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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



テレビでアメリカの大統領選挙関連のニュースを見るたびに
「他に誰かおらんのか?」
と感じる。

共和党候補のトランプ氏。
この強欲を具現化した下品な人物が共和党支持者に人気があるというのは理解しがたいものがある。

また民主党候補の現職大統領バイデン氏。
この痴呆症が少し見られる高齢者が米国大統領としてあと4年も務めることができるのかどうか。
民主党支持者は老人に鞭打って働かせるのがリベラルと思っているのか。

いずれにせよ大統領候補者が他にいないのが不思議だ。

優秀な人は大統領なんていうリスクのある職業に就きたくないのか。
もっと稼げる実業家を目指すのか。
国なんてどうでもいい、と思っているのか。

ま、日本も政治家の顔ぶれを見ていると若者が「政治家になりたい」と思わない原因がわかなくもないけれど、アメリカも同じだなんて、これはいささか困ったことになっているようだ。


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昨日、北陸新幹線が東京方面から敦賀まで開通した。
テレビや新聞は大々的に「便利になる」と伝えているが、関西に住んでいる私には甚だ迷惑な開通だ。
なんといっても大阪からの特急は敦賀止まり。
そこで新幹線に乗換えなければならず、富山あたりまで行くのであれば結構だが鯖江や山代温泉に行くなんて場合は不便極まりない。
今までであれば特急サンダーバードで乗換なしでそのまま行けたのに、鯖江のような敦賀からすぐそこの街に行くためにもわざわざ新幹線に乗換える必要がある。
これは大阪方面から東京へ行くためにわざわざ新横浜から新幹線に乗るのに等しい愚の骨頂なのだ。

で、北陸新幹線開通でのJR西日本のキャッチフレーズ「つながる北陸」。

JR西日本の本社はもしかしたら東京にあるのかも知れない。


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「記憶にございません」
というセリフ。
私が小学生だった時代。
現職の総理大臣が辞任に追い込まれたのがロッキード事件だった。
田中角栄、全日空、丸紅、ロッキード社などを巻き込みながら世間をお騒がせした巨額のお金が動いた大疑獄事件なのであった。
その時に子どもの私が初めて見たのが証人喚問。
で、その席で質問に対して証人喚問に呼ばれた人たちが揃って答えた一言が「記憶にございません」。

記録にないから記憶に頼らないといけないところだが、記憶にないのでどうしょうもない、という有名なセリフ。
子供でさえ「記憶にございません」は真似したぐらいだ。

あれから半世紀。

あの「記憶にございません」が再び世の中を騒がしそうなのが「歴史は繰り返す」のまさにそれ。
リバイバル「記憶にございません」に大きく注目して、いいのか悪いのか。


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自民党が派閥政治を廃止するのどうのこうの言っているが、そんなことできるのか。
できないであろう。
それになぜ、派閥が生まれるのか?
その部分からしっかりと考える必要があると思うのに、マスメディアは騒ぐだけ。
そしてまともに考えもしない市井はマスメディアの文言に乗っかって愚痴るだけ。
なんなんだ、というところだ。
問題は派閥にあるのではなくてパーティなどで得た収入をナイショにしていたことであって派閥ではないんじゃないかと思う。

学校でだって腕力のある学生を中心に不良グループが誕生したり、イケメンでスポーツマンの学生を中心にファンクラブができたりするものだ。
人間は社会性を重んじる動物で、その結果、グループができる。
だから屁理屈の大好きな人達(とりわけ政治家、評論家)が集まれば同じ思想の人達がグループを形成し、それが派閥となる。

実は自民党の派閥には大きな意味がある。
それは自民党党内における疑似政党なのだ。
自民党という組織の中に派閥という子政党が存在して、その子政党間で議論されることで国の運営が行われてきた。
だから派閥解消は自民党内で「政党政治は止めまっせ」と言っているのに等しく、これは日本の政治形態からすると著しく負の要素を含んでいるのだ。

