歴歩

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韓国堤川市白雲面 堤川地域で初めての南方式の支石墓を発見

2011年09月14日 | 韓国の遺跡・古墳など
 堤川市(제천시)は14日、今月初め白雲面平洞里(백운면 평동리)で、前面に3個、右側に2個の礎を置いて、その上に大きな蓋石を乗せた、横2.5m、縦1.5mの大きさの青銅器時代の代表的墓様式である南方式の支石墓(고인돌)を発見したと発表した。
 支石墓を北方式(북방식)と南方式(남방식)・蓋石式(개석식)に区分すると、これまで、同じ堤川地域の水山面綾江里(수산면 능강리)と清風面黄石里(청풍면 황석리)などで発見されたのは蓋石式支石墓である。
 また、平洞里支石墓蓋石には直径14㎝、深さ10㎝のくぼみ(星穴、성혈)が見られた。 これは雷の敬畏思想と太陽崇拝思想、豊穣などの意味があるという。
[参考:聨合ニュース]

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京都府大山崎町・松田遺跡 弥生時代後期の八角形の竪穴式住居跡と、奈良末~平安初頭の掘立柱建物跡を確認

2011年09月14日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターが13日、大山崎町円明寺一丁田の松田遺跡から、底面が八角形(1辺・1.8m)をした弥生時代後期(2世紀)の竪穴式住居跡1基が見つかったと発表した。 同じ構造の住居跡が播磨地方で多く出土しており、同センターは、この地方から移り住んだ有力者の住居だったのではと推測している。
 底面からは直径16~18cmの柱穴跡7基、壁際の4カ所からは、土を盛り上げて作ったベッド状の遺構がそれぞれ出土した。床面からは日用品の高杯や甕などが見つかった。 松田遺跡から弥生時代後期の遺構が出土したのは初めて。

 このほか、長岡京期を含む奈良時代末期-平安時代初期(8世紀末~9世紀前半)の一部瓦葺きとみられる掘立柱建物跡が出土した。 「山城国府」だった可能性もあるという。
 8基見つかった柱穴跡(柱の直径は推定40cm)の間隔から、東西6・3m、南北は5・4m以上の大きさとみられる。 西側の溝からは、長岡京期を含む時代の高杯や土器、平瓦が大量に発見された。 過去の調査でも近隣から同じ時代の掘立柱建物跡が出土している。

 現地説明会は17日(土)午前10時半から開かれる。

[参考:京都新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2011.2.26 松田遺跡 古墳時代の大規模集落をうかがわせる遺構や13世紀の大型溝などが出土
 2010.8.26 松田遺跡 13~14世紀の建物跡と中国・南宋から輸入?の白磁や青磁も出土
 2008.8.1 松田遺跡 継体天皇ゆかりの地で古墳時代後期の集落跡

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松阪市・朝見遺跡 越州窯系青磁片などが出土 斎王宮との関連も

2011年09月14日 | Weblog
 三重県県埋蔵文化財センターは13日、松阪市和屋町の朝見遺跡で、平安時代中期から後期にかけての越州窯系青磁片、緑釉陶器片150点、緑釉緑彩陶器片4点、石製のベルト飾りや、「官」「成」「西」などの文字の入った墨書土器片50点などが出土したと発表した。
 越州窯系青磁片の出土は県内では多気町の斎宮遺跡、東裏遺跡などに次いで5例目という。 朝見遺跡は、平安期に条里型地割りが進められたことが分かっており、近くの明和町には斎王宮がある。
 現地説明会は17日(土)午前10時から開かれる。
[参考:毎日新聞]

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