高岡市教委は5日、県史跡・高岡古城公園(同市古城)の本丸広場から、礎石を使った建物跡を発掘したと発表した。 建物跡が広範囲なことから、高岡城を築城した加賀藩二代藩主前田利長(1562-1614)が住んだ本丸御殿の可能性があるとしている。 高岡城の建物跡が見つかったのは初めて。
発掘調査で、広場内の8地点を長方形に発掘したところ、試掘溝6地点の地下約1mから礎石16個や礎石跡2ヶ所、1地点から土抗や溝の跡、1地点から礎石の下に敷く小さな根石が見つかった。 礎石は直径50~60cmの楕円形、表面が平らで、1m以上にわたって盛り土で造成された江戸時代の土層の上にあった。 広範囲に礎石があり、約40m離れて発掘された礎石が、ほぼ同一線上に並んでいることなどから、本丸御殿の可能性があるとしている。
発掘現場は、7日(日)午前10時~午後4時に一般公開される。
[参考:中日新聞、読売新聞]
備考: 晩年の前田利長の居住場所
1597 富山城に移り大修復をする。
1598 利家から家督を譲り受け金沢城に移る。(翌年金沢城を修復する。)
1605 利常に家督を譲り、富山城に隠居する。
1609 富山城が焼失したため、一時的に魚津城に移り、高岡城を築き移る。
1614 5月20日に高岡城で病死。
1615 高岡城は廃城となる。
過去の関連ニュース・情報
2010.2.28 長谷川等伯作「枯木猿猴図」の所有者の変遷と消失
2009.7.11 富山市・富山城址 戦国期(16世紀中頃)の井戸跡が見つかる
発掘調査で、広場内の8地点を長方形に発掘したところ、試掘溝6地点の地下約1mから礎石16個や礎石跡2ヶ所、1地点から土抗や溝の跡、1地点から礎石の下に敷く小さな根石が見つかった。 礎石は直径50~60cmの楕円形、表面が平らで、1m以上にわたって盛り土で造成された江戸時代の土層の上にあった。 広範囲に礎石があり、約40m離れて発掘された礎石が、ほぼ同一線上に並んでいることなどから、本丸御殿の可能性があるとしている。
発掘現場は、7日(日)午前10時~午後4時に一般公開される。
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