歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

長浜市・西浜千軒遺跡 天正大地震で琵琶湖湖底に沈んだ集落跡を発見

2011年09月13日 | Weblog
 滋賀県立大・中井均准教授(中世考古学)が指導する同大の学生グループ「琵琶湖水中考古学研究会」が12日、15世紀後半頃の大地震で「西浜村」という集落が湖底に沈んだとの伝承が残る長浜市沖の琵琶湖底の「西浜千軒遺跡」で、供養塔や仏塔、石仏の一部など石群約430点が見つかったと発表した。
 長浜市祇園町沖約100mの湖底・水深約1・2~1・5mで、東西38m、南北26mにわたって素潜りで調査し、方形区画や石積みを見つけた。 一石五輪塔(砂岩製)の一部や、石仏の上部など、墓地に使われたとみられる石があり、材質と形状から、16世紀前半から17世紀初頭に作られたとみられる。 文献で天正13年11月29日(1586年1月18日)に岐阜県中北部を震源とするマグニチュード7・8規模の地震が起きたことが分かっており、これと時期が一致した。 伝承の時期よりは120年後となる。
 南東約2・5kmにある同市の下坂浜千軒遺跡も、同地震で水没したことが科学調査で確認されている。
[参考:産経新聞、読売新聞、京都新聞、中日新聞、朝日新聞]

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栃木県壬生町・塚越1号墳 5世紀後半の青銅鏡の破片が出土

2011年09月13日 | Weblog
 壬生町教委による同町国谷の塚越1号墳の発掘調査で古墳時代中期(5世紀後半)のものとみられる青銅鏡の破片が発掘されたことがわかった。
 壬生町の「広報 みぶ/ 2011年8月号 No.627」には、壬生の『考古楽』講座として10月8日(土) 壬生中央公民館(研修室)で、『「青銅鏡が副葬された塚越1号墳」大型古墳が築造される前のみぶの姿』と題して、壬生町歴史民俗資料館君島利行文化財係長が講演を行う予定になっているので、既にこの時点では発見されている。
 青銅鏡の破片は、約3cmと2cmの2点であるが、材質、厚さから同一のものと考えられ、復元規模は直径8cm、厚さは1~3mmと推定される。 仿製鏡の一つ「珠文鏡」とされ、複数の丸い突起である珠文や鋸歯文、櫛歯文が施されており、県内では4例目の出土となる。 町内古墳からの青銅鏡出土は初めてという。
 さらに、後期に造られた円墳(直径24m)とされてきた同古墳は、一辺約20m、墳丘の高さ約1・6mの方墳だったことも新たに確認された。 埋葬施設である「礫郭」に使用された川原石などが見つかった。
 青銅鏡出土と合わせ、壬生の古墳群の始まりが、古墳時代中期までさかのぼることを裏付けたとしている。
[参考:下野新聞、壬生町HP]

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