たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき

2021年11月30日 20時48分29秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その7

難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ
みをつくしてや 恋ひわたるべき

出典
千載集(巻十三)

歌番号 
88 

作者
皇嘉門院別当

歌意
難波の入り江に生えている芦の刈りとった根の一節ではないが、
そんな短い、たった一夜、あなたと契を交わしただけだったのに、
私は、これからずっと、難波江の「みおつくし」のように、
この身を尽くして、あなたを恋いしく思い続けるのであろうか。

旅の宿を、枕詞でもある難波江の宿として、
そこで、見知らぬ旅人とはかない一夜の契を交わした後の
女性のやるせない心を詠んだ歌。
ただ一夜の恋に身をささげために
一生涯その人を思い続けなければならない
人間の悲しい宿命がこめられている。

 注釈
「難波江」・大阪湾の入り江。湿地帯には、芦が生えたいた。
「かりね」・・「仮寝」と「刈り根」(切り株)の掛詞。
「ひとよ」・・「一節」と「一夜」の掛詞。
「みをつくしてや」・・「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」の掛詞。
「恋ひわたる」・・ずっと恋い続けるの意。
「べき」・・推量の助動詞「べし」の連体形。「なるに違いない」、
当然そうなるの意。


皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)
十二世紀末の女流歌人、「別当」は、女官の呼び名と言われているが不祥。
太皇太后宮亮(たいこうたいごうぐうのすけ)源俊隆の娘。
崇徳天皇の皇后、皇嘉門院聖子(こうかもんいんせいし)に仕えた。
皇嘉門院が、藤原忠通の長女で、九条家の藤原兼実の姉であったことから、
兼実家の歌合や歌会に参加している。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


待ち時間は、ウオーキング時間

2021年11月30日 18時45分57秒 | 散歩・ウオーキング

今日は、1日中、病院だ、市民センターだ、妻の送迎で日が暮れた。
待ち時間がまた 1時間だ、1時間半だ、2時間だ、で 長ーい。
その都度、その周辺を、ぶらついたが、
好天に誘われて、なんと、スマホの歩数計で、
トータルで 約16,000歩。
やれやれ、よく歩いたものだ。

大岳、三頭山等 奥多摩方面

富士山をズーム

中央線、「あずさ」?、「かいじ」?

甲羅干しの亀さん

 

何の実?        オニャンコ

 

 


戀という字を 分析すれば 愛(いと)し愛(いと)しと 言う心

2021年11月29日 20時11分32秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも行われており、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。粋でストレート、ことわざの感覚で、これまでなんとなく聞いたことが有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。

(ネットから拝借イラスト)


都々逸作品例その5 
「戀という字を 分析すれば 愛(いと)し愛(いと)しと 言う心」


フム、フム、なーるほど・・、

おあとがよろしいようで・・、


庭先の赤色侘し冬隣

2021年11月29日 16時48分32秒 | 暮らしの記録

当地、今日は、終日、薄曇りで、体感的には、冬日だった。
今年も、残すところ、1ケ月余り、
この時期、殺風景になっている猫額庭で目立つのは、
マンリョウ(万両)の実と ナンテンの実。
  庭先で赤色侘し冬隣
日暮れが早い。

マンリョウ(万両)

ナンテン(南天)

 

 

 


想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その1 (再)

2021年11月29日 12時11分26秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。
夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにサービスが終了してしまっており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。

今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアーに申し込みし、「紅葉のカナダ・メープル街道」を訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込んでいるが、再度、順次、写真を引っ張り出して「ZUISO」にしてみようと思っているところだ。

「紅葉のカナダ・メープル街道」 その1
「ローレンシャン高原・トレンブラン山」

(ネットから拝借画像)

 


ZUISO
想い出の旅アルバム
紅葉のカナダ・メープル街道(1)トレンブラン山
👇
こちら


(続く)


「街角」(再)

2021年11月28日 21時57分04秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年6月8日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

「街角」(再)

その中に、「街角」と題した詩(もどき)も有った。「昭和40年10月2日」と記されており、今から56年も前、独身の頃に、感傷と妄想で、レポート用紙に書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩(もどき)で、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

「街角」

乙女ごの 語らい歩む
その姿 やさしく
甘き 雅き(よき) かんばせを
我が心にも 忘れ行く

この街の この通り
いつもの時間に いつものように
乙女ごの語らい歩む
美しき(いとしき)姿を しばし 留めん。

(昭和40年10月2日)


小春日に秋を惜しんで爺散歩

2021年11月28日 17時06分34秒 | 散歩・ウオーキング

(大岳、御前山、三頭山、雲取山方面の山並み)

当地、今日は、文句無しの快晴、
やや風が強かったものの、陽だまりは温かく、小春日和の1日だった。
好天に誘われて、昼下がり、ちょこっと近くを歩いてきた。
毎度のこと、コンデジで やたら、カシャ、カシャ 撮りながら、
スマホの歩数計で、約9,500歩。

 

 

サザンカ(山茶花)          ピラカンサ

 

キセキレイ(黄鶺鴒)

 

                       ダイサギ

 

カワセミ(翡翠)

 

小魚ゲット、

モズ(百舌鳥)・・・かな?

