皆さんこんにちはtatuakicadoです( *´艸`)
お元気でしょうか?私のほうは仕事も収まってまいりました。景気が良いのか悪いのか知りませんが、どうなんでしょうか?それなりに良いところ悪いところがあるんだとおもいます。
さて、昨日録画しておいたフランケンシュタインの誘惑を見ていました(来月で最終回らしいですよ!)
日本は非常に地震が多く地震の研究には向いている国です、日本には地震学が盛んになりました。太平洋戦争前は世界のトップだったと言えます。
大森房吉は東京帝国大学の若き教授でした、当時観測史上最大級の濃尾地震(そう、私の住む岐阜県です)があり大森は余震などを観測していました。大森は世界で初めての地震計を作った人でもあります。
大森はトップクラスの成績であったためヨーロッパへ留学していました、そのためヨーロッパの最新数学を応用して地震の余震のグラフを書いてその後の余震を計算する計算式を発表したり、震源地などを特定する数式を考えたり地震学をどの国の人よりも進歩させた人物です。
しかし、大森は地震は同じところで起きないと考えました。さらに地震の予知に天候など色々なことが起きると考えました。
それに対して数歳違いの今村明恒は前に起きた地震の記録を調べ統計的に考え地震は周期的に同じ場所で何度も起きると仮定しました。
ここで事件が、なんと近く地震が起きるというでっち上げ記事が新聞に掲載されます。これには今村の名前がありました。
これに今村は抗議の手紙を送っていますが新聞記事は訂正されませんでした。
大森はこれに対して今村をマスコミで攻撃します。
今村はとばっちりを受けましたが、地震は同じところで何回か起きる可能性があると言いました。
これを大森は攻撃します(大森は馬頭するような人ではなく誰に対しても丁寧な言葉づかいをしました)
しかし関東大震災が起きます、大森はこれを聞いて愕然となりました。
大森は脳腫瘍で亡くなります。
そのころ海外ではサンフランシスコ地震が起きアメリカでも本格的に地震研究が行われます。
そこに違う地面が押し合いひずみが出て耐え切れなくなって地震が起きるという今の訂正つの元になる考え方が生まれます。
しかし、そんなことはお構いなし今村は今度は全国規模で地震を観測しようと考えます。
しかしこの計画は当時の物理学者が統計学的に考えているだけで基礎ができていないではないかと反論します、その批判には長岡半太郎もいました。
(私が考えるには当然のことだったと言えます)
しかし、今村は南海トラフ地震の先駆けと言われる研究もしていました。
でも当時は太平洋戦争が勃発しました、そのためこの計画はとん挫します。
終戦後今村は亡くなりました。
戦後日本政府は地震予知の研究を行います。
しかし、そのような事は非常に難しく無茶に等しいということが分かります。
でも政治の力でこの研究は継続されます。
そしてついに去年日本政府は地震予知は不可能と認めたのです。
詳しくは再放送かNHKオンデマンドで見てください。
地震はいろんな要因があるということと箸の折れ方のようにどこで起きるか予想がつかないということがあります、私は耐震構造もっと良くして簡単に安価でできる建築をしたほうが良いと思います。
でも大森と今村の研究は今に生かされていますよね、立派な人だったと思います。
インフラも考える余地があるでしょうね。
さて、明日起きるかもしれない地震ちゃんと考えましょうね。
そりでは皆さん、良い土曜日を。
そりでは<(_ _)>