唯ひとつの勇気に信じて、
第30話 誓暁act.1―another,side story「陽はまた昇る」
休憩室の窓に白い結晶がふれる。
そっと窓を細く開けると喧騒に輝く夜の街に、しずかな雪が降りはじめていた。
新宿東口交番の2階から眺める広場には、たくさんの人が雪を見上げて笑っている。
まわりにはイルミネーションが華やいでクリスマスの空気を温めていた。
そんな幸せそうなクリスマスイヴの光景に周太は微笑んだ。
「ん、…ホワイト・クリスマス、だね」
そっと呟いて周太は冷たい窓を静かに閉めた。そして休憩室の片隅に座り込んで、温かいココアの缶のプルリングを引いた。
ひとくち飲んでほっと息をつく、夜食のクロワッサンの袋を開けながら周太は小さくため息がこぼれた。
ついさっき見た交番表の光景が、周太の心の片隅に痛んでいる。
当番勤務の周太は、ついさっきまで交番表で立哨していた。
冷え始めた夜の大気に白くのぼる吐息を見ながら、広場の光景を眺めていく。その視界の片隅から急に泣声が起きた。
すこし驚いて動かした瞳に、顔を手で覆った女性の姿が映り込んだ。
いったいどうしたのだろう?立哨に気を配りながらも、周太は彼女の様子が気にかかってしまう。
そんな彼女は目の前の男性の頬をひっぱたくと、足早に走って行ってしまった。
取り残された男性は叩かれた頬を撫でている。
なんだか見てしまったのが申し訳ないな…そんなふうに周太が思っていると、男性は携帯電話を取り出した。
そして2分後その男性は、他の女性と幸せそうに明るいイルミネーションへと歩いて行ってしまった。
この周太が勤務する新宿東口交番の前は、待ち合わせスポットになっている。
だから今夜の光景は珍しいものではない、よく恋愛事情の舞台になってしまう。
けれど今夜はクリスマス・イヴで土曜日の夜。世間では恋人同士には幸せな夜の時、今朝のニュースもそう言っていた。
そんな夜に見た恋愛の暗い一面が、なんだか周太の心には重たくてならない。
去年まではクリスマス・イヴは母と二人で過ごすのが当たり前だった。
周太が支度した夕食と母が持ち帰ってくれる、小さなサイズのホールケーキを二人で楽しんだ。
それは穏やかで温かで、けれど少しだけ寂しい、そんな小さな幸せの時間だった。
だから周太はクリスマス・イヴの街中で夜を過ごすのは今夜が初めてのことだった。
毎年ニュースで何気なく見ていた、恋人たちがあふれるクリスマス・イヴの街。
そこで初めて過ごすのが今夜の交番での勤務でいる。
そして見てしまった、恋人たちの裏切りと悲しみのシーン。
…なんだか悲しくなる、な
食べ終えたクロワッサンの紙袋をきれいに畳みながら、周太はそっとため息をついた。
こんなふうに悲しくはなかったかもしれない、去年までの自分なら。
孤独に生きる自分だからと別世界を見る想いで、遠くの景色として眺めるだけだったろう。
けれど今の自分はもう違ってしまっている、もう孤独は壊されて唯一つの想いに自分は掴まれている。
そして今こうして交番の2階で休憩していることが、無性に寂しい。
…英二、いま、どうしているのかな
そっと飲んだココアが温かい、その温もりに重なる記憶に周太は微笑んだ。
この1ヶ月ほど前に奥多摩の山で、英二は温かいココアを周太に作ってくれた。そのときの幸せは今も温めてくれる。
周太は携帯電話を取出すとメールを呼び出した、そして専用の受信ボックスから1通のメールを開いた。
From :宮田英二
Subject:東京の最高峰から
添 付 :雲取山の雪景色と夜明けの空、遠望する新宿の灯
本 文 :おはよう周太、ここは新雪が積もってる。
今、新宿が見えるよ。東京の最高峰からね、周太を見つめてる、そして周太のこと想ってる。
最高峰から告げるよ?ずっと俺は、周太を愛してる。
田中の四十九日を英二は国村と雲取山から送りだした。
その翌朝に新雪の雲取山頂から英二が送ってくれた写メールは、あわく赤い白銀の新雪と曙光に浮かぶ新宿の夜明け。
そんなふうに東京の最高峰から告げられた想いは、美しくて誇らしくて、そして怖い。
「…最高峰から見つめてる、想ってる…最高峰から告げるよ?ずっと…」
そっとメールの想いを声にして、周太は微笑んだ。
このメールに籠められた英二の「想い」を、受信したとき自分はすぐに気がついた。
この「想い」は逢って話そうと英二は想ってくれている、けれど自分には解ってしまった。
そして明日の朝が来たら、英二はこの「想い」を告げるために自分の隣へ帰ってくる。
英二を最高峰へ誘ったのは「最高峰に登る運命のひと」あの国村しかいない。
東京の最高峰で生まれて警視庁山岳会の期待に立つ、ファイナリストクライマーを嘱望される国村。
きっと国村はごく自然に世界中の最高峰へ立ち、ファイナリストクライマーとして頂点へと立つだろう。
そんな国村に英二はパートナーに望まれて、日々の山岳救助現場や訓練で命綱のザイルを結び合っている。
―湯原くんと俺はさ、宮田のことでもライバルになっちゃうかもよ?
そう告げられたのは田中の四十九日の夜。
東京最高峰の雲取山頂から国村は、英二の携帯電話を使って周太に告げた。
「俺は山ヤの生涯をずっと、宮田と共にするからね?」そういう意味の国村の宣言。
もう国村はアイザイレンパートナーに英二を選んでいる、それはきっと世界中の最高峰へ登るときも変わらない。
国村も英二と同じ、直情的で思ったことしか言わない出来ない、欲しいものは絶対掴んで離さない。
だからもう国村は、英二をアイザイレンパートナーとして生涯ずっと離さない。
だから「ライバル」だと告げてくれた。
そして英二も求めに応じ、自ら望んで国村と山に立つ生涯を選んでいる。
そんな英二の意思と決意が、メールの文面から自分には解ってしまう。
きっともう、ふたりは決めて約束している。
― 生涯のアイザイレンパートナーとして共に世界中の最高峰に立つ
そう誓って、ふたりは決めてしまっている。
だからこそ田中の四十九日を2人は、東京の、奥多摩の最高峰に立った。
そして新雪の朝が来るたびに、どこかの山頂へ国村と英二は一緒に登っている。
From :宮田英二
Subject:日の出山から
添 付 :日の出山の雪景色と朝陽、遠望する新宿の灯
本 文 :おはよう周太、奥多摩は新雪の夜明けだよ。朝陽のなかに新宿が見える。
今日は冬至だから、新しい太陽が生まれる夜明けなんだ。
新しい太陽と新雪にね、周太を見つめて想ってる。あと3日で逢えるけど今もう周太に逢いたい。
新雪つもる山頂から、冬至の朝にくれたメール。
いつもこんなふうに英二は、山頂から写メールを送ってくれる。そうして山頂から告げてくれる想いが温かい。
きっと明日の朝も今ふる雪の新雪に、どこかの山頂に立ちにいくのだろう。
こんなふうに英二はもう山ヤになって生きている。そんな英二の姿が繋いだ電話にメールに見えてまぶしい。
ほんとうにまぶしいな、穏やかに微笑んで周太は静かに呟いた。
「…はやく、逢いたいね?英二」
いまごろ英二はたぶん、御岳山麓の河原で焚火の前にいるだろう。
夕方に「国村に藤岡ごと拉致された、美代さんが一緒」そんな短いメールをくれた。
なんだか国村らしくて周太は笑ってしまった、そして少し寂しくて懐かしくて、羨ましい。
…一緒なの、いいな
ほんとうは今夜、英二と一緒にいたかった。
だって周太にとって特別なひとがいるクリスマス・イヴは初めてで。ほんとは今夜だけじゃなく一緒にいたくて。
けれど自分で選んだ道のために今、こうして交番の当番勤務の任務に就いている。
どれも自分が選んだこと、それでも寂しい気持ちは誤魔化せない。
そんな気持ちでも今夜は背を伸ばし任務をこなしている。そんなさ中に恋人たちの裏切りのシーンを見てしまった。
英二のことを信じている「必ず隣に帰ってくる」約束を信じている。
けれど英二のアイザイレンパートナーの存在に、すこしだけ不安になることがある。
だって英二のアイザイレンパートナーである国村は、周太の目にすら魅力的すぎるから。
国村は周太も大切にしてくれる。転がされるのは本当に困るけれど、いつも大らかな優しさが温かい。
そんな国村は周太も好きだ、また会いたいなと素直に思える。でも、だからこそ不安にもなってしまう。
だって自分は心を開くことが難しい、けれど国村は2度会っただけで周太を好きにさせている。
そんな国村は直情的で冷静沈着、豪胆で底抜けに明るい純粋無垢な山ヤの魂がまぶしい。
いつだって真直ぐに見つめて核心を見定めて、峻厳な山の掟と誇らかな自由に生きている。
そんな生き方は男なら誰だって憧れてしまう、だから自分も国村を好きになってしまっている。
そして山ヤなら尚更に、国村のような生き方を望むだろう。
だって国村の姿はきっと最高の山ヤの姿、そして力は最高のクライマーに相応しいから。
その国村が唯ひとりだけ英二を、生涯のアイザイレンパートナーに望んでしまった。
最高のクライマーに生涯のアイザイレンパートナーとして望まれること。
それが山ヤにとって、どれだけ魅力的で光栄で喜びなのか。
それは世界中の山ヤにとって最高の夢、その夢に生きることは最高の幸福でいる。
そのことを周太は幼い日に、父から少しだけ聴いて知っていた。
―あのね、周。山を愛する山ヤさんはね、生涯のアイザイレンパートナーに出会えることが幸せなんだよ
あいざいれんぱーとなー?…どんな人とならなれるの?
ん、そうだね周…同じような体格と同じように山に登る力があること。
それからね、仲良しなこと…それがいちばん大事、かな?…ずっと援けあって生きて笑って、ね?
そうなの?…じゃあ、おとうさん。どんな人のアイザイレンパートナーになるのが、いちばんうれしい?
