【英語より国語教育ちゃんとやれ!】
石原慎太郎東京都知事は7日の定例会見で、中教審の部会が提言した小学校での英語教育必修化について「国語の教育をちゃんとやった方がいい。国語を完全にマスターしない人間が日本語を通じて外国の知識を吸収できますか」と述べた。
石原知事は6日の首都大学東京の入学式の祝辞で英語必修は「ナンセンス」と発言。これを受け小坂憲次文部科学相は7日の閣議後の記者会見で「一歩進めるのは否定すべきことではない」と述べたが、知事は「(文科相は)役人のメンツをカバーしたんでしょう。私も小学校の時に英語を習いにいっていたが、なんの効果もなかった。国語を通じなかったら人間の情操、情念、感性は培われない」と持論を述べた。
ここまでは、ZAKZAK(夕刊フジのブサイト)に4月6日に掲載されたものだ。
東京都は知事定例会見を以下のアドレスで公開している。(平成18年分)
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako18.htm
速報性を考えてWMPで視聴できるほか、若干時間はかかるが、テキスト版も掲出されている。今回の記者会見は一週間後、東京都のウェブサイトで公開された。
当該部分を再録してみよう。
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石原知事定例記者会見録
平成18(2006)年4月7日(金)
15:00~15:15
知事冒頭発言(環状8号線の全線開通について)
質疑応答
民主党の党首選挙についての質疑応答
【記者】知事、昨日の首都大学東京の入学式で祝辞を述べられたと思うんですが、その中で、小学校段階から英語を必修にすることに関して批判されていたと思うんですが、それに対して、今日、小坂大臣が、柔軟な頭脳を持つ児童のうちから英語教育に取り組むのは重要だというような、いわば反論をされたと聞いておりますが、この大臣の反論についてはどう受け止めていらっしゃいますか。
【知事】まあ、それはやっぱり役人のメンツを彼もカバーしたんでしょうけどね、一体どれだけ時間かけて、どれだけの効果があるか。私もね、小学生のとき、おやじに言われてね、自分の卒業した幼稚園のドイツ人の宣教師に英語を習いに行ってましたけどね、何の効果もなかったね。
それよりも国語の教育、ちゃんとやった方がいいよ、国語の教育。このごろの若い人の国語力の乱れってのはね、やっぱりね、日本語を完全にマスターしてね、それほど英語、フランス語、外国語の達人がいるわけじゃないでしょう、日本に。その人でもなお、やっぱり自分の専門としている領域の学問で非常に進んだ外国の知見というものを吸収しようと思ったら、一番いいのは、ちゃんとした翻訳で読むことでしょう。それが原文で吸収できる人間なんてめったにいるもんじゃないですよ。一般的に言えばね、私はそれが当たり前だと思う。まず語学(国語)力だよ。自分の国語というものを完全にマスターしない人間がね、日本語を通じて外国の知識にしても、一体どんなものを吸収できますか。今日の国語の乱れは、君らが書いてるメディアの文章見たってわかるよ。だから、私はね、ナンセンスだと思う、ああいうのは。
【記者】関連してですけれども、そういう日本語力の低下を克服するための何か妙案というか…。
【知事】あります、いっぱいあります。いっぱいあります。請われれば、いつでも私は話します。同感して、同調してる人はたくさんいるしね。やっぱりね、国語を通じなかったら、人間の情操、情念、感性というのは要するに培われていかないんですよ。この間もたまたまね、藤原正彦さん(数学者、エッセイスト)と対談したけど、私と大体同じこと言ってきた人だから、本当に意気投合したけども、私は、参議院の頃ね、ある雑誌の企画で面会して対談しましたがね、あの世界有数の岡潔さん(数学者)、あの人は正に大天才でね、西洋人ができない難問、レビの問題(※多変数関数論における問題の一つ)とか、その他この他、幾つか、あっという間に解いた。先生、何でそんなことができたんですかと言ったら、「僕は、その問題に取り組むためにね、(松尾)芭蕉の研究をした」と。芭蕉が好きで芭蕉の研究をしたというんだね。やっぱり芭蕉の俳句というのはすばらしいものだけどね、それを彼なりに勉強して、そこでいろんなインスパイアをされて、刺激を受けてね、それがもとになってね、私はあの難問を全部解決したと。これは大脳生理学者がやればもっとわかりやすく説明がつくことでしょうけど、そのとおりだと思いますね。
