3月2日、今日で3学期の授業も事実上終わりである。明日は短縮授業と、後期募集の準備だ。
昨日は平成22年度当初人事の内示日。通勤のことや、家族のことを考えて、異動を希望したのだがかなわなかった。
現任校でもう1年頑張れということだろう。
3月2日、今日で3学期の授業も事実上終わりである。明日は短縮授業と、後期募集の準備だ。
昨日は平成22年度当初人事の内示日。通勤のことや、家族のことを考えて、異動を希望したのだがかなわなかった。
現任校でもう1年頑張れということだろう。
昨日は平成22年度前期募集合格発表だった。 合格した諸君!!! |
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業界用語:Silencer(消音器)
採点時のお菓子のこと。
僕たちは採点をするとき、アメなどをなめながら採点をする。チョコレートの場合もある。こういうことを書くと、どこかの誰かさんが、中学生が真剣に解答したものを、ものを食べながら採点するなんてと、不謹慎だと、騒ぐかもしれない。でも、ホントである。真剣に解答したものを、間違いなく採点するために、アメをなめるのである。
人間の脳が受け入れられる栄養は、糖分だけである。脳は成人で体重の5%程度の重量しか占めない。でも、体が吸収したエネルギーの20%も使う。とっても燃費の悪い(エネルギーをジャブジャブ食らう)器官なのである。その脳をフル回転するのが、採点作業なのだ。甘いもの(糖分)を補給しないと、やっていられない。間違いがふえてしまうことを、経験則でみんな知っている。
定期考査の採点も大変だが、入試の学力検査問題採点の大変さは比較にならない。何百枚の解答用紙を、教科スタッフで分担。大問一つに3人がかりで採点するのがあたりまえ。採点、見直し、最終見直し。合計、合計チェック、合計最終見直し。教育委員会から指示のあった抽出答案のチェックなど、とにかく神経を使う。厳密に言うと頭を使う。体はさほどではないが、ホントに頭が疲れる。
採点中、本音を言わせてもらえるならば、僕はココアでも飲みたい。でも、もしも水物を解答用紙のこぼしでもしたら、えらいことなので、飴になるのである。
採点中ちょっとでも疑問があれば、採点者間で作業停止コールがかかる。担当者だけでは決めかねて、教科全体で検討することもある。それでも、どうしてもわからない時は、管理職を通して県教委まで連絡が行くこともある。とにかく、正解、部分点、不正解の論議は慎重になってくる。論議はどうしても白熱してくる。つかれてくると、普段おとなしい人でも、いらいらする。声も大きくなる。そういう場合、気持ちを落ち着ける。いらいらをだまらせる…エネルギーを補給する…という意味で、飴でもなめて、一休みする。だからお菓子はSilencerなのだ。もっとも他教科の先生に言わせると、英語科の教員が採点の時一番うるさいらしい。それは僕も認める。英作文の答えあわせなど、どうしても音読しないと間違いが見つからないので、黙って採点できないものなのだ。そういう意味でも、Silencerは必要になってくる。
今年僕は教科主任である。入試前に教科の回覧板に、採点時のSilencerは何がいいか意見を求めたが、お菓子の種類の注文はあったけど、Silencerとは何ぞやという質問は全くなかった。現在の勤務校ではSilencerといういい方はないようなのだが、すぐに通じた。
埼玉県は海がない。内陸県(海なし県)である。県南部はあまり雪も降らない。
臨海学校や修学旅行、バス移動が多くなる。どんなにつかれていても、眠くても、バスの中で誰かが一言「海だ!!!」と言えば、だいたい生徒たちはむっくりと起きる。沖縄修学旅行の時なんて、上空から沖縄の海が見えただけで、大騒ぎだった。
雪もそうだ。今年は2月、すでに何回か雪が降っている。授業中ほんのちょっと雪がちらついただけで、何となく窓の外を見て、落ち着かなくなる生徒がいる。間違えてもらっては困るが、現在の勤務校は本当に中の中レベルの落ち着いた学校である。そんな彼らでも、海と雪にはすっごく反応する。埼玉・県南人の悲しい性だ。
先週、入試の採点日の朝、写真を撮りながら、窓の外を見てそんなことを考えた。
左上の写真は、学校の職員室から撮影した。写っている木は桜である。
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内陸県
栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良の8県
埼玉県の入学試験で面接を組み込むようになって、もう20年以上になる。今回の入試でも実施した学校がある。
以前の勤務校で初めて面接を導入したとき、事前に事細かく打ち合わせをした。何を聞く、何を聞かない、人権上の配慮等々、まじめにリハーサルをした。言葉遣いには、細心の注意を払うことや、緊張してうまく話しができない生徒の場合、どうしたらリラックスしてもらえるかということ等、ずいぶん時間をかけて、面接の「始め方」を検討した。
でも、どれだけ僕たちが準備しても、彼ら彼女たちはうまく話せない場合もある。これは十分予測できた。後悔しないように、最後に時間を少し残してあげることにもしていた。話したいことがあれば、話しをさせてあげよう。そう考えたのだ。でも、それをどう伝えるか、あ~でもない、こ~でもないとまじめに議論したものだった。
「何か準備をしてきたけど、私たち(面接官)が、あなたに尋ねていないことで、あなたが私たちにアピールしたいことはありますか。
確か、こんな質問にしようと決めた記憶がある。これも事前に準備(研修)で、生徒と面接官に別れて練習した。でも、なにぶん面接をしたことがないものだから、聞く方もリハーサルなのに、あがってしまって...
