鳩山町教委は13日、同町泉井(いずい)の新沼窯跡(しんぬまかまあと)(注1)から、新たに24基の窯跡が確認されたと発表した。 1959年に立正大学の調査で2基の窯跡が発見されており、合わせて26基となる。 奈良時代に聖武天皇の勅命(741)で建てられた「武蔵国分寺」(東京都国分寺市)創建時の瓦を焼いた窯と見られ、今のところ確認できている瓦窯跡の数(注2)では国内最大級としている。
26基の窯は、いずれも同じ斜面に作られており、幅約80mの狭い範囲に集中している。 古墳時代から平安時代に作られた「須恵器」を作るための、トンネル状の原始的な構造で、入り口に段をつけるなど須恵器用の窯を瓦用に改造した跡や、瓦を一度に多く焼くために奥を拡張している痕跡もあり、武蔵国分寺の瓦を生産するために須恵器工人が工夫していた様子がうかがえるとしている。
窯跡からは、武蔵国分寺でも見つかっているものと同じ文様の鬼瓦も出土している。 瓦に豊嶋郡の「豊」、秩父郡の「父」など、当時の郡名が刻まれた郡名瓦が出土しており、武蔵国二十一郡のうち十三の郡名と四つの郷名が確認された。
奈良時代後半に同寺の瓦作りを目的に、20~30年の短期に操業していたとみられる。
町教委は、作られた瓦は後世に鎌倉街道上道(かみつみち)となる古代道を通って国分寺まで運ばれたと推定している。
南比企窯跡群(みなみひきようせきぐん)を国の指定遺跡とするための調査を昨年6月から続けている。
現地見学会が17日(土)午前10時と午後1時の2回にわたり開かれる。
(注1) 奈良・平安時代の遺跡群・南比企窯跡群(鳩山町、嵐山町、ときがわ町)を構成する遺跡の一つ。
(注2) 茨城県石岡市の瓦塚窯跡や香川県三豊市の宗吉瓦窯(むねよしがよう)跡では24基が見つかっている。
[参考:共同通信、東京新聞、読売新聞、鳩山町HP]
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