歴歩

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豊橋市・普門寺旧本堂(元々堂)跡で岩盤を削った基壇が見つかる

2010年01月08日 | Weblog
 豊橋市教委は5日、豊橋市雲谷(うのや)町の普門寺(真言宗)で、旧本堂跡から平安時代末期に山の岩盤を削って建物の土台にした基壇が見つかったと発表した。岩盤を利用した建物の土台の確認は東海地方の寺院では初めてという。
 普門寺は静岡県境の弓張山系の南端にある山岳寺院。標高約220mの山中にあり、現在の本堂の西側約400m、広さ200㎡の「元々(もともと)堂」と呼ばれる旧本堂跡がある。同市教委が昨年11月上旬から発掘調査を始め、同月下旬、20m四方の基壇を見つけた。
 さらに、旧本堂跡の土台の岩盤部分(堆積岩、約10m四方)から計36個の礎石が縦、横各6個ずつ2m間隔で規則正しく並んでいるのが見つかった。工事は最初に本堂を建立するのに必要な広さを計算した後、水平方向に岩盤を掘り進めていったとみられる。工事完了時点には、水平方向で20数m、垂直方向に約5mを掘削した。周囲をさらに掘削することで基壇を浮き上がらせた。基壇の南側には、やはり岩盤を直接削ってつくった参道が設けられていた。
 現場近くから平安時代末から鎌倉時代の瓦が数多く出土しており、本堂は瓦葺きの建物だったとみられる。
 今回の調査で、基壇北側からは平安時代末期の山茶碗と皿が30点以上出土しており、同市教委は、同時期に基壇が造られたとみている。他にも基壇を覆う土の中などから平安時代中、後期の茶碗や皿、瓦、銅鏡の破片など計200点が出土した。底に「無養」と墨書された平安時代末期から鎌倉時代の茶碗も1点あったが、意味などは不明という。
 現地説明会は9日午前10時半と午後1時半から開かれる。雨天時は翌日に順延する。
[参考:東愛知新聞、中日新聞、読売新聞]

過去のニュース・情報
 2008.12.5豊橋市 普門寺旧伽藍址 元堂址で新たに基壇見つかる
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福井県越前町・番城谷山5号墳 5世紀半ば、全長55mの前方後円墳と確認

2010年01月08日 | Weblog
 越前町教育委員会は7日、同町天王の八坂神社北側の山中で、同町宝泉寺にまたがる標高155mの尾根にある栃川古墳群の番城谷(ばんじょうだに)山5号墳について、5世紀半ばの前方後円墳と確認したと発表した。全長は55m、円形部分の直径は38m、南東側に長さ約17mの前方部があり、西には造出部も備えており、同時期の古墳としては県内最大級。同古墳は従来弥生時代の墳丘墓とされ、具体的な調査はされてこなかった。 分布調査は昨年5月に実施し、同7~9月に測量調査した。
 古墳の裾から円筒埴輪の底部が発見され、突起などの形態から築造された時期が判明した。付近に散乱していた15~30cmの川原石は古墳の葺石として全面を覆うため、麓の天王川から約140mの標高差を運んできたとみられ、計算上では11万個の石が必要だったと推定する。
 県内には4世紀末に築造され、越の国の盟主を埋葬したとされる北陸最大の前方後円墳である六呂瀬山1号墳(坂井市丸岡町、全長140m)などがある。しかし古墳は年代を追って小型化しており、番城谷山5号墳は5世紀中ごろの古墳の中では県内最大級。同時代の前方後円墳には、永平寺町の泰遠寺山古墳(全長62m)や鳥越山古墳(同54m)などがあり、番城谷山5号墳はこれらに匹敵する。
 これまで高所で川原石や埴輪が見つかった古墳は北陸最大級の六呂瀬山一号墳(坂井市丸岡町)や手繰ケ城山古墳(永平寺町)など、いずれも首長級だったことから古代の『越の国』の盟主的な政治権力者に匹敵する人物だった可能性が高いとしている。
[参考:福井新聞、中日新聞、読売新聞]
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