歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

釜山市・旧米軍基地ハヤリア敷地 青銅器時代の支石墓が出土

2011年08月09日 | Weblog
 発掘調査を行っていた東洋文物研究院が発掘調査資料を通して、釜山市民公園(釜山鎮区凡田・蓮池洞)として造成中の旧米軍基地ハヤリア(Hialeah、美しい草原)で、青銅器時代後期(BC 7C~ BC 3C)の支石墓3基が出土した。
上石はなくなっていたが、地下埋葬部は石槨で、底に6枚の板石が敷かれていた。板石から磨製石鏃2点と磨製石剣1点が出土し、副葬空間からは丹塗磨研土器が出土した。
 さらに、釜山では初めての青銅器時代の松菊里型竪穴住居跡が見つかり、ほかにも多数の竪穴遺構や土器などが出土した。
[参考:聨合ニュース]
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高岡市・高岡城 礎石を使った建物跡を発掘 本丸御殿の可能性も

2011年08月06日 | Weblog
 高岡市教委は5日、県史跡・高岡古城公園(同市古城)の本丸広場から、礎石を使った建物跡を発掘したと発表した。 建物跡が広範囲なことから、高岡城を築城した加賀藩二代藩主前田利長(1562-1614)が住んだ本丸御殿の可能性があるとしている。 高岡城の建物跡が見つかったのは初めて。
 発掘調査で、広場内の8地点を長方形に発掘したところ、試掘溝6地点の地下約1mから礎石16個や礎石跡2ヶ所、1地点から土抗や溝の跡、1地点から礎石の下に敷く小さな根石が見つかった。 礎石は直径50~60cmの楕円形、表面が平らで、1m以上にわたって盛り土で造成された江戸時代の土層の上にあった。 広範囲に礎石があり、約40m離れて発掘された礎石が、ほぼ同一線上に並んでいることなどから、本丸御殿の可能性があるとしている。
 発掘現場は、7日(日)午前10時~午後4時に一般公開される。
[参考:中日新聞、読売新聞]

備考: 晩年の前田利長の居住場所
 1597 富山城に移り大修復をする。
 1598 利家から家督を譲り受け金沢城に移る。(翌年金沢城を修復する。)
 1605 利常に家督を譲り、富山城に隠居する。
 1609 富山城が焼失したため、一時的に魚津城に移り、高岡城を築き移る。
 1614 5月20日に高岡城で病死。
 1615 高岡城は廃城となる。

過去の関連ニュース・情報
 2010.2.28 長谷川等伯作「枯木猿猴図」の所有者の変遷と消失
 2009.7.11 富山市・富山城址 戦国期(16世紀中頃)の井戸跡が見つかる
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益田市・四塚山古墳群出土の三角縁神獣鏡は近畿ほか出土の9面と同鋳型 

2011年08月06日 | Weblog
 1972年に島根県益田市の四塚山古墳群から出土(注1)した「三角縁神獣鏡」(直径約21.5cm、4世紀(注5))が、東海や近畿地方で出土したものと同じ鋳型で作られた鏡だったことが5日までに、島根大学考古学研究室岩本崇准教授の研究で分かった。
 近畿から東海地方だった鏡の分布地域が本州の西端近くまで及ぶことが明らかになり、大和政権が広い範囲の地域と交流を持っていたことが分かるとしている。
 今回の鋳型で製造された三角縁鏡は、東之宮古墳(愛知県)、円満寺山古墳(岐阜県)、南原古墳(京都府)、ヘボソ塚古墳(兵庫県)など8カ所から計9枚(注3)見つかっているが、近畿と東海地方以外で見つかるのは初めて。
 昨年実施した研究で、鏡に施された模様や細かい凹凸、鋳型を作製した際についた小さな傷などから9枚と同じ鋳型で作られたと結論付けた。
[参考:共同通信、NHK、静岡新聞、「島根県益田市四塚山古墳群出土の三角縁神獣鏡と『同笵鏡』」岩本崇(社会文化論集:島根大学法文学部紀要社会文化学科編20110319)」

備考
(注1) 団地造成工事中の現場から発見された。出土状況から、古墳の埋葬施設で箱式石棺から出土したものとみられる。
(注2) 島根県出土の三角縁神獣鏡は5面 (出雲地域4面、石見地域1面)
(注3) 兵庫県神戸市ヘボソ塚古墳、大阪府東大阪市石切神社蔵、京都府長岡京市長法寺南原古墳(2面)、京都府八幡市西車塚古墳、奈良県佐味田宝塚古墳、岐阜県南濃町円満寺山古墳、岐阜県大垣市矢道長塚古墳、愛知県犬山市東之宮古墳 の8ヶ所、9面。
(注4) 三角縁神獣鏡新鑑(樋口隆康)によると、三角縁二神二獣鏡・唐草文帯式鏡式16(三角縁・天・王・日・月・唐草文帯二神二獣鏡)であり、同じ唐草文帯式鏡式15では、鳥取県、島根県で1枚ずつ出土している。
(注5) 古墳時代前期中葉
[参考:「三角縁神獣鏡新鑑」樋口隆康(2000.3学生社))、「島根県益田市四塚山古墳群出土の三角縁神獣鏡と『同笵鏡』」岩本崇(社会文化論集:島根大学法文学部紀要社会文化学科編20110319)]
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中国吉林省延辺朝鮮族自治州図們市月晴鎮 沃沮時代遺跡を発掘し子供用甕棺が出土