よくアメリカの二大政党性といって「見習うべきだ」とおっしゃる人も少なくないが、アメリカの2大政党である共和党と民主党は「国家の利益と自由と安全を守るという大きな目的」を共有し「政権運営するために必要な実務能力」をしっかりと持っている。
2党とも保守政党であることも、日本では忘れられがちだ。

これに対し、日本で国家運営の実務能力を持つのは自民党だけである。
第一野党である立憲民主党の前身の民主党が実務能力が無かったこと、そして彼らの発言内容と面々から今もない、ということは国民が広く理解しているところだ。
ついに第二野党となった日本維新の会は大阪を中心とした関西での政権運営については実務能力が自民党より高いが首都圏を含む他の地域では実務担当できるほどの能力はない。
共産党や社民党、れいわ新選組に至っては「あんたらなんで日本に住んでるの?」というぐらいの存在だ。

畢竟、自民党だけが政権運営の実務ノウハウを蓄積してきたわけで、その中でカンカンガクガクする党員が派閥=子政党を作って党内での政策論議を進めていくのは、当然の成り行きといえる。

ということで、私は自民党の支持者ではないけれども、派閥解体を促進する訳の分からない報道の理由をマスメディアに説明していただきたいと思っている。


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元旦早々、能登半島で大震災が発生した。
10日経った現在でもその全容は不明だ。
ほとんどの道路は寸断されインフラの回復の見込みもたたない。

災害で最も厳しいのは「いつ終わるのかわからない」こと。
30年前の阪神大震災のときも、
「悪い夢を見ているみたい」
「いつ元に戻るんやろ」
というようなことを考えていた。
阪神高速道路は通れない。
一般道は大渋滞。
芦屋や灘区、東灘、長田区は景色が一変。
大阪から神戸までは移動するのに6時間から8時間もかかった。
震災後初めて訪れたのが三宮の得意先。
棚やデスクがひっくり返ったその事務所で一人で片付けをしていた得意先の社長の感情を失った表情は今も記憶に焼き付いている。
地震の前と後では、当事者にとって世界が違うことを生で知ることになった。
それだけに4月になって大阪駅で「姫路行」の新快速電車が走り始めたのを見た時はなんとも言えない感慨が巡ってきて泣きそうになった。
大阪に住んでいて直接被害を受けたわけではないものの、神戸や西宮、芦屋のあの惨状を目の当たりにした感覚は今も消えることはない。

能登半島が実際どうなっているのか、テレビのニュースはどれもこれも同じ地域の同じ箇所をレポートし、似たようなことしか言えていないので、参考にならない。
交通が遮断されているけれども、政府が自治体が、どのような支援や復旧活動をしていて、全国民にどのような協力が必要なのか。
相変わらずきちっと伝えることができていないように見えるのは私だけなのか。

阪神大震災でさえオウム事件以降はあまり伝えられることもなく、関西地方の地域の問題になってしまっていたが、北陸の情勢はマスメディアにとってはもっと地方の出来事なのだろう。


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長時間労働や周辺からのパワハラ。
そういったことでメンタルを病んでしまう、入院する、あるいは最悪の場合は自死に至る、ということがまたここ最近再び三度、話題になり始めた。

そもそも過酷な労働環境というのは何なのか。
それはその時代、その社会的背景、業種などの条件で大きく異なるように思う。

現在は完全週休二日制のところも多く、一部の私学なんかを除いて学校でも週休二日制。
それが常識だ。
でも私のような昭和の30年代から40年代までに生を受けた世代までなら常識なのは「土曜日は半ドン」。
今どき「半ドン」と言っても意味は通じず、すでに死後になっているかも知れないが、土曜日は午前中の授業がいつものようにあった。
それが常識なのであった。
私が卒業した大芸大なんかは土曜日もフルに授業があって、なぜか筆と絵の具を使う面倒くさい実習系が午後に集中していたように記憶する。

