萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第49話 夏橘act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-11 23:43:27 | 陽はまた昇るanother,side story
香、ふるさとの想いを



第49話 夏橘act.4―another,side story「陽はまた昇る」

木洩陽が常緑の梢から降り注ぐ。
きらめく影絵に顔翳されるなか、目を細めながら周太は手の届く実に手を伸ばした。
黄金の大きな果実の蔕に鋏いれるごと、白い星の小花ふり芝生に零れだす。
低い枝から10個ほどを竹籠に納めると、大きな夏蜜柑の木に笑いかけた。

「ありがとう、きれいな実だね、大切にするね…明日もよろしくね、」

笑いかけた木は、ゆるやかな風に梢ゆらし濃い緑の葉が光る。
ひろやかな梢は豊かに枝をひろげ、柑橘の香さわやかな緑陰は心地良い。
この木は物心ついた時にはもう、今の巨木の姿だった。

…いつからあるのかな、曾おじいさんが植えたのかな?

そうだとしたら曾祖父は、よほど夏蜜柑に想い入れがあるのかもしれない。
そうすると毎年つくる夏みかんの砂糖菓子も、曾祖父の頃から作っていたのだろうか?
なにげなく廻らした考えに、ふと周太は気がついた。

…あ、夏みかんの砂糖菓子で有名なところとか調べたら、曾おじいさんのこと、すこし解かるかもしれない?

この家は曾祖父が建てたもの、そして近くに親戚も無いから、どこか遠くから川崎に移り住んだのだろうと解かる。
それに家の過去帳には、曾祖父からしか名前が無い。それより前のことは何も教えて貰っていないから、解からない。
けれど風習や家財道具は古いものが幾つも遺されている。

…そうか、食器とか、古いものの由来を調べたら解かるかも?

どうして今まで気付かなかったのだろう?
そう思いかけて自分ですぐ気がついた、13年間ずっと考える余裕すら無かったから気づかなかっただけ。
そして今はきっと、近づく異動の前に「家」を理解しておきたい、そんな気持ちがあるから気づける。
きっと8月あたりに1度目の異動をして、それから秋までに再び異動するだろう。
その後は最短5年、おそらく行動の自由も奪われることになる。

あの部署は、5年が最初の任期。
任期が満ちれば一旦は他部署に出て、また戻ってくるケースも多いと聞いている。
異動を繰り返しながら昇進し、幹部になり、尚更に重たい「秘密」の闇は濃くなっていく。
その場所に、いつまで自分は立つことになるだろう?いつまで居れば父の真実を見つけられる?

―…周太、『いつか』が来たら必ず俺と籍を入れてください、それまでは俺の婚約者でいてください
  どうか周太?『いつか』俺の嫁さんになってください。そして俺とずっと一緒に暮らしてください

いま佇む常緑の夏蔭、早春の約束が蘇る。
早春1月の暖かな日に、英二は婚約の申し込みをしてくれた。あの日に結んだ約束を叶えられるのは、いつ?

―…俺、ちょっと我ながら頑張ってるよ、周太…すこしでも早く力つけてさ、周太を早く嫁さんに迎えたいんだ
  けれど信じてほしい、この家は俺が必ず残してみせる。そしてこの家の想いも全て俺が周太に教えてあげる
  奥多摩に家を構えられるなら都合が良いんだ。そして俺もね、好きなこの家に住みたい。だから移築しよう?

今まで何度、英二は自分に想いと約束を告げてくれただろう?
今まで何度も別れようと、離れようと自分は泣いてきた、けれど英二の温かな懐を忘れることが出来なくて。
忘れられない心を繋いでくれるよう、いつも英二は周太を探して見つけて、抱きしめてくれた。
この7ヶ月がどれだけ幸せだったのか、今あらためて想えば温かい。温もり想いながら周太は常緑の梢に笑いかけた。

「…ね、夏みかん?俺ね、来年は解からないんだ、実を採れるのか…でもね、きっと英二は採りに来てくれるから。
俺、いつ帰って来られるのかも約束出来ないの、でも、あなたのこと忘れないよ?…再来年も、その次の年も、約束できないけど、」

ほんとうは約束できない。
2度目の異動をしたらもう、生きて帰って来られるのかも、解からない。
それでも約束したい、自分の勇気と覚悟のために、希望のために、そして願いが叶うように。

