記憶、香たちの聲

soliloquy 風待月act.5―another,side story「陽はまた昇る」
窓の向こう、ゆるやかに暮れる空の雲は黄金いろ。
まだ青い中天を仰ぐよう薄紅が空を藤色に染めていく、もう金色の太陽は眠りの支度を始めている。
あざやかな黄昏が少しずつ空を浸しだす、透明な色彩たちが天をひろやかに彩らせる。
けれど、雲が微かにくすんで見えるのは、きっと夜来の雨があるのだろう。
…夜中は雨かな?でも、夕月は見られるかな
いま、風待の月、まるい実を灌ぐ雫に空は水無しになる月。
だから雨降ることが季節の姿だと、遠い記憶に聴いた。
ふるい幸福だった時間の声、香、そして笑顔が懐かしい。
ことと、こととっ…
やさしい音が、サイフォンから香りだす。
ほろ苦く甘い馥郁が瑞々しい梅に織られていく、ほら、ふるい記憶が香に微笑みだす。
手許は竹串を動かし、まるい実からヘタを外していく。この今みたいにコーヒーを淹れながら梅を整えた、幼い日が懐かしい。
『周、実はやさしく持つんだよ?指の跡を付けないようにね…あと、