それはね、周?世界最高のクライマーとなれたら、山ヤには最高の幸せだ、ね…
穂高の涸沢ヒュッテという所まで父と登った、そのときに話してくれたこと。
あのとき穂高岳を眺めながら話した父は、穏やかでどこか寂しげだった。
そんな父の顔が不思議で悲しくて、周太は父に抱きついて少し泣いてしまった。
そして父は孤独なままに死んでしまった。
父はパートナーと出会えないまま独り想いを抱え、都会の喧騒で銃弾に斃れ死んでしまった。
だから自分にはわかる、英二が山ヤとして最高の幸せを掴んだこと。そして国村にとっても幸せだということ。
そんな英二の幸せがうれしい、そう、心から自分はうれしい。
だって自分はずっと望んでいた、英二が真実の姿そのままに生きて幸せを掴むことを。
あなたの真実の姿、実直で温かい、やさしい穏やかな静謐。
あなたの真実の姿、そのままで、生きていて?
そのままの姿で、率直に素直に生きるなら。あなたなら、きっと見つめられる、見つけられる。
生きる意味、生きる誇り。それからあなたに、必要な全て。
ずっとそう願ってきた。
そしていま英二が見つめる「最高峰とアイザイレンパートナへの想い」は周太の願いも叶えられること。
その予感と期待は心からうれしい、そして英二が輝く姿を隣から見つめていたい。
だって自分は知っている、英二が山ではどんなに輝くか。
奥多摩で見た英二は、山ヤの誇りたからかな自由と頼もしさが、生来の美貌と明るくまぶしかった。
それは素直なままの英二の姿だった、その姿を見たいと自分こそ心から願っている。
「…でもね、英二?…すこしだけ不安にも、なるんだ…」
ほっと溜息をついて周太はメール差出人の名前を見つめた。
だって英二のアイザイレンパートナーは、あんまりに魅力的すぎるから。
だから田中の四十九日の電話で国村に「俺も宮田に抱かれちゃったよ?」と言われたとき、自分は一瞬は身を退きかけた。
「…ん、…ほんとうに哀しかった、んだ」
だって国村は英二と最高峰へ立ってしまう、周太が一緒に行けない場所へと英二を連れて行ってしまう。
そんな高みにだって立てる国村は男として山ヤとして美しくて、そして英二と並ぶと似合ってしまう。
そういう国村を英二が求めてしまっても仕方ない、そんな悲しい納得に身を退きかけてしまった。
けれど一瞬でも退いてしまった時、胸に抱いた勇気が悲鳴をあげた。
あの初雪の夜に結んだ「絶対の約束」に自分は全てを懸けた、だからもう勇気をひとつ抱いている。
だから自分だってもう退きたくない、だって自分は全てを懸けて想っている愛している。
その想いは唯ひとつだけの強さに抱いている、その勇気はきっと最高のクライマーにも劣らない美しい真実だから。
だから明日その勇気のまま自分は素直に言えばいい、周太は携帯を見つめながら声に出さず呟いた。
「―英二の腕時計を、俺にください…
そして英二は…俺の贈った時計を、ずっと嵌めていて?
そうして英二のこれからの時間も…全部を…俺にください。そして一緒にいさせて?―」
父の殺害犯と対峙した翌朝、英二は周太を奥多摩へ浚ってくれた。
そして青梅署独身寮の英二の部屋で過ごす時間を周太にくれた、そのとき英二のデスクに置かれた1冊のカタログを見た。
それはクライマーウォッチのカタログだった、そして腕時計の写真の2つにチェックがつけられていた。
その1つは見覚えのあるデジタル式モデル、英二が警察学校時代に買ってずっと嵌めているもの。
もう1つは初めて見たアナログとデジタルの複合式モデル、それはデジタル式の倍以上の値段でプロ仕様だった。
ほんとうは英二こっちが欲しかったのかな?
そんなふうに想えて周太はカタログのページを携帯の写真に撮っておいた。
なにかの機会に贈り物に出来るかな?あの時はまだ、そんな気持ちだった。
いつも英二は機会ごと周太に服をプレゼントしてくれる。そのお返しをしたいと思っていた、それで写真を撮っておいた。
それからiPodの曲を聴いて英二の想いに気づかされて、英二のベッドで自分は泣いた。
そうして自分に寄せてくれる想いを素直に受けとめて、甘えることにしようと決めた。
そのすぐ後に、周太は国村と初めて出会った。
―同じ年だし、敬語はいらないよ。気を遣って話されるの苦手なんだ…じゃあさ、先輩命令で敬語禁止。これならいいだろ?
初対面の国村はTシャツとペインターパンツに作業着をウェストに縛って、軍手をはめた農業青年の姿だった。
気さくな言葉は大らかな優しさが温かだった。そして底抜けに明るい目は真直ぐ純粋無垢で、飄々と笑っていた。
今まで会ったことのない目の不思議な雰囲気に、周太は惹きこまれるように国村を見ていた。
そして青梅署から御岳駐在所へと向かう軽トラックの車内で、犯人対峙に英二が間に合った事情を周太は訊いた。
そんな周太に国村は軽やかに笑って、緊急車両状態のミニパトカーで英二を送ったと答えてくれた。
―宮田くんのさ、大切な人の緊急時だった。問題無いだろ?山ヤはね、仲間同士で助け合うんだ
瞳がきれいで、すぐ赤くなる位に純情で、笑顔が最高にかわいい。誰より大切で好きな人
そういうひと、俺も好きなんだよね。だから放っておけないのは、仕方ないだろ?
そんなふうに国村は言ってくれた。
それから御岳駐在所の休憩室で一緒に秀介の勉強を見て、そのあと白妙橋でリードクライミングを教えてくれた。
最初から国村は周太を転がしっぱなしだった。けれど憎めない国村の底抜けに明るい優しさを、周太は好きになっていた。
それから2日後のことだった。
あの日の英二は非番だった、けれど道迷いハイカーの遭難救助にと緊急召集を英二は受けた。
その遭難救助は夜間捜索となり、英二はパートナーの国村と初めてビバークをした。
そして夜が明けたときには英二と国村は、お互いを呼び捨てで呼び合う友人になっていた。
その5日後に周太は国村と御岳の河原で一緒に飲んだ。
その時に見た英二と国村の並んだ姿はよく似合って、ほんとうに昔馴染みのような親しい友人同士の姿だった。
そんな友人が英二に出来たこと、本当に嬉しかった。
だって英二は自分のために「男同士で生きる」という選択をしてしまった。
それは偏見も多く受ける生き方、だからフラットに受け入れてくれる国村は得難い存在になる。
しかも国村は山で生きる英二を同じ山ヤとして教え支えてくれる、そうして英二は山での危険を避けられるようになった。
だから本当に国村の存在が嬉しかった。
けれど少しだけ不安だった。
だって国村はやっぱり魅力的だった、そして英二と並んだ空気に強い「紐帯」を見てしまったから。
そして考えてしまった「どうしたら自分は英二を自分の隣に繋ぎとめられるだろう?」
そんな想いと初雪の不安に自分は、心も体も全て懸けて『絶対の約束』を結んで英二に全て捧げてしまった。
そして目覚めた翌朝には、深い想いと勇気一つが自分の中に生まれていた。
そんな自分は「欲しいもの」が出来てしまった、
けれど英二に言えないまま新宿の街路樹の下で2つめの『絶対の約束』を英二に乞われ結んだ。
そしてその後。
その逢えない1ヶ月ほどの時間のなかで気づいてしまった。
この1ヶ月ほどの時間に毎日繋いだ電話とメール、そこに聴いた英二と国村の日々と会話に気づいた。
― 国村は英二を、自分の生涯のアイザイレンパートナーに育てようとしている
そうして英二と一緒に最高峰を踏破しようとしている、そんな国村の想いに周太は気づいてしまった。
そんなふうに国村は周太が一緒に行けない場所へと英二を連れて行ってしまう。
それも世界一危険な場所、最高峰へと英二を連れて行ってしまう。
その危険に本当は心が凍りそうになる、だって自分はもう英二がいなくては生きられない。それくらい想いがもう深いから。
「…でも、止められない…止めたくない、」
英二の夢を自分は知っている、そして同じ男の自分には「夢」への大切な想いがわかる。
だから自分は英二を止められない、なにより夢を叶えていく英二の姿を見つめたい。
それは自分が心から願うことだから。
「…でも、ね、…英二?俺を、忘れないで…」
どこにいても自分を忘れないでほしい。
それが周太の本音だった、たとえ最高峰に国村と立つときでも自分を想って欲しい。
それは欲張りな我儘かもしれない、けれど一緒に行けないならせめて想いだしてほしい。
―最高峰から告げるよ?ずっと俺は、周太を愛してる
東京最高峰の雲取山頂から英二がおくってくれたメールの一文。
きっと同じように世界中の「最高峰」から英二は想い告げてくれる。そう信じている。
けれど、わがままを自分は言いたい。
だって英二のアイザイレンパートナーは魅力的すぎて不安になる。
そんな彼との時間と山への想いで、自分のことを忘れられたらと不安になる。
それはきっと杞憂だと本当は信じている、それだからこそ自分は、わがままを言いたい。
いつだって自分をずっと想っていて?いつもどこでも自分の「想い」を連れて行って?
