仕事で頻繁に東京を訪れるが、宿泊する場所はできるだけ浅草近辺のホテルで、ということに決めている。
なぜ、浅草なのか。
答えは簡単。
親しみやすいだからだ。
浅草以外では例えば新宿や池袋でも宿泊することがある.
が、どうしても落ち着かない。
一度だけ歌舞伎町近くのホテルに宿泊したことがあるのだが、周囲が必要以上にいかがわしく、最もよろしくなかった。
宿泊者以外入館禁止のちゃんとしたビジネスホテルであるのにも関わらず、廊下を「いかにも」という立ちんぼ的ファッションに身を包んだ「女性のようなもの」がウロウロしており、これまた落ち着かなかった。
池袋も似たり寄ったり。
場末た大阪の京橋のような雰囲気が漂っており、そんなところを予約したことを後悔したのだった。
「繁華街」というカテゴリーでは浅草も新宿や池袋と対して変わらないように思う人がいるかもしれないのだが、その雰囲気はかなり異なる。
はっきり言うと、新宿には文化は感じないが、浅草には文化がある。
それも、かなり重厚で、心地よい個性的な文化が存在しているのだ。
例えば、バス停でバスが来るのを待っていると、気軽に話しかけてくるオジサンやオバサンがいる文化。今どきの東京では珍しい光景だと思う。
それと気取らない雰囲気。
古い繁華街と言うこともあるが、浅草寺の門前町としての役割もある浅草には演芸や食文化、祭り縁日などの伝統的な庶民性があり、他の地域とは一線を隠しているように思う。
そしてなによりも、私のような大阪人には、最もとっつきやすい上方文化と対称を成す、というかペアになる江戸文化が感ぜられるのだ。
山田太一編「浅草-土地の記憶」(岩波現代文庫)は維新後、歴代の作家や芸人達が描いた浅草が当時書かれた文章で収録されており実に魅力的だ。
とりわけ関東大震災復興後から第2次世界大戦終戦直後あたりまでが印象的で、各エッセイを読んでいると、その時代の輝きが目に浮かんでくる。
繁華街の中心ともいえる浅草六区を行き交う人々の喧騒。
見世物や寄席の呼び込み。
飲食店から漂い流れてくる酒や料理の香り。
また、私にとっては大いに謎で、かつ、良く知りたいと思っていた「名所十二階」についても詳しく記されており興味が尽きない。
十二階のエレベータはどんなものだったのか。
一階に風俗店らしきもの、それは何?
といった初めて知る事柄が当時の文章で記されている。
浅草に宿泊するのが一層楽しみになるそんな一冊なのであった。
なお、本書を古書で買い求めたところ書き込みがたくさん。
本を汚すな。
汚すなら売るな。
と、ちょっとだけ毒ついた私なのであった。
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