飛騨高山を訪れるなら、必ず訪れたい観光スポットは「高山陣屋」であった。
江戸時代。
高山は天領だった。
高山陣屋はその徳川幕府の役所跡で、現存する江戸時代のホンモノの役所の建物はここだけだ。
全国唯一の歴史的建造物なのだ。
急ぎ足での高山巡りのハイライトとして訪れた高山陣屋はこの日、無料開放日だった。
コロナで凹んだ観光客の増加を狙っての政策なのか、それとも文化関係のイベントなのか、ラッキーな訪問になった。
コロナ対策で入り口でサーモカメラを使った体温測定があった。
「38度です。」
「えっ!?」
いきなりビックリだ。
朝早く大阪を出発して睡眠時間が少ないということを除くと体調は絶好調だ。
なのになぜ?
みたらし団子の件もあり味覚は失っていない。
「やっぱりだめだ。」
と計器担当の人がつぶやいた。
「だめ?」
「炎天下歩いてきてもらったら皮膚が焼けて体温が高くでてしまう」
「ん?」
この日。
朝は雨で大変だったのだが天気が回復。私がここを訪れた時はピーカン照りの夏日になっていた。
徒歩できた私は帽子もかぶらずにやってきていたので一見体温が高いように見えたのだろう。
しかもこのヘンテコリンな結果は私が初めてではないようで、要はせっかく用意したハイテク装置なのに役たたずになってしまっていたようなのであった。
「どうぞ、入ってくださいね」
案内の人に促されるまま正門を入って玄関口で靴を脱ぎビニール袋に入れる。
出口は別の場所なので靴は持って歩いてくださいとのことであった。
江戸時代の建物。
とりわけ武家の建物を初めて意識して見たのは山口県萩市にある武家長屋を訪れたときだっただろう。
あの時は江戸時代といっても幕末の騒乱期にその中心的存在になる長州藩出身の英雄たちのあれこれを訪ねて回るというのが目的だった。
松下村塾。
明倫館跡。
高杉晋作の生家とお墓。
野山獄跡。
などなど。
その中に武家長屋があった。
ホンモノの武家屋敷は現在の建物と大きく異なったのは明かり取りに工夫していることだったと思う。
江戸時代は電気もないし行灯の油は高価なので昼間でも薄暗くなるうような作りには絶対することなく、外の明かりでも部屋で執務がやりやすいように外に向かって縁側や障子などが広々と取られていた。
ここ高山陣屋でも同様なのであった。
入ってすぐのところは広い役所スペース。
間に柱のない大広間になっていて、そこには見台が置かれていた。
板敷きの廊下がその執務スペースの前をズズズッと奥まで続いている。
廊下の右側が明り取りで、左側が畳敷きの執務スペースだ。
かつてはここで多くのお役人様たちが働いていたのだろう。
なんとなくその時代の息吹が感じられるのがいい。
少し行くと別の棟になっていて町年寄や僧侶の詰め所などがある。
詰め所は4畳半というか6畳ぐらいの広さで落ち着ける雰囲気がある。
こちらは廊下からも入れるし、その反対側には小さな玄関が有り、正面から入らなくともここへ詰めることができるようになっていた。
おそらく通常はこちらから入り、身分の高い人や何らかの正式な入り口は廊下側からだったのだろう。
私はこの詰め所のスペースがなかなかいいな、と思った。
仕事をするのであれば、ここなら落ち着いてできるような雰囲気が漂っていたのだ。
陣屋の建物は実際にはいくつかの棟に分かれているのかも知れないが廊下が全てつながっていてかなり広い。
南側、西南側は広い庭になっている。
代官が生活した部屋は「嵐山の間」と呼ばれており縁側からは一面に庭園が望まれる。
京都を意識した作りでなかなかな風情がある。
こういう場所でゴロンとしてみたいものだ。
台所は板敷きで清潔感がある。
これが町家や農家であれば土間になっているはずだが、流石に役所。
しっかりした作りになっていて土間で料理を作るようなことはなかったのだろう。
ここで時代劇のシーンが正しく作られているのかどうか、少しく気になり始めたのだ。
そもそも時代劇の台所シーンなど、なかなか目にすることは少ない。
「長七郎天下御免」では日本橋浜屋という仕出し屋がメイン舞台になっていたが、あっちは武家屋敷ではないのでこんな雰囲気ではなかった。
「武士の献立」の映画は見たのだが、詳細まで思い出すことはできない。
どうしたものであろうか。
次第に私は無意識に時代劇の諸々のシーンと実際の陣屋の建物を比べはじめてしまっていた。
時代劇ならあのシーン。
ここに仲代達矢が居ると様になるだろう。
あそこに川谷拓三の忍者が潜んできたら面白い日がない。
などなど。
文化財ではなく京都太秦映画村のセットの中を歩いているような感覚になってきたのだ。
で、その感覚が頂点に達したのはお白州に到着したときだった。
江戸時代の陣屋は裁判所の役割も果たしていて裁判所にあたるお白州もあった。
ここには各種拷問具や囚人護送用の籠など、時代劇ではおなじみの様々な小道具大道具が置かれていた。
「おお、ホンモノのお白州」
私は暫しその薄暗い部屋を見つめていたのであった。
お白州のスグ南側が出口になっていた。
その先は収蔵庫になっているようだったが、この日、そちらは立入禁止になっていた。
おそらくコロナの関係だろう。
警備も十分にするのは難しい状況なのかもしれない、と思った。
それにしても素晴らしいコンディションで保存されているものだ。
同様の施設では以前大阪の鴻池新田駅近くにある鴻池新田会所跡を訪れたことがある。
そちらはやはり江戸時代の建物なのだが幕府の建物ではなく鴻池という豪商が幕府から委託を受けて地域の行政を司っているという場所なのであった。
委託なので会所は役所というよりも民間の庄屋屋敷みたいな感じなので高山陣屋とは大きく雰囲気が異なっていた。
やはり身分が異なると、いかに天下の豪商鴻池といえどもそのスタイルは高山陣屋とは差があるものなのだろう。
高山の名所。
訪れてよかったと思ったスポットなのであった。