WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

キノコホダ木伐採

2008年03月16日 | ログハウス

 昨日のログハウス建築作業は、 「ソバ打ち講習会」と「キノコ栽培オーナー」イベント準備(ホダ木採集)のためお休み。元森林組合のUさんの指導で桑の伐採作業を行った。(ソバ打ち講習会は「田舎暮らし応援団」活動報告参照)

(昨日はとても良い天気=花粉日和だった。覚悟はしていたが、おかげで今日のコンディションは最悪) 

 桑といっても40年以上も放置されていたもので、大きいものでは元経30cm、高さ10m以上にもなった大木だ。桑というと私のイメージでは、せいぜい3mほどの高さの潅木だ。
 昔は丹後ちりめんなどに絹糸を供給する「お蚕さん」が盛んで、あちこちに桑畑があった。毎年、蚕にやる桑葉を採取するためには、主幹を切り細い“ひこばえ”をたくさん出枝させて葉を繁らせるように工夫したのだろう。そうした桑畑も地場産業の衰退でいつしか放置され、原野のような様相になってしまった。これも里地崩壊の一端だと思うと複雑な気持ちになる。

 伐採は、他の木に架からないように安全な空きスペース方向に倒さねばならないが、木の傾き具合(重心)によっては思い通りの方向に倒すのはなかなか難しい。木の重心と伐倒方向が大きくずれている場合はクサビやロープ、ワイヤーなどで誘引しながら倒さねばならないことも多いようだが、今回はチェンソーによるカットだけである程度伐倒方向を定める方法を講習してもらった。

指差しているのが重心方向。これを左寄りに倒す。
 

 まず伐倒方向に受け口を切るのは通常の伐倒と同じ。次に、通常は伐倒方向に垂直に追い口を切り木の幅分の「ツル」を残すのだが、倒したい方向がずれている場合、倒したい方向側の受け口半分はツルを残さず切り、反対側のツルを三角形に残すように木が倒れ始める気配が感じられるところまで切る。木が倒れ始めたら安全圏まで避難する。
 切り口で見るとこんな感じ。

木が自然に重心方向に対して1/4回転し、左寄りに倒せた。
 

 
ところで、昨日の作業と関連して、日ごろ疑問に思っていることがある。

 シイタケ用にコナラの採取に別の山に行ったのだが、その山ではとある超有名家電企業の関連会社が「モデルフォレスト事業」の助成を受けて里山整備を行っている。周知のとおり、最近の環境ブームで企業もイメージアップのためか何らかの形で関わるところが増えている。それはそれでまあ、結構なことなのだろうが。
 その施業地では、桧以外の木(もちろんアカマツも)は全て伐採し“みごとな”桧単一林に変えていっている。おそらく戦後の復興木材景気にのっかって当時の政府が奨励した植林・山作りはこのようなものであっただろう。
 
 今ではこうした過去の国策桧、杉の森が国産木材不況で放置され荒れはてている。
 私の参加している「まつたけ十字軍」では、この例と全く逆に、圧倒的に桧優位の放置林をアカマツ優位のマツタケ山に変えようと奮闘している。私個人は単純に、「下品な金持ちへの貢物になってしまったまつたけを、庶民の手に取り戻し普通に安くてウマイまつたけが食べたい」動機で参加している。
 もし、木材市況が好転して杉・桧が今の何倍もの価格で売れるとなったら、マツタケ山としての整備を許可してくれている山主も心変わりするかもしれない。

 里地里山保全・整備の重要性は誰しも異論のないところだろう。しかし以前から指摘しているようにそのやり方となると、とても長い目で見通した国家的里山保全・林業振興戦略にのっとって行われているとは到底思えない。林業家はもとより行政や企業やNPO、ボランティアなどの個別施業グループが連絡も調整も無く、リーダーの考え方や後援主体の思惑で好き勝手にバラバラな施業を行っているのが現状だ。場合によっては政争の具にされているのではないのかと思わざるをえないような場面に出くわすこともある。
 こんなことで果たして本当に日本の里地里山を守ることはできるのだろうか、という疑問にかられるのは私だけなのだろうか。
 さらに言えば、実はこうした疑問は最近の「環境諸運動」についても感じているところである。
 みなさんはどう思われますか?


