歴歩

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敦賀市・向出山1号墳 1954年に出土した甲冑に金の多用が判明

2010年05月31日 | Weblog
 敦賀市教委は31日、同市吉河(よしこ)の向出山(むかいでやま)1号墳から約50年前に出土した古墳時代中期(5世紀後半)の甲冑を洗浄したところ、これまで国内で発見されたものに比べ多量の金が使われていたことが分かったと発表した。
 鉄製甲(よろい)は「鉄地金銅装頚甲(てつじこんどうそうあかべよろい)」で、全面に金メッキをし、細い鏨(たがね)で彫った「毛彫り」と呼ばれる文様を描いているのが特徴。幅18cm、高さ14cm、奥行き24cmで首周りや胸、背中を守るために着用したとみられる。総金張りの甲は奈良県五條市・五条猫塚古墳(1辺27mの方墳)での出土に続いて全国2例目。
 冑(かぶと)は「鉄地金銅装眉庇付冑(てつじこんどうそうまびさしつきかぶと)」で、冑の周囲にまいた金帯を挟んで上下6方向に金メッキを施した「六方白(ろっぽうしろ)」と呼ばれる様式であることが分かった。前後22cm、幅20cm、高さ12cm。前部に庇(ひさし、横25cm、幅9cm)があるのは同時代に大陸で作られた冑には見られない形状で、国内製とみられる。金銅装冑は全国で約15例の出土がある。このうち5例が金メッキを4方向に配した「四方白」だが、「六方白」は見つかっていないという。
 金銅装の甲冑を身に着けられる豪族は極めて少なく、港があり大陸の入り口となっていた敦賀を当時の政権が重要視して贈ったのではないかとみている。
 甲冑は昭和29年(1954)に1号墳の石室から見つかった。敦賀市三島町1丁目の八幡神社が所有しており、59年に市文化財に指定された。2008年度からクリーニングと保存作業が行われていた。いずれも金が用いられていることは分かっていたが、今回のクリーニングで豪華な金張りの全体像が判明した。
 9~27日の間、市立博物館で展示する。
[参考:福井新聞、産経新聞]

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