やっぱり人間の感性、情念というのがなかったらね、科学者といえども、新しい発想なんかできないですよ。それを培うのはやっぱり国語力なんだよ、国語力。今の国語力じゃね、日本人として正当な情念、情操というのは全然培われてこないね、それは。私はだからね、本当にナンセンスだと思うね。英語なんていいかげんに使ったっていいんだ。通じるんだよ。英語というのはかなりいいかげんな言葉だから、文法にそれほど詳しくないし。
例えばね、「ロングタイム・ノー・シー・ユー」っていうのは「久しぶりですね」。あんなの、言葉並べただけの慣用句にもなってないでしょう。それが通じるんだからね。一番いいのは、あれだよ、イギリス人もまねしてやったら、いいんだけども、南太平洋ではやってるピジンイングリッシュ、ピジョンイングリッシュ。鳩の英語、ピジンイングリッシュというの。あれが一番簡単だよ(※)。
※Pidgin English。貿易商など、外部から来た人間と現地人との意思疎通のため、自然に作られた混成言語のひとつ。パプアニューギニアやソロモン諸島などで用いられている。
「アイ・ゴー・トウキョウ・スリーデイ」、「私は東京に行く」。「スリーデイ・パースト」と言ったら、「3日前に行った」。「アイ・ゴー・トウキョウ・スリーデイ・フューチャー」と言ったら、「3日後に行く」。エスペラントみたいに実に簡単でね、英語なんてその程度でいいんだよ。それはもちろんちゃんと話すに越したことないよ。しかし、やっぱりその前にだね、優秀な英語学者や翻訳家が訳した文献読むにしたって、日本語がちゃんとしてなかったら吸収できないでしょう、ということ。
以下省略
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テキスト版には、「テキスト版文責 知事本局政策担当 細井」と名前が入っている。まずこの人に感謝。ごくろうさまを言わなければ。
石原東京都知事の政治姿勢は嫌いな部分もあるが、言葉に関する感性、考え方は自分の考え方を映す鏡として便利である。同感できる、できないを考えると自分がどんな考え方をしている人間なのか、何となくわかるような気がするからだ。
政治家と新聞のコラムニストの違い、好き勝手(笑)に話せる知事と、限られた紙面で主張をするコラムニストでは比較することは無理かもしれないが、石原知事のコメントには否定しきれないものがある。
作家としての経歴を考えれば日本語に関する考えももっともかな。
「国語力の乱れ」と言っているが、「乱れか」「揺れ」は常に問題になること。でも、日本語をちゃんと修得せよとの考えはよくわかる。思想・思考の基本は母語であるとの考え方だと思う。僕もそうあるべきだと思う。ただ、修得となるとハードルは随分高いけども。。。
英語が、「かなりいいかげんな言葉」(苦笑)かどうかのくだりはどうかと思う。どんな言葉でも、きっちりしているところも、アバウトなところもあると思う。日本語も例外ではないだろう。そして、そのことをもって日本語がダメな、いい加減な言語ということにはならないはずだ。
わざと刺激的なことを言って注目を浴びる、波風を立てるのは知事の得意技・常套手段のような気がする。それに引っかかっちゃいけないな。
まあ、いずれにしても既成事実を積み重ねる形で始まってしまいそうな英語活動。でも、これでいいのか、他にも大事なものがないのか考えることは続けるべきだと思うし、僕はそうしたいと考えている。