「でも、必ず帰ってくる、きっと」

青空のもと輝く夏橘の木に微笑んで、そっと幹を撫でた。
この木をずっと護っていけたら良いな?そんな想いと玄関へ踵を向けたとき木造門が軋み開いた。
遅い午後の光のなか黒髪が揺らめくのが見える、うれしくて周太は門の方に歩み寄った。

「お母さん、おかえりなさい、」
「周、庭に出ていたのね。あら、夏みかん、」

すぐ手籠に気がついて、うれしそうに母が笑ってくれる。
ほら、母にとっても夏みかんは特別だよね?
そんな嬉しい想いに笑って周太は1つ母に手渡した。

「今年も、すごく良い実をくれたよ?…今日は10個、摘ませてもらったの、」
「残りは明日、英二くんと採るのでしょう?」

愉しげに笑って母は夏みかんに頬寄せた。
きっと母も、父とふたり豊かな梢から黄金の実を摘んだ思い出がある。
その想い出に心重ねて周太は、羞みながら頷いた。

「ん、そう…今夜、8時には帰ってこられるから、って言ってくれて、」
「楽しみでしょう?英二くんと家で過ごすの、2ヶ月ぶり位かな?」

愉しげに言いながら母は一緒に玄関へと入ってくれる。
言われる通りに楽しみ、けれど少し文句を言いたくて周太は口を開いた。

「ん、楽しみだよ?でも、お母さん、また旅行に行っちゃうなんて…明日、一緒に夏みかん採れない、」
「あら、周?拗ねちゃったの?」

靴を脱ぎながら、快活な黒目がちの瞳が笑いかける。
言われて気恥ずかしくなってしまう、それでも周太は正直に言葉を続けた。

「ん、ちょっと怒っちゃってる…だって、年に一度のことなのに、お母さんまた温泉行っちゃうなんて…さびしいよ、」

こんなことを23歳にもなって言うのは、恥ずかしいかもしれない。
もちろん「離れる練習」を母がしてくれているのも、解かっている。
けれどこれが本音、大切な母と大切な風習を一緒に楽しみたかった。

…それに、来年は一緒に出来るか解らない…夏みかんを採ることも、お菓子を作ることも、

ふっと心過ぎる想いに、泣き出しそう。
いまの初任総合が終わって2度の異動、もう帰れる日も解からない、来年はどうなるか解らない。
けれど、それを母に言う事も出来なくて。こんな瞬間に父の想いが心そっとふれて泣きそうになる。

…ね、お父さん?いつも、毎日、こんな気持ちだったの?…今日が、今が、最後かもしれない、って…

だから父は、いつも穏やかで優しかったのかもしれない。
最愛の妻との時間は「今」限り、その想いが瞬間ごとを輝かせて、母の記憶を鮮やかにした?
だからこそ母は父が亡くなり14年になる今も、ずっと父のことを想い続けているのかもしれない。
終わらない永遠の恋愛に母が生きるのは、きっと父の「今」を宝物とする心が遺されたから。
そんな両親が自分は大好きで誇らしいな?想いに笑いかけた先、ふわり幸せに母は微笑んだ。

「ごめんね、周?明日、午後のお茶の時間には帰ってくるから、おやつは一緒に食べようね?」

やさしい約束の提案が、素直に嬉しい。
ほら、こんなふうに母も幸せに笑って、温もりの約束をくれる。
この今の瞬間を大切にしたい、嬉しくて周太は素直に笑いかけた。

「ほんと?3時には帰ってきてくれるの?」
「はい、帰ってきます。だから周の手作りのあれ、食べたいな?」

快活な黒目がちの瞳が幸せに笑って、おねだりをしてくれる。
こんなふうに母から甘えて貰えることは嬉しい、微笑んで周太は頷いた。

「ん、いいよ?作っておくね、」
「ありがとう、周、」

嬉しそうに笑って母は「荷物を置いてくるね」と2階に上がっていった。
見送って、台所に夏みかんの籠を置くと周太も階段を上がり、自室へと入った。
そして置いてあった紙袋を持つと、すぐまた台所に戻ってコーヒーの支度を整えた。

