私の中学1年生の担任の先生は体育担当で教師経験2〜3年目の若い男子教員だった。
日本体育大学を卒業して実家のある大阪で教員になり私の中学校で教えていたのだ。
先生は大学時代ラグビー部に所属していた。
ラグビー選手だったこともあり首が太く頭部の太さがそのまま肩まで繋がっているような容姿なので、我々生徒は先生のこと暗に「貝柱」などとあだ名を付けて呼んでいた。
この先生。
何がすごかったのかというと今も当時も珍しいラグビーを体育の授業に盛り込んだことだった。
ルールの説明。
パスの方法。
トライの決め方。
スクラムの組み方。
などなどなど。
当時は夕方の時間に「われら青春」という中村雅俊主演の青春ドラマがテレビで再放送されていたりして子供の我々にもラグビーができるのも面白いという気持ちが強かったと思う。
確かにソフトボールやサッカー、ハンドボールをするよりもかなり盛り上がった。
ぶつかる。
走る。
でも、間違ってボールを前に投げてしまう。
トライを決めたつもりがコケただけ。
などという、まあ子供だから仕方がない。
少々体操服をどろんこにしながらも結構盛り上がる授業なのであった。
ところがある日、突如ラグビーの授業は中止されてしまった。
「なんでやねん!」
と不満の声も虚しかった。
「怪我をした生徒が出てしまいました。職員会議での結論としてラグビーは危険なので別の競技に切り替えて授業を続けます」
との説明。
あとてPTAの定例会から帰ってきた母から聞いたところでは、
「〇〇先生、一生懸命やってくれてよかったんやけどね。」
先生は普段、母はもちろん友達の親にも評判が良かった。
「怪我した子の親が出てきて…」
ということなのであった。
怪我するような乱暴なスポーツをさせるな、というのがその親の趣旨なのだという。
今も昔も親がしゃしゃり出てくると何もやらないのが管理部門。
事なかれ主義で収めたがる。
高校になって体育の授業の時に、
「おまえんとこの中学校、体育の授業何しとった?」
と思い出したようなタイミングで聞かれることがまれにあった。
その時に、
「ラグビーやってたで」
というと大抵の中学校から来たやつは驚いていたものだ。
中学校でラグビー授業。
ワールドカップをきっかけに是非全国でやっていただきたいと思う私なのであった。