2011年08月05日 | Weblog
 延辺日報が4日、吉林省考古文物研究所と図們市博物館が図們市月晴鎮曲水村で1千㎡規模の鉄器時代の家屋遺跡と100点余りの遺物を発掘したと報じた。
 遺跡は、2000年前の沃沮人の居住地とみられ、出土した遺物に陶磁器、石器、鉄器があり、この遺跡の居住人が初期鉄器時代から住んでいたとみられる。
 5-6才と推定される子供の遺体が入れられた長さ80㎝、幅50㎝の陶罐の甕棺(瓮棺、항아리관)も出土した。子供が早死すると甕に入れて住まいのそばに埋めるのが沃沮人の独特の葬儀風習だったとしている。
[参考:聨合ニュース、延辺日報、中国清明網、延辺電視台]

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枚方市・禁野本町遺跡 奈良時代後半~平安時代中期の掘立柱建物跡約50棟が見つかる

2011年08月05日 | Weblog
 枚方市文化財研究調査会が4日、百済の王族の末裔「百済王(くだらのこにきし)氏」の邸宅跡などがあったとされる枚方市の禁野本町遺跡(きんやほんまちいせき)から、奈良時代後半~平安時代中期(8世紀後半~10世紀)の掘立柱建物跡が約50棟まとまって見つかったと発表した。
 現地説明会が6日(土)午後1時30分から開かれる。
[参考:産経新聞]
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長岡市・恵解山古墳 古墳近くから堀跡が見つかる 明智光秀の本陣の防御?

2011年08月04日 | Weblog
 長岡市埋蔵文化財センターが4日、長岡京市の恵解山(いげのやま)古墳近くで16世紀の堀跡南北49m分が見つかったと発表した。
 恵解山古墳は「本能寺の変」の後に、明智光秀が羽柴(豊臣)秀吉と対決した「山崎の戦い」(1582年6月13日)で、光秀の本陣が置かれたとされており、堀跡は秀吉の軍勢を防ぐためのものだった可能性がある。
[参考:共同通信、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.7.29恵解山古墳 造り出しの範囲や構造を確認するとともに水鳥形埴輪が出土
 2010.2.25恵解山古墳 造り出し遺構を古墳東側にも確認
 2009.3.12恵解山古墳 東側造り出しを確認、現地説明会3/14

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京都市中京区・洛陽総合高校立替工事現場 平安時代前期の貴族の邸宅跡、長沙窯陶器が見つかる

2011年08月04日 | Weblog

古代文化調査会(神戸市)は3日、京都市中京区西ノ京春日町の洛陽総合高等学校の校舎立替に伴い約1100㎡を調査し、9世紀前半~10世紀後半に6回にわたって建て替えられたとみられる建物跡を確認したと発表した。
 建物跡の南の溝から、邢州窯(けいしゅうよう)白磁や長沙窯(ちょうさよう)黄釉褐彩(おうゆうかっさい)陶器の碗や香炉などの破片が多数出土した。 出土した陶器は非常に高価で、当時の貴族が好んだとされる。
 溝は調査地の南に向かって曲がっており、1981年の調査で見つかった四面庇の建物跡を囲んでいるとみられる。 同会では、以前に確認された建物は蔵で、今回見つかった溝が防火用水の役割を果たしていたのではないかとしている。
 現地説明会は6日(土)午前10時~正午から開かれる。
[参考:京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.5.30 熊本県植木町・向原遺跡 9世紀後半の金銅製の錠前と鍵が一緒に出土 長沙窯黄釉褐彩陶器が出土

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奈良県高取町・与楽鑵子塚古墳 初の石室内発掘調査 ドーム状の横穴式石室構造などを確認

