歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都市東区・六波羅政庁跡・六波羅蜜寺境内発掘調査 六波羅蜜寺の堀や門跡が見つかる

2011年08月18日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所(上京区)は18日、同市東山区の元六原小で行っている発掘調査で、室町時代後半(15世紀末~16世紀後半ごろ)の堀や門の跡が見つかったと発表した。 調査地は六波羅蜜寺の北と西に接しており、当時の同寺の北築地と門、西限の堀に当たるとみられる。
 西限の掘は薬研堀(深さ1・8m、幅2・2~2・5m)で、南北11mにわたって出土した。その東側に沿って、柵や壁などの基礎とみられる遺構が見つかり、防御のために設けられたと考えられるという。
 堀からは16世紀後半の瓦や土器などが出土しており、治安の回復に合わせて埋められたらしい。
 現地説明会が20日(土)午前10時~同11時に開かれる。
[参考:京都新聞、読売新聞、(財)京都市埋蔵文化財研究所HP]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福知山市・ゲシ山3号墳 床一面に礫を敷き詰めた古墳時代中期の埋葬施設が出土

2011年08月18日 | Weblog
 福知山市教委は17日、5月末から同市土師(はぜ)のゲシ山古墳群の北側を発掘調査し、ゲシ山3号墳で床一面に礫を敷き詰めた古墳時代中期の埋葬施設(墓壙、全長4.1m、幅1.9m、深さ0.8m)が出土したと発表した。
 敷の大きさは6~15cmで、中央に排水溝が掘られていた。 礫敷きは排水機能を高める目的とみられる。 箱形木棺(全長2・6m、幅0・8m、深さ0・2m)の痕跡と木棺を固定する桟木を配置した跡がみられた。
 方墳の形をしており、出土した土師器の破片から4世紀末~5世紀前半の築造と推定されている。
 墓壙内の床一面に礫を敷いた例は、同市猪崎の稲葉山8号墳および10号墳、大江町の大良古墳、南丹市園部町の黒田古墳で確認されている。 黒田古墳を除くと由良川中下流域沿いに集中している。
 現地説明会が20日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:京都新聞、両丹日日新聞]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛県越智郡佐島・宮ノ浦遺跡 県内初の塩田跡を確認

2011年08月18日 | Weblog
 愛媛大考古学研究室の調査チーム(代表・村上恭通教授)は17日、越智郡上島町に属する、弓削島の隣の佐島の海岸沿いに位置する宮ノ浦遺跡(みやんないせき)を試掘調査した結果、県内で初めて中世の塩田跡を確認したと発表した。
 文献では、多くの記録が残る中世の塩の荘園「弓削島荘」の初の考古史料発見としている。
[参考:愛媛新聞]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜井市・脇本遺跡 大来皇女が滞在した泊瀬斎宮の掘立柱穴列か?

2011年08月18日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が17日、桜井市の脇本遺跡(注)で7世紀後半のものとみられる大型の建物か塀跡とみられる掘立柱穴が見つかったと発表した。
 見つかったのは、柱穴14個で柱穴は一辺が80cmから150cmで、柱は抜き取られており、太さは直径35~45cmとみられる。柱間は1.95〜2.5m。 南北8m、東西12mの範囲で東西に長い建物か2重の柵の柱列で、コの字形に並び、調査区外の西側に続くとみられる。
 周辺では東西100mに渡って同様の柱の跡が見つかっている。 もし、柵である場合、この遺構とあわせ東西の長さが約100mに及ぶ可能性があり、泊瀬斎宮に関連する大規模な施設の可能性があるという。
 現地説明会が20日(土) 午前10時〜午後3時に開かれる。

(注) 脇本遺跡: 673年に伊勢神宮に仕えた天武天皇の娘、大来皇女(661〜701年)が斎王(巫女)になる前に身を清めるために滞在した「泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)」の所在地と伝わる。
参考: 日本書紀天武天皇二年条
 夏四月丙辰朔己巳。欲遣侍大來皇女于天照大神宮。而令居泊瀬齋宮。是先潔身。稍近神之所也。
[参考:共同通信、日経新聞、読売新聞、奈良新聞、産経新聞、毎日新聞、MBS毎日放送]

過去の関連ニュース・情報
 2010.6.3 脇本遺跡 大型建物跡が出土 欽明天皇の宮殿か?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする