萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.7 another,side story「陽はまた昇る」

2020-08-29 23:40:01 | 陽はまた昇るanother,side story
La Méditerranée en zinc; 
kenshi―周太24歳3月末


第86話 建巳 act.7 another,side story「陽はまた昇る」

ことん、

水桶に柄杓が鳴る、墓地そっと透って響く。
スーツの袖めくり一枚のさらし、濡らして絞って指そっと冷たい。
もう三月も終わる、それでも冷たい水ふれる桜の風、なつかしい墓碑に微笑んだ。

「お彼岸に来られなくてごめんなさい…お父さん、」

見つめる黒い石、刻まれた家紋に姓が鈍く光る。
花曇りやわらかな空の下、さらしで周太は墓石にふれた。

「…お祖父さんもお祖母さんもごめんなさい、なかなか来られなくて…ひいお祖父さんも、ひいお祖母さんもごめんなさい、」

呼びかけながら墓石を磨く、磨いた跡あざやかに艶めいて消える。
拭うごと白布ひとつずつ黒ずんで、来られなかった想い呼びかけた。

「休みがほとんど無かったんです、僕…でも学校は行きました、お祖父さんとお父さんの大学…お祖母さんもいたのでしょう?」

碑ぬぐって小さく声かける、話したくて。
話したい、でも本当は、生きていたとき話したかった。

「お祖父さんの本を読みました、論文どれもすてきで…お祖父さんの研究室、今は田嶋先生が守ってくれてるよ?」

語りかけて磨く墓、この下に祖父の遺骨は眠る。
生きてあったことはない、それでも瞳閉じて俤に微笑んだ。

「お祖父さん?夢で会いに来てくれたよね、お父さんと一緒に…銀河鉄道の夜の夢、」

熱で眠った夜、そんな夢に会えた。
家には写真すら遺されていなかった、それでも会えた面影に眼を開いた。

「お祖父さんは背が高かったんだね…僕はあまり大きくないけどお祖母さんに似たのでしょう?顕子おばあさまが教えてくれたよ、」

見つめる真中、墓碑の戒名が黒く光る。
刻まれた俗名、享年、そこにある時間さらしで拭う。

「おばあさまは二人のことね、たくさん話してくれるの…大学でのこと、イギリスのこと…二人が出会ったときのこと、」

声にして見つめる墓碑、祖父と祖母の名が寄り添う。
その刻まれる順番に、ことん、鼓動そっと疼いた。

「お祖母さんの手紙を見つけました、僕…すごく嬉しかった、」

声にした喉が疼く、見つめる名前そっと迫る。
あの手紙つづってくれたひと、その優しい手は今この下に眠る。

「おばあさん、僕ね…僕、おばあさんの孫で良かった、」

“私の孫になる君へ”

愛しい君へ、そう呼びかけ書きだしてくれたひと。
はじめまして未来に生まれている君へ、そんなふう自分を望んでくれたひと。

「おばあさん、僕、ちゃんと生まれて今ここにいるよ?」

微笑んで名前そっと拭う、刻まれた三文字なぞらせる。
このひとが自分を望んでくれた、生まれるずっと前から、その命を懸けて。
その想い綴られた言葉たち、ほら?見つめる墓碑の名前に映りだす。

“私は君のお父さん、馨さんのお母さんで君にはお祖母さんになります。名前は斗貴子「ときこ」と読むんですよ、”

斗貴子、墓碑にそう刻まれている。
この名前のひとが自分の命を望んでくれた、生まれるずっと前から、ずっと。

“馨さんの子供である君に逢いたい、お祖母ちゃんですよと笑いかけて抱きしめたいわ。どうしても君に逢いたいです、”

どうしても逢いたい、あいたい。
その想い僕だって同じだ、だから今日もここにいる。

「僕、おばあさんのおかげで今、生きているんだよ…顕子おばあさまが救けてくれたのは、おばあさんのおかげでしょう?」

この墓碑に眠るひと、その従妹が自分を救ってくれた。
その救い手を自分の元に連れてきたのは、眠るひとの遠い遠い、はるかな願いだ。

“何年先になるか解からなくても必ず届く魔法で贈ります。この魔法は叶っているはずです、何故って今こうして君は読んでいるでしょう?"

祖母が願って贈ってくれた、その想い自分に届いている。

「おばあさんの手紙とプレゼント、僕の宝物なんだよ…だからね、手紙も暗記しちゃってるくらいなの、」

固い墓碑さらし拭って、透ける温もり慕わしい。
ただ陽だまりに温まっただけ、そう解っていても微笑んだ。

「おばあさん、僕もくせっ毛でしょう?」

笑いかけて髪かきあげて、梳かれる指やわらかに絡む。
こんなふう祖母も髪をかきあげたろうか?

“もしかして髪はくせ毛ですか、私がそうだから馨さんもくせ毛です。本は好きかしら、花を見るのも好きでしょうか。”

本は大好き、花も庭いっぱい育てている。
あの花々いくつか祖母が植えたのだと大叔母は教えてくれた。

“私が好きな花を一緒に見たいわ、白い一重の薔薇ですよ。”

教えてくれた花は祖母が愛した花。
それが「同じ」だった幸せに、名前を見つめて笑いかけた。

「本も好きだよ、お花も好き…おばあさんが好きな花、僕もだいすき…同じだね?」

声ひそやかに呼びかけて、冷たい墓碑おだやかに温かい。
もう消えてしまったひと、それでも遺された想いは届いている。

“こんなに想像するほど君に逢いたいです、だから手紙を書くことにしました。”

想像してくれた、生まれるより前の時間から。
生きて会えなかったひと、それでも似てしまった共通点に微笑んだ。

「喘息も同じだね…病気は困るけど、でも、似てるから嬉しいってなれたよ?」

呼びかけてスーツの胸もと静かにふれる。
この病も遺伝に同じと、そう思えるから厭わしいだけじゃなくなった。

“私は喘息という病気で心臓も弱いの、長くは生きられません。でも、あなたに逢いたいです。”

長くは生きられない、そう書きのこした通り祖母は早逝した。
それでも願ってくれた祈りに周太は笑った。

「僕も会いたかったよ…だから手紙ほんとに、本当にうれしかったよ?」

“君と一緒にしたい事はたくさんあります。”

一緒にしたいと願ってくれた、生きては叶わなかった願い。
それでも同じに好きでいる、花も本も、他たくさん同じに好きがある。
そうして受け継がれていく想いと磨く墓碑、眠るひとの言葉が映りこむ。

“だって君、学問は受け継がれていくものです。たとえば文学は文字を通して世界を伝えていくことができます、それを読んだとき人は希望を見つけることも出来るの。”

学問を愛したひと、その想いが祖父と出逢い父を生んだ。
そうして自分が今ここにいる、生かされて。

「…そして私も生かされました。って、おばあさん書いてたね…」

声そっと手紙なぞらせて、そこに記されていた詩。
その詩を父も愛していた、そして綴られる祈りに笑いかけた。

「お父さんの論文を読んだよ?田嶋先生がくれたの…ワーズワースの詩のこと、すごいね…」

語りかけ拭う碑、木綿を透かして温かい。
こんなふう父の背中を流せたなら、どんなに幸せだろう?

「…おと、さん…」

声こぼれて瞳ゆらぐ、やわらかに視界にじんで零れだす。
泣いてしまう、でも、今はそれでいいのかもしれない。

「おとうさん…僕、今日、警察官を辞めてきたよ…」

辞めてきた、自分の意志で。
この自分の意志で退職した、この最涯に周太は笑った。

「僕もお父さんの場所にいてね、わかったんだ…お父さんはお父さんだったんだなって、わかって嬉しかった、」

父は父のまま生きて死んだ。
それを知りたくて同じ道に入った、そして終えて今日ここに生きている。
生きて今この墓碑にさしむかう、ここに眠る想いに笑いかけた。

「田嶋先生がお父さんの論文集を作ってくれたんだよ、扉はシェイクスピアの詩…お父さんが大好きで、お祖母さんも好きな詩だよ?」

But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

「この詩を選んでくれて…深い緑色の表紙なんだよ、銀色の文字で…お父さんが好きな山の色だからって田嶋先生がしてくれたの、」

笑いかけて視界そっと滲みだす、ゆるやかな熱が零れだす。
この詩こめられる父との記憶、そして祖母が綴ってくれた手紙の祈り。
そんな全てが父の論文集に掲げられたこと、それを選んだのは父が唯ひとり、ザイルを繋いだ相手。

「お父さん、ほんとうに田嶋先生は夏のような人だね?あの詩そのままで…お祖父さんもそう思うでしょう?」

祖父の教え子、そして父の友人でザイルパートナー。
その人が自分の明日に待っている、それは祖母の願いでもあるかもしれない。

“言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われています。この詩は学問をあゆむ全ての人に贈られるものです、”

遺してくれた手紙に祖母が遺した想い、そのままに想い繋がれる。
繋がれて見つめる自分の明日、もう近い選択に顔を上げた。

「僕も学問の世界に生きます、だから…いつか逢えるね?」

“いつか時の涯に君と逢えるよう思えてなりません、そのときは笑顔で私を見つけてください。”

そんなふうに祖母は願ってくれた、だから逢える。
きっと逢える日には返事をしたい、あの手紙の最後の言葉に。

“どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。”

あの言葉に笑って、自分は生きる。

※加筆校正中
(to be continued)
【引用詩文:Jean Cocteau「Cannes」】

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翠煙、吐竜の滝

2020-08-29 08:50:13 | 写真:山岳点景
霧たちのぼる雲を生む、緑滴る渓の夏 
山岳点景:吐竜の滝2019.7


真昼の猛暑日アンマリだから写真で暑気払い×残暑お見舞いを、笑
滝や渓流は涼しくて楽しいですが、転滑落etc危険だらけなので要注意。
渓流の水遊びや沢登りは事故も多い×道迷い遭難の死亡原因スポットも沢沿いです。
【撮影地:山梨県北杜市八ヶ岳山麓2019.7】

夏休み×緊急事態宣言出てないとは言っても×県境越えての外出自粛で近場の里山散歩・のち午後はおうち時間なココントコ週末、笑
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