萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

師走三日、薫衣草―silence,distrust

2018-12-03 23:59:23 | 創作短篇:日花物語
沈黙する香、
12月3日誕生花ラベンダー


師走三日、薫衣草―silence,distrust

ほら?また香る。
誰の匂いだろう。

「…また来たんだ?」

つぶやいて唇そっと芳香ふれる。
乾いたような渋い、そのくせ甘い匂い。
さわやかなようで鼻腔ひそかに刺す、静かで優しいようで強い。

もう何日目だろう、この香?

「留守中に…誰だよ?」

ことっ、

提げた学生鞄ふかく鳴る。
教科書が動いたのだろう、そんな響きと廊下を歩きだした。

ぱたん、ことっ、ぱたん、

スリッパの底が古材を敲く。
古い廊下なめらかな艶うつろう、磨きぬかれた時間ダークブラウン光る。
この廊下いつも母は磨いていた、けれど消えてしまった笑顔に、ほらまた薫る。

―オヤジが誰かに合鍵やっちゃったのかな、やっぱり…、

父と自分、ふたりだけの家。
それなのに違う匂い静かに掠めて、気配だけ漂わす。

カタン、

扉を開いて自室、穏やかな匂い頬ふれる。
ここは踏みこまれていない?安堵ほっと鞄を置いた。

「はー…」

タメ息にマフラー解いて、詰襟のボタン外す。
脱いでハンガーかけて、どさり勉強机に腰下した。

『こらっ、机に座るなんてお行儀悪いよ?』

ほら?
記憶の声が叱ってくれる、叱るくせ笑った瞳。
まだ若い瑞々しい笑顔の記憶、あの声また聴けたらいいのに?

「って…マザコン言われそ?」

ひとりごと笑ってしまう、こんな自分に。
あれから何年もう経つだろう、それでも忘れられない母の記憶。
こんなふう机に座って思いだして、なぞる声に瞳に時間を超えていたい。

「お母さん…オヤジがさ、この家に誰か入れるとか…信じられる?」

なぞる面影に問いかける、答え知りたくて。
こんな質問に声は、あの瞳はどんな貌するのだろう?

「ずっと二人でやってきたんだ、オヤジと俺とさ…それで俺は楽しいのに、」

問いかける勉強机の席、窓あわく朱色きらめきだす。
夕映え明るむ極彩の空、茜色まばゆい雲が唇ほどく。

「けっこう家事も好きなんだよ俺…料理もワリと旨いと思う、」

ひとり言葉こぼれだす。
ずっと声にしなかった想い、その本音こぼれる。

「お母さんの味マネッコしてるツモリなんだ…いつもオヤジも旨いって言う、」

母の味を追いかける、そうして父と生きてきた。
この時間たち大切で、二人きりが寂しいとしても自分は愛しい。

だから香ひとつ、廊下くゆらす気配わからなくて、静かに締めつけられる。

「あーあ…」

タメ息に朱い窓、ガラス透る光に手を伸ばす。
開錠からり窓ひらいて、吹きこんだ冷気に呼吸した。

「はー…っ」

吐いて深く肺から空気が消えてゆく。
肚底まで空っぽにしたい、それくらい蟠る疑惑が声だした。

「…オヤジ、黙ってないで言ってくれよ?」

父が誰かに合鍵を渡した、それならそれで言ってほしい。
話してくれない疑惑は軋んで、吐きだした唇に香かすめた。

「え?」

吹きこむ風、冷たい底かすかに香る。
乾いたような渋い、そのくせ甘く爽やかなようで鼻腔ひそかに刺す。

―外から匂ってる?

廊下にくすぶった匂い、それが窓から冷風あわく忍びこむ。
その理由ただ知りたくて窓、桟をつかみ乗りだした。

でも、誰もいない。

「…なんだよ?」

誰もいない、けれど芳香くゆらせる。
渋い甘い刺すような、静かで優しいようで強く匂う。
どこから香るのだろう?知りたくて窓を閉め、勉強机から降りた。

―外から匂ったけど、帰ってくるとき気づかなかったよな?

