毎月11日は東日本大震災関連のことを書くことにしている。
この1ヶ月で印象に残ったのは、「気仙沼向洋高校の校舎内を初めて一般公開 100人余りが見学」というニュースだった。
概要をまとめておこう。
宮城県気仙沼市で3日、東日本大震災の津波で被災した気仙沼向洋高校の校舎内が、初めて一般公開。市民など100人余りが訪れた。
海岸から、およそ500mの場所に建つ気仙沼向洋高校。東日本大震災の津波が、校舎最上階の4階まで達した。
校舎の一部は今後、気仙沼市が「震災遺構」とする。校舎全体の公開は、今回が最後となる。
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同校の位置はここである。
ホントに海のそばである。
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同校ウェブサイトトップページに、〔東日本大震災の記録〕が掲出されている。同校教諭の小野寺文男さんによるものだ。一部引用させていただく。
「2 当日地震発生までの本校の様子」を読むと、震災当日の学校の様子がよくわかる。
それによれば、震災当日は卒業式(3月1日)後のため、3年生はおらず、『1,2学年6クラス,約220名近くの生徒が登校していた。授業を終えたのは正午近くであり,いくつかのクラスが分散会と称して中庭付近でHRを開いていた。その他のクラ スの生徒たちは部活動か帰宅の途に着いていた(後からの確認で地震発生時,約170名の生徒が学校 に残っており,約50名の生徒が帰宅していたことがわかった)。』とのこと。
「6 生死の分かれ目」によれば、『当日校内に残っていた生徒,教職員は全員難を逃れることができたが,』とある。
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あれほどの大災害。いくら全校9クラスの規模の比較的小さい専門高校でも、三桁の生徒があのとき学校にいた。教職員と改修工事中の建設業者までいたのだ。それでも亡くなった方がゼロということ。よくぞ無事でという感じをうけた。
小野寺先生の文は簡潔で読みやすい。事実をまとめた報告書だと思う。あの日何が起き、それがどれほど凄いことなのか伝えてくる。
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同校は現在気仙沼高校第二グラウンドの仮校舎で授業をしている。元の位置には再建せず、元の校舎からそれほど離れていない場所に新校舎を建てることになっている。気仙沼市議の今川悟さんのウェブサイトや、いろいろな資料を探して、新校舎のおおよその位置関係をしめす地図を作ってみた。
元の学校の位置から、それほどは遠くない。新校舎の無事完成と、新しい校舎で学ぶ生徒たちの、高校生活が充実したものにと願う。
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昨日10日、常磐線の宮城県浜吉田駅~福島県相馬駅区間が運行を再開した。
再開区間は約23.2km。津波で甚大な被害を受けた駒ケ嶺-浜吉田の線路約14.6kmと、同区間にある新地、坂元、山下3駅を最大で1.1km内陸に移設。移設区間の4割強が高架式である。
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12月11日、震災発生から5年9ヶ月である。警察庁緊急災害警備本部による『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置』(12月9日更新、閲覧可)のデータ。
〇亡くなった方
15,893人(H.28/9/9付から1人減)
〇行方不明の方
2,556人(H.28/9/9付から1人減)
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今月も少ないが募金は継続。
埼玉県も冬になりつつある。月日や季節がめぐっても、震災のことは忘れまい。