初めて記憶に残る最初の堺市外の映画館は叔母に連れられて見に行った道頓堀松竹座。
観た映画は「タワーリング・インフェルノ」だった。
当時パニック映画が流行していて同作品はテレビに奪われた観客を取り戻すためにワーナー・ブラザーズと20世紀フォックスが垣根を超えて互いの大スターを動員した超大作ですごい話題だったように記憶する。
尤も小学生の私にはそんなこと関係なく超高層ビルでの火災の恐ろしさをドキドキしながら観ていたのだ。
重要なポイントとしてスティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの顔の区別がつかなかったことが上げられよう。
外国人はすべて同じに見えてしまうという年代なのであった。
同時にこの映画を見ることで日本映画のショボさを意識するようになったということも言えるかも知れない。
すでに怪獣映画を卒業する年齢を踏まえ、叔母がしっかりした映画を見るようにと取り計らってくれた結果かもわからないが、この映画は映画館で初めて鑑賞した洋画にもなったのだった。
この松竹座。
今だから言えるが少々困ったところがあった。
中学生から高校生にかけてのころ、ここに映画を見に行くと入り口で抽選をさせられて当たると宝石もどきをプレゼントされるというはたまた迷惑な商売がおこなわれていた。
当選したらその宝石で「指輪を作りませんか」というやつだ。
宝石はタダだが指輪はお金がかかる。
テーマパークへ行くと勝手に写真を撮影されてその写真を使った記念品を売りつけられそうになるという商法と一緒で、映画会ではそういう手段がだいたい古風なやりかたなのかもわかならい。
なお、この古風なみみっちい商法は千日前セントラルでも展開されていたように記憶する。
おっと、懐かしい映画館に千日前国際劇場を入れるのを忘れていた。
ここはビックカメラなんば店の南隣にあった映画館で今は悲しいかなパチンコ屋になっている。
この映画館ではかつて上映時間の幕間でオルガン奏者が現れてオルガンを生演奏してくれるという趣向があった。
今のように入れ替え制ではなかった映画館なので途中から見たり、同じ映画を二度見ることも可能だったので上映時間の幕間はいわばフリータイム。
プロのオルガン弾きが演奏するなんて現在のシネコンでは考えられないことではないだろうか。
で、あのオルガンを弾いていたオジサンは今、どうしているのだろうか。
少し気になるところでもある。
つづく