「アイスコーヒーにしてくれたの、周?」

リビングのグラスを見て母が嬉しそうに笑ってくれる。
今日は天気が良くて少し暑いかな、そう思って支度してみた。母の気分に合うだろか?すこし心配しながら周太は微笑んだ。

「ん、今日はすこし暑いかな、って…どうかな?」
「うれしいわ、喉渇いていたし。冷たいの飲みたかったの、」

ソファに腰掛けて、コーヒーのグラスに口付けると美味しそうに微笑んでくれる。
そんな母の様子にうれしく笑って、周太は紙袋から綺麗な包みを取出した。

「お母さん、遅くなったけれど、母の日のプレゼント、」
「あら?先週もう、お花もらったのに、」

すこし驚いたよう、けれど優しい笑顔が幸せに咲いてくれる。
こういう笑顔も母は一年前より明るくなった、そんな変化を見つけながら周太は笑いかけた。

「残るもの、ある方が良いでしょ?毎年そうしてるし…先週はね、何が良いか解らなくて、選べなかったんだ、」
「もしかして今日、美代ちゃんと選んでもらったの?」
「ん、そう、」

やっぱり母はお見通しだな?
嬉しい気持ち素直に頷いた先で、母が包みをほどいて微笑んだ。

「すごく可愛いポーチね?セットになってる、素敵だわ。ありがとうね、周、」

すこし弾んだ声が笑って褒めてくれる。
その声と笑顔で母が喜んでくれたと伝わって、周太は微笑んだ。

「気に入ってくれた?」
「もちろん、今日の旅行に早速、持って行くね、」

幸せな笑顔で母は、傍らの旅行バッグからポーチを出すと中身を入れ替えてくれる。
この贈り物は、母の誕生日に英二の姉が見繕ってくれた店と同じ所で見つけてきた。
あの店は自分だけでは入り難くて、先週は行きそびれてしまった。
今日は美代と一緒に行ってもらえて本当に良かったな。うれしい気持ちで母を見ながら、ふと周太は口を開いた。

「あのね、お母さん。今日、美代さんが青木先生に質問をしたんだ…『男同士の恋愛はどう想いますか?』って、」

言葉に、穏かな黒目がちの瞳がこちら見てくれる。
ゆるやかに話し促してくれる眼差しに、周太は言葉を続けた。

「青木先生はね、自然なことに想う、って言うんだ…男同士だから子供が出来ない分、絆は互いの心と体しかないです、
だから命と誇りと友情を懸けた、純粋で勁い恋愛になるんです。そういう打算の無い姿は同じ男として眩しい、って話してくれて」

今日の午後、青木樹医が言ってくれた言葉が嬉しかった。
それを母はどう思うかな?言って見つめた先で母も嬉しそうに微笑んだ。

「周、うれしかったでしょ?」
「ん、うれしかった、」

素直に頷いた周太を、優しい笑顔が見つめてくれる。
そして穏やかな声で母は言ってくれた。

「そうね、周と英二くん見てると、すごく純粋だなって、お母さんも思うな?光一くんもね、」
「そう?…なんか恥ずかしいな、」

気恥ずかしくて、つい周太はコーヒーのグラスに目を落とした。
こういう話題はやっぱり気恥ずかしい、けれど今のうちに母と話せることは1つでも多く話したい。
そんな想いに、ふっと紺青色の本が意識に映りこんだ。

『Le Fantome de l'Opera』

母が帰ってくる前に、ざっと読み直してみた。
あの落丁部分の全編に出てくる人物は、簡単に特定が出来る。

…最初と最後には出てこなくて、抜けている部分に出ているのは…怪人だよね、

怪人『 Fantome』

オペラ座の「奈落」に住んでいる仮面をつけた異形の天才。
そんな彼の登場シーンを何故、父は切り取ってしまったのだろう?
まだ見えない父の想いに心むけながら微笑んで、いま幸せに笑ってくれる母の姿を記憶に綴じこんだ。



母を見送りながら買物に出て、戻ると台所に立った。
窓の向こう、空は18時過ぎても明るくて、季節の移りが光で解かる。
白い月を庭木立の向こうに見、夕食の支度と同時に夏みかんの下拵えを始めた。
夏みかんの砂糖菓子は皮を一晩水に漬けておく、だから今夜のうちに途中まで作って明日、仕上げする。