そんな欲張りな我儘を叶えたくて。
そして周太は「クライマーウォッチを贈る」ことを思いついた。
クライマーウォッチならいつも英二は左手首に嵌めるだろう、そして最高峰にだって連れて行く。
そして時間を見るたび、標高や方位を確認するたびに、クライマーウォッチを見つめるだろう。
そのときに贈り主のことを、きっと英二は想い出してくれる。そうして周太の隣に帰ろうと想いを繋いでくれる。
「…だから、英二?…時計を受け取って?」
そっと呟いて周太は携帯を見つめた。
その画面に映し出される山の写真と送信元の名前を、周太は見つめていた。
そしてもうひとつの願いをそっと小さく口にした。
「…それからね、英二…英二の時計を、俺にください…」
それが英二に言えなかった、初雪の夜に全て捧げた翌朝から抱いた願い。
深い想いと一つの勇気を支えるために、英二の腕で時を刻んだクライマーウォッチが欲しい。
山岳救助への道を志したとき、英二が買って嵌めた今のクライマーウォッチ。
あのクライマーウォッチには、英二の努力と夢へ立てた誇りを刻んだ時間と想いが込められている。
そんな大切な時計だからこそ自分に持たせてほしい、そして英二は自分のものだと確かめていたい。
あの大切な時計をこの腕に見つめられたら、きっと自分は信じて強く立っていることが出来るから。
この腕には今はまだ、父の時計が嵌められている。
それは13年間の孤独と悲しみと冷たい現実をこめてしまった、悲しい時の結晶になっている。
この時計は13年前に父の遺体から外されて周太が受け取った父の遺品。
この時計は父が冷たい孤独のまま殉職した瞬間に立ち会っている、そんな悲しみの瞬間さえもこもる時計。
けれど今の自分はもう、「父の殉職」にこもる孤独の冷たさには生きられない。
まだ父の軌跡は追い続ける、その軌跡の涯を見つめるまで追うことが、孤独に父を死なせた息子である自分の贖罪だから。
けれどその軌跡を追い続けることは、もう孤独な冷たさに見つめることじゃない。
もう今の自分には隣に立って見つめてくれる人がいる、そんな愛する想いと生き始めてしまった。
そんな今の自分はもう、父の時計は嵌めていられない。
だから今の自分に相応しい時計がほしい、あの大切な英二の時計がほしい。
そんな願いを本当はもう、1ヶ月ほど前のあの時には抱いている。
あの夜、奥多摩から戻って新宿の街を歩きながら英二は自分に訊いてくれた。
― 周太はさ、今、ほしい物とかってある?
あの時にはもう、英二の時計がほしいと思っていた。
けれどそれはあんまりに、わがままに想えて恥ずかしくて言えなかった。
でも。もう明日には自分は、わがままを言ってしまう。
だって最高峰へ英二はきっと行ってしまう、だから自分は時計を英二に贈る。
そうしたら英二は今の時計を外すだろう、それなら自分は英二の大切な時計をねだりたい。
「…ちゃんと言えますように…」
ほっと溜息をついて周太は時計を見た、20:58もうすぐ電話をする時間。
この時計で時間を見ることは明日には終われるだろうか?そんな想いに周太は携帯電話のボタンを押した。
着信履歴から英二の番号はすぐに見つけられる、そっと押そうとして周太の指が止まった。
きっと今は英二の傍には国村がいるだろう、いつもそんなふうに並んでいるから。
けれど自分は今ひとりで交番の休憩室にいる、なんだかそんな差が寂しくなってくる。
…やっぱり、自分からは…架けれない
周太が当番勤務の時は周太から電話をすることになっている。
けれど今夜はクリスマス・イヴの夜、そんな夜に独りだけ任務中の自分から電話することが寂しくて。
今夜は自分から電話できない、そんな想いが余計に悲しくて瞳の底が熱くなってしまう。
今は任務合間の休憩時間なのに、それなのに素顔の自分になって弱音が零れてくる。
「…英二、…気づいて?」
ぽつんと本音が唇から零れ落ちた。
そうして見つめる携帯電話に、ふっと着信ランプが灯った。
…ほんとうに?
そんな驚きに見つめた画面に発信元の名前が表示されて、すぐに周太は通話に繋いだ。
「…はい、」
「周太、待っててくれた?」
きれいな低い声が微笑んで名前呼んでくれる。
いつものように気づいて架けてくれた、やさしい英二の細やかさが今夜も温かい。
こんな華やかなクリスマスの街で独りの自分が寂しくて、つい待ってしまった。
そんな想いが気恥ずかしい、けれどうれしくて周太は微笑んだ。
「…ん、待ってた。今夜はね、英二から声、かけてほしかった。…わがまま、かな?」
「わがまま、うれしいよ?」
「そう、なの?」
ほら、任務合間の休憩室だって、素顔に戻されてしまう。
こんなふうに自分は、いつも英二には素直になって幸せになれる。
そんな1つずつがうれしい想いに、きれいな低い声が言ってくれた。
「そうだよ周太?俺はね、周太の我儘たくさん聴きたい。ね、周太?もっとさ、我儘いっぱい言ってよ?」
わがまま、を?
そんなふうに甘やかしてくれる、そんな気持ちが嬉しくて周太は微笑んだ。
けれどせっかく言ってくれるのに、さっきまで考えていた「わがまま」しか思いつけない。
なんて言ったらいいのだろう?そんな思ったままを周太は口にした。
「…ん、…我儘って、なんて言ったらいいの?」
そんな周太の言葉に、電話の向こう笑ってくれる。
そして楽しそうに英二が穏やかな優しさと一緒に言ってくれた。
「周太がね、俺にして欲しいこと。全部そのまま言ってくれたら良い。
そして少しはさ、周太のお願いで俺を困らせてよ?そんな周太の『おねだり』俺は聴きたいな」
おねだり、聴きたいの?
そんなふうに言ってくれて、うれしくて気恥ずかしい。
でもやっぱり時計のことだけ、さっきまで考えていた「おねだり」しか思いつけない。
どうしたらいいの?また思ったままを周太は呟いた。
「…おねだり、って…」
ちいさな呟きに、電話の向こうがかすかに笑ってくれる。
そして静かな声で英二はそっと訊いてくれた。
「ね、周太。俺にね、少しでも早く、あいたい?」
あいたい、少しでも早く。
これはすぐに答え方がわかる、だってずっと1ヶ月以上も考えていたから。
そして明日はあえる。そんな幸せな想いがそっと、周太の吐息と零れて微笑んだ。
「ん、…早くね、あいたい」
ほんとうに早くあいたい。
勤務が明けたらすぐに会いたい、だって本当にさっきまで寂しくて哀しかった。
だから仕事が終わったら、すぐに迎えに来てほしい。そうしてすぐ幸せに温めて?
そんな想いが本音にめぐる。けれどそこまでは欲張りすぎる気がして、周太は心の中でだけ告げて仕舞いこんだ。
「うん、わかった。俺もね、周太?少しでも早く逢いたいな。同じこと考えているね、俺たち」
同じこと考えて?
そういうのは幸せだなと想える、けれど少し気恥ずかしい。
それでも想いを伝えたくて、そっと周太は答えた。
「ん、…なんか、そういうの…うれしい、な」
「周太がうれしいとね、俺もうれしいよ。ね、周太、今夜ほんとは逢いたかったな。でも、周太に逢いたいのはね、いつもだけど」
これも同じこと考えているね、英二?
うれしくて周太は、きれいに微笑んで英二に言った。
「ん、英二?俺もね…いつも、だよ?」
告げた電話の向こうが幸せそうに笑ってくれる。
その笑顔をあと数時間できっと、すぐ隣で見つめることが出来るはず。
そんな想いがうれしくて、周太は休憩時間を幸せに微笑んだ。
クリスマスの朝が明けると、新宿東口交番前の広場は真っ白になっていた。
すこし交番の入口前を周太は雪を掃き除けた、こうするほうが転んだりする心配が減るだろう。
簡単な雪掃きを終えて目を上げると、雪に清められた街の姿が周太の瞳に映り込んだ。
いつも繁華な喧騒に満ちた街も今は、ひんやりと真白な静謐に眠るよう佇んでいる。
こんな表情も、この街にはあるんだな。
そんなふうに見つめて周太は微笑んで、片づけると交番内へと戻った。
それから少し業務を片づけると時計が8時前になって、日勤の担当者へと引継ぎが始まる。
そして当番勤務が明けると周太は、仕度して交番の入口から雪の広場へと踏み出した。
「周太、」
きれいな低い声が自分を呼んだ。
…まぼろし、かな?
まだ時計は8時少し過ぎ、約束の9時までは時間がある。
この声の主はまだ新宿には着いていないはず、けれど周太は目を上げた。
いつもグレーの街が今朝は白銀に輝いている。
そんな雪の街に英二が、ブラックグレーのコートをはおって立っていた。
「…っ」
真白な雪に佇んだ長身のブラックグレーのコート姿、白皙の頬と朝陽に透ける黒髪。
端正な貌は穏やかで、きれいな笑顔で見つめてくれる。
ずっと逢いたかった顔、逢いたかったひと―そんな想いの真中を雪踏んで、英二が周太の隣に立ってくれた。
「おはよう、周太。ホワイトクリスマスだね?」
ずっと逢いたかった。逢えない1ヶ月ずっと想って、毎日の電話とメールを待って。
そして眠ってまで夢にも現れてくれた、ずっと逢いたかった。
「周太、驚いてるの?」
きれいに微笑んで英二が、周太の顔を覗きこんでくれる。
ほんとうに目の前に英二がいてくれる?ゆっくり瞬いて見つめながら、ゆっくり周太は言った。
「…ん、おどろいた。…だって、9時に改札口、って」
「うん、そうだったね、周太?」
待ち合わせは新宿9時、いつもの改札口。そう約束していた。
けれどね周太?そんなふうに英二が笑いかけてくれる。
「昨夜の電話でさ、『早くね、あいたい』って周太、おねだりしてくれたろ?
だから俺、周太が仕事上がる瞬間にね、迎えに来たかったんだ。それで早く、おはようって言いたかった」
どうして解ってくれるのだろう?
