歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

浜松市・郷ケ平古墳群 3号墳の一部が残存、10月2日に現地説明会

2011年09月16日 | Weblog
 浜松市北区都田町にある郷ケ平古墳群(ごうがひらこふんぐん、6世紀初め頃)には、8基の古墳があるといわれる。 現在、墳丘が残っているのは4号墳(全長26.5mの前方後円墳)だけ。
 2011年1月の調査では3基(注1)の古墳が確認され、内1基(注2)の周溝からは、埴輪や石器、須恵器が出土した。
 今回の発掘は8月23日から実施しており、3号墳の一部が残存していることがわかったとしている。
 現地説明会が、10月2日(日)午前10時、午後1時30分の2回行われる。
[参考:浜松市HP]

(注1) おそらく、1~3号墳 
(注2) おそらく、3号墳

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今治市・古谷犬山谷古墳 5世紀中頃の未盗掘の1辺10mの方墳を確認、鉄製大刀や人骨が出土

2011年09月16日 | Weblog
 愛媛県埋蔵文化財調査センターは15日、今治市古谷の多岐川上流域で、古墳時代中期(5世紀中頃)築造の未盗掘の小型方墳「古谷犬山谷古墳」を確認したと発表した。
 古谷犬山谷古墳は、古墳時代後期(6~7世紀)の多伎宮古墳群の南西約100mに位置する。 今年3月に標高約112mの丘陵の尾根で発見し、8月から調査している。 斜面を削って整形した約10m四方の方墳。 2基の石棺が並んで発見され、それぞれ人骨や鉄製大刀などが出土した。
 石棺は、北側が全長約185cm、幅約30~40cm、南側が全長約200cm、幅約45~50cm。 いずれも石棺の周りを石で囲い、石棺内部には小石が規則正しく並べられ、手厚く埋葬された様子がうかがえる。 成人を1体ずつ頭部を東に向けて埋葬していた。 南側の石棺の側壁などに赤い顔料が付着していた。
[参考:愛媛新聞、ITVあいテレビ]
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奈良市・興福寺 北円堂創建当時の回廊規模が判明

2011年09月16日 | Weblog
 奈良文化財研究所が15日、奈良市登大路町の興福寺北円堂(国宝)周辺の発掘調査で、北円堂創建当時に建てられた回廊の全体規模が、南北約43・5m、東西約44・3mと確認したと発表した。
 八角円堂の北円堂は、興福寺創建者藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721)8月に、元明太上天皇と元正天皇が建てたとされる。 その後、永承4年(1049)に焼失し再建したが、治承4年(1180)、平氏の南都焼き討ちで再び焼失した。 承元4年(1210)頃に再建された。 八角の一辺は4.9mで、本瓦葺きの建物。 室町時代の「春日社寺曼荼羅図」など、回廊を描いた絵図を裏付けた。
 一方、平安時代末に編纂された「興福寺流記」には、回廊は永承4(1049)年の最初の火災後に再建された記録が残り、記された規模と一致する。 治承4年(1180)の2度目の焼失後に北円堂は再建されたが、回廊は再建の記録がない。
 現地見学会は17日(土)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:産経新聞、奈良新聞、奈良文化財HP、興福寺HP]

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