「…英二、お菓子作りとか、したことないよね?」

ひとりごとに首傾げながら、きれいに夏みかんを洗っていく。
洗い終えた皮の表面をおろし器でこそげ取ると、上と下の固い部分を切り落とした。
それから六等分に切って向いた皮を、1cmほどの幅に細く切っていく。

「ん、いい香、」

包丁を入れるごと、爽やかな柑橘の香が昇っていく。
この香が自分は好き、楽しい気持ちで皮を切り終えるとボウルに入れて、たっぷりの水にさらし漬けた。
これで一晩置いておく。あとは明日やわらかく湯がいてから砂糖と煮からめ水分を飛ばし、すこし干せば出来上がる。

「準備はこれで良いよね?あとは…」

さっき外した実を一房ごと薄皮を剥いていく。
きれいな黄色の実が瑞々しい、全部をきれいに剥き終えて周太は1つ口に入れてみた。

「ん、甘酸っぱい…おいしいね、」

今年の実も良い出来、夏蜜柑の木が頑張ってくれた。
嬉しい気持ちで黄金の実をガラスの密閉容器に並べると、甜菜糖をびっしり詰めて蓋をし、冷蔵庫に仕舞い込んだ。
そんなふうに台所の仕事を手順よく終えていくと、19時の時を知らせる音が響いた。

ボーン、ボン…

ゆるやかに低く優しい音がホールから聞こえてくる。
あと1時間ほどで英二が言ってくれた予定の時間になる、もう電車に乗っているだろうな?
そう思った同時、時の音のはざま硬質の音が聞えた。

かつ、かつん、かつ…

「…え、」

意外な音に手を拭って、エプロンのポケットから携帯電話を取出した。
見るとメールの受信ランプが点いている。

「いつのまに?」

料理に集中していて気付かなかった?
驚いて、けれど足はもう台所からダイニングを抜けて、掌はステンドグラスの扉を開いた。

かちり、

開錠音がホールに響く、そして玄関扉が開かれる。
この家の鍵を開ける人は3人しかいない、だからきっとそう。
心ふくらむまま玄関に立つと、開かれた扉から大好きな笑顔が現われた。

「ただいま、周太、」

綺麗な低い声が笑って、玄関の鍵とチェーンを掛けてくれる。
すっきりとしたスーツ姿が鞄と花束を携えて、こちらをふり向くと幸せに微笑んだ。
無事の笑顔が嬉しくて、スリッパのまま周太は三和土に降りると長身に抱きついた。

「おかえりなさい、英二、」

抱きついた体を受けとめて、長い腕が抱きあげてくれる。
間近くなった端正な顔が寄せられ唇にキスふれる、すぐ離れると幸せな笑顔がほころんだ。

「周太、良い香だね?夏みかんかな、」
「ん、そう…」

素直に答えながら気恥ずかしくなってしまう。
きっと今もう、赤くなっている。



夕食のテーブルを整え終えるころ、ステンドグラスの扉が開いた。

「周太、手伝うよ?」

ワイシャツの袖を捲りながら英二が来てくれる、その腕が彫刻のよう端正で見つめてしまう。
白皙の艶やかな肌にうかぶ筋肉が綺麗で、ボタン2つ外した衿元も胸の厚みと鎖骨の繊細が際立つ。
こんなふうに見た目も英二は卒業配置から、大人の男らしい魅力が強くなっている。

…女の子たちが騒ぐの、無理ないよね?

昨日の午後に困ってしまった記憶と、今、見ている頼もしい腕に周太は首傾げた。
そんな周太を切長い目がすこし心配そうにのぞきこんだ。

「周太?どうしたの、ぼんやりして。熱でもあるかな?」

言いながら額に額付けて、熱を看てくれる。
そのまま右手首を取ると、クライマーウォッチを見ながら微笑んだ。

「うん…熱もないし、脈拍も正常だな?ちょっと疲れてるかな、」
「ん、大丈夫だよ?…心配させてごめんね、」

つい見惚れていただけ。

そんな本音が気恥ずかしくて、首筋が熱くなってくる。
いま赤くなったら心配かけちゃうな?困りながら周太は、冷蔵庫からノンアルコールビールを出した。
ひやり冷たい固さが掌ふれる、こんな冷たさも気持ちいい季節にもうなった。
些細なことにも時の移ろいを想いながら、冷やしたグラスと盆に載せて食卓に運んだ。
エプロンを外し席に着いて、グラスに注いで手渡すと嬉しそうに英二は笑ってくれた。