いつもこんなふうに英二は、自分が仕舞い込んだ想いまで見つけてしまう。
どうして解るの?想いのままに口を周太は開きかけた。
「…どうして、」
ひとこと言って周太は、そっと唇を閉じてしまった。
ほんとうは「どうして俺の心が解るの?」そう周太は言いたい。けれどなんだか恥ずかしくて言えなくなってしまう。
けれど英二は微笑んで「そんなの解るに決まってるよ?」と目で告げながら言ってくれた。
「クリスマス・イヴの昨日だってさ、ほんとうは俺、周太といたかった。
それはきっと、周太も同じだと思ったんだ。だからきっと周太、仕事終わってすぐ俺に迎えに来てほしいかなって」
昨日もいたいと想ってくれる、そして自分の想いも解ってくれた。
こんなふうに言わないで解ってもらえることは幸せだ。
うれしくて微笑んで周太は答えた。
「…ん。俺、迎えに来てほしかった。そしてね、幸せにしてほしかったんだ…だから今、うれしい」
言いながら気恥ずかしくて首筋が赤くなっていく。
そんな周太を微笑んで見つめながら、英二は自分のマフラーを外すと少し周太へと屈んでくれる。
そうして長い指でそっと、周太の襟元をマフラーで巻いて温めてくれた。
「周太がね、うれしいなら俺もさ、うれしいよ。ほら、周太?早く私服に着替えて欲しいな、行こう?」
「ん。あの、マフラーありがとう。うれしい、」
巻いてくれたマフラーの温もりが幸せで、周太は微笑んだ。
そんな周太に微笑んでくれる笑顔が、いつものように穏やかで温かい。
けれど見上げる隣はまた大人び落ち着いた深みと、それから切長い目の雰囲気が変わった。
きっとこの1ヶ月ほどの間に英二がした決意、それが目に現れてまた光を灯している。
また素敵になったね?そんな想いで見上げて歩いていると微笑んで英二が言った。
「ね、周太?さすがに今は、手をつないじゃダメ?」
ほんとうは手を繋ぎたい。
けれど今は自分は制服姿でいる、警察官の顔をしているときになる。
すこし背筋を伸ばして周太は口調を改めて言った。
「ん、駄目。だって俺、今は警察官だからね?警察官の俺と手を繋げば、英二は犯罪者扱いされるだろ?」
明確な話し口調が「今は警察官です」とオフィシャルモードになっている。
こんなふうに英二に話すのは随分久しぶりのこと、それも少し気恥ずかしい。
そんな想いに内心は困っていると、笑って英二が周太に言った。
「俺は構わないけど?周太に触れられるならね、俺は犯罪者でもなんでもなるよ。だって、それくらい周太が欲しいな」
だから困らせないで?
ほんとうは求められれば嬉しくて、心が温かくなってしまう。
けれど今はだめ、だって警察官なのだから。そんなふうに困ったままに周太は唇を開いた。
「…そういうことおねがいだからいまはいわないで…うれしい、けど、困るから、ね?英二」
言いながらつい俯いてしまう、そのまま歩いていると隣も静かに歩いてくれている。
どうしたのかなと見上げると、穏やかな貌で佇むよう英二は歩いている。
こんな貌の時はきっと、なにか考えごとをしているとき。
そんなふうに解るのがうれしい、そう微笑んだときに新宿警察署の前に着いた。
けれど英二は気づかずに通り過ぎようとしてしまう。
やっぱり考えごとしてる、急いで周太は英二のブラックコートの背中を掴んだ。
「あの、英二?もう警察署の前なのだけど」
すこし驚いたように切長い目が周太を見つめた。
そしてすぐに微笑んで英二は、やさしく周太に謝ってくれた。
「あ、ごめんね周太」
一緒に新宿警察署のロビーへ入ると、いったん立ち止まった。
今日の英二は私服だから中へは一緒に入れない、周太は英二を見上げてお願いをした。
「じゃあ英二、俺、携行品を戻してくるから。それから着替えてくるから、どこかで待ってて?」
「うん、周太。待ってるよ」
きれいに笑って英二は頷いてくれる。
この笑顔が見れてうれしいな。そう周太は微笑んで、マフラーを返しながら提案した。
「待ってる場所が決まったら、あの、…メールしておいてくれる?」
「ああ、メールするね、周太。なんかさ『くれる?』っていいね、おねだりって感じだ」
「…だからこういうところではなんか困るから、ね?」
そんな会話を交してから周太は、携行品を保管へと返却すると独身寮の自室へ周太は急いだ。
自室の扉を開けると、制帽と活動服の上着を脱いできちんとハンガーに吊るす。
そして支度しておいた私服の着替えを持って浴室へ行くと、当番勤務明けの風呂を周太は済ませた。
さっぱりして自室へ戻ると周太は携帯を開いた。
すぐに受信メールを開くと待っていた送信元からだった。
From :宮田英二
subject :ここにいる
本 文 :あの木の下で待っている
「…あの木の下、」
ちいさく呟いてすぐに周太は微笑んだ。
きっとこの寮から近くの街路樹のことだろう。
あの常緑樹の下で1ヶ月ほど前あのとき、英二と2つめの「絶対の約束」を結んでいる。
―いつか必ず一緒に暮らすこと
そんなふうに英二は自分に願いを告げてくれた。
ほんとうに自分でいいの?そんな想いと喜びで自分は応えてしまった。
―必ず自分の隣へと帰って来て
それは初雪の夜に全てを懸けた自分の願い、1つめの「絶対の約束」の想い。
そうして1つめと2つめの「絶対の約束」は一繋ぎの約束になった。
絶対に必ず英二は周太の隣へ帰ること、そしていつか必ず一緒に暮らすこと。
そんなふうに生きて笑って、一緒に幸せになっていく。
どちらもきっとささやかで、当たり前のような約束なのだろう。
けれど自分たちには叶えることは容易くない、危険と向かう警察官には明日の約束すら難しいから。
それでも約束したい、叶うまで何度だって約束を重ねたい。
もうそれくらい愛している、あの隣の幸せを願い祈り生きていきたい。
そんな愛する隣はいつだって約束は全力で守ってくれるから、だから約束で自分はあの隣を守りたい。
あの隣に「絶対帰ってきて」そんな約束をすれば、何があっても生きて無事に帰って「約束」を成就してくれる。
そんなふうに英二が無事に生きる為「約束」で英二を繋いで。そうして「約束」をザイルにして自分は英二を守りたい。
そして今日きっと3つめの「絶対の約束」を結ぶために英二は自分の隣に帰ってきた。
そして、その約束はもう「当たり前」すらない最高の危険に充ちている。
―生涯ずっと最高峰から想いを告げていく
最高峰は世界で最高の危険地帯、それ以上の危険などこの世にはない。
その危険が怖い、不安になってしまう、それでも自分は止められない。
だって英二が見せる山での姿は真実の英二の姿、それは本当に美しく輝くと自分は知っているから。
だから止められない。そんな真実ありのままの姿で、英二が生きることを願ったのは自分だから。
だから願ってしまう祈ってしまう、どうか想いのままに生きていて?
そして想いのままに輝いて、生きる誇りも意味も喜びに、きれいな笑顔を見せていて?
そうして必ず自分の隣に帰って、きれいな笑顔で一緒に暮らしてほしい。
だから3つめの「絶対の約束」を、今日、自分は全てを懸けて繋いで結んでみせる。
「…ん、きっとね、…出来る、」
小さく呟いて周太は微笑むと、ショールカラーコートを着てマフラーを巻いた。
それから仕度しておいた鞄を持つと、自室の扉を開いて廊下へ出た。
そして外泊許可の担当者へと一声かけていると、ちょうど同期の深堀も窓口にやってきた。
いつものように深堀は気さくに笑いかけてくれる。
「おはよう、湯原。当番明けて、今から帰るとこ?」
「ん、おはよう深堀。そう、今からね、実家に帰るんだ…深堀は明日?」
「うん。俺は今夜が当番勤務だからね、明日朝に帰るよ」
こんな他愛ない挨拶ができる、そういう相手がいるのは楽しい。
いつも周太は深堀と話すとき、普通に話せる同期がいるのはいいなと思える。
そんな深堀がふと気がついたように、周太の目を見て微笑んだ。
「湯原、宮田とも会うんだよね?宮田ってさ、卒配後は会う度かっこよくなるよな。よろしく伝えて?」
やっぱり解っちゃうのかな。
すこしだけ驚きながらも周太は、きれいに微笑んで答えた。
「ん、…英二はね、かっこよくなるね。よろしく伝えておく」
きちんともう隠さず言える。
そんな自分も誇らしい、こんなふうに少しずつ自分も胸張れるようになりたい。
そう微笑んだ周太に、さらっと笑って深堀は外泊申請書をファイルから出した。
「うん、ふたりとも楽しんできてね。じゃ、またね湯原」
「ん、ありがとう。深堀も明日は、楽しんで」
深堀と別れて周太は、急いで独身寮の出口を降りた。
出口から外へ出ると雪がまばゆい。あたり一面の白銀は周太の瞳を細めさせた。
すこし細めた瞳を周太は、あの街路樹へとむけた。
「…ん、」
常緑の梢ひろやかな木は、今朝の雪に白く輝いて佇んでいる。
その白銀の木蔭で、長身のブラックグレーのコート姿が穏やかに微笑んだ。
きれいな微笑みが自分を見てくれている、うれしくて周太は雪のなか駈け寄った。
「お待たせ、英二。ごめんね?」
急いだ分だけ声が軽く弾んでしまう。
そんな周太に英二はうれしそうに微笑んでくれた。
「うん、待ったよ周太?だからこっち来てよ」
「ん、」
笑いかけてくれながら英二が、そっと周太の右手をとってくれる。
そして周太は静かに雪明の木下闇へ惹きこまれた。
この常緑の木の下で、1ヶ月ほど前の夜に自分達は別れた。
そして今この朝ふたたび自分の手を英二が掴んでくれている、見上げる想いの真中で英二はきれいに笑った。
「周太、逢いたかった、」
そのまま手を惹きこまれて、白銀の木下闇にやわらかく周太は抱きとられた。
抱きしめてくれる胸がニットを透かして頼もしいのが解る、ことんと周太の心が時めく想いに響く。
抱かれる温もりうれしくて、見上げる想いが幸せで周太は微笑んだ。
そして雪の梢の翳で英二は周太に静かなキスをした。
かすかなオレンジとコーヒーの香に熱くふれる唇。
抱きしめてくれる細身だけれど逞しい大きな体、頼もしい伝わる鼓動、抱き寄せる大きな掌。
すべて委ねて甘えても大丈夫だと、心ごと体が預けられていく。そんな包容力と温もりが幸せで愛しい。
そして自分こそがこの美しいひとを守りたい、そんな想いがゆるやかに勇気に寄りそっていく。
