萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

葉月朔日、朝顔―Morning glory

2020-08-03 22:27:00 | 創作短編:日花物語連作
光の朝へ 
8月1日誕生花アサガオ


葉月朔日、朝顔―Morning glory

笑い声が聞こえる、何年ぶりだろう?
母が亡くなってから初めてだ、こんな実家の朝は。

「おっ、帰って来たな?」

野太い声おおらかに笑って、朝顔の窓光る。
今年も咲いたんだな?懐かしい夏の窓に笑いかけた。

「ただいま父さん、誰が来てんの?」
「いつものヤツと、なつかしいヤツだ、」

父が笑う窓、潮風ふわり頬ふれる。
海の町に帰ってきた、実感に幼馴染の声が笑った。

「おはよーケン兄ちゃん、まだ結婚しねーの?」

ほんと余計なお世話だな?
そんな感想も懐かしく笑って、勝手口から実家に入った。

「おはようさん、おまえこそ彼女もいねーだろが?」
「俺は海が恋人だよー」

低いくせ朗らかな声が返される、なんて誇らしげなんだろう?
自分の仕事に誇らかな漁師、自分だって誇りある仕事だ。
でも同じようには返せない、

―病院が恋人、は無いよなあ?

心裡ひとりごと、返す言葉もない。
あいかわらず口達者だな?感想と靴を脱ぐ背中、父の声が笑った。

「最近の医者は縁遠いらしいぞ、賢吾のヤツ不器用だしなあ?」
「大学病院は忙しいらしいねー」

のんびり低い明るい声が笑っている、こういう会話も「あいかわらず」だ?
あいかわらずな故郷の台所、コーヒーくゆる香かすかな薬品の匂いに言われた。

「東京の大学病院にいるんだね、ケン兄ちゃん?」

低いくせ澄んだ声、遠慮かすかに自分を呼ぶ。

「お、」

こぼれた声むこう、白皙の笑顔がはにかむ。
何年ぶりだろう?

「そー、東京にいるんだぞーおまえのマンションと遠くないんじゃね?」
「そうだったんだ…ちゃんと聴いておけば良かったな、」

コーヒー芳ばしい香、かすかな消毒薬の匂い、そして幼馴染ふたりの声。
こんな空気は十五年ぶりだ、ただ懐かしく笑いかけた。

「なんだよ、俺が東京にいるの知らなかったのかよ?」

きっと知らなかったろう、この幼馴染は?
それほど縁遠くなっていた、けれど今ここにいる瞳が微笑んだ。

「大学のことは聞いてたよ、でも病院のことまでは聞いてなくて…ごめんね?」

ほら?またすぐ謝ってしまう。
こんなところ変わらない昔馴染みに、なんだか嬉しくて笑った。

「なに謝ってんだよ?俺も連絡ぜんぜんしなくてゴメン、」
「ううん、俺こそだから、」

素直に微笑んで応えてくれる、その目もと隈が蒼い。
その蒼さに明け方の電話ひとつ映った。

『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』

夜勤明けの5:00、父が架けてきた電話。
あの意味を見つめて十五年ぶりの顔に言った。

「おまえ、このままウチで入院しろよ?いいな、」

なんて顔色しているのだろう?

「…入院?」
「着替えが必要なら俺の着てもいいよ、俺の部屋も使っていい。いいよな父さん?」

反論なんか許さない、今もし休ませなかったら?
推定と見つめる患者に父が言った。

「わかったろう?賢吾も同じ意見だ、東京の大学病院の医者に言われて養生するんなら、君の職場も納得するだろ?」

ぽん、

父の手が幼馴染の肩を敲く。
大きな武骨な手、そのくせ細い長い指ながめながら口ひらいた。

「納得されなくても休めよ?過労死どころか精神が殺されそーな顔しやがって、」

告げる真中で澄んだ瞳が困ったよう笑う、その目もとが蒼い。
端整な白皙ふかく蒼が沈む、じき黒ずんでしまうだろう?
こんなになるまで追いつめられた、その現実に続けた。

「これからは緑が濃い野菜しっかり食えよ、小松菜、ほうれん草、にらとか毎日な。あと酸味があるもん食べておけ、」

言いながら鞄ひらいて、取りだした診断書にペン奔らせる。
どうやっても1ヶ月は休ませたい、その延長も可能なよう加筆する。

「とにかく、今はここで休めよ?反論は許さねえ、」

患者に告げるペン先、哀しくなる。
なぜ幼馴染はこんな貌になったのか?廻らす想いに漁師の声が言った。

「ほらなーケン兄ちゃんも休めってさ?おまえ今ちょっと電話しろよ、」
「今、ここで?」
「ケン兄ちゃんにさー主治医ですーとかナントか言ってもらえばイイんじゃね?」

低いくせ明るい声のんびり響く。
潮風かすかなダイニングテーブル、ペンを置いて顔を上げた。

「すぐ電話しろよ、主治医として話してやる。父さん、カルテもう書いたんだろ?」
「診療所にある、」

父の手が鍵ひとつ渡してくれる。
受けとって、診断書たずさえ奥の扉ひらいた。

かちん、

開錠して一歩、ほろ苦く匂い刺す。
薬品くゆる空気に懐かしい、勤務先とまた違う。

―病院なら同じゃないんだよな…置いてる薬の違いとか?

白いタイル清々しい診療所、昔馴染みの空気どこか柔らかい。
朝陽ふれるデスクの上、ファイル一冊ひらいて息吐いた。

「…15年ぶりか、あいつ?」

カルテ綴られる年月日、その隔たり痛む。
こんなにも帰郷できなかった幼馴染、その涯に崩れそうな今がある。

『神経性の皮膚炎に肝硬変の兆候とでも書いてくれ、片頭痛と瞼の痙攣ありだ、』

明け方の電話、父が告げた現実は隣室に座る。
まだ30歳、それなのに白皙ひそむ青灰色は疲れ切った日常だ。
たぶん酒量も多いだろう?予想とめくるページ、今朝の日付に声が出た。

「呑みすぎだろ…」

カルテ記される酒量を二度見する。
男性なら1日の純アルコール摂取量が40g以上、それが生活習慣病リスクのライン。
けれど記される酒量は3倍を超えている、そこまで呑んでしまった現実にタメ息こぼれた。

―あいつ家が消えたんだもんな…東京で独り、泣いてたのか、

泣き虫だった。
自分より年少の二人、ひとりは闊達でもう一人は内気。
内気のまま大人になって東京に独り、不似合いな日常を生きていた。
そうして酒に呑まれかけた命ひとつ、鼓動しずかに響いて微笑んだ。

「それでも生きてきたんだ、あいつ…」

微笑んで吐息こぼれて喉仏が疼く、後悔じくり刺す。
こんな痛みもうたくさんだ、ペン奔らせたカルテをファイルに戻した。

「ふあぁ…」

あくび一つ腕を伸ばして、背骨ぐっと伸ばされる。
夜勤明けに睡眠は満ちていない、母が今いたらなんて言うのだろう?

「…俺より今は、あいつのことかな?」

ひとりごと欠伸また一つ、窓ガラスに自分が映る。
朝陽きらめく花の窓、見つめ返す瞳は母と似ていた。


朝顔:アサガオ、花言葉「愛情、結束、朝の美人」白「あふれる喜び、固い絆」青「儚い恋、短い愛」紫「冷静」

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