2011年08月03日 | Weblog
 高取町教委が3日、与楽鑵子塚(ようらくかんすづか)古墳が、直径28m、高さ9mの円墳であり、長さ4・6mの羨道、大きさ1m前後の石をドーム状に積み上げた高い天井を持つ横穴式石室(幅3m、長さ4・2m、高さ4・4m、床面積12・6㎡)、築造時期が6世紀後半であることを確認したと発表した。
 高取町教委は国史跡の指定をめざし、範囲確認調査を昨年2月~3月に行なった。 石室は以前から開口し内部に出入りできたが、石室内の発掘調査は今回が初めて。
 盗掘に遭っていたが、床から被葬者が生前に使っていたとみられる鉄製馬具(轡、辻金具、杏葉、帯飾りなど)一式や、鉄製釣り針、銀製指輪、金銅製耳環などが見つかった。 炊飯具を模したミニチュア土器もあった。 木棺に使ったとみられる鉄クギが3種類以上見つかったことから、木棺が3つ以上収められており、築造後に少なくとも2回、追葬を行ったとみられる。
 一帯は古代の渡来系有力氏族、東漢(やまとのあや)氏の墓があった場所とされる。
 出土遺物は町歴史研修センター(同町田井庄)で10月22~30日に展示される予定。
[参考:共同通信、日本経済新聞、産経新聞、読売新聞、奈良新聞]

備考: 昨年2~3月に行った範囲確認調査では、直径24mの円墳、築造時期6世紀中頃としていた。

過去の関連ニュース・情報
 2010.5.11 奈良県高取町・与楽鑵子塚古墳 初の発掘調査を行い、24mの円墳と確認
 2009.11.17 明日香村・阿部山遺跡群 方墳石室からミニチュア土器セットが出土
 2008.8.5 奈良県高取町・カンジョ古墳 石舞台古墳をしのぐ天井高さ
 2008.6.11 明日香村・檜隈寺(ひのくまでら)跡 白鳳-天平期の金銅仏出土
 2008.3.12 奈良県高取町・寺崎白壁塚古墳 墳丘八角形の可能性
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福山市・池之坊墳墓群 A地点現地説明会 8/6

2011年08月03日 | Weblog
 福山市教委は2日、同市神辺町の池之坊墳墓群で、弥生時代中期~古墳時代前期の石棺墓4基、土壙墓65基(合計69基)を確認したと発表した。
 ヤリガンナなど鉄器3点、弥生土器の破片が出土した。
 現地説明会が6日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:中国新聞、福山市役所HP]

過去の関連ユース・情報
 2008.10.31 福山市 池之坊墳墓群 B地点発掘調査説明会 11/2




キーワード: 槍鉋、やりがんな、ヤリガンナ
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京都市左京区・吉田二本松町遺跡 京都大学吉田南構内から方墳が見つかり埴輪の破片が出土

2011年08月03日 | Weblog
 京都大文化財総合研究センターは2日、京都大学吉田南構内(京都市左京区)の「吉田二本松町遺跡」(よしだにほんまつちょういせき)から古墳時代中期(5世紀後葉頃)の方墳跡と、埴輪の破片が見つかったと発表した。
 方墳は、南北約15m、東西10mを超える溝跡を確認した。土盛部分は中世に削平されていたが、溝や方墳内から巫女などの人や馬、家を模ったとみられる埴輪の破片が多数発見された。また、須恵器の𤭯(はそう)が出土した。
 調査地は、これまで古墳時代中期の墳墓7基(一辺が10~13mくらい)が見つかっているが、埴輪が出土したのは初めて。
現地説明会が、5日(金)午後0時15分と1時15分から開かれる。
[参考:京都新聞、KBS京都放送、京都大学HP]

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エルビス・プレスリー銅像 (原宿ラフォーレ前時代)

2011年08月02日 | Weblog

写真は、ラフォーレ横にあったエルビス・プレスリーの銅像
…ということは、20年ほど前の写真。

昭和62年(1987) 7月19日 ラフォーレ原宿横(渋谷区神宮前1-11-6)に建てられた。 
平成5年(1993) 8月15日 「ロックンロール・ミュージアム」(渋谷区神宮前1-8-21) エルヴィス・プレスリー専門店「ラブミーテンダー」に移転。
平成21年(2009) 8月7日 神戸ハーバーランド・ガス燈通りの神戸情報文化ビル前(神戸市中央区東川崎町1-5-7)に移転。

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 エルビス


キーワード
エルビス、エルヴィス
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稲敷市・神屋根遺跡 平安時代の火熨斗が県内初出土

2011年08月02日 | Weblog
 茨城県教育財団は1日、稲敷市椎塚の神屋根遺跡で、平安時代の銅製のコテ「火熨斗(ひのし)」(全長約28cm)が見つかったと発表した。
 平安時代のものは全国でも7つしか見つかってなく、県内でも初めての出土という。
 火熨斗は全長約28cm、柄は木製、先端の火器部(銅製)は直径12.5cm。
 また、「紡錘車」も見つかった。 そのため、律令時代に庸・調の税として布を生産し、その布にあてたのではないかとみている。
 発掘調査現地説明会が6日(土)10時30分~12:00に行われる。
[参考:茨城新聞、産経新聞、NHK水戸放送局、茨城県教育財団埋蔵文化財部HP]

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