逢いたかった。
ずっと逢いたくて心配で恋しかった、そして愛しかった。
ただ無事を祈って、毎日の電話とメールに無事を知らされ喜んで、きれいな笑顔を想っていた。
そして今を抱きしめられて、この笑顔も温もりも全てが愛しい。
ひとり想い重ねる時を越えて、白銀の木下闇で周太は英二に再会した。
(to be continued)
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第30話 誓暁act.1―another,side story「陽はまた昇る」
休憩室の窓に白い結晶がふれる。
そっと窓を細く開けると喧騒に輝く夜の街に、しずかな雪が降りはじめていた。
新宿東口交番の2階から眺める広場には、たくさんの人が雪を見上げて笑っている。
まわりにはイルミネーションが華やいでクリスマスの空気を温めていた。
そんな幸せそうなクリスマスイヴの光景に周太は微笑んだ。
「ん、…ホワイト・クリスマス、だね」
そっと呟いて周太は冷たい窓を静かに閉めた。そして休憩室の片隅に座り込んで、温かいココアの缶のプルリングを引いた。
ひとくち飲んでほっと息をつく、夜食のクロワッサンの袋を開けながら周太は小さくため息がこぼれた。
ついさっき見た交番表の光景が、周太の心の片隅に痛んでいる。
当番勤務の周太は、ついさっきまで交番表で立哨していた。
冷え始めた夜の大気に白くのぼる吐息を見ながら、広場の光景を眺めていく。その視界の片隅から急に泣声が起きた。
すこし驚いて動かした瞳に、顔を手で覆った女性の姿が映り込んだ。
いったいどうしたのだろう?立哨に気を配りながらも、周太は彼女の様子が気にかかってしまう。
そんな彼女は目の前の男性の頬をひっぱたくと、足早に走って行ってしまった。
取り残された男性は叩かれた頬を撫でている。
なんだか見てしまったのが申し訳ないな…そんなふうに周太が思っていると、男性は携帯電話を取り出した。
そして2分後その男性は、他の女性と幸せそうに明るいイルミネーションへと歩いて行ってしまった。
この周太が勤務する新宿東口交番の前は、待ち合わせスポットになっている。
だから今夜の光景は珍しいものではない、よく恋愛事情の舞台になってしまう。
けれど今夜はクリスマス・イヴで土曜日の夜。世間では恋人同士には幸せな夜の時、今朝のニュースもそう言っていた。
そんな夜に見た恋愛の暗い一面が、なんだか周太の心には重たくてならない。
去年まではクリスマス・イヴは母と二人で過ごすのが当たり前だった。
周太が支度した夕食と母が持ち帰ってくれる、小さなサイズのホールケーキを二人で楽しんだ。
それは穏やかで温かで、けれど少しだけ寂しい、そんな小さな幸せの時間だった。
だから周太はクリスマス・イヴの街中で夜を過ごすのは今夜が初めてのことだった。
毎年ニュースで何気なく見ていた、恋人たちがあふれるクリスマス・イヴの街。
そこで初めて過ごすのが今夜の交番での勤務でいる。
そして見てしまった、恋人たちの裏切りと悲しみのシーン。
…なんだか悲しくなる、な
食べ終えたクロワッサンの紙袋をきれいに畳みながら、周太はそっとため息をついた。
こんなふうに悲しくはなかったかもしれない、去年までの自分なら。
孤独に生きる自分だからと別世界を見る想いで、遠くの景色として眺めるだけだったろう。
けれど今の自分はもう違ってしまっている、もう孤独は壊されて唯一つの想いに自分は掴まれている。
そして今こうして交番の2階で休憩していることが、無性に寂しい。
…英二、いま、どうしているのかな
そっと飲んだココアが温かい、その温もりに重なる記憶に周太は微笑んだ。
この1ヶ月ほど前に奥多摩の山で、英二は温かいココアを周太に作ってくれた。そのときの幸せは今も温めてくれる。
周太は携帯電話を取出すとメールを呼び出した、そして専用の受信ボックスから1通のメールを開いた。
From :宮田英二
Subject:東京の最高峰から
添 付 :雲取山の雪景色と夜明けの空、遠望する新宿の灯
本 文 :おはよう周太、ここは新雪が積もってる。
今、新宿が見えるよ。東京の最高峰からね、周太を見つめてる、そして周太のこと想ってる。
最高峰から告げるよ?ずっと俺は、周太を愛してる。
田中の四十九日を英二は国村と雲取山から送りだした。
その翌朝に新雪の雲取山頂から英二が送ってくれた写メールは、あわく赤い白銀の新雪と曙光に浮かぶ新宿の夜明け。
そんなふうに東京の最高峰から告げられた想いは、美しくて誇らしくて、そして怖い。
「…最高峰から見つめてる、想ってる…最高峰から告げるよ?ずっと…」
そっとメールの想いを声にして、周太は微笑んだ。
このメールに籠められた英二の「想い」を、受信したとき自分はすぐに気がついた。
この「想い」は逢って話そうと英二は想ってくれている、けれど自分には解ってしまった。
そして明日の朝が来たら、英二はこの「想い」を告げるために自分の隣へ帰ってくる。
英二を最高峰へ誘ったのは「最高峰に登る運命のひと」あの国村しかいない。
東京の最高峰で生まれて警視庁山岳会の期待に立つ、ファイナリストクライマーを嘱望される国村。
きっと国村はごく自然に世界中の最高峰へ立ち、ファイナリストクライマーとして頂点へと立つだろう。
そんな国村に英二はパートナーに望まれて、日々の山岳救助現場や訓練で命綱のザイルを結び合っている。
―湯原くんと俺はさ、宮田のことでもライバルになっちゃうかもよ?
そう告げられたのは田中の四十九日の夜。
東京最高峰の雲取山頂から国村は、英二の携帯電話を使って周太に告げた。
「俺は山ヤの生涯をずっと、宮田と共にするからね?」そういう意味の国村の宣言。
もう国村はアイザイレンパートナーに英二を選んでいる、それはきっと世界中の最高峰へ登るときも変わらない。
国村も英二と同じ、直情的で思ったことしか言わない出来ない、欲しいものは絶対掴んで離さない。
だからもう国村は、英二をアイザイレンパートナーとして生涯ずっと離さない。
だから「ライバル」だと告げてくれた。
そして英二も求めに応じ、自ら望んで国村と山に立つ生涯を選んでいる。
そんな英二の意思と決意が、メールの文面から自分には解ってしまう。
きっともう、ふたりは決めて約束している。
― 生涯のアイザイレンパートナーとして共に世界中の最高峰に立つ
そう誓って、ふたりは決めてしまっている。
だからこそ田中の四十九日を2人は、東京の、奥多摩の最高峰に立った。
そして新雪の朝が来るたびに、どこかの山頂へ国村と英二は一緒に登っている。
From :宮田英二
Subject:日の出山から
添 付 :日の出山の雪景色と朝陽、遠望する新宿の灯
本 文 :おはよう周太、奥多摩は新雪の夜明けだよ。朝陽のなかに新宿が見える。
今日は冬至だから、新しい太陽が生まれる夜明けなんだ。
新しい太陽と新雪にね、周太を見つめて想ってる。あと3日で逢えるけど今もう周太に逢いたい。
新雪つもる山頂から、冬至の朝にくれたメール。
いつもこんなふうに英二は、山頂から写メールを送ってくれる。そうして山頂から告げてくれる想いが温かい。
きっと明日の朝も今ふる雪の新雪に、どこかの山頂に立ちにいくのだろう。
こんなふうに英二はもう山ヤになって生きている。そんな英二の姿が繋いだ電話にメールに見えてまぶしい。
ほんとうにまぶしいな、穏やかに微笑んで周太は静かに呟いた。
「…はやく、逢いたいね?英二」
いまごろ英二はたぶん、御岳山麓の河原で焚火の前にいるだろう。
夕方に「国村に藤岡ごと拉致された、美代さんが一緒」そんな短いメールをくれた。
なんだか国村らしくて周太は笑ってしまった、そして少し寂しくて懐かしくて、羨ましい。
…一緒なの、いいな
ほんとうは今夜、英二と一緒にいたかった。
だって周太にとって特別なひとがいるクリスマス・イヴは初めてで。ほんとは今夜だけじゃなく一緒にいたくて。
けれど自分で選んだ道のために今、こうして交番の当番勤務の任務に就いている。
どれも自分が選んだこと、それでも寂しい気持ちは誤魔化せない。
そんな気持ちでも今夜は背を伸ばし任務をこなしている。そんなさ中に恋人たちの裏切りのシーンを見てしまった。
英二のことを信じている「必ず隣に帰ってくる」約束を信じている。
けれど英二のアイザイレンパートナーの存在に、すこしだけ不安になることがある。
だって英二のアイザイレンパートナーである国村は、周太の目にすら魅力的すぎるから。
国村は周太も大切にしてくれる。転がされるのは本当に困るけれど、いつも大らかな優しさが温かい。
そんな国村は周太も好きだ、また会いたいなと素直に思える。でも、だからこそ不安にもなってしまう。
だって自分は心を開くことが難しい、けれど国村は2度会っただけで周太を好きにさせている。
そんな国村は直情的で冷静沈着、豪胆で底抜けに明るい純粋無垢な山ヤの魂がまぶしい。
いつだって真直ぐに見つめて核心を見定めて、峻厳な山の掟と誇らかな自由に生きている。
そんな生き方は男なら誰だって憧れてしまう、だから自分も国村を好きになってしまっている。
そして山ヤなら尚更に、国村のような生き方を望むだろう。
だって国村の姿はきっと最高の山ヤの姿、そして力は最高のクライマーに相応しいから。
その国村が唯ひとりだけ英二を、生涯のアイザイレンパートナーに望んでしまった。
最高のクライマーに生涯のアイザイレンパートナーとして望まれること。
それが山ヤにとって、どれだけ魅力的で光栄で喜びなのか。
それは世界中の山ヤにとって最高の夢、その夢に生きることは最高の幸福でいる。
そのことを周太は幼い日に、父から少しだけ聴いて知っていた。
―あのね、周。山を愛する山ヤさんはね、生涯のアイザイレンパートナーに出会えることが幸せなんだよ
あいざいれんぱーとなー?…どんな人とならなれるの?
ん、そうだね周…同じような体格と同じように山に登る力があること。
それからね、仲良しなこと…それがいちばん大事、かな?…ずっと援けあって生きて笑って、ね?
そうなの?…じゃあ、おとうさん。どんな人のアイザイレンパートナーになるのが、いちばんうれしい?