「ありがとう、周太。俺の為に用意してくれたの?」
「研修中だから、お酒はダメだけど。せっかく帰ってきたんだから、って思って」

警察学校は原則アルコールは禁止されている。
きっと生真面目な英二は規則を守りたいだろう、でも「家」に帰ってきた寛ぎを充たしてあげたいな?
そんな想い微笑んだ先で、白皙の顔は幸せな笑顔を咲かせた。

「なんか本当に奥さんみたいだね、周太?俺、今すごい幸せ、」

奥さん。

そんなこと言われると気恥ずかしい、けれど嬉しい。
熱くなりだした首筋を気にしながら箸をとって、周太は微笑んだ。

「ん…だって、いつかおくさんになるんでしょ?」

この「いつか」が本当に来ますように。
この夏を越えて秋が来て異動になっても、その先がありますように。
そう願い見つめて、綺麗に笑いかけた想いの真中で、婚約者の笑顔が華やいだ。

「どうしよ、周太?ほんと幸せすぎて俺、困るよ?」

幸せな笑顔で英二が席を立ちあがる。
どうしたのかな?すこし驚いて見上げた周太に、瞳を見つめながら英二はかがみこんだ。

「ね、周太?今夜はずっと一緒にいてくれる?」
「ん、…はい、」

ねだられて、素直に頷くうなじが熱くなってくる。
いま言われた「ずっと」の意味が気恥ずかしい、たぶん、そういうことだから。
熱昇りだす頬に白皙の掌がふれて、そっと唇にキスがふれた。

「約束のキスだよ、周太、」

幸せな笑顔で離れて、英二は食卓に着いた。
そして箸をとると「いただきます」をして嬉しそうに皿を見て微笑んだ。

「また新しい料理があるね、周太。これはなに?」

長い指が、切子グラスを手に取り訊いてくれる。
それを最初に手に取ってくれるのは嬉しいな、嬉しい気持ち微笑んで周太は口を開いた。

「夏野菜のゼリー寄せだよ、冷たいうちに食べてね?」
「うん、…お、これ旨いね、周太?色んな野菜が入ってる、」

ひとくち食べて幸せに笑ってくれる。
自分の作ったもので喜んでもらえるのは嬉しい、温かい想いに周太は微笑んだ。

「ん、美代さんから貰った種で作った野菜も入れたんだ…その濃い緑はね、アスパラガスなんだけど、生だと紫色なの、」
「へえ、紫のアスパラなんてあるんだ?加熱で色が変わるなんて、おもしろいな。あ、周太、この天ぷら旨いね、なんだろ?」
「それね、お茶の葉の天ぷらなんだ。庭の茶の木から摘んできたの…新茶の季節だけの味だよ?」
「ほんとだ、茶の香がするな?塩味と合って旨いよ、こういう旬の味とかって、いいな、」

楽しげに箸を運んで、食べるごと喜んでくれる。
こういう笑顔を見せてもらえると、また一生懸命に料理をしてあげたくなってしまう。
明日の朝食はどうしようかな?考えながら酢の物を口にしたとき、英二が訊いてくれた。