帰宅の道なにも無かった。
けれど玄関ひらいて香る匂い、そのままに出た廊下も香った。

「…同じだ、」

廊下ほのかに渋く甘く乾いて匂う。
穏やかなくせ刺すような、静かな香をダークブラウンの艶を歩いた。

ぱたん、ぱたん、

スリッパが敲く音、窓やわらかな朱色に響く。
もうじき日が暮れる、その前に知りたくて庭への窓を開けた。

かたんっ、

掃出し窓ひらいて縁側、サンダルつっかける。
もう古びてしまった木の歯音、からり芝生を踏んで見回した。

―やっぱり匂ってる、

あの香くゆらす風、ワイシャツ徹って肌を冷ます。
朱色ふかく沈みだす庭めぐる芳香、追いかけて呼ばれた。

「薫?そんな薄着で風邪ひくぞ?」

聴きなれた声が呼んでくれる。
その低い響きに振り向いた先、スーツ姿はマフラー翻した。

「もうじき受験だろ?風邪ひいたら後悔するぞ、ほら、」

小言に銀縁眼鏡を夕映え光る。
残照やわらかな朱い庭、首もとマフラーくるまれた。

「薫は首から風邪ひきやすいだろ、温かくしとけよ?」

マフラー巻いてくれる大きな手、その指あいかわらず長い。
節くれ武骨で、そのくせ繊細な指に声こぼれた。

「オヤジ、この匂いって何?」

ほら、また香る。

乾いたような渋い甘い、さわやかで穏やかで刺す芳香。
ずっと訊きたかった香の庭、問いかけに父の瞳が笑った。

「ああ?ラベンダーだな、」

銀縁眼鏡むこう見て、革靴ことり歩きだす。
スーツの背中に追いかけて一叢、紫色ゆれた。

「母さんは家庭菜園が好きだったろ?この花も使えるハーブだって植えたんだ、」

低い声おだやかに響く風、渋く甘く静かに香る。
この最近ずっと匂っていた、けれど知らなかった花に父を見た。

「この花、前も咲いてた?」

去年、この匂いあったろうか?
記憶の問いかけに眼鏡の瞳、ちょっと笑った。

「十年前は咲いてた、な…」

低い声かすかに笑って、穏やかに口ごもる。
どこか照れたような口調に見つめた先、銀縁眼鏡の瞳は微笑んだ。

「母さんが亡くなって一度は枯らしたんだが、な…」

だから去年は無かった?
そんな父の言葉に問いかけた。

「枯れたけど今は咲いてるってことはさ、オヤジが植えたってコト?」

この父親が花を植える、そんなこと意外だ?
予想外の話に暮れる風、銀縁あわく夕映え光った。

「そこの花屋で売ってて…な?」

低い声やわらかに笑って、穏やかに口ごもる。
その口調に言葉に紫色ゆれて、渋く甘く記憶が香る。

『こらっ、畑を踏み荒らしちゃダメよ?』

声が笑ってくれる、その瞳ほがらかに瑞々しい。
いつも土に草に指さき染めていた、その色と香ちいさな花ゆらす。

―誰か来た匂いじゃなかったんだ…オヤジごめん、

心裡そっと謝ってみる。
声にすればいいかもしれない、けれど沈黙が優しいこともある?

『母さんが亡くなって一度は枯らしたんだ』

妻の花を枯らしてしまった、その想いどんなだろう?
そうして同じ花また植えて、その想いを踏み荒らしたくない。
ひとめぐり想いマフラーふれて、香くるまれる温もりに微笑んだ。

「今日の晩飯、オヤジが好きなもん作るよ?」


薫衣草:ラベンダー、花言葉「静寂、沈黙、疑惑、答えをください、あなたを待つ、献身的な愛」

第8回 ライフ ブログトーナメント

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面影の春

2018-12-03 07:53:30 | 写真:花木点景
春翳ひらく追憶、百花の王。
花木点景:牡丹ボタン


山麓ひそやかに咲き誇る牡丹寺は静かで、ソンナ静謐の記憶はモノクロが合うなあと。笑
撮影地:神奈川県2016.4

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