それはね、周?世界最高のクライマーとなれたら、山ヤには最高の幸せだ、ね…
穂高の涸沢ヒュッテという所まで父と登った、そのときに話してくれたこと。
あのとき穂高岳を眺めながら話した父は、穏やかでどこか寂しげだった。
そんな父の顔が不思議で悲しくて、周太は父に抱きついて少し泣いてしまった。
そして父は孤独なままに死んでしまった。
父はパートナーと出会えないまま独り想いを抱え、都会の喧騒で銃弾に斃れ死んでしまった。
だから自分にはわかる、英二が山ヤとして最高の幸せを掴んだこと。そして国村にとっても幸せだということ。
そんな英二の幸せがうれしい、そう、心から自分はうれしい。
だって自分はずっと望んでいた、英二が真実の姿そのままに生きて幸せを掴むことを。
あなたの真実の姿、実直で温かい、やさしい穏やかな静謐。
あなたの真実の姿、そのままで、生きていて?
そのままの姿で、率直に素直に生きるなら。あなたなら、きっと見つめられる、見つけられる。
生きる意味、生きる誇り。それからあなたに、必要な全て。
ずっとそう願ってきた。
そしていま英二が見つめる「最高峰とアイザイレンパートナへの想い」は周太の願いも叶えられること。
その予感と期待は心からうれしい、そして英二が輝く姿を隣から見つめていたい。
だって自分は知っている、英二が山ではどんなに輝くか。
奥多摩で見た英二は、山ヤの誇りたからかな自由と頼もしさが、生来の美貌と明るくまぶしかった。
それは素直なままの英二の姿だった、その姿を見たいと自分こそ心から願っている。
「…でもね、英二?…すこしだけ不安にも、なるんだ…」
ほっと溜息をついて周太はメール差出人の名前を見つめた。
だって英二のアイザイレンパートナーは、あんまりに魅力的すぎるから。
だから田中の四十九日の電話で国村に「俺も宮田に抱かれちゃったよ?」と言われたとき、自分は一瞬は身を退きかけた。
「…ん、…ほんとうに哀しかった、んだ」
だって国村は英二と最高峰へ立ってしまう、周太が一緒に行けない場所へと英二を連れて行ってしまう。
そんな高みにだって立てる国村は男として山ヤとして美しくて、そして英二と並ぶと似合ってしまう。
そういう国村を英二が求めてしまっても仕方ない、そんな悲しい納得に身を退きかけてしまった。
けれど一瞬でも退いてしまった時、胸に抱いた勇気が悲鳴をあげた。
あの初雪の夜に結んだ「絶対の約束」に自分は全てを懸けた、だからもう勇気をひとつ抱いている。
だから自分だってもう退きたくない、だって自分は全てを懸けて想っている愛している。
その想いは唯ひとつだけの強さに抱いている、その勇気はきっと最高のクライマーにも劣らない美しい真実だから。
だから明日その勇気のまま自分は素直に言えばいい、周太は携帯を見つめながら声に出さず呟いた。
「―英二の腕時計を、俺にください…
そして英二は…俺の贈った時計を、ずっと嵌めていて?
そうして英二のこれからの時間も…全部を…俺にください。そして一緒にいさせて?―」
父の殺害犯と対峙した翌朝、英二は周太を奥多摩へ浚ってくれた。
そして青梅署独身寮の英二の部屋で過ごす時間を周太にくれた、そのとき英二のデスクに置かれた1冊のカタログを見た。
それはクライマーウォッチのカタログだった、そして腕時計の写真の2つにチェックがつけられていた。
その1つは見覚えのあるデジタル式モデル、英二が警察学校時代に買ってずっと嵌めているもの。
もう1つは初めて見たアナログとデジタルの複合式モデル、それはデジタル式の倍以上の値段でプロ仕様だった。
ほんとうは英二こっちが欲しかったのかな?
そんなふうに想えて周太はカタログのページを携帯の写真に撮っておいた。
なにかの機会に贈り物に出来るかな?あの時はまだ、そんな気持ちだった。
いつも英二は機会ごと周太に服をプレゼントしてくれる。そのお返しをしたいと思っていた、それで写真を撮っておいた。
それからiPodの曲を聴いて英二の想いに気づかされて、英二のベッドで自分は泣いた。
そうして自分に寄せてくれる想いを素直に受けとめて、甘えることにしようと決めた。
そのすぐ後に、周太は国村と初めて出会った。
―同じ年だし、敬語はいらないよ。気を遣って話されるの苦手なんだ…じゃあさ、先輩命令で敬語禁止。これならいいだろ?
初対面の国村はTシャツとペインターパンツに作業着をウェストに縛って、軍手をはめた農業青年の姿だった。
気さくな言葉は大らかな優しさが温かだった。そして底抜けに明るい目は真直ぐ純粋無垢で、飄々と笑っていた。
今まで会ったことのない目の不思議な雰囲気に、周太は惹きこまれるように国村を見ていた。
そして青梅署から御岳駐在所へと向かう軽トラックの車内で、犯人対峙に英二が間に合った事情を周太は訊いた。
そんな周太に国村は軽やかに笑って、緊急車両状態のミニパトカーで英二を送ったと答えてくれた。
―宮田くんのさ、大切な人の緊急時だった。問題無いだろ?山ヤはね、仲間同士で助け合うんだ
瞳がきれいで、すぐ赤くなる位に純情で、笑顔が最高にかわいい。誰より大切で好きな人
そういうひと、俺も好きなんだよね。だから放っておけないのは、仕方ないだろ?
そんなふうに国村は言ってくれた。
それから御岳駐在所の休憩室で一緒に秀介の勉強を見て、そのあと白妙橋でリードクライミングを教えてくれた。
最初から国村は周太を転がしっぱなしだった。けれど憎めない国村の底抜けに明るい優しさを、周太は好きになっていた。
それから2日後のことだった。
あの日の英二は非番だった、けれど道迷いハイカーの遭難救助にと緊急召集を英二は受けた。
その遭難救助は夜間捜索となり、英二はパートナーの国村と初めてビバークをした。
そして夜が明けたときには英二と国村は、お互いを呼び捨てで呼び合う友人になっていた。
その5日後に周太は国村と御岳の河原で一緒に飲んだ。
その時に見た英二と国村の並んだ姿はよく似合って、ほんとうに昔馴染みのような親しい友人同士の姿だった。
そんな友人が英二に出来たこと、本当に嬉しかった。
だって英二は自分のために「男同士で生きる」という選択をしてしまった。
それは偏見も多く受ける生き方、だからフラットに受け入れてくれる国村は得難い存在になる。
しかも国村は山で生きる英二を同じ山ヤとして教え支えてくれる、そうして英二は山での危険を避けられるようになった。
だから本当に国村の存在が嬉しかった。
けれど少しだけ不安だった。
だって国村はやっぱり魅力的だった、そして英二と並んだ空気に強い「紐帯」を見てしまったから。
そして考えてしまった「どうしたら自分は英二を自分の隣に繋ぎとめられるだろう?」
そんな想いと初雪の不安に自分は、心も体も全て懸けて『絶対の約束』を結んで英二に全て捧げてしまった。
そして目覚めた翌朝には、深い想いと勇気一つが自分の中に生まれていた。
そんな自分は「欲しいもの」が出来てしまった、
けれど英二に言えないまま新宿の街路樹の下で2つめの『絶対の約束』を英二に乞われ結んだ。
そしてその後。
その逢えない1ヶ月ほどの時間のなかで気づいてしまった。
この1ヶ月ほどの時間に毎日繋いだ電話とメール、そこに聴いた英二と国村の日々と会話に気づいた。
― 国村は英二を、自分の生涯のアイザイレンパートナーに育てようとしている
そうして英二と一緒に最高峰を踏破しようとしている、そんな国村の想いに周太は気づいてしまった。
そんなふうに国村は周太が一緒に行けない場所へと英二を連れて行ってしまう。
それも世界一危険な場所、最高峰へと英二を連れて行ってしまう。
その危険に本当は心が凍りそうになる、だって自分はもう英二がいなくては生きられない。それくらい想いがもう深いから。
「…でも、止められない…止めたくない、」
英二の夢を自分は知っている、そして同じ男の自分には「夢」への大切な想いがわかる。
だから自分は英二を止められない、なにより夢を叶えていく英二の姿を見つめたい。
それは自分が心から願うことだから。
「…でも、ね、…英二?俺を、忘れないで…」
どこにいても自分を忘れないでほしい。
それが周太の本音だった、たとえ最高峰に国村と立つときでも自分を想って欲しい。
それは欲張りな我儘かもしれない、けれど一緒に行けないならせめて想いだしてほしい。
―最高峰から告げるよ?ずっと俺は、周太を愛してる
東京最高峰の雲取山頂から英二がおくってくれたメールの一文。
きっと同じように世界中の「最高峰」から英二は想い告げてくれる。そう信じている。
けれど、わがままを自分は言いたい。
だって英二のアイザイレンパートナーは魅力的すぎて不安になる。
そんな彼との時間と山への想いで、自分のことを忘れられたらと不安になる。
それはきっと杞憂だと本当は信じている、それだからこそ自分は、わがままを言いたい。
いつだって自分をずっと想っていて?いつもどこでも自分の「想い」を連れて行って?