パイの日

2008年03月14日 | さおりチェック!(旧楠井チェックw)からのー、沙織チェック

 このショット、ちょっと往年の百恵ちゃんをほうふつとさせますな。

 今日は特別番組「京都のこれから -京都の義務教育について考える-」。内容は突込みが浅くてイマイチだった。専門家ヅラしたコメンテーターの訳知り顔コメント、特に「百マス計算」のセンセイは饒舌なわりに内容が無かった。
 楠井さんは、会場インタビュアーと投稿意見の読み上げを担当していた。NHKだし、番組側という立場上難しかっただろうが、できれば教育に対する彼女の意見を、一番聞いてみたかった。

 さて、今日は「ホワイトデー」で「パイの日」でもある。「ホワイトデー」はさておき「パイの日」、何のことか分かりますか?楠井さんネタで「パイ」ぢゃあないですよ。「パイ」とは「π」のこと、つまり円周率。もうお分かりですよね、3.14。「だからなんなんだよ」って突っ込みたくなるほどどうでもよいことですが

<昨日の答>
(お口は全て楠井さんですが、タイトル写真のお口は)4番。 

「楠井チェック!」カテゴリーを作ったらアクセス数が急に2~4倍にもなった!。試しにgoogってみたらなんと5番目と10番目くらいでヒットした。スゲー、「楠井さん」検索してる熱烈ファン(ストーカー野郎?)が結構いるってことですな。ちょっと不気味


今日の楠井さん(4)

2008年03月13日 | さおりチェック!(旧楠井チェックw)からのー、沙織チェック

今日の楠井さんはサブキャスターで頑張ってました。

さて、上の楠井さんは下のどれでしょう?

  1     2      3      4     5

    6     7      8      9    10

mmm、ここまでやるとちょっとアブナイかな。
答えは次回の“楠井チェック”で


「景観」とその「価値」について考える

2008年03月13日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

 昨日、京都府教育委員会が「毛原の棚田」ほか3地域を「文化的景観」に指定したことを書いた。では「景観」とは何なのか?「景観」の価値とは?「景観」は環境保全との関連で語られることも多いが、「景観」を保全することと「環境」を守ることとの関係は?
 とりあえずネットで調べてみても予想通りこのあたりのことごとに関してはあまり深められていないことが分かる。学会、行政、一般の雰囲気というか、はやりの“空気”で読んでみれば、なんとなく「自然と人工物の混在した一定範囲の景色」を「景観」と暗黙に了解しているようだ。

 そもそも「景観」自体があいまいなのに、その「価値」ということになると、これはもう経済的価値観という視点で論じられる場合がほとんどというのはいたし方のないところだ。昨年6月、「景観形成の経済的価値分析に関する検討報告書」なる ものが国土交通省から提示されているが、現時点での「景観の価値評価手法」に対する考え方の大勢をまとめたものと言えるだろう。

 昨年9月、京都市が「新景観条例」を制定した際にも、市街地の地主や不動産業者らからの「資産価値が下がる」といった反対論に対する反論の拠り所となっていた。ちなみに、京都府も昨年4月に「景観条例」を施行しているが、京都市の場合ほど反対論も出てこなかったというか、ほとんど話題にもならなかったのは興味深い。 

 京都府のそれが「平和を守りましょう」的な毒にも薬にもならない総論、スローガンのような内容であったのに対し、京都市のそれは、あの前市長にしては珍しく建築物の「高さ」「建ぺい率」や「広告規制」など、言ってみれば「平和を守るために、タルんだ海自の無駄な船と人員は半分に減らしましょう」的に具体的な基準にまで踏み込んだため、経済的利害の対立する勢力が騒いだということだ。

 つまり、ことほど左様に「景観の価値」、「景観保全」といっても具体的な部分に踏み込んでいくと、醜い利害争いが現れてきて結構泥臭いものなのだ。私は、その元凶は「景観」の基礎をなす「土地の私有制度」にあると考えている。土地の私有制度を撤廃すれば「景観」と「経済的資産価値」との対立は無くなる。経過措置として百歩譲っても、個人の生活に必要最小限の土地以外の「私有」は即時撤廃すべきだ。そこにメスをいれずに「平和を守ろう」的キレイごとをお題目のように唱えていても何の解決にもならない。
 これと似たようなことは、他の環境諸課題、CO2、エネルギー、食糧その他全てについて言えることだ。循環型社会などと耳障りの良いたわごとをふりまき、CO2まで排出権取引で投機の対象としてしまう資本主義のタブーに踏み込まない限り、根本的解決はありえない。そこに気づかないで今の市民レベルの環境への取り組みなど、所詮騙されているか自己満足のお遊びでしかない。


今日の楠井さん(3)

2008年03月12日 | さおりチェック!(旧楠井チェックw)からのー、沙織チェック

「くらしと気象」コーナーで、気象庁の“水谷豊”おじさんとサクラ情報を担当。

楠井さんを前にしてコチコチの“水谷豊”さん、棒立ちで原稿棒読みでした(あまり深読みしないように)。

「お花見ではこんなことに注意してくださいね

「ハイハイ、なんでも言うことききますです。」

ダイナマイト!
 

