歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

河南省洛陽市・三国志の英雄・曹操の武将「曹休の墓」を発見

2010年05月18日 | Weblog
 2010年5月17日、河南省文物局は同省洛陽市孟津県で三国時代の英雄・曹操(155~220年)の武将で甥にあたる曹休(?-228)の墓が発見されたと発表した。曹休は曹操とは血縁関係はないが、実子のようにかわいがられた。
 曹休のものと発表された墓は09年4月、連霍高速道路の拡張工事の最中に発見され、同年5月から発掘作業が行われていた。
 墓の大きさは東西50.6m、南北21.1m、深さ10.5m。盗掘の際に開けられた穴も6カ所見つかったが、全体的に保存状態は良好。墓の前室と側室のいずれからも散乱した人骨が発見され、男性と女性各1人ずつのもので、男性は50歳過ぎで身長は約171cm、女性は40歳前後であることが分かった。墓の後室から約2cm四方の「曹休」と彫られた銅印が見つかったことが、墓が曹休のものだと断定する重要な決め手となったという。
 北の側室にも棺桶が置かれた形跡があることから、墓は3人が合葬されたものだとみられている。このほか、陶器や銅器、鉄器、金銀器なども発見された。
[参考:共同通信、Record China、中国新聞網]

「三国志」関連の曹休の墓発見 中国河南省(共同通信) - goo ニュース

過去のニュース・情報
 2010.1.25河南省安陽市・曹操高陵 真偽判定のためDNA鑑定に着手
 2009.12.28河南省安陽市・曹操高陵 三国志の曹操の墓と認定
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府中本町・武蔵国府関連遺跡出土、異形石製品(琴柱形石製品)について

2010年05月18日 | Weblog
 5月15日に行われた現場見学会では出土した遺物も展示された。
 そのなかで、異形石製品について興味があったので手持ちの資料からまとめてみた。
 古墳時代前期(4C)の遺構から2.5cmほどの管玉と一緒に、幅約2.3cm、高さ約2.3cmの異型石製品(滑石製)が出土している。一見して、亀井正道氏が分類した琴柱形石製品のうちの本村型(ほんむらかた)ではないかと感じた。上部に懸垂用の小孔2個があり、小型のペンダント状で、しかも下部に勾玉状の突起を外向きにつけた形態で、外形は本村遺跡(浦和市・埼玉大学構内)とそっくりである。ただ、本村遺跡出土品が上方に格子文があるのに対し、本遺跡出土品は模様がはじめからなかったか、あるいは磨耗で見えなくなったか、肉眼では模様が見えない。
 竪穴建物跡から管玉と一緒に出土していることから、祭祀用としてでなく装飾用として使用した可能性が高いとみられる。
 ちなみに、これまでに出土した本村型の一覧表を下記に表してみる。資料は5年ほど前に調べたものなので、新たに発見されたものは含んでいないし、資料ごとに寸法がやや違う場合もあるし、残欠品も多く、その場合寸法は推定で記したものもある。

琴柱形石製品(異形石製品)一覧
(◎は下部に勾玉状の突起を外向きにつけた形態のもの、□は下部横列に三日月状の穴を開けた形態のもの)
◎ 下槙遺跡(山形県) 2点 20W×25H、20W×27H 滑石製 5前半
◎ 厩洞穴(富山県) 1点
◎ 厨1号洞穴(福井・越前町) 1点 18H×22W 滑石製 4後半~5初
◎□ 下佐野遺跡(高崎市) 未完成品218点 古墳前期、玉作工房跡から出土、三波川変成帯の蛇紋岩・滑石で製作
◎ 能野堂遺跡(高崎市) 1点 23W×27H滑石(蛇紋岩)製
□ 千鳥遺跡(伊勢崎市)・1点 古墳前期 36W×39H 滑石製
◎ 本村遺跡(埼玉大学構内) 1点 24H×24W 6C前半 滑石製
□ 向新田遺跡(印西市)1点 古墳前期 滑石製
□ 閏井戸西山遺跡(市原市) 1点 25W×31H 古墳前期前半 蛇紋岩(秩父産?) 
□ 上谷本第二遺跡(横浜市) 1点 24W×34H 滑石製、5C前半
□ 永塚下り畑遺跡(小田原市) 26W×26H 滑石製
□ 小深田遺跡(焼津市) 1点 20W×29H 滑石製 古墳前期
? 大谷古墳群(掛川市) 1点 21W×26H? 滑石製 山頂遺物包括層より出土
□ 鬼釜遺跡(長野県池田町) 1点 24W×25H 滑石?
□ 長瀬高浜遺跡(鳥取県羽合町)1点 ?W×26H 滑石製 古墳前期

参考資料
琴柱形石製品考(『東京国立博物館紀要』8) /1973亀井正道
古墳時代前期の異形垂飾品(所謂本村型琴柱石製品)について /伊丹徹(葉山町教育委員会)
「閏井戸西山遺跡」鈴木英啓 /1986(財)市原市文化財センター
下槙遺跡発掘調査報告書/山形県埋蔵文化財調査報告書39/ 1981長橋至
下佐野遺跡Ⅱ地区(1)縄文時代・古墳時代編(1986 群馬県教委・(財)群馬県埋蔵文化財、日本鉄道建設公社)
下佐野遺跡2地区. 縄文時代・古墳時代編 / 群馬県埋蔵文化財調査事業団 編 1986年
下曽我遺跡・永塚下り畑跡第Ⅳ地点2002.9 鎌倉遺跡調査会/下曽我遺跡調査団
熊野堂遺跡(2)遺物編1/群馬県教育委員会、群馬県埋蔵文化調査団、JR 1990
千葉県文化財センター年報No.9 「向新田遺跡」

過去の関連ニュース
 武蔵国府関連遺跡2010.5.15現場見学会
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蔚山・山下洞遺跡 新石器時代~三国時代多様な大規模遺跡発掘

2010年05月18日 | Weblog
 (財)蔚山文化財研究院は17日、蔚山北区江東山下都市開発事業地区「山下洞遺跡(산하동유적)」で行った発掘調査結果を発表した。新石器時代から青銅器時代を経て三国時代までの古墳群と住居跡、竪穴など多様な遺構が確認された。
■新石器時代竪穴20基、柱穴群は2ヶ所。江東海岸(강동 해안)では最初の新石器時代遺構の発見。
■青銅器時代住居跡120余棟、環形穴を含む、穴15基、柱穴群は4ヶ所など
■三国時代遺構には木槨墓と石槨墓160数基、甕棺墓5基、石室墓17基、掘立柱建物跡2ヶ所、車輪跡1ヶ所、竪穴と穴および柱穴群は多数などが調査された。東南海岸辺で発掘された古墳群の中で最も規模が大きく、古墳群全体が発掘され、古墳の形成と変化および消滅過程を研究できる資料と評価。
 新羅時代地方社会の一面を考察できる良い資料になるとしている。
 現場説明会が17日行われた。
[参考:聨合ニュース、蔚山新聞]

過去の関連ニュース
 2009.6.3・蔚山市 兵営城近隣で大規模村遺構が初めて発掘



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