そんな欲張りな我儘を叶えたくて。
そして周太は「クライマーウォッチを贈る」ことを思いついた。
クライマーウォッチならいつも英二は左手首に嵌めるだろう、そして最高峰にだって連れて行く。
そして時間を見るたび、標高や方位を確認するたびに、クライマーウォッチを見つめるだろう。
そのときに贈り主のことを、きっと英二は想い出してくれる。そうして周太の隣に帰ろうと想いを繋いでくれる。
「…だから、英二?…時計を受け取って?」
そっと呟いて周太は携帯を見つめた。
その画面に映し出される山の写真と送信元の名前を、周太は見つめていた。
そしてもうひとつの願いをそっと小さく口にした。
「…それからね、英二…英二の時計を、俺にください…」
それが英二に言えなかった、初雪の夜に全て捧げた翌朝から抱いた願い。
深い想いと一つの勇気を支えるために、英二の腕で時を刻んだクライマーウォッチが欲しい。
山岳救助への道を志したとき、英二が買って嵌めた今のクライマーウォッチ。
あのクライマーウォッチには、英二の努力と夢へ立てた誇りを刻んだ時間と想いが込められている。
そんな大切な時計だからこそ自分に持たせてほしい、そして英二は自分のものだと確かめていたい。
あの大切な時計をこの腕に見つめられたら、きっと自分は信じて強く立っていることが出来るから。
この腕には今はまだ、父の時計が嵌められている。
それは13年間の孤独と悲しみと冷たい現実をこめてしまった、悲しい時の結晶になっている。
この時計は13年前に父の遺体から外されて周太が受け取った父の遺品。
この時計は父が冷たい孤独のまま殉職した瞬間に立ち会っている、そんな悲しみの瞬間さえもこもる時計。
けれど今の自分はもう、「父の殉職」にこもる孤独の冷たさには生きられない。
まだ父の軌跡は追い続ける、その軌跡の涯を見つめるまで追うことが、孤独に父を死なせた息子である自分の贖罪だから。
けれどその軌跡を追い続けることは、もう孤独な冷たさに見つめることじゃない。
もう今の自分には隣に立って見つめてくれる人がいる、そんな愛する想いと生き始めてしまった。
そんな今の自分はもう、父の時計は嵌めていられない。
だから今の自分に相応しい時計がほしい、あの大切な英二の時計がほしい。
そんな願いを本当はもう、1ヶ月ほど前のあの時には抱いている。
あの夜、奥多摩から戻って新宿の街を歩きながら英二は自分に訊いてくれた。
― 周太はさ、今、ほしい物とかってある?
あの時にはもう、英二の時計がほしいと思っていた。
けれどそれはあんまりに、わがままに想えて恥ずかしくて言えなかった。
でも。もう明日には自分は、わがままを言ってしまう。
だって最高峰へ英二はきっと行ってしまう、だから自分は時計を英二に贈る。
そうしたら英二は今の時計を外すだろう、それなら自分は英二の大切な時計をねだりたい。
「…ちゃんと言えますように…」
ほっと溜息をついて周太は時計を見た、20:58もうすぐ電話をする時間。
この時計で時間を見ることは明日には終われるだろうか?そんな想いに周太は携帯電話のボタンを押した。
着信履歴から英二の番号はすぐに見つけられる、そっと押そうとして周太の指が止まった。
きっと今は英二の傍には国村がいるだろう、いつもそんなふうに並んでいるから。
けれど自分は今ひとりで交番の休憩室にいる、なんだかそんな差が寂しくなってくる。
…やっぱり、自分からは…架けれない
周太が当番勤務の時は周太から電話をすることになっている。
けれど今夜はクリスマス・イヴの夜、そんな夜に独りだけ任務中の自分から電話することが寂しくて。
今夜は自分から電話できない、そんな想いが余計に悲しくて瞳の底が熱くなってしまう。
今は任務合間の休憩時間なのに、それなのに素顔の自分になって弱音が零れてくる。
「…英二、…気づいて?」
ぽつんと本音が唇から零れ落ちた。
そうして見つめる携帯電話に、ふっと着信ランプが灯った。
…ほんとうに?
そんな驚きに見つめた画面に発信元の名前が表示されて、すぐに周太は通話に繋いだ。
「…はい、」
「周太、待っててくれた?」
きれいな低い声が微笑んで名前呼んでくれる。
いつものように気づいて架けてくれた、やさしい英二の細やかさが今夜も温かい。
こんな華やかなクリスマスの街で独りの自分が寂しくて、つい待ってしまった。
そんな想いが気恥ずかしい、けれどうれしくて周太は微笑んだ。
「…ん、待ってた。今夜はね、英二から声、かけてほしかった。…わがまま、かな?」
「わがまま、うれしいよ?」
「そう、なの?」
ほら、任務合間の休憩室だって、素顔に戻されてしまう。
こんなふうに自分は、いつも英二には素直になって幸せになれる。
そんな1つずつがうれしい想いに、きれいな低い声が言ってくれた。
「そうだよ周太?俺はね、周太の我儘たくさん聴きたい。ね、周太?もっとさ、我儘いっぱい言ってよ?」
わがまま、を?
そんなふうに甘やかしてくれる、そんな気持ちが嬉しくて周太は微笑んだ。
けれどせっかく言ってくれるのに、さっきまで考えていた「わがまま」しか思いつけない。
なんて言ったらいいのだろう?そんな思ったままを周太は口にした。
「…ん、…我儘って、なんて言ったらいいの?」
そんな周太の言葉に、電話の向こう笑ってくれる。
そして楽しそうに英二が穏やかな優しさと一緒に言ってくれた。
「周太がね、俺にして欲しいこと。全部そのまま言ってくれたら良い。
そして少しはさ、周太のお願いで俺を困らせてよ?そんな周太の『おねだり』俺は聴きたいな」
おねだり、聴きたいの?
そんなふうに言ってくれて、うれしくて気恥ずかしい。
でもやっぱり時計のことだけ、さっきまで考えていた「おねだり」しか思いつけない。
どうしたらいいの?また思ったままを周太は呟いた。
「…おねだり、って…」
ちいさな呟きに、電話の向こうがかすかに笑ってくれる。
そして静かな声で英二はそっと訊いてくれた。
「ね、周太。俺にね、少しでも早く、あいたい?」
あいたい、少しでも早く。
これはすぐに答え方がわかる、だってずっと1ヶ月以上も考えていたから。
そして明日はあえる。そんな幸せな想いがそっと、周太の吐息と零れて微笑んだ。
「ん、…早くね、あいたい」
ほんとうに早くあいたい。
勤務が明けたらすぐに会いたい、だって本当にさっきまで寂しくて哀しかった。
だから仕事が終わったら、すぐに迎えに来てほしい。そうしてすぐ幸せに温めて?
そんな想いが本音にめぐる。けれどそこまでは欲張りすぎる気がして、周太は心の中でだけ告げて仕舞いこんだ。
「うん、わかった。俺もね、周太?少しでも早く逢いたいな。同じこと考えているね、俺たち」
同じこと考えて?
そういうのは幸せだなと想える、けれど少し気恥ずかしい。
それでも想いを伝えたくて、そっと周太は答えた。
「ん、…なんか、そういうの…うれしい、な」
「周太がうれしいとね、俺もうれしいよ。ね、周太、今夜ほんとは逢いたかったな。でも、周太に逢いたいのはね、いつもだけど」
これも同じこと考えているね、英二?
うれしくて周太は、きれいに微笑んで英二に言った。
「ん、英二?俺もね…いつも、だよ?」
告げた電話の向こうが幸せそうに笑ってくれる。
その笑顔をあと数時間できっと、すぐ隣で見つめることが出来るはず。
そんな想いがうれしくて、周太は休憩時間を幸せに微笑んだ。
クリスマスの朝が明けると、新宿東口交番前の広場は真っ白になっていた。
すこし交番の入口前を周太は雪を掃き除けた、こうするほうが転んだりする心配が減るだろう。
簡単な雪掃きを終えて目を上げると、雪に清められた街の姿が周太の瞳に映り込んだ。
いつも繁華な喧騒に満ちた街も今は、ひんやりと真白な静謐に眠るよう佇んでいる。
こんな表情も、この街にはあるんだな。
そんなふうに見つめて周太は微笑んで、片づけると交番内へと戻った。
それから少し業務を片づけると時計が8時前になって、日勤の担当者へと引継ぎが始まる。
そして当番勤務が明けると周太は、仕度して交番の入口から雪の広場へと踏み出した。
「周太、」
きれいな低い声が自分を呼んだ。
…まぼろし、かな?
まだ時計は8時少し過ぎ、約束の9時までは時間がある。
この声の主はまだ新宿には着いていないはず、けれど周太は目を上げた。
いつもグレーの街が今朝は白銀に輝いている。
そんな雪の街に英二が、ブラックグレーのコートをはおって立っていた。
「…っ」
真白な雪に佇んだ長身のブラックグレーのコート姿、白皙の頬と朝陽に透ける黒髪。
端正な貌は穏やかで、きれいな笑顔で見つめてくれる。
ずっと逢いたかった顔、逢いたかったひと―そんな想いの真中を雪踏んで、英二が周太の隣に立ってくれた。
「おはよう、周太。ホワイトクリスマスだね?」
ずっと逢いたかった。逢えない1ヶ月ずっと想って、毎日の電話とメールを待って。
そして眠ってまで夢にも現れてくれた、ずっと逢いたかった。
「周太、驚いてるの?」
きれいに微笑んで英二が、周太の顔を覗きこんでくれる。
ほんとうに目の前に英二がいてくれる?ゆっくり瞬いて見つめながら、ゆっくり周太は言った。
「…ん、おどろいた。…だって、9時に改札口、って」
「うん、そうだったね、周太?」
待ち合わせは新宿9時、いつもの改札口。そう約束していた。
けれどね周太?そんなふうに英二が笑いかけてくれる。
「昨夜の電話でさ、『早くね、あいたい』って周太、おねだりしてくれたろ?
だから俺、周太が仕事上がる瞬間にね、迎えに来たかったんだ。それで早く、おはようって言いたかった」
どうして解ってくれるのだろう?
