歴歩

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成田市・台方宮代遺跡 石枕が出土、現地説明会1/30

2010年01月28日 | Weblog
 平成20年11月に、石枕、立花、直刀、鉄製斧などが出土し現地説明会が開催された船形手黒遺跡(成田市台方字鶴巻)。その僅か500m足らず西の台方宮代(だいかたみやしろ)遺跡(同市台方字上宮代1415)から石枕などが出土し、現地説明会が開催される。
 昨年11月より台方宮代遺跡の発掘調査を実施。遺跡内から3基の円墳や竪穴式住居跡を発見した。
 1号墳(直径約30m、高さ6m)は、古墳時代中期5世紀と考えられ、埋葬施設から滑石製の紡錘車や勾玉、鏡などの模造品、鉄剣、石枕(滑石製、縦26cm、横26cm、厚さ5cm、重さ8kg)(注1)などが出土。
 2号墳は古墳時代前期から中期初頭にあたり、滑石製の臼玉、管玉の他、ヒスイの勾玉、ガラス製の臼玉が出土。
 現地説明会が1月30日(土)午後1時~3時(小雨決行)に開かれる。 (雨天の場合、翌31日に順延)
[参考:印旛郡市文化財センターHP、毎日新聞]

(注1) 2010.2.4追記
 公津原古墳群からの石枕出土は、大塚古墳(瓢塚32号墳)Ed3、船手黒1号墳(仮)Cb3、に続いて3例目となる。
 今回出土した石枕を、東京工業大学亀井宏行研究室が行なっているサービス「ARCADIA」の『石枕』の形を表す記号で示すと「Bb3」となるかと推測される。すなわち、円形に近く(B)、頸受け部がハの字状に外反して開き(b)、平坦面数が3(高縁の段数が2)。

過去の関連ニュース・情報
  船形手黒遺跡 現地説明会 2008年11月15日



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岡山市・湊茶臼山古墳 墳丘外で葺石遺構出土

2010年01月28日 | Weblog
 2008年度の調査で、全長120m、築造時期5世紀初頭頃とわかった湊茶臼山古墳(同市中区湊)で、岡山市教委により昨年9月1日より発掘調査が行われている。26日までに、墳丘外で葺石遺構が出土するなどしている。
 これまでに前方部の周囲十数m幅で、岩盤を掘削してまで地形を改変した跡を確認。その一部では、約1mからこぶし大の石材を組んだ葺石遺構も見つかり、墳丘外の整備にも力を注いでいることが分かった。市教委では周溝を意識した構造ではとみている。
 現地説明会が、1月30日(土)午後1時30分から開かれる。 
[参考:山陽新聞、(財)岡山市埋蔵文化財センターHP]
過去のニュース
 2008.11.5 湊茶臼山古墳 現地説明会



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淡路市・垣内遺跡 08年度に出土した鉄製品(板状鉄斧)は朝鮮半島南部製か

2010年01月28日 | Weblog
 淡路市教委は26日、弥生時代後期の鍛冶工房跡とみられる「垣内(かいと)遺跡」(同市黒谷)から出土した大型鉄製品が、「板状鉄斧(てっぷ)」と呼ばれる鉄製の斧と確認したと発表した。形状から朝鮮半島南部で製作し、国内にもたらされた舶載品の可能性が高い。
 鉄斧は08年10月に発掘した南北約50m、東西約500mと推定される遺跡のほぼ中央部の鍛冶工房跡とみられる直径9・7mの縦穴建物から出土した。当初、朝鮮半島か中国から輸入されたとみられる大型鉄製品と考えられていたが、愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの協力で錆などを取り除くクリーニング作業などを行い、板状鉄斧と判明した。
 鉄斧は長さ17・9cm、厚さ1・3cm、刃部幅が4・9cm、基部幅が3cm、重さ約263g。基部が狭く刃部にかけて広がるバチ型をしている形状と、両側面から丁寧な鍛打が施されている製作技法などの特徴から、国内で製作されたものではなく朝鮮半島南部で製作された可能性が高い。
 弥生時代中期末から後期(BC1世紀~AD2世紀)にかけての舶載品とみられる板状鉄斧はこれまで、九州北部を中心に出土例があるという。
 31日午後1時半から北淡震災記念公園セミナーハウス(淡路市小倉)で「弥生時代鍛冶工房 垣内遺跡の謎」をテーマにした垣内遺跡調査報告会と講演会が開かれ、鉄斧も公開される。
[参考:毎日新聞、朝日新聞]

過去のニュース
 2009.6.26 垣内遺跡 保存のため埋め戻し始まる
 2009.4.4 垣内遺跡 国内最大の弥生後期の鉄器工房


キーワード: 五斗長垣内遺跡
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八幡市・女谷・荒坂横穴群 新たに8基の横穴を発掘、合計58基に

2010年01月28日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは27日、八幡市美濃山荒坂の女谷・荒坂横穴群で、6世紀後半-7世紀前半の横穴8基を新たに発掘したと発表した。同横穴群は2002年までに50基の横穴を発掘しており、今回の調査で計58基となった。
 新たに発掘した横穴(全長10-15m)は南北50mの範囲にあり、有力者の血縁集団が、1基につき3人以上埋葬されたと考えられる。
 ひとつの横穴の最深部の玄室(幅1・3m、奥行き2・7m)から、副葬品として青銅鏡「瑞雲双鸞鏡(ずいうんそうらんきょう)」が出土したことから、平安時代前期に横穴が再利用されたとみている。
 青銅鏡は、直径11・5cm、厚さ3mmで、雲の文様や想像上の鸞鳥(らんちょう)が刻まれている。大きさや材質から、中国の唐式鏡を模して奈良時代末に多く生産された国内産とみられる。
 横穴群の700m南東には、古代寺院の美濃山廃寺跡がある。青銅鏡が出土した横穴から同寺と同じ種類の瓦が見つかっており、墓の造営集団の子孫が美濃山廃寺の建設にもかかわり、先祖の墓である横穴に追葬されたのではないかとみている。
 現地説明会は30日午後2時から開かれる。
[参考:京都新聞、(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター]

過去の関連ニュース・情報
 2009.6.6 八幡市・宝寿院 阿弥陀如来立像の胎内から「定慶」作の墨書名発見
 2008.12.3 八幡市・王塚古墳 前方後円墳
 2008.7.6 八幡市・女郎花遺跡 現地説明会
 2008.7.4 八幡市 女郎花遺跡 奈良-平安期の建物遺構出土 地元豪族の居館か



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