 

 

 


「清少納言のちょっぴり平安博物誌」・まんがゼミナール「枕草子」 その30

2021年11月28日 10時14分20秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「清少納言のちょっぴり平安博物雑誌」・まんがゼミナール「枕草子」 その30

第37段 「木の花は」
春、夏に木に咲く花の美しさを綴った随想の段。最も一般的な、紅梅、桜、藤の三つについては、色を中心とした感覚的な興趣が簡単に書かれているだけだが、清少納言が好みとして挙げた橘、梨、桐、楝(おうち)については、和歌や漢詩に取り上げられている花として、やや教養がかって描写されている。桃の花や椿の花が入っていないのは、どうしたものだろうか。

花は、色が濃くても、薄くても、紅梅
は、花びら大きく、葉の色の濃いのが、枝細いのに咲いているのがよろし。
の花は、花房が長く、色の濃いのが、とりわけよろしおす。
四月のつごもり、五月のついたちのころ、橘の葉の濃く青い中に、花の真っ白に咲いた様は、雨上がりの朝など、またとない鮮やかさでおます。
の花は、一般に評判よろしおまへんので、風流に使われることあらへん。むしろ、さえない女の例えになるくらいどすが、唐の国では、最上のすばらしいものとされて、詩にも多く詠まれとります。唐の滅亡を誘ったと言われる、あの楊貴妃と玄宗皇帝の愛の中に詠まれたは、梨の花でおます。
の木の花が、紫色に咲いたのは、何とゆうても、風情がおます。唐では、鳳凰という有名な鳥がこの木にだけ棲むというそうどす。それだけでも、すばらしいのに、まして、木は琴の材料になると言います。あの妙なる音が生まれるんやから、ほんますばらし。ただ、妖怪が手を広げたような葉は、あきまへん。


原文だよーん

木の花は、濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大(おほ)きに、葉の色濃きが枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く色濃く咲きたる、いとめでたし。梨の花、よにすさまじきものとして、近(ちか)うもてなさず、はかなき文(ふみ)つけなどだにせず、愛敬(あいぎょう)おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、もろこしには、限りなきものにて、文にも作る、なほ、さりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしき匂(にほ)ひこそ、心もとなうつきためれ、楊貴妃(やうきひ)の、帝の御使(つかい)にあひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろげならじと思ふに、なほ、いみじうめでたきことは、たぐひあらじと覚えたり。(略)、木のさま憎げなれど、あふちの花、いとをかし。かれがれに、さまことに咲きて、必ず五月五日にあふも、をかし。


(注釈)

木の花は、濃いのも薄いのも、紅梅が良い。は、花びらが大きく、葉の色が濃いのが、枝にほっそりした感じで咲いているのが良い。の花は、花房が長く、色が濃く咲いているのが、実にすばらしい。の花は、ひどく殺風景なものであるとして、身近で愛玩することもせず、ちょっとした手紙をこれに結び付けたりなどしない、魅力のない人の顔など見ては、例えにして「梨の花みたい」と言うのも、本当に、葉の色をはじめとして、面白みがないように見えるが、唐では、この上に無いものとして、漢詩に作るのは、やはり、何と言っても分けが有るのだろうと、しいて目を凝らして見ると、花びらの端に美しい色艶が、ほんのちょっと付いているようだ。楊貴妃が、玄宗皇帝の御使者に向かって泣いたとかいう顔に例えて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」などと言っているのは、梨の美しさが並一通りではないからだろうと思うにつけ、やはり、ひどくすばらしいことは、他に類があるまいと感じられる。(略)、木の恰好は憎らしい感じだが、楝(あふち)の花(栴檀の花)は、実に趣が有る。乾いたように、いっぷう変わった咲き方をして、必ず五月五日の節供に咲きあうのも興味深い。


11月第4土曜日、

2021年11月27日 22時44分57秒 | スイミング

当地、今日は、日中、時々陽射しが有ったものの、風が冷たく、
体感的には、冬日だった。
北海道や東北、北陸等の日本海側、関東北部等からは、
降雪、積雪、大雪のニュースが届き、
エッ!、もう? という感じがする。
腰、痛!、足、痛!、首、痛!、歯、痛!
身体、だるーい、おもーい、
体調イマイチの1日だったが、
こんな日こそ、泳いで来るべし・・・、
リハビリのつもりで・・・、
司令塔?の自分のブログに指示されて、
やおら、重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程、帰ってきたところだ。



今日は、11月第4土曜日、
孫娘のように若いU指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
特に、第1キックの姿勢、第2キックの姿勢、
手の位置等を細かくチェックされた。
アップ、クロール 100m、バタ足 100m、
ダウン 4種目、25m✕4本 を含めて
トータル 800m位・・だったかな。
レッスン終了後、例によって居残り、
疲れを知らないベテラン女性陣の後ろにくっついて
5秒間隔スタート、
クロール 50m✕10本、
4種目 25m✕4本
喘ぎ喘ぎ、なんとか泳ぎ切って、引き上げてきた。
泳いで帰って来れば、心地よい疲労感と
それなりのスッキリ感、
今日も、バタンキューで、熟睡出来そうだ。

 

 

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ホウレンソウ防寒防霜対策

2021年11月27日 15時37分57秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、雲が多く、冷たい風が強く、
体感的には、かなり寒い1日になっている。
朝夕の冷え込みも一段と強まっており、
いろいろ、防寒防霜対策しないと・・・。
先日の畑仕事でやり残した ホウレンソウの寒冷紗掛けも・・・、
午後になってから、やおら出掛け、終わらせた。
これで、とりあえず、畑仕事は一段落・・・・、かな?
やれやれ・・。