いつもこんなふうに英二は、自分が仕舞い込んだ想いまで見つけてしまう。
どうして解るの?想いのままに口を周太は開きかけた。
「…どうして、」
ひとこと言って周太は、そっと唇を閉じてしまった。
ほんとうは「どうして俺の心が解るの?」そう周太は言いたい。けれどなんだか恥ずかしくて言えなくなってしまう。
けれど英二は微笑んで「そんなの解るに決まってるよ?」と目で告げながら言ってくれた。
「クリスマス・イヴの昨日だってさ、ほんとうは俺、周太といたかった。
それはきっと、周太も同じだと思ったんだ。だからきっと周太、仕事終わってすぐ俺に迎えに来てほしいかなって」
昨日もいたいと想ってくれる、そして自分の想いも解ってくれた。
こんなふうに言わないで解ってもらえることは幸せだ。
うれしくて微笑んで周太は答えた。
「…ん。俺、迎えに来てほしかった。そしてね、幸せにしてほしかったんだ…だから今、うれしい」
言いながら気恥ずかしくて首筋が赤くなっていく。
そんな周太を微笑んで見つめながら、英二は自分のマフラーを外すと少し周太へと屈んでくれる。
そうして長い指でそっと、周太の襟元をマフラーで巻いて温めてくれた。
「周太がね、うれしいなら俺もさ、うれしいよ。ほら、周太?早く私服に着替えて欲しいな、行こう?」
「ん。あの、マフラーありがとう。うれしい、」
巻いてくれたマフラーの温もりが幸せで、周太は微笑んだ。
そんな周太に微笑んでくれる笑顔が、いつものように穏やかで温かい。
けれど見上げる隣はまた大人び落ち着いた深みと、それから切長い目の雰囲気が変わった。
きっとこの1ヶ月ほどの間に英二がした決意、それが目に現れてまた光を灯している。
また素敵になったね?そんな想いで見上げて歩いていると微笑んで英二が言った。
「ね、周太?さすがに今は、手をつないじゃダメ?」
ほんとうは手を繋ぎたい。
けれど今は自分は制服姿でいる、警察官の顔をしているときになる。
すこし背筋を伸ばして周太は口調を改めて言った。
「ん、駄目。だって俺、今は警察官だからね?警察官の俺と手を繋げば、英二は犯罪者扱いされるだろ?」
明確な話し口調が「今は警察官です」とオフィシャルモードになっている。
こんなふうに英二に話すのは随分久しぶりのこと、それも少し気恥ずかしい。
そんな想いに内心は困っていると、笑って英二が周太に言った。
「俺は構わないけど?周太に触れられるならね、俺は犯罪者でもなんでもなるよ。だって、それくらい周太が欲しいな」
だから困らせないで?
ほんとうは求められれば嬉しくて、心が温かくなってしまう。
けれど今はだめ、だって警察官なのだから。そんなふうに困ったままに周太は唇を開いた。
「…そういうことおねがいだからいまはいわないで…うれしい、けど、困るから、ね?英二」
言いながらつい俯いてしまう、そのまま歩いていると隣も静かに歩いてくれている。
どうしたのかなと見上げると、穏やかな貌で佇むよう英二は歩いている。
こんな貌の時はきっと、なにか考えごとをしているとき。
そんなふうに解るのがうれしい、そう微笑んだときに新宿警察署の前に着いた。
けれど英二は気づかずに通り過ぎようとしてしまう。
やっぱり考えごとしてる、急いで周太は英二のブラックコートの背中を掴んだ。
「あの、英二?もう警察署の前なのだけど」
すこし驚いたように切長い目が周太を見つめた。
そしてすぐに微笑んで英二は、やさしく周太に謝ってくれた。
「あ、ごめんね周太」
一緒に新宿警察署のロビーへ入ると、いったん立ち止まった。
今日の英二は私服だから中へは一緒に入れない、周太は英二を見上げてお願いをした。
「じゃあ英二、俺、携行品を戻してくるから。それから着替えてくるから、どこかで待ってて?」
「うん、周太。待ってるよ」
きれいに笑って英二は頷いてくれる。
この笑顔が見れてうれしいな。そう周太は微笑んで、マフラーを返しながら提案した。
「待ってる場所が決まったら、あの、…メールしておいてくれる?」
「ああ、メールするね、周太。なんかさ『くれる?』っていいね、おねだりって感じだ」
「…だからこういうところではなんか困るから、ね?」
そんな会話を交してから周太は、携行品を保管へと返却すると独身寮の自室へ周太は急いだ。
自室の扉を開けると、制帽と活動服の上着を脱いできちんとハンガーに吊るす。
そして支度しておいた私服の着替えを持って浴室へ行くと、当番勤務明けの風呂を周太は済ませた。
さっぱりして自室へ戻ると周太は携帯を開いた。
すぐに受信メールを開くと待っていた送信元からだった。
From :宮田英二
subject :ここにいる
本 文 :あの木の下で待っている
「…あの木の下、」
ちいさく呟いてすぐに周太は微笑んだ。
きっとこの寮から近くの街路樹のことだろう。
あの常緑樹の下で1ヶ月ほど前あのとき、英二と2つめの「絶対の約束」を結んでいる。
―いつか必ず一緒に暮らすこと
そんなふうに英二は自分に願いを告げてくれた。
ほんとうに自分でいいの?そんな想いと喜びで自分は応えてしまった。
―必ず自分の隣へと帰って来て
それは初雪の夜に全てを懸けた自分の願い、1つめの「絶対の約束」の想い。
そうして1つめと2つめの「絶対の約束」は一繋ぎの約束になった。
絶対に必ず英二は周太の隣へ帰ること、そしていつか必ず一緒に暮らすこと。
そんなふうに生きて笑って、一緒に幸せになっていく。
どちらもきっとささやかで、当たり前のような約束なのだろう。
けれど自分たちには叶えることは容易くない、危険と向かう警察官には明日の約束すら難しいから。
それでも約束したい、叶うまで何度だって約束を重ねたい。
もうそれくらい愛している、あの隣の幸せを願い祈り生きていきたい。
そんな愛する隣はいつだって約束は全力で守ってくれるから、だから約束で自分はあの隣を守りたい。
あの隣に「絶対帰ってきて」そんな約束をすれば、何があっても生きて無事に帰って「約束」を成就してくれる。
そんなふうに英二が無事に生きる為「約束」で英二を繋いで。そうして「約束」をザイルにして自分は英二を守りたい。
そして今日きっと3つめの「絶対の約束」を結ぶために英二は自分の隣に帰ってきた。
そして、その約束はもう「当たり前」すらない最高の危険に充ちている。
―生涯ずっと最高峰から想いを告げていく
最高峰は世界で最高の危険地帯、それ以上の危険などこの世にはない。
その危険が怖い、不安になってしまう、それでも自分は止められない。
だって英二が見せる山での姿は真実の英二の姿、それは本当に美しく輝くと自分は知っているから。
だから止められない。そんな真実ありのままの姿で、英二が生きることを願ったのは自分だから。
だから願ってしまう祈ってしまう、どうか想いのままに生きていて?
そして想いのままに輝いて、生きる誇りも意味も喜びに、きれいな笑顔を見せていて?
そうして必ず自分の隣に帰って、きれいな笑顔で一緒に暮らしてほしい。
だから3つめの「絶対の約束」を、今日、自分は全てを懸けて繋いで結んでみせる。
「…ん、きっとね、…出来る、」
小さく呟いて周太は微笑むと、ショールカラーコートを着てマフラーを巻いた。
それから仕度しておいた鞄を持つと、自室の扉を開いて廊下へ出た。
そして外泊許可の担当者へと一声かけていると、ちょうど同期の深堀も窓口にやってきた。
いつものように深堀は気さくに笑いかけてくれる。
「おはよう、湯原。当番明けて、今から帰るとこ?」
「ん、おはよう深堀。そう、今からね、実家に帰るんだ…深堀は明日?」
「うん。俺は今夜が当番勤務だからね、明日朝に帰るよ」
こんな他愛ない挨拶ができる、そういう相手がいるのは楽しい。
いつも周太は深堀と話すとき、普通に話せる同期がいるのはいいなと思える。
そんな深堀がふと気がついたように、周太の目を見て微笑んだ。
「湯原、宮田とも会うんだよね?宮田ってさ、卒配後は会う度かっこよくなるよな。よろしく伝えて?」
やっぱり解っちゃうのかな。
すこしだけ驚きながらも周太は、きれいに微笑んで答えた。
「ん、…英二はね、かっこよくなるね。よろしく伝えておく」
きちんともう隠さず言える。
そんな自分も誇らしい、こんなふうに少しずつ自分も胸張れるようになりたい。
そう微笑んだ周太に、さらっと笑って深堀は外泊申請書をファイルから出した。
「うん、ふたりとも楽しんできてね。じゃ、またね湯原」
「ん、ありがとう。深堀も明日は、楽しんで」
深堀と別れて周太は、急いで独身寮の出口を降りた。
出口から外へ出ると雪がまばゆい。あたり一面の白銀は周太の瞳を細めさせた。
すこし細めた瞳を周太は、あの街路樹へとむけた。
「…ん、」
常緑の梢ひろやかな木は、今朝の雪に白く輝いて佇んでいる。
その白銀の木蔭で、長身のブラックグレーのコート姿が穏やかに微笑んだ。
きれいな微笑みが自分を見てくれている、うれしくて周太は雪のなか駈け寄った。
「お待たせ、英二。ごめんね?」
急いだ分だけ声が軽く弾んでしまう。
そんな周太に英二はうれしそうに微笑んでくれた。
「うん、待ったよ周太?だからこっち来てよ」
「ん、」
笑いかけてくれながら英二が、そっと周太の右手をとってくれる。
そして周太は静かに雪明の木下闇へ惹きこまれた。
この常緑の木の下で、1ヶ月ほど前の夜に自分達は別れた。
そして今この朝ふたたび自分の手を英二が掴んでくれている、見上げる想いの真中で英二はきれいに笑った。
「周太、逢いたかった、」
そのまま手を惹きこまれて、白銀の木下闇にやわらかく周太は抱きとられた。
抱きしめてくれる胸がニットを透かして頼もしいのが解る、ことんと周太の心が時めく想いに響く。
抱かれる温もりうれしくて、見上げる想いが幸せで周太は微笑んだ。
そして雪の梢の翳で英二は周太に静かなキスをした。
かすかなオレンジとコーヒーの香に熱くふれる唇。
抱きしめてくれる細身だけれど逞しい大きな体、頼もしい伝わる鼓動、抱き寄せる大きな掌。
すべて委ねて甘えても大丈夫だと、心ごと体が預けられていく。そんな包容力と温もりが幸せで愛しい。
そして自分こそがこの美しいひとを守りたい、そんな想いがゆるやかに勇気に寄りそっていく。
逢いたかった。
ずっと逢いたくて心配で恋しかった、そして愛しかった。
ただ無事を祈って、毎日の電話とメールに無事を知らされ喜んで、きれいな笑顔を想っていた。
そして今を抱きしめられて、この笑顔も温もりも全てが愛しい。
ひとり想い重ねる時を越えて、白銀の木下闇で周太は英二に再会した。
(to be continued)
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