「(最後に)何か言い残したことはありませんか。
と、言ってしまい、大爆笑された。でも、すぐみんな黙ってしまった。もし自分がそんなことを、口走ったらと思ったら、ホントに笑い事では済まないからだ。
入試。15歳の大勝負。彼らの真剣さ、緊張に、きちんと僕たちも向き合っているのである。これは僕たちにとっても、とっても怖いことなのである。
がんばれ受験生!!!
前期入試1日目が、無事終了。d(^-^)b
今朝はパラパラと雨が降っていたけど、交通機関には影響はなかった。今年導入の新方式試験問題も、思っていたほど、大きな変化ではなかった。
激変しなくてよかった。
さて、明日は面接試験、明後日からは採点である。今朝は7時から働いたので、その分早く帰ろう。
午前中は授業3コマと大掃除。午後は会場準備と打ち合わせ。今年から入試が大幅変更なので、することが多くて大変。
明日も早い。
明日の天気は雲から雪?受験生はたどり着くとしても、先生たちがたどり着けないかもしれない。心配だなあ。
帰宅途中、電車内の大学の広告が目にとまった。東京工科大学のものだ。
元々八王子にキャンパスがあり、応用生物学部、コンピュータサイエンス学部、メディア学部がある大学だ。2010年蒲田に、デザイン学部(芸術系)と保健医療工学部(看護、臨床工学、理学療法、作業療法各学科)を新規に発足させる。そのことをアピールする広告掲示なのだが、こんなことが書いてあって、ちょっと気になった。
3学部から5学部へ
東京工科大学は総合大学へと向かう。
太字にしたのは僕である。見て思った。名前どうするんだろうって。
これまでの八王子オンリーの大学ならば、工科大学でいい。ぴったりだ。でも増設する2学部をひとくくりにする大学名として、工科大学はありなんだろうか。まあ、デザイン学部も工科大学ならではの様々な学びが期待できる。何をするにも、最先端のコンピュータを用いて学ぶことができるというイメージを発信できそうだ。でも、保健医療工学部は、かなり〇〇工学部とつけるのは苦しい感じがする。総合学部に向かうけど、工科大学という名称は残す。このままでは、おそらく、なかなか看護学科の知名度は上がらないと思う。
…いずれ何かきしみが出てくるような予感がする。
兵庫県宝塚市に、宝塚造形芸術大学という大学がある。この大学、看護学部を増設し、名称が4月から宝塚大学になる。この大学などは、宝塚を名乗る大学が他になかったから、こうできた。でも、東京工科大学では工科だけ取るわけにも行かないし、総合大学を目ざすといっても、まさか東京総合大学ってわけにもいかなそうだし。おそらくそのままでいいのかどうか、論議はあったと思う。なきゃおかしい。何か時間切れだったのかな。そんな感じがしている。
ホントに総合大学化するのならば、僕はいずれ名前が変わると思う。今年4月の入学生が卒業のころには何かあるような気がする。どうだろう、東京科学大学あたりでは... これじゃ英語名称が理科大と同じになっちゃうか。
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大学関係者の皆様。ふざけている訳ではありません。これは、余計なお世話です。進路指導部の教員として、3年生の担任として、わかりにくい印象があると感じます。
Blogzineは過去24時間分のアクセス解析ができる。1月になって何回か、沖縄県名護市の名桜大学のことを検索した人がいた。その検索リストに、僕が去年書いたエントリも引っかかっているようだ。よく考えると、公立大学化について、そのあとのニュースチェックを怠っていた。調べることにした。
地元新聞・琉球新報
1月3日にこんな見出しの記事が出ていた。
名桜大学公立法人化 経営安定、授業料減へ 3月にも認可
(著作権の問題があるのでコピペはしない。)