以上、ストーカーコーナーでした。


何に見えます?

2008年03月12日 | 今日の出来事

 今日は春を通り越して初夏のような陽気で、こんな日に山へ行かないなんてウソだが、半面花粉の中に飛び込んでいくようなものだ。案の定、帰るとクシャミの連続、鼻水ダラダラとなってしまった

 陽気に誘われて定例活動日のように多くの方々が入れ替わりやってこられ、畑仕事やキノコの世話、巣箱作りなどに励んでおられた。

 私は、メンバーのYさんからデカイ杉の切り株をいただいていたので昨日に続きカービングの練習。前から彫ってみたかったネコに挑戦。そんなこんなで「景観」のことをすっかり忘れてしまっていた

後姿はまあまあネコだけど、前は...

ネコに見えるかどうかはさておき、昨日のコナラと違ってスギは柔らかくて彫りやすい。うっかりするとすぐ切りすぎてしまう。

Mさん製作の巣箱。たくさん製作されたので、うちの庭にも置いてみようと一ついただいて帰った。


Aさんから収穫された水菜をたくさんいただき、お揚げと炊いて晩御飯にいただきました。ありがとうございました。


指定の大安売り

2008年03月12日 | まつたけ

 「田舎暮らし応援団」の活動拠点、大江町毛原地区が、京都府教育委員会から「文化的景観」指定されたそうだ。毛原地区は他にも農水省から「棚田百選」にも指定されている。
 先日あった「里地里山シンポジウム」でも、「景観」の“価値”についての話があった。では「景観」の“価値”とは何なのか?実はその肝心なところがあいまいだ。シンポジウムでもそのことについて「質問状」を出したが残念ながら議論はしていただけなかった。

 最近、「ナントカ百選」だの指定の大安売りである。「指定」するだけなら金もかからない。行政にとっては、いかにも環境や自然保護を重要視しているかのようなポーズをとるには最も手っ取り早い安直な手法だ。そこに補助金でも付けば、そこにぶら下がって行政の下請けに群がるハイエナのような流行の「ランドスケープ」屋学者サン・企業が儲かる仕組みができつつある。

 「景観」とは文字通り解釈すれば見た感じであり、形態的には「自然景観」と「人工景観」に分けることができるだろう。しかし、その価値となると定義が難しい。「価値」というのは文化的思考能力を獲得した人間との相対において存在しうるものであって、そうした能力のない動植物には「価値“感”」といえるものはないと考えられる。

 「文化的景観」とは形態的にはイコール「人工景観」のことであって、その「景観」が価値を持つということは、複数の「景観」を示された場合により多数の人々がより良い「景観」として選択するということである。つまり、「景観」の「価値」とは絶対的なものではなく相対的な価値観だと考えられる。

と、ここまで書いてきたが、m~m難しくて..。今日は山に行って「景観」の意味と「価値」についてゆっくり考えることにします。

 


鞍馬の火祭りが大変なことに

2008年03月11日 | まつたけ
 今日は小春日和の良い天気であった。山に行くとすでにMさん、Hさんともう一人、腰にナタ・ノコ姿の見知らぬおじさんが。聞けば鞍馬の方で、松を探して山に入りここへ下りてこられたとのこと。

 京の奥座敷、鞍馬では10月に「鞍馬の火祭り」が行われる。その松明に使う松を探してるとのこと。「鞍馬なんて周りは山だらけで松なんかいくらでもあるでしょうに、なんでまたこんなところまで探しに来られたんですか?」とたずねると、なんと「鞍馬には松がほとんどなくなってしまった」!?んだそうだ。「えーっ、あんな山奥の方が松が無いって、こんな京都市近郊まで探しに来られるなんて、逆なら分かるけど..。」
 あらためて自然界の異変を思い知らされた。いくら火祭りのために毎年松を伐っていたとしても、無くなってしまうなんて!松枯れなどで供給が需要に追いつかなくなってしまったのだろうか。