「周太、昨日は俺が出た後、学校はどうだった?」
「ん、…ちょっと困ったよ?」

昨日は本当に困ったな?
さっきも思い出した記憶に周太は困るまま微笑んだ。

「周太、何に困ったの?」

綺麗な低い声が尋ねてくれる。
この声が自分は本当に好き、そんな想いに少しまた首筋を熱くしながら周太は口を開いた。

「英二を見送ってすぐにね、華道部で一緒の女のひとたちに捕まっちゃって…」
「誰に捕まった?何の用で?」

即座に訊いてくる声が、すこし機嫌が悪い。
なんで怒るのかな?不思議に思いながらも周太は正直に答えた。

「ちょっと名前は、解からないんだけど…宮田くん、何で今日から外出なの?って訊かれて、」
「なんだ、そっか、」

ほっとしたよう笑って、英二は角煮を口に運んだ。
なんだと思って機嫌が悪くなったのかな?周太は首傾げこんだまま訊いてみた。

「ね、英二は、何だと思ったの?」
「周太に告白したのかと思ってさ、」

さらり即答されて周太は、ひとつ瞳を瞬いた。
このひとったら意外と鈍いのかな?意外で驚きながら周太は遠慮がちに言ってみた。

「…あのね、英二?そのひとたち、英二のことを好きなんだと思うけど…」
「そっか?」

さらっと言うと、英二は美味しそうにロールキャベツを頬張った。
幸せそうな顔で飲みこんで、冷たいグラスに手を伸ばしながら端正な貌は微笑んだ。

「やっぱり周太の料理が俺、いちばん旨いな。こんな料理が上手くってさ、可愛い婚約者で俺、幸せだよ、」

綺麗な微笑みが華やいで見つめてくれる。
こんな貌されると嬉しくって気恥ずかしくって、熱が頬を昇りだす。
もう、真赤になっちゃったかな?つい俯き加減になった周太に、きれいな低い声が幸せに微笑んだ。

「ほら、そんなふうに恥ずかしがったりして…可愛いね、周太。俺、ちょっと困るよ?」
「ん?…どうして困るの?」

不思議で、顔あげて周太は婚約者に首傾げた。
見つめた先で白皙の貌はうっすら紅さして、すこし恥ずかしげに英二は笑ってくれた。

「ほら、また、そんなふうにするとね?ほんと可愛くて、俺、ときめくんだから。今すぐに、ベッドに攫いたくなるだろ?」
「…そんなことしょくじちゅうにいわれてもこまりますから…」

ほんとうに困ってしまう、けれど嬉しいのも本音。
困りながら嬉しいまま見遣って、周太は空の茶碗に気がついた。

「英二、お替りする?ごはん、たくさん炊いてあるよ?」
「ありがとう、周太、」

嬉しそうに笑って茶碗を差し出してくれる。
受けとって、傍らに据えた御櫃から山盛りに寄そうと、出してくれた掌に渡した。

「前からで、ごめんね?」
「こっちこそ、いつもありがとうな。他に面白いこととか、あった?」

幸せな笑顔で茶碗を受けとって、箸を運んでくれる。
訊いてくれる質問に周太は少し考え込んだ。

…藤岡から聴いたこと、は…言わない方が良いね、きっと、

もう藤岡から「ページが抜け落ちた本」について周太に話したと、英二は聴いているかもしれない。
けれど、それを今ここで言ったなら、周太がその事を気にしていると知らせてしまう事になる。
きっと余計な心配を募らせてしまうだけ、そんなことは今させたくはない。
だって今この幸せな時間を、幸せなまま見つめていたいから。

…特に俺が言わなければ、俺が気にしていない事になる、ね?

心の裡のつぶやきに、純白の空木の花が映りこむ。
あの花の言葉は「秘密」枝の空洞に秘めた想いを隠しこむ、あんなふうに自分も秘密を透明にしてしまおう。
それでもし訊かれたら素直に答えればいい、そう決めて周太は他の事を口にした。

「部活の後、瀬尾と関根と話したよ?関根、お姉さんの話をしてくれた。すごく幸せそうだったよ、」

ほんとうに関根は幸せそうだった。
英二の姉の英理と関根が交際を始めて2週間、毎日ずっと関根は夜と朝とメールを送っているらしい。
夜のメールは片想いの頃から変わらない、けれど朝も加わり、夜には電話もすることが変化だと言っていた。
どうか幸せになってほしいな?そんな想い微笑んだ前で、切長い目がすこし複雑でも嬉しそうに微笑んだ。

「今日と明日はデートだって、姉ちゃんからメール来たよ。関根からも、」
「ん、関根、昨日は嬉しそうにその話、してくれたよ?お姉さんから俺にも、メールあったの、」
「へえ、姉ちゃんなんだって?」

綺麗な低い声が訊いてくれる。
その訊かれた内容に、すこし困りながら周太は答えた。

「写メールが4枚、添付されてあってね?どの服を着て行ったら良いかな、って訊かれたんだけど…」

正直、洋服のことはよくわからない。
以前の自分は適当に安いものを買って着ていた、今は英二が選んで買ってくれるものを着ている。
着物のことなら組み合わせとか解かるけれど、洋服はどうしたら良いのだろう?考え込みかけた時、英二が笑いかけてくれた。