記事によれば、昨年12月の時点で、大学の設置者(運営をする組織)を北部広域市町村圏事務組合(12市町村)することについて、関連市町村すべての議会で承認されたとあった。県・国への申請手続きは終了。
…3月中旬に認可が下りる見通しのようだ。
沖縄の経済状況・学生数の減少についても記事は取り上げていた。それによれば、名桜大は2005年以降入学者が減少を続けているとのこと。公立大学化できれば、様々な方法で授業料を減額できる、減額すれば学生が集まるかどうかは何とも言えないが、マイナスにはならないだろう。
大学ウェブサイト
平成22年4月、公立大学に移行予定。現在、沖縄県、文部科学省に申請中
以下引用する
北部広域市町村圏事務組合及び学校法人名護総合学園では、平成6年に北部12市町村及び沖縄県の出資により公設民営の大学として開学しました名桜大学を、地方独立行政法人法に則り公立大学法人に移行すべく取組んで参りました。
この度、北部広域市町村圏事務組合を設立団体として、地方独立行政法人法に基づく沖縄県への公立大学法人名桜大学の設立認可申請、また、名桜大学から学校教育法に基づく文部科学省への設置者変更認可申請及び私立学校法に基づく学校法人解散認可申請を平成21年12月21日付けで提出いたしました。
これにより、私立大学の名桜大学が、平成22年4月から、公立大学法人名桜大学が誕生する見込みとなりました。(以下略)
年末に申請済みだったのか。
授業料負担の軽減は、間違いなく受験生にプラスだ。でも、お金以外のプラスアルファを考えないと、学生数減少に歯止めをかけるだけで、受験者確保(学生数増)にはつながりにくい。もちろんマイナスに歯止めをかけられるだけでもすばらしいことだが、県北の人材育成の拠点になるには、もう一がんばりが必要である。
名桜大学の学部編成は、現在以下のようになっている。
〇国際学群(2007年度から学群制)
・国際文化専攻
・語学教育学専攻
・経営専攻
・情報システムズ専攻
・診療情報管理専攻
・観光産業専攻
〇人間健康学部
・スポーツ健康学科
・看護学科
国際学群では、様々なフィールドで働ける人材育成を目ざす専攻が、ひととおりそろっている。人間健康学部もスポーツ関係産業で働く人材や看護師の養成をしている。これらの教育課程をさらにいっそういいものにできるかどうかが、今後の課題だろう。
沖縄大好き人間&高校の進路指導部の先生として、生意気なことを書かせてもらった。
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昨年のエントリ
2009.03.04、「名桜大 2010年公立化」
名桜大学ウェブサイト
http://www.meio-u.ac.jp/
「土曜日授業」(2010.01.18)のことと同じ14日に、学級規模のニュースが配信になった。
文科省は14日、1学級40人としている公立小中学校の学級編成基準の見直しに向けた準備作業に着手。早ければ2011年の通常国会に関連法案を提出、数年かけて新基準に基づく少人数学級の実現を目指す。見直しは1980年以来約30年ぶり。
記事を読むとこれまでの経緯がまとまっていた。
1958年制定の「義務教育標準法」で1学級当たり50人が「標準」とされた。
1964年に45人に変更。1980年に40人と段階的に引き下げられた。
2001年度からは都道府県教育委員会の裁量で弾力的な学級編成が可能なった。40人以下の学級を編成できるようになっているが、大半は小学校低学年などだけである。
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民主党政権が続くかどうかもわからないのだけど、どうなるかな。
