歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

徳島市・犬山天神山古墳 石棺から水銀朱で彩色された埋葬骨を発見

2011年09月08日 | Weblog
 徳島県埋蔵文化財センターは8日、徳島市八万町の犬山天神山古墳から新たに4基の箱式石棺と、うち1基から残り具合が良好な身長150cm程度の50代後半以上とみられる女性の埋葬人骨(5世紀後半)を発見したと発表した。 この女性の顔面から胸にかけてと、石棺の床面には赤色顔料の水銀朱が塗られていた。 祭祀を執り行ったシャーマンや女性家長とみられるとしている。
 石棺はいずれも全長約1・9m、幅約0・4mで阿波の青石を使った「阿波式石棺」。
 既に発見された石棺1基を含めて、5体の人骨が出土した。
 現地説明会は10日(土)午前10時~12時に開かれる。
[参考:産経新聞、読売新聞、毎日新聞、徳島新聞、徳島県埋蔵文化財センターHP]

過去の関連ニュース・情報
2011.6.24および6.26
 徳島県埋蔵文化財センターは、犬山天神山古墳から、箱式石棺2基を埋葬施設とする古墳時代中期(約1550~1500年前)の方墳(一辺が推定16m)が見つかったと発表した。
 石棺は阿波の眉山北側で産出されたとみられる青石を使った「阿波式石棺」で1基は全長2.2m、幅0.7m。もう1基は全長2.4m、幅0.7m。
 また、墳丘東側に幅2m、深さ1mのくびれた部分があり、一部に葺石が積まれていた。
 25日に現地説明会が開かれた。
[参考:徳島新聞]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本市・冨重写真所 国内最古級、開業145周年を迎える

2011年09月08日 | 小泉八雲
 江戸時代末期に開業し、営業を続ける写真館としては国内最古級とされる熊本市新町の「冨重写真所」が今年で開業145周年を迎える。
 冨重写真所は、国内初の写真家(写真師)として知られる上野彦馬(1838-1904)に師事した福岡県柳川市出身の冨重利平(1837-1922)が、1866年に地元で開業し、1871年、明治政府からの招きを受けて熊本に移転(注1)した。
 西南戦争(1877年)で焼失する前の熊本城の天守閣を撮影(注2)しており、熊本市が1960年に熊本城を再建する際に参考資料とした。 西南戦争で写真所は焼失したが、写真機材、ガラス原板を持ち出し、貴重な機材や記録はその後も代々大切に引き継がれてきた。 焼失した年に再建された木造2階建ての建物は、現在も店舗として使われており、2006年に国の登録有形文化財に指定された。
 保管している写真には、89年の第五高等中学校(現在の熊本大)の正門、また、同中学校を前身とする旧制五高で教壇に立った小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(注3)や夏目漱石(注4)、日露戦争の第三軍司令官・乃木希典将軍(1849-1912)ら数々の肖像写真も残されている。
 開業145周年の記念展が9月9日(金)より熊本県伝統工芸館(熊本市)で開かれる。10月2日まで。
[参考:読売新聞、熊本県伝統工芸館HP]

(注1) 1870年熊本県玉名市で開業、同年熊本市新堀町で開業の後、翌1871年現在の熊本市新町で開業した。
(注2) 1871年(明治4年)にエドワード・モースが撮影したものも残っている。
(注3) 小泉八雲(1850-1904)は1891年(明治24年)11月、熊本市の旧制五高の英語教師として赴任し、1894年(明治27年)10月までの3年の間熊本に住んだ。 1891年1月にセツ夫人と結婚し、よく本の中に使用されているセツ夫人と揃って撮った写真が残っている。(1892年の撮影となっている。)
(注4) 夏目漱石(1867-1916)は1896年(明治29年)4月、熊本市の旧制五高の英語教師として赴任し、1900年(明治33年)5月、文部省より英語研究のため英国留学(10月から)を命ぜられ、7月に帰京するまでの、4年3ヶ月の間熊本に住んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする