Le tram traȋnait ses mélodies
第86話 建巳 act.5 another,side story「陽はまた昇る」
僕が今から行くところは、道だろうか、線路だろうか?
けれど目的地の今日はそこだから。
「…ひさしぶり、」
声そっと微笑んで、見あげる窓は聳え立つ。
ここに来るのは今日で最後、想いに穏やかな声が言った。
「なるほど、湯原さんも大胆ですね?」
「加田さんも、大胆だと思いますか?」
訊き返した隣、細い瞳やわらかに笑ってくれる。
今日で二度め、まだそれしか知らない青年が周太を見た。
「ここに来ると知ったら、周りに止められるのではありませんか?」
冷静な言葉、そのくせ穏やかな朗らかな視線が訊いてくる。
精悍なくせ優しい笑顔にジャケットの藍色が深い、白いシャツ端正に映える。
冷静だけれど明るくて穏やかな誠実、このひとが今日、自分の元に来た理由わかるようで微笑んだ。
「加田さんが今日いらしたのは、大叔母は今日のこと気づいたからですか?」
あの大叔母なら気づくかもしれない。
―長野にも駆けつけた人だもの、ね…お父さんのことあるからなおさら、
大叔母は後悔している、今も。
14年前に従甥を亡くした過去を悔やみ怒り、哀しんでいる。
『十四年前こうするべきだったわ!あなたを引っ叩けてたら喪わないですんだのに、あなたも私も大事なものをっ!』
長野の山麓、夜の雪ふる駐車場で叫んだ瞳。
あのとき傍にいた黒いコート姿は、今はジャケット姿やわらかに微笑んだ。
「大事なひとは大事にしたいと、誰もが願うのではありませんか?」
それでも行くのか?
こんな問いかけ当り前な入口、周太は青年を見あげた。
「だから僕は今日ここに来たんです。今日のために僕は、警察官になったんです、」
今日のため、唯それだけが理由だった。
唯ひとつ知りたいと願っていた、だから警察官になって今日ここにいる。
「今日のため、湯原さんは警察官になったんですか?」
静かな声が尋ねてくれる。
この場所に今、こうして隣に立つ人に周太は微笑んだ。
「はい、警察官であることを自分で終わりにするために、警察官になりました、」
「ご自分で、終わりにするために?」
明るい静かな視線が訊いてくれる。
否定はしない、ただ受けとめてくれる声に笑いかけた。
「自分の意志で辞めることが僕には大切なんです。父もしたかったことだから、僕は叶えます、」
この想い、大叔母も解っているのかもしれない。
「お父さまも、したかったことなのですか?」
「はい、」
肯いて見あげる先、職場だった窓が遠く高い。
あの場所もっと遠くへ自分は行く、願う隣からテノール静かに言った。
「湯原さんの退職は体調不良が理由です、退職手続きもご本人は来られないはずですよ?」
言われて、記憶そっと敲かれる。
『湯原の退職は体調不良を表向きの理由にする、だから退職手続も本人は来られない、』
『あのひとのサシガネだよ、もう二度と警察とは関わらせたくないそうだ、緊急措置も辞さないとな?』
たった数日前、上司でパートナーだった男が告げた現実。
すべては自分を守るため、そう納得しても譲れないまま問いかけた。
「加田さんが伊達さんと話したんですね?大叔母の指図でしょうか、」
自分を守ろうとしてくれる、その想いは温かい。
けれど自分で立ちたい願いの隣、明るい静かな瞳が微笑んだ。
「今日のためだから、黒いスーツで今日ここに来たんですか?」
黒いスーツ、白シャツに紺色のネクタイを締めてきた。
それを指摘してきた視線は穏やかに朗らかで、そのくせ冷静な瞳に告げた。
「はい、だから行ってきます…僕は自分で知りたいんです、」
誰に肩代わりもしてほしくない、父のこと。
だから14年ずっと追いかけて、願い続けた歳月に静かな眼が笑った。
「私もご一緒します、いいですね?」
「…え?」
どうして?
差しだされた提案の途惑いに、冷静な瞳が笑った。
「今回の事件、私の仕事に無関係ではありません。職権乱用ではないから心配しないでください、」
告げられる言葉に現実が覗きこむ。
そうして解かれる疑問に、声そっと低めた。
「…だから長野に来られたんですね?あの夜、あのタイミングで、」
ずっと疑問だった、なぜ、この青年と大叔母が現れたのか?
そして与えられたヒントに雪夜の声が響く。
『早く銃を引きなさい、ここにいる加田さんも起訴を保証してくれます』
数週間前あの夜、雪降る病院の駐車場、銃声と硝煙あわい鋭い香。
雪の駐車場で大叔母が呼んだ名前、その細い瞳ただ微笑んだ。
「公私混同でもありませんよ?」
微笑んで衿元、ネクタイさらり締めていく。
ジャケットのボタン2つとめて、髪かきあげると加田は笑った。
「さあ、行きましょうか?」
五秒前は物静かな青年、今はスーツ姿の検事。
こういう人だから今日ここに来たのだろうか?