学級規模を小さくする。どこが適正な数字かは判断が難しい。いわゆる先進国では、20人~30人未満の場合が多いように思う。ただ国情、国民性いろいろ考えなければいけない。どこを目標にするか。なぜその数字かを考えることは大事である。仮に25人にするとしても、一足飛びにはできない。段階的に定数を30、35とかに決めないことには、そこまでの人事計画が作れない。いきなり学級規模を削減はできない。
クラス規模を小さくすることは、とりもなおさず少人数できめ細かく授業を行うことに通じる。授業以外のHR活動等の規模も、当然小さくなる。これは先生の数を増やすこととほぼイコールである。必要な先生をどう確保するか。免許無しで民間人登用とか言ったところで、管理職になりたいという(熱心な or 勘違いな)人以外、そんなに先生になりたい人間なんかいない。ちょっと景気がよくなったら、公務員(特に学校の先生)なんて、就職先としては見向きもされないとまでは言わないけど、人気は落ちる。そんなにいるわけがない。
40人規模を適正としている現在の状況から、仮に30人にすれば、先生の数(授業担当の数)3割り増し。半分にしたら、2倍必要なのだ。そんなに先生を養成・確保することはできない。まして民主党は、教員養成を6年間教育(学部+大学院)を基本とするつもりなのだから、ますます先生が作りにくくなる。
昨今の医師不足(医師の都市部偏在)を是正するために、大学医学部の入学定員をちょっとばっかり増やしても、結果が出るのは下手をすれば10年かかるのである。先生の数を増やすには、そこまでの年月はかからなくても、かなり時間がかかる。さらに幼稚園(幼稚園は学校であり、先生は教諭である。法律上小中高と同じだ。)の先生も6年間とか言い出したら、現状ではとてもじゃないけど養成できる学校はない。なり手が確保できない。
法曹三職(弁護士・検事・裁判官)養成のため、学部+法科大学院で最低6年間の学習がなければ、司法試験を受験することができなくなった法務学系。薬学系学部卒業生の6割程度しか薬剤師になっていなかったのに、薬剤師養成を6年生の学部教育にした薬学系。いずれも数年で人気ががた落ちである。やはり大学を出て採用、日常の業務の中でも研修・研鑽を積みながら成長していく方が現実的。教員養成はこれらの轍をふむことは絶対許されない。民主党の政策は才走りの傾向があり、教員養成と学級定員の問題では、両者は車の両輪のはずだけど、車輪の向きが向かう方向がバラバラである。
40人学級の見直し(学級定員の見直し)は、教員養成の観点から見ても、容易なこっちゃないのである。
まずこのエントリを読んでいただきたい。そして読み終わったら、【←】で戻ってきてください。
2007.05.13、「公務災害ではない? それは違うだろう。」
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自分はこの件に関しては非常に怒っている。このバカな判断に司法の判断が下された。
1月20日時事通信他が報道したところによれば、2006年に起きた、この「元教え子(この表現は認めがたい)」による教師殺害事件について、甲府地方裁判所が判決を下した。同地裁は地方公務員災害補償基金山梨県支部が、この事件が公務災害にあたらないと判断し、その後の不服審査請求も却下したことは、正しくないと判断。同支部の処分を取り消した。
判決を支持する。
誤った判断を下した基金、許されることではない。猛省を促したい。
今回の判決があっても、殺害された先生は生き返らない。ご家族(ご遺族)の無念、不満、悲しみもおそらくは癒えない。しかしながら、公務ではないという、見当違いのバカな判断へ鉄槌を下し、正すことができた。このバカな判断が、いかに関係者・特に亡くなられた先生に対して失礼・非礼・言語道断であるか。公務災害でないと判断した基金の関係者は、自分たちがだれのために存在し、なんのために自分たちが給料をもらっているのか、正しい、正義とは何なのか考え直すべきだ。