従って、学生が半ドンということは教職員も半ドンで、たぶん学生以上に働いていたのだと思う。

でも、それに疑問を挟む人は労働組合活動をしている人たちを除いて、そんなにいなかったように記憶している。

遡って江戸時代から明治のはじめ。
労働スタイルの多くが住み込みであったことから、休みという概念はあまりなく、週1休み、も無かった。
朝は夜明けとともに動き出し、日没とともに終業する。
電気のない時代なので灯火は非常に高くつくし、燭台の下での業務は非効率的でもあった。
休みといえば節季の休みで、たまに実家に帰ったりする程度で、
「働きすぎでメンタルに不調を来しました」
なんてのは古典にも歌舞伎にも落語にも登場せず、そういう人たちはそもそも生きて行けない時代だったのだろう。

意地悪な人は少なくないが、なにかはやりイレギュラーなものがある。
イレギュラーだから芝居や落語になるのだろう。
忠臣蔵の吉良上野介。
番町皿屋敷の青山一山、
あかんたれの御寮人さんのおひさ。
などなど。
いつの時代もついて回る社会性動物としての人間の裏側なのだ。

だからそれを法律や行政が断罪しようとしてもなかなかうまく行かない。
兵庫県警でイジメが原因でお巡りさんが亡くなる時代でもある。
芸事やアートの厳しい世界で亡くなる人も昔から少なくない。

ある時代から見ると、今の時代は騒ぎ方が歪で、なにかこう当事者を非難して楽しんでいる、あるいは話題にして儲けている、という構図が見て取れないこともない。

過剰労働の尺度はなんじゃい。

私もサラリーマンの時は200時間残業、1ヶ月休みなし、なんて普通にあったのだが、誰も何も言わんかった。
なぜなら、投げ出して負けたら終わりだったから。


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世の中なんでもかんでも値上げの嵐。
マクドナルドのハンバーガーが1個100円であった時代が遠い昔のように感じられるが、あれってたった数年前だったような気がする。
今では170円。
あの頃と比べて170%の値上げだ。
100円が170円なので未だ購入できるが、これが高級ステーキと同じように10000円が17000円であったら躊躇するところだ。

この150%超えの値上がりが「オフィスグリコ」にも迫ってきているようで、私はカミさんに、
「事務所に置いてるオフィスグリコ 1個150円になってん」
というのを聞いて、
「ああ、ここまで値上げの波は襲ってきたのか」
と暗澹たる気持ちになったのは言うまでもない。

ああいうものはワンコインで買えるので価値があったように思うのだが、それが150%の値上がりで、もはやオヤツとは呼べないような代物になりつつあるように感じる。
低価格商品ほど値上がり幅は大きく、高級品は先程のステーキではないが、元々高額であったことから値上がりすると中途半端ではないので、値上がり幅は小さいような気がする。

ワンコインが500円になる時代にならないことを祈るばかりだ。


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今週新聞を読んでいて、今年は任天堂のファミコンが発売されて40周年ということを知った。
正直驚いた。
自分自身が歳食ってしまったことに驚いたのだ。

私は1982年の11月頃から玩具店でアルバイトをしていた。
それは大学2年生の秋の終わり。
その頃、芸大の学生だった私は授業の実習で製作する作品のフィルム代や現像代、その他機材調達費など稼がねばならなかった。
当時は家庭用ビデオも十分に普及されておらず「動画」といえば「8mmフィルム」で撮影するものと相場が決まっていた。
今のように「スマホで撮影から編集、公開まで」というような世界はSFの世界であって、撮影はフィルムを使ったムービーカメラ。
編集する前に現像の工程があり、編集はエディターとカッターと接着テープ。
音は映写機で上映しながらアテレコをする。
音声はもちろんモノーラルのアナログ音声だ。
さらに公開するには、実習作品の発表会でない限り、どこか上映できる場所と観客を探すという手間が必要なのでった。
このため1本の作品を作るにも相当のお金が必要だった。
フィルム1本約1000円。
現像代も約1000円。
それで撮影できる時間は2分半。
編集してNGや要らない部分をカットしたら1分残ればいいほう、というようなハイコストな世界だった。
大学の授業料は有り難くも畏くも親が出してくれて感謝感謝なのだが、その他の費用まで面倒を見てもらうことは「アホぼん」の私でも大いに憚られるものなのだった。