 京都では松を焚く祭りや行事がたくさんある。五山の送り火を筆頭に花背や京北、雲ヶ畑、宇治田原など各地で松上げなどの松を焚く行事が行われる。鞍馬以外の地域ではどうなのだろう?五山の送り火では、薪となる松を確保するのに苦労されていると聞く。このままでは伝統行事の継続が難しい事態にもなりかねない。行政はこの現状をちゃんと把握して対策を立てているのだろうか。
  
 さて今日はフリー活動日、Mさんは小鳥の巣箱作りに余念がない。Hさんは陶芸窯の基礎作りの準備。午後、Eさんもこられて畑の世話をして帰られた。
で、私は除伐したコナラの切れ端で久しぶりにカービング練習。またまたフクロウ。お隣さんの玄関にかわいいフクロウの木彫りが飾ってあったので、ちょいとお借りしてきたのをモデルにした。コナラは硬くて重い。なかなか大変であった。

ログハウススクール募集

2008年03月11日 | ログハウス

きのこついでに、「田舎暮らし応援団」では「ログハウススクール」受講生募集もしています。〆切4月20日。講習開始4月26日~完成するまで

 テーブルや東屋程度のものでお茶を濁す、さわり程度のスクールではありません。細かなノウハウから、失敗したときの対処法(これが一番勉強になる!)まで、全くのドシロート(実は私も)が自力建築できるよう実践的な技術が体で習得できます。

 現在1期生~3期生まで、いまだに建設継続中。だ~れが生徒かセンセイか分からない、おバカで楽しい仲間と一緒に、きのこ作り、蕎麦打ち、米作り、山菜取り、木工、チェンソーカービング、etc...いろいろなイベントも楽しみながらノンビリ田舎を満喫しませんか。

詳しくは、「田舎暮らし応援団」HPで。


ゲゲッ、ガン!?

2008年03月10日 | 今日の出来事

 このところ病院通いが“趣味”になってきた。

 先々週末、虫歯の歯痛と思って歯医者に行ったら、「虫歯じゃないですよ。副鼻腔炎です。」そう言われてみれば、虫歯なら継続して痛むし、時間が経つにつれて痛みが強くなってくるものだ。私の痛みは断続的だったし、歯医者に行ったころにはほとんど痛みは出なくなっていた。今ではなんともない。もっとも痛みを感じてなかった他の歯に軽い虫歯がある、ということでそちらの治療は続いている。

 さて、問題は別にあった。
4年ほど前からだと思うが、気が付いたら口腔内上顎に白い小さな“できもの”ができていた。気付いたときは米粒くらいだったが、最近では山椒の実くらいになっていた。別に痛くもないし特に不都合もないのでほとんど気にかけていなかったのだが、歯医者へ行ったついでに診てもらったら、「大したことはないと思うけれど、一応大学病院で診てもらってください。」と紹介状を書いてもらって京大病院へ行ってきた。

 京大に歯科があるとは知らなかった。歯学部はないのになんで歯科があるのだろう?そんなことはどうでもよい。
 口腔外科のT先生は若い女医さん、小柄だがなかなかの美人だ。「ラッキー」なんて心の中でひとりごちながら、『あっっ、先生の白い細い指が私の口の中に..』なんて妄想を膨らませ..、そう言えば、“谷崎の作品”にこんなのがあったよなぁ(映画にもなった。ん?T先生、愛染恭子に似てる?)。
 最初の見立てでは、「悪性のものではなさそうだけど、念のためX線検査しておきましょう」、ということでX線写真を撮ってもらったら、なんと上顎の“できもの=腫瘍”のある部分のウラの顎骨に穴が開いている!骨が無い!腫瘍に食われた!?

 (私)「骨に穴が開いてるんですかぁ?このまま広がってどんどん骨が無くなっていくとマズイですよねえ。」(先生)「ええ、マズイですねぇ。」。先生、テスターみたいな電極を歯にあてて、「ちょっと電気流しますよ-、(気持ちよかったら)もとい、痛かったら言って下さいねぇ」「イタッ」「歯は生きてるようですね」なんて、漫才のようなのんきな会話を交わしながら、妄想のためかイマイチ危機感がわいてこない。
 ま、とにかく放っておくわけにも行かないだろうから、ということで手術で除去してもらうことになった。『執刀はT先生がしてくれるのかしらん』『ついでにボーコー憩室の手術も一緒にやってもらうわけにはいかないかな?』などと、この期に及んでもあらぬ妄想から冷めない私であった。大丈夫かいな?