事件発生当時報道された事柄だけでも、そして裁判を通じ明らかになったことを見ても、どう考えても校務(公務)に起因する公務災害だったことは疑いの余地がなかったのだ。被害者、遺族に対し、4年間も不利益を被らせた責任は基金にある。公務ではないと判断した判断能力の欠如、非礼、これはとうてい許されることではない。組織が個人に対してこれほどの無礼をはたらいた。その組織がそのまま存在していいのか。基金の代表者はどう責任をとるのだ。処分を取り消せと命令されたから、取り消す。それで済むのか。役所や基金の建物の中で、最前線のことをなにもわからない。それは許されない。絶対。組織の存在意義、仕事に対する責任すべて見直して、出直せ。できないんだったら、代表者は霊前に額ずいて、職を辞せ。
記事にはこんなことが書いてあった。
裁判で裁判長は加害者には妄想性障害があったと認定。
「生徒指導を端緒に形成された妄想から本件が引き起こされた」と判断。
「妄想は持続するのが通常で、生涯にわたって発展することがある」と結論付けた。
殺された岩間教諭は1982年の卒業式前日、精神的に不安定になっている加害者を自宅に招き、式に出席するよう指導したとあった。亡くなられたのが59歳。24年前というと、25歳ころである。自分に当てはめれば、23歳で教師1年目。2年目から担任をさせてもらっていた。岩間先生も同じくらいだとしたら、自分の担任している生徒か、少なくとも直接関係のある学年の生徒である。自宅にまで招き、指導したと記事にあった。きちんと卒業式に出るように話しをしていたことが目に浮かぶ。岩間教諭は卒業後も自宅や勤務先の学校に押しかけてくる男に対応していたそうだ。
これでも校務(公務)でないのならば、公務の定義なんか存在しない。そして公務災害の認定を、基金はする資格がない。担当する能力のない集団である。
申し訳なくて、眠れなくなるまで、死ぬほど反省すべきだ。
猛省を促したい。
なお、地元山梨日日新聞Webによれば、同基金は控訴の可能性を模索しているようだ。もちろん何人も裁判を受ける権利がある。しかし、控訴する権利があることと、控訴することは別である。控訴することが正義か否か、考えるべきだ。もしも考えることができるのならば。
1月14日、都内区市町村教委に都教委が土曜授業を認める通知を出した。公開を条件に以下のようにすれば、土曜日を授業日に当てることができる。
・科目は問わない。
・上限は月2回。
・小学校は4コマ、中学校を3コマが上限。
実施については学校の設置者である、区市町村教委の判断にゆだねる。
都内の公立学校では現在、11区教委と12市教委で夏期休暇を短縮して授業時間を実施。小学校の19.6%、中学校の22.3%が土曜日の補習授業を実施している。実態を考えたルール変更である。
埼玉県も追随するだろう。義務教育諸学校が実施し、高校も2、3年もすれば、同じになりそうだ。
後追い報道を、しばらく注視しようと思う。
昨日は初出勤。授業の準備、クラスの担任としての仕事、学年の仕事、校務分掌の仕事をしていたら、結局学校を出たのが6時過ぎ、いきなり超過勤務である。困ったものだ。
机上整理をしていて、ゴム印に目が行った。どんな職場でも必ずあるとまでは言えないけど、学校の先生の場合、ほぼ全員の机上にあるもののひとつが、日付のゴム印だろう。バンド式(?)の数字・日付が回転するものである。
「新年だ、2010に変えなくちゃ
【JAN 08 2010】に変えながら、気がついた。現在使っているのは2001年からのものだ。随分長持ちだな... 今年で終わりかななんて思った。でも、違った。何とバンドを回してみると、2012年まで使えるものだった。
「何で12年?