この製作費を稼ぐためにアルバイトは欠かせない義務なのであった。
2回生のこの頃。
アルバイト情報誌をチェックしまくったものの、見つけたのが某駅前商店街にあった玩具店のバイト募集の貼り紙なのであった。

バイト代は時給500円。
当時としては高いこともなく安いこともないバイト代だった。
マクドナルドの時給が470円だったように記憶するのでマクドよりは良い時給であったという印象がある。
雇ってくれた玩具店はそこそこ大きな店で、ファンシー文具や教育玩具、乳児幼児用品から超合金、リカちゃん、バービー人形、ボードゲームにレゴ、ジグゾーパズル、プラモデルなど、玩具と呼べるものはほとんど扱っているお店だった。

1982年11月に働き始め、12月には最初のクリスマスシーズンを迎えた。
続いて1983年のお正月を迎えた。
年末年始といシーズンは玩具店にとって儲け時。
クリスマスには当然のことながらクリスマスツリーを始めとするクリスマス用品からプレゼントの数々。
とりわけラジコンやリカちゃんの豪華セットなど高価なものが売れる。
これに対してお正月は人生ゲームに代表されるボードゲームやジグゾーパズルがよく売れる。
暇つぶし、時間つぶしのアイテムなのか。
休まずに働けばいいのに、と思ってしまうのは僻み根性でもある。

この1982年から83年にかけての年末年始シーズンの人気商品は「ゲームウォッチ」だった。

つづく


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最近テレビの政治系ニュースを見ていて感じるのは、
「なんか岸田さんのやってることと民主最後の野田さんがやってたことに似てないか」
ということ。
共通点は、
「実務がなにか分かっていない。」

野田さんが最後になった民主党政権は、
「言うことは言うけどできません」
というのが特徴だったが、これが岸田さんの自民党政権にも、
「新しい資本主義、異次元の少子化対策、やります」
と言っても何を指して何を言っているのかさっぱり分からず、よく観察しても何もやっていないことに変わりはなく、
「なんなんだ?この人たち」
という印象が強くなる一方だ。

結果、この人たちは一緒かもしれない。
そんな印象を新たにする最近の事情でもある。


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正直に告白すると私の現在乗っている自動車は話題のビックモーターで購入した。

もともとはチェーン店での中古車購入は想定していなかった。
そもそもその頃は私としては商売が順調であったこともあり、以前から欲しかった車は飛行機もバイクも作っている某メーカーの新車のハイブリッド車で、中古車なんか買う気はなかったのだ。
ハイブリッドなので燃費の心配は少なく、ものも適当に載せられるサイズで仕事もプライベートも問題なし。
万一、ディーラーから買うことがなかっても、付き合いのある整備工場の社長に相談するのも手段の一つだった。
そんな私の新車購入作戦をぶっ潰したのは、例によってカミさんなのであった。

「今が良くても、何が起こるのかわからへん。車なんて中古でいいやん。動いたら。」

実にフランス庶民的な考え方だった。
かみさんはフランス人ではなく大阪人だが若い頃10年あまりフランスで貧乏学生をして過ごしていたことがあり、感覚は一般の日本人と異なる部分がある。
車なんて動けばなんだっていい。
新車なんかもっての他。
ということで私の新車購入計画は廃案となった。

