩いたもんだと反省したりもしたが、 若気の至りというか、若かったから出来たことだと思う。

その日、高尾山ケーブルたかおさん駅に何時に着いたのか、帰宅が何時頃になったのか等の記録はないが、多分、疲労困憊の山歩きであったことに間違いない。
ただ、それで、山は懲りた・・・ということにはならずに、その数年後には、今度は、家族4人で 尾瀬へ、そして、次男が、小学生、中学生、高校生になっていくにつれ、家族で、八ヶ岳、乗鞍岳、木曽駒ヶ岳、白馬岳、槍ヶ岳、穂高岳、劔岳、等々に、登ることになっていったのである。
今は遠い昔話になってしまったが・・・。

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そうか、あれから、もう6年になるのか?

2022年08月28日 10時50分37秒 | 読書記

読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう爺さん、読んだことの有る本を、うっかりまた図書館から借りてくるような失態を繰り返さないためにも、その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしているが、それを始めたのは、どうも6年位前だったようである。
それまでは、まるで読書の習慣等は無く、図書館通いする暮らしになるなんて、全く想像もしていなかったことだったが、その頃、相互フォロワー登録しているある方から、「藤沢周平の時代小説」をすすめられたことが有って、何の情報、予備知識もなく手を伸ばしたのが、「三屋清左衛門残日録」だったと思う。もちろん、それまで、藤沢周平作品を、1冊たりと読んだことも無かったわけだが、そのことがきっかけで、少-しずつ読書の習慣が身に付いてきたような気がしている。これも、やっぱり、ブログをやっていたからこそ起こった「自分の変化」だと思っている。
ただ、読書に不慣れ、読書初心者であり、視力、記憶力減退、根気力無しの爺さん、主に、軽く、読破し易い、「短編」「時代小説」を中心に読んできた気がしており、まだ読んで無い作品一覧を見ると長編物が多く、最近になってやっと長編物にも手を伸ばす気になっているところだ。

「塵も積もれば山となる」
因みに、これまで読み終わり、ブログ・カテゴリー「読書記」に書き留めてきた本の内、藤沢周平の作品だけを抽出してみたが、結構な数になっており、「へー!、こんなに読んだかなあー」、
我ながらビックリポンである。

これまで読んだ藤沢周平作品

 



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涙腺崩壊CM・音楽は、言葉を超える

2022年08月28日 09時17分44秒 | 暮らしの記録

最近は、YouTubeで音楽を聴くことが多くなっているが、
音楽以外にも、多種多彩なYouTube動画を、クリックひとつで見ることが出来、
10数年前までは、考えもしなかった暮らしになっているように思っている。
まさに、「いいね!」が、わんさか・・・。
今朝、たまたま、見掛けた「涙腺崩壊CM」、
「音楽は、言葉を超える」
真面目で、仕事一筋、口下手な父親が、
息子の結婚式のために、サックスを習い、
披露宴で、スピーチの代わりに、演奏するCM
実際にCMを見た記憶が無いが、思わずジーンとしてしまった。

涙腺崩壊CM・音楽は、言葉を超える (YouTubeから共有)

 


藤沢周平著 「海鳴り」

2022年08月27日 08時28分32秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤沢周平著「海鳴り」(上)(下)(文春文庫)を、やっと、やっと、読み終えた。江戸時代、身を粉にして働き、一代で紙問屋を築き上げた商人が、妻とは心が通じず、跡取り息子は放蕩、「自分の人生、これで良かったのか」、老いを感じ始めた頃に出会った人妻に思いを寄せ、道ならぬ道へのめりこんで行くという筋書きの長編時代小説である。これまで読んだ藤沢周平の時代小説の多くは、下級武士ものであったり、市井ものであっても刀や匕首で斬り合う場面が登場しているが、本書は、最終章で、腕利きの岡っ引きを登場させ、ピリッと絞めているものの、物語全体に、武家や捕物の人物の登場一切無しで、刀や匕首で斬り合う場面も無し。とことん、江戸の紙問屋を中心とした商人の世界を描いている作品である。同時に、藤沢周平作品には珍しい、道ならぬ、ダブル不倫の物語であり、官能小説まがいの濡れ場も織り込まれており、いささか驚かせられた書である。

