福津市教委は15日、同市手光(てびか)の「手光波切不動(てびかなみきりふどう)古墳」(7世紀)から、沖ノ島の祭祀遺跡からの出土品と類似する須恵器片、金銅製馬具の一部などが出土したと発表した。 金銅製馬具の出土は、同じ津屋崎古墳群の中では宮地嶽古墳、勝浦井ノ浦古墳に次ぎ3例目。 宮地嶽古墳は、地方豪族の首長「胸形君徳善」の墓とされており、手光波切不動古墳にも胸形君に相当するクラスの有力者が埋葬されていた可能性が高まったとしている。
地層断面から、金銅製鞍金具の一部(約20cm)を確認した。 ほかに、鉄製鐙、轡、腹帯留金具の一部など、馬具が多数出土した。
また祭祀用土器である須恵器製の器台とみられる破片(4~12cm)5点も出土。一部には沖ノ島の祭祀遺跡(宗像市)の出土品に特有である、飾りとみられる円形の透かし穴があった。 津屋崎古墳群から沖ノ島との関連をうかがわせる祭祀用土器が出土したのは初めてという。
手光波切不動古墳(直径約20mの円墳か方墳)は胸形君一族の墓とされる津屋崎古墳群(5~7世紀)60基の一つで、宮地嶽古墳から約1・5km南東に位置する。 両古墳は古墳時代終末期の築造で、横穴式石室を持つ内部構造も共通している。(石室の長さは手光波切不動古墳10.8mに対し、宮地嶽古墳は23m。)
日本書紀(注1)には大海人皇子(天武天皇)妃の父として胸形君徳善が記され、その墓は宮地嶽古墳と考えられている。
(注1)「日本書紀」天武天皇二年(673)二月丁巳朔癸未《廿七》 天皇命有司。設壇場即帝位於飛鳥浮御原宮。立正妃爲皇后。々生草壁皇子尊。先納皇后姉大田皇女爲妃生大來皇女與大津皇子。次妃大江皇女。生長皇子與弓削皇子。次妃新田部皇女。生舎人皇子。又夫人藤原大臣女氷上娘。生但馬皇女。次夫人氷上娘弟五百重娘。生新田部皇子。次夫人蘇我赤兄大臣女大甦娘。生一男。二女。其一曰穗積皇子。其二曰紀皇女。其三曰田形皇女。天皇初娶鏡王女額田姫王。生十市皇女。次納胸形君徳善女尼子娘。生高市皇子命。次完人臣大麻呂女擬媛娘。生二男。二女。其一曰忍壁皇子。其二曰磯城皇子。其三曰泊瀬部皇女。其四曰託基皇女。
[参考:西日本新聞、毎日新聞、読売新聞]
地層断面から、金銅製鞍金具の一部(約20cm)を確認した。 ほかに、鉄製鐙、轡、腹帯留金具の一部など、馬具が多数出土した。
また祭祀用土器である須恵器製の器台とみられる破片(4~12cm)5点も出土。一部には沖ノ島の祭祀遺跡(宗像市)の出土品に特有である、飾りとみられる円形の透かし穴があった。 津屋崎古墳群から沖ノ島との関連をうかがわせる祭祀用土器が出土したのは初めてという。
手光波切不動古墳(直径約20mの円墳か方墳)は胸形君一族の墓とされる津屋崎古墳群(5~7世紀)60基の一つで、宮地嶽古墳から約1・5km南東に位置する。 両古墳は古墳時代終末期の築造で、横穴式石室を持つ内部構造も共通している。(石室の長さは手光波切不動古墳10.8mに対し、宮地嶽古墳は23m。)
日本書紀(注1)には大海人皇子(天武天皇)妃の父として胸形君徳善が記され、その墓は宮地嶽古墳と考えられている。
(注1)「日本書紀」天武天皇二年(673)二月丁巳朔癸未《廿七》 天皇命有司。設壇場即帝位於飛鳥浮御原宮。立正妃爲皇后。々生草壁皇子尊。先納皇后姉大田皇女爲妃生大來皇女與大津皇子。次妃大江皇女。生長皇子與弓削皇子。次妃新田部皇女。生舎人皇子。又夫人藤原大臣女氷上娘。生但馬皇女。次夫人氷上娘弟五百重娘。生新田部皇子。次夫人蘇我赤兄大臣女大甦娘。生一男。二女。其一曰穗積皇子。其二曰紀皇女。其三曰田形皇女。天皇初娶鏡王女額田姫王。生十市皇女。次納胸形君徳善女尼子娘。生高市皇子命。次完人臣大麻呂女擬媛娘。生二男。二女。其一曰忍壁皇子。其二曰磯城皇子。其三曰泊瀬部皇女。其四曰託基皇女。
[参考:西日本新聞、毎日新聞、読売新聞]