「周太、なんて答えたの?」
「どれも素敵です、でも明るい色がやっぱり綺麗です、って答えたけど…」

着物なら季節で色目の定石がある、でも洋服は自由すぎて難しい。
あれで良かったのかな?すこし心配になった周太に、英二は教えてくれた。

「デートだからね、明るい色は正解だと思うよ?姉ちゃん色素うすいから、明るい色が可愛いし、」
「ほんと?良かった、」

ほっとして微笑むと、周太は吸い物椀に口をつけた。
三つ葉と出汁の香が寛いだ気持ちにしてくれる、料理は心にも魔法を懸けてくれると実感してしまう。
もっと英二を喜ばせる料理が出来るようになりたいな?そんな想いに首筋熱くなりかけた時、綺麗な低い声が言った。

「順調みたいだな、姉ちゃんたち。でも、母さんにはまだ、話せていないらしいけど、」

―…やっぱり俺は、宮田のお母さんには反対されるよな…育ちが違うからさ、俺と英理さん。そういうの気にするだろうな、って思って

ふたりが交際を決めた翌日に、関根が言った言葉。
そのとおり、英二と英理の母は確かに難しいだろうと、周太にも解る。
けれど大丈夫だとも思っている、彼女の本音を信じているから。微笑んで周太は瀬尾の言葉を話した。

「ん、そうみたいだね?瀬尾がね、焦らない方が良いよ、って言ってた。お姉さんが良い変化をしたら納得するだろう、って」

英理の良い変化を見て、英二の母も「英理の相手」を認めていける。
そんなふうに瀬尾は言っている、そういう意見が言える瀬尾は老成の風格があった。
昨日の感心したことに今もまた感心した周太に、すこし驚いたよう英二も頷いた。

「うん、瀬尾の言う通りだろうな?すごいな、瀬尾。そういう考え方が出来るのって、」
「でしょう?…俺もね、すごいって思って。よく人を見ているから、そういう意見も言えるんだな、って思って、」

答えながら、他に何か変わったことが無かったか記憶を辿る。
それで思い出したことに周太は微笑んだ。

「あ、あとね?内山が声をかけてくれたよ、」
「内山が、なんて?」

ノンアルコールビールに口付けながら、きれいな笑顔で尋ねてくれる。
この笑顔がやっぱり好きだな?つい心つぶやいたことに微笑んで周太は正直に言った。

「来週の外泊日、お昼を一緒しない?って誘ってくれたんだ。来週は俺、大学もお休みだし」
「…っごほっ、」

話す目の前、英二が咽こんだ。

「ごふっ、ごほほっ…ごほん、こほっ」
「どうしたの?だいじょうぶ?」

驚いて、立ち上がるとティッシュボックス持ってテーブルを回りこんだ。
隣に立つと白皙の貌が真赤になりながら、咽こんでいる。
2枚ほどペーパーをとって渡すと、そっと英二の背中を摩った。

「っほ、ん…だい、じょぶ、っこほっ」

咽るのを抑え込みながら、端正な赤い顔が笑いかけてくれる。
どうか治まってほしいな?心配に顔のぞきこんだ周太に、まだ咽ている低い声が尋ねた。

「ごふっ…周太、それ、来週っ、こほんっこほ、へんじはなんて?」
「いいよ、って言ったけど?…英二、無理に話さないで?」

水のコップを手渡すと、長い指は受け取ってくれる。
そのままひと息に半分ほど飲干して、まだ咽ながら英二は訊いてきた。

「行くの?…ごほっ、ふたりき、こんっごほっ、」
「ん、行くつもりだけど?…ね、無理しないで、英二?」
「ごほっ、…ふたりだ、っほんっ、ごほっ、」

無理にでも英二は話そうとしてくれる。
いったいどうしたのかな?何でこんなに無理に話そうとするのだろう?

「英二?…治まってからで良いよ、ね、焦らないで?」
「だって周太、ふっ、ごほんっ、こほ…こほんっ」
「だいじょうぶ?無理に話そうとすると、治らないよ?」
「ふた、りっ、ごほっこほんこほこほっ…」

本当に英二、どうしたのだろう?
不思議に思いながらも周太は、ひろやかな背中を摩った。



(to be continued)

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