西部悪人伝

2008年03月08日 | 映画(西部劇など)

 大江のログハウス建築現場から帰ると待望のDVDが届いていた。

 「西部悪人伝 sabata」。私の大好きなリー・バン・クリーフ主演の、マカロニウェスタン末期(1969年)に咲いた典型的な娯楽西部劇。ストーリー自体はハチャメチャだが、クールなようでどこか人間臭さもあわせ持つナイスガイな比類なきキャラクターを完成させたリー・バン・クリーフの魅力いっぱいの西部劇だ。
 DVDは2003年の発売だが、コアなファンにしか売れないと見られたためか発売数が少なく、今となってはほぼ絶版状態だった。ずっと探していたのだがやっと見つけた。定価の3倍ものプレミアムが付いていたが、これを逃したらもう無いと思ってエイやっと買ってしまった。

 西部のとある町で起きた銀行強盗事件。ならず者を雇って強盗をさせた真犯人は町の有力者、牧場主のステンゲル、判事のオハラ、酒場のオーナーファーガソンの3人。町に鉄道が敷かれる計画を知った3人は、強盗で手に入れた資金で鉄道予定地を買占め、更なる一儲けを企んでいた。
 町を通りかかったリー・バン・クリーフ演じる流れ者sabata(あまりヒーローっぽくないヘンな名前だがイタリア人にはカッコいい名前なのだろう)は、一人で10数人の強盗犯をすべて倒し金庫も取り返して戻ってくる。
 sabataの超人的ガンファイトや隠し銃口付きデリンジャー、sabataから飲み代を恵んでもらった飲んだくれのカリンチャ、水戸黄門に出てくる忍者飛猿のような役どころのインディオ、ライフルが組み込まれた仕込み杖ならぬ“仕込みバンジョー”の使い手バンジョー(そのまんまやないか)がからみ、黒幕の悪役3人組と戦いを繰り広げる。貴族気取りのステンゲルは、sabataとの甲冑ごしの決闘で、卑怯な仕掛けを見破られあえない最期を遂げる。最後にsabataは、バンジョーとの“偽装”決闘にオハラの金を賭けさせ、撃たれたふりをして掛け金もせしめるのだが、その金はバンジョーたちに全てやっていずこかへと去っていく..。

 ゲイジュツとしての映画を求める向きには駄作この上ないだろう。しかし私は、「七人の侍」をパクった「荒野の七人」よりも、「水戸黄門」的娯楽性をもってリー・バン・クリーフのキャラクターを最大限に生かしきった、西部劇らしい西部劇だと思っている。


地掻き

2008年03月07日 | まつたけ

 今日は「まつたけ十字軍」の作業日。過密樹木やマツノザイセンチュウ感染松の除伐がほぼ終わった施業地の地掻きを行った。
 地掻きというのは、地面に降り積もった落葉や枝の腐りかけたもの(腐植)を取り除く作業である。腐食が地面を覆っていると、富栄養化してマツタケ以外の雑菌が繁殖するしマツタケの胞子も地面に届かない。そこでマツタケが生えるようにするためには腐植を取り除かなくてはならないのだが、これがなかなか大変な作業だ。

普通は下のように熊手で落葉をかき集めて“手み”で林外に運びます。
   
 しかし、ある程度腐食が進んだ腐植には、栄養を求めて近隣の樹木が細根を伸ばしているので熊手ではなかなか掻き切れません。
 そんな場合は下図のように、“山菜ごて”で腐植下部に張っている根を切りながら剥がしていきます。イノシシでも捕まえて皮を剥いでいるような感じですね。
 
腐植の厚さは10cm近くありました。

まず赤線のように、“山菜ごて”で地面と腐植の間を切り離して生きます。
 

切り離した腐植は、絨毯を巻くように順次くるくる巻いていきます。
 
 “山菜ごて”の刺さっている部分が巻き取った腐植。赤線で囲んだ部分は、腐植が掻き取られた地面。ときにケロウジなどの青白い菌叢が見られることがあります。マツタケの大敵です。

どんどん切り剥がして巻き取っていく..


最後はこんな感じ。少し土が見えるくらいに掻きとっておきます。赤線内は掻き取られた腐植の塊。後はひたすらこの繰り返し。なかなか忍耐の要る作業です。

 腐植はさらに林外へ運び出し、堆肥として利用します。灯油や化学肥料など普及していない頃は、こうして集めた落葉を燃料とし、腐植堆肥や人畜の糞尿を肥料としていたんで、無意識のうちにマツタケに良い環境を作っていたんですね。ここには後何年したらマツタケが生えるのだろう。