結局中古を買うことにした。
そのまま中古路線でいくとなると、いつも車検や点検・修理をお願いしている前述の地元の小さな整備工場に頼んで適当な中古を探してもらうことになる。
ところがこのときは久しぶりの自動車購入だったので、

「だいたい中古はいくらぐらい」

と調査も兼ねて大きな店に下見に行こうということになった。
台数の多いところで物色して、写真を撮って、
「こんなのが欲しい」
といつものところにお願いするのが良いだろうということになった。
そして訪れたのが自宅から車で10分ほどのところにあるビックモーターなのであった。

ビッグモーターを訪れたのは特に理由はない。
展示台数が多く、価格チェックにはもってこいと思っただけなだった。

その時は買う気がまったくなかった。
排気量1300〜1000CCぐらいで燃費とコンディションが良くて安いやつ、と思って探していただけだった。
で、そこで目に止まったのが日産のノートとマツダのデミオ。
両方とも極めて安い価格が付けられて並んできたのだ。
「事故車か?」
と思えるような金額だ。
どれくらい安いかというと私が今購入したいと思っているカーボンフレーム+シマノ105を搭載したロードバイクよりも安い金額なのであった。
どちらかというと自転車のフレームだけの値段に等しい自動車なのであった。

両方ともコンディションは良さそうだった。

「これにしよか。これ。」

とカミさんが指差したのが日産のノートだった。

日産。

実のところ、私は日産が好きではない。
好きでない、というよりも嫌いだ。
あのゴーンが経営する以前から日産の自動車がかっこいいとか、性能が良さそうと思ったことが一度もない。
それだけではなく、詳細は省くがあの大企業の代表みたいな様々への対応が気に入らず、絶対に買いたくないメーカーなのであった。
そこへ行くと、ノートよりは少しばかりチッコイものの、マツダのデミオはヨーロピアンデザインなのでなかなかいい。
ノートは運転したことがないが、同じタイプのデミオは沖縄でレンタカーしたことがあり運転しやすい自動車との印象が強く残っていた。
しかも発売当時、
「トヨタプリウスに匹敵する燃費性。スカイアクティブ。」
と雑誌で評価されていたことを記憶していたので、必然デミオに絞り込むことにした。

そもそもマツダは飛行機とバイクを作っている自動車メーカーと並ぶ私の好きなメーカーだ。
学生の時、初めて乗ったのが父が所持していたロータリーエンジンを積んでいたマツダのセダンで、これを借りてドライブにでかけると燃費は悪いが走りは痛快ということが記憶に焼き付いており、マツダ車には愛着があった。

価格もロードバイクより安く、元々買おうとしていた新車の約20分の1。
デザインもヨーロッパ的という理由でカミさんにも意義はなく、その場で購入を決定。
車検や点検はこれまでの付き合いのある整備工場に頼むことにしたのだった。

しかし買った車はすぐに不備が発覚した。
引き取ってすぐに電動サイドミラーが壊れた。
フロントガラスにも修理したあとのあるものすごくチッコイ傷があるのも発見した。
いつもの整備工場でなら話は早いがビッグモーターは知らない中古車業者だったので、クレームを付けてから電動サイドミラーはすぐに修理対応してくれたもののフロントガラスはなかなか対応せず。
結局「車検は通るんだから」としばらくそのまま利用することにした。

しかし、こういう修理のやりとりをしている間も、やれ保険だの車検だのと斡旋の電話をかけてくる。
面倒くさいことこの上ないので、ビッグモーターからかかってくる電話を「迷惑電話」に登録。
出ないことにしたら1年ほど経過したあとかかってこなくなった。

幸運なことに走りそのものは問題なく、軽快に走行している。
燃費も最高で25km/lを記録して、
おお、なかなかええやん。
と思わせたが車の性能とビッグモーターに関係はなく、メーカーの省エネ技術の賜物に違いない。

なお、最近になって塗装にムラがある部分を発見。
ますます我が愛車の安さは何か理由があったのかな、と改めて考えているところだ。


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