何でだろうと考えて、気がついた。十二支である。日付は西暦。でも区切りはdecadeではなく、干支で12年分。ミスマッチだとは思うけど、何でも取り込むのが日本文化なのだろうということで、納得した。
メモ用紙、カレンダーの裏を使っている。
家のカレンダーや学校のHR・準備室のカレンダーを月末に集めて、ハガキ大に切って使っている。普段ならば、これまでの経験では、集めた分が次の月までもつものだった。でも、10月も11月もそうならなかった。なぜか、、、
インフルエンザのせいである。
***** *****
僕は比較的早く職場に行く方である。朝、授業やHRの準備をしていると、7時半ころから欠席の連絡がひっきりなしだった。
←だいたいこんな感じでメモをして、担任机上に置く。
別に係が決まっているわけではないが、お互い様。普通の仕事である。これが1日に4、5枚である。すさまじい状態だった。
(もちろん電話を受けているのは僕だけじゃない。どれだけ発症者が多かったか、その場にいないとわからないかもしれない。)
なぜ、ここまで多かったかというと、発症者も多かったが、それに加えて、とにかく疑いがある場合、病院に行ってもらったからである。
県教育委員会・校長の指示で、「新型インフルエンザ」の疑いがある場合、病院に行き、そのことを診療費の支払いレシート、または処方された薬(タミフル・リレンザ)がわかるものを後日担任経由で係(養護教諭)に提出できれば、出席停止扱いとすることになっている。まず電話で連絡をもらったら、そのように保護者には伝えた。診断書、治癒証明書等は求めないで対処することも伝えた。
「新型」の疑いがあり、通院しても検査で陰性の診断を受ける場合もかなりあったが、その場合、当日は欠席扱いとせず公欠扱いにした。欠席するのがいやで、無理に学校に来られても困るからだ。これは、検査で陰性になるものが、翌日はホントに発病することが多いことがある程度わかっていたからである。
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メモ用紙の減り方でも、今回の新型インフルエンザ禍のすさまじさを感じられた。大変な2学期だった。
新学期になる前に、まとめておこうと思う。インフルエンザ禍についてである。大げさに聞こえるかもしれないが、まさに禍、わざわいであり、2学期末でも、まだ過去形になっていない。
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勤務校では、教務部・保健部が学期ごとに出席停止になった生徒の名簿を作成し、担任に確認を求めている。また、担任も部活動の試合などで学校に来なかった生徒(公欠者と称する)のリストを作成し、教科担当に配布することになっている。授業で出欠席を確認するのは、教科担当の当然の義務だけど、勤務校のように英数国3教科でクラス2分割、2クラス3分割の授業をしている場合、出席簿を教科担当が独占するわけにはいかない。授業後教科担当が確認し、記入することになっているが、どうしても記入・確認もれがある。そのための確認リストである。今学期も作成した。ついでにインフルエンザの出席停止もまとめて作ってみたが、大変だった。
出席停止者8名。のべ停止日数27日間。
…これで少ない方である。
幸い、忌引きはいなかった。新型インフルエンザ以外の出席停止者(従来型インフル、ウイルス性腸炎等)もいなかった。
僕のクラスは学級閉鎖にならなかった。出席停止になったのべ学級数は19、2度閉鎖にせざるを得なかったクラスもある。つまり、学級閉鎖しても防ぎきれない事例もあるということになる。僕は高校の先生になって20年以上になるが、勤務校で学級閉鎖はこれが始めてである。おそらく、県立高校でこれほど広範囲に学級閉鎖事例があったことは、僕の知る限りにないと思う。
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さて、係が作ってくれた出席停止になった生徒名簿は、A3両面びっしりだった。例年なら普通A4片面で20名いるかいないかである。それも、「季節性インフルエンザ」「ウイルス性腸炎」とか、ごく希に「水ぼうそう」「風疹」などがいる程度である。でも、とにかく今学期はすさまじい数だった。全部で200名を超える数である。
このリストに掲載されている生徒は、学級閉鎖期間以外の出席停止者数である。この出席停止者の発生が、2学期中ずーっと続いた。クラスで一定数を超えた段階で、学級閉鎖になるが、そこまでに至らないこともあり、学校は本当にいつもどこかに出席停止者がいる状態が続いた。
学級閉鎖クラスの授業はもちろんなくなる。課題を出しても、病人が勉強が進むわけがなく、明らかに学習にも影響が出た。定期考査前に閉鎖になったクラスの点数は、やはりあまり芳しくなかった。特に普段ならばクラスで成績上位者(学年でもいつも名前の出てくる生徒)のテストの点数は、残念な結果になったケースが目についた。職員でもインフルエンザで休んだものも複数出た。学級閉鎖で授業がない。何か変な感じがした。こんな経験も初めてだった。
この名簿は毎学期作成になる。学校の学期は、見かけ上始業式~終業式ではあるが、実際は定期考査答案返却までが学期の区切り。そのあとの数日は次の学期の扱いになる。あるクラスではその期間に新型インフルエンザ患者が発生。終業式に来れず、28日に担任が通信簿他を渡すこともあった。この生徒は3学期の出席停止者数に数えられる。新学期、従来型・季節性インフルエンザが来るか、毒性が強まった新型インフルエンザが来るか、それともみんなが忘れている、鳥インフルが人から人に感染するようになるか。。。
…いずれにしても大変である。