平城宮跡の東方官衙地区から、奈良文化財研究所の発掘調査により中国の漢代に用いられ、文字を縦長に伸ばす「懸針(けんしん)」と呼ばれる筆法で書かれた木簡が初めて見つかった。中国から取り入れようとした文化の広がりをうかがわせる史料としている。
木簡は長さ20cm、幅9.8cm。平城宮の警備を担った「衛府」とみられる役所近くのごみ捨て穴にあった。宝亀2~3年(771~772年)頃のものとみられ、木簡の両面に練習した文字のうち、五つの「行」は、縦の最終画が偏の6倍程度にまで長く書かれていた。
懸針は縦画を力を入れながら太く伸ばす特徴的な筆運びで、中国では紀元前1世紀~2世紀の木簡に、命令の執行や文書の配達などを意味するキーワードとして用いた例がある。
[参考:読売新聞]
木簡は長さ20cm、幅9.8cm。平城宮の警備を担った「衛府」とみられる役所近くのごみ捨て穴にあった。宝亀2~3年(771~772年)頃のものとみられ、木簡の両面に練習した文字のうち、五つの「行」は、縦の最終画が偏の6倍程度にまで長く書かれていた。
懸針は縦画を力を入れながら太く伸ばす特徴的な筆運びで、中国では紀元前1世紀~2世紀の木簡に、命令の執行や文書の配達などを意味するキーワードとして用いた例がある。
[参考:読売新聞]