              

目次

(上巻)「白い胸」「闇の冷え」「見えない壁」「日の翳り」「崩れる音」
    「夜の道」「取引」「暗い火花」「狙い撃ち」「凝視」
(下巻)「仄かな光」「裏切り」「おたね」「火の花」「遠い稲妻」「秋の声」
    「破壊」「野の光景」

(解説)後藤正治

主な登場人物

小野屋新兵衛、おたき、幸助、おいと、喜八、倉吉、
おみね、庄吉、
丸子屋由之助、おこう、
塙屋彦助
兼蔵、おとし、
鶴来屋益吉、おたね
須川屋嘉助、森田屋重右衛門、万喜堂、
山科屋宗右衛門、佐太郎、
長兵衛、
おゆう、
常七、


表題の「海鳴り」は、新兵衛がまだ新助と言っていた若い頃、奉公先の商用で小田原に行った帰り道、海辺の街道で、一人心細く、怯えて聞いた海の音のことで、脳裏に焼き付いていて、新兵衛には不吉、不安を誘う音のこと、この物語にふさわしいのかも知れない。
不義密通は、死罪と決まっていた江戸時代、道ならぬ道に踏み込んでしまい、抜き差しならなくなり、商売も、妻子、世間も捨てて、駆け落ちする新兵衛とおこう。
「二人は立ちどまって、顔を見合った。ついでに固く手をにぎり合った。新兵衛は野を見た。日の下にひろがる冬枯れた野は、かって心に描き見た老年の光景におどろくほど似ていたが、胸をしめつけて来るさびしさはなかった。むしろ野は、あるがままに満ちたりて見えた。振り向いて新兵衛はそのことをおこうに言おうとした」(完)
後藤正治氏の解説によると、「海鳴り」の執筆を終えた後、藤沢周平氏は、当初、新兵衛とおこうを心中させることで結末をつけるつもりだったが、殺すにしのびなくなり、少し無理をして江戸から逃亡するという筋書きにした、と述懐されていたのだそうだ。
藤沢周平作品の多くで、氏独特の情景描写に引き込まれている類だが、本書もまた傑作であり、市井もの長編小説の代表作であると思ったところだ。

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秋野菜冬野菜種蒔き植え付け下準備その2

2022年08月26日 17時10分16秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日の天気予報は、「曇のち雨」だったが・・・・、
  午前中は、大丈夫そう?・・・、
  もう、1週間、収獲してないし・・・、
  ダイコンの種蒔きもしなくちゃ・・・、
ということで、午前中、Go To 畑! と相成った。

(1)ホウレンソウ、コマツナ、種蒔き植え付け場所の下準備、
   草取り(草抜き)、土起こし、石灰散布、
   1週間程寝かせて、来週には、種蒔き予定。

 

(2)ダイコンの種蒔き
   1週間前に、下準備しておいた場所に
   畝を起こし、元肥を施し、種蒔き、水撒き、

(3)収獲
   1週間振りの収獲、
   トレスギチャッテ、コマルノー ♫、
   ドウスル、ドウスル

つい最近まで不調だったゴーヤが、今頃になって元気になってきた感じ?

トマト、ミニトマト、ナス、ピーマン、シシトウ、も
ごっそり・・

 


ダイコンの種蒔き後、たっぷり水撒きした畝に、
すかさず、やってきた2頭のアゲハチョウ
多分、オスとメス、
求愛?、ダンスを踊るが如く、ヒラヒラと・・、

 

 

人懐っこいツマグロヒョウモン(オス)
目の前、手が届く位置に平気で止まる蝶であることよ、

 

カラスウリの実
つい先日まで、妖艶な夜の開花ショー?を演じていたカラスウリ、
気が付くと、もうチラホラ、実が生っており・・・
やはり、「今はー、もーう秋 ♫」、

 

曇天ながら、気温は上昇、当地、日中、32℃~33℃になったようで、
全身汗だく、
頻繁休憩、水分補給、
(作業している時間より、休んでる時間の方が長い・・・かもね)
3時間程掛かってしまったが、
1件落着、やれ、やれ、
シャワーを浴びて、スッキリ、
午後は、ウツラウツラしてしまいそうだ。