(to be continued)
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kenshi―周太24歳3月末
第86話 建巳 act.5 another,side story「陽はまた昇る」
僕が今から行くところは、道だろうか、線路だろうか?
けれど目的地の今日はそこだから。
「…ひさしぶり、」
声そっと微笑んで、見あげる窓は聳え立つ。
ここに来るのは今日で最後、想いに穏やかな声が言った。
「なるほど、湯原さんも大胆ですね?」
「加田さんも、大胆だと思いますか?」
訊き返した隣、細い瞳やわらかに笑ってくれる。
今日で二度め、まだそれしか知らない青年が周太を見た。
「ここに来ると知ったら、周りに止められるのではありませんか?」
冷静な言葉、そのくせ穏やかな朗らかな視線が訊いてくる。
精悍なくせ優しい笑顔にジャケットの藍色が深い、白いシャツ端正に映える。
冷静だけれど明るくて穏やかな誠実、このひとが今日、自分の元に来た理由わかるようで微笑んだ。
「加田さんが今日いらしたのは、大叔母は今日のこと気づいたからですか?」
あの大叔母なら気づくかもしれない。
―長野にも駆けつけた人だもの、ね…お父さんのことあるからなおさら、
大叔母は後悔している、今も。
14年前に従甥を亡くした過去を悔やみ怒り、哀しんでいる。
『十四年前こうするべきだったわ!あなたを引っ叩けてたら喪わないですんだのに、あなたも私も大事なものをっ!』
長野の山麓、夜の雪ふる駐車場で叫んだ瞳。
あのとき傍にいた黒いコート姿は、今はジャケット姿やわらかに微笑んだ。
「大事なひとは大事にしたいと、誰もが願うのではありませんか?」
それでも行くのか?
こんな問いかけ当り前な入口、周太は青年を見あげた。
「だから僕は今日ここに来たんです。今日のために僕は、警察官になったんです、」
今日のため、唯それだけが理由だった。
唯ひとつ知りたいと願っていた、だから警察官になって今日ここにいる。
「今日のため、湯原さんは警察官になったんですか?」
静かな声が尋ねてくれる。
この場所に今、こうして隣に立つ人に周太は微笑んだ。
「はい、警察官であることを自分で終わりにするために、警察官になりました、」
「ご自分で、終わりにするために?」
明るい静かな視線が訊いてくれる。
否定はしない、ただ受けとめてくれる声に笑いかけた。
「自分の意志で辞めることが僕には大切なんです。父もしたかったことだから、僕は叶えます、」
この想い、大叔母も解っているのかもしれない。
「お父さまも、したかったことなのですか?」
「はい、」
肯いて見あげる先、職場だった窓が遠く高い。
あの場所もっと遠くへ自分は行く、願う隣からテノール静かに言った。
「湯原さんの退職は体調不良が理由です、退職手続きもご本人は来られないはずですよ?」
言われて、記憶そっと敲かれる。
『湯原の退職は体調不良を表向きの理由にする、だから退職手続も本人は来られない、』
『あのひとのサシガネだよ、もう二度と警察とは関わらせたくないそうだ、緊急措置も辞さないとな?』
たった数日前、上司でパートナーだった男が告げた現実。
すべては自分を守るため、そう納得しても譲れないまま問いかけた。
「加田さんが伊達さんと話したんですね?大叔母の指図でしょうか、」
自分を守ろうとしてくれる、その想いは温かい。
けれど自分で立ちたい願いの隣、明るい静かな瞳が微笑んだ。
「今日のためだから、黒いスーツで今日ここに来たんですか?」
黒いスーツ、白シャツに紺色のネクタイを締めてきた。
それを指摘してきた視線は穏やかに朗らかで、そのくせ冷静な瞳に告げた。
「はい、だから行ってきます…僕は自分で知りたいんです、」
誰に肩代わりもしてほしくない、父のこと。
だから14年ずっと追いかけて、願い続けた歳月に静かな眼が笑った。
「私もご一緒します、いいですね?」
「…え?」
どうして?
差しだされた提案の途惑いに、冷静な瞳が笑った。
「今回の事件、私の仕事に無関係ではありません。職権乱用ではないから心配しないでください、」
告げられる言葉に現実が覗きこむ。
そうして解かれる疑問に、声そっと低めた。
「…だから長野に来られたんですね?あの夜、あのタイミングで、」
ずっと疑問だった、なぜ、この青年と大叔母が現れたのか?
そして与えられたヒントに雪夜の声が響く。
『早く銃を引きなさい、ここにいる加田さんも起訴を保証してくれます』
数週間前あの夜、雪降る病院の駐車場、銃声と硝煙あわい鋭い香。
雪の駐車場で大叔母が呼んだ名前、その細い瞳ただ微笑んだ。
「公私混同でもありませんよ?」
微笑んで衿元、ネクタイさらり締めていく。
ジャケットのボタン2つとめて、髪かきあげると加田は笑った。
「さあ、行きましょうか?」
五秒前は物静かな青年、今はスーツ姿の検事。
こういう人だから今日ここに来たのだろうか?
(to be continued)
【引用詩文:Jean Cocteau「Cannes」】
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