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京都市東山区 後白河上皇の法住寺殿の遺構?が出土

2010年01月02日 | Weblog
 京都国立博物館敷地内で、平安時代末期に後白河上皇(1127~92)が政務を執った「法住寺殿」(ほうじゅうじどの)の一部とみられる門や道路跡の遺構が、市埋蔵文化財研究所の調査で見つかった。
 80cm四方の柱穴跡が約4・2mの間隔で二つ出土し、その約2m東側に南北に走る幅約5・5mの道の跡が長さ約14mにわたって確認された。周囲に建物跡が見つからないため、柱穴跡は北殿や北殿に関連する建物棟門の遺構とみられる。
 広大な施設の実態を知る手がかりになるとしている。
[参考:2009.12.8読売新聞、2010.1.2京都新聞]

備考
 遺構の出土場所は、記事に添付された地図からみると、三十三間の北(北殿)から北東(新御所)にかけての部分の一部と思われる。
 永延2年(988) 藤原為光によって法住寺が創設
 永暦2年(1161) 法住寺を中心に包摂するかたちで後白河上皇の御所(南殿、西殿、北殿)が営まれる。
 養和元年(1181) 北殿の東側に新御所が造られる。(『明月記』) 
 長寛元年(1163) 平清盛の寄進で蓮華王院(三十三間堂)が南殿の北側に造立される。
 寿永2年(1183) 木曾義仲が襲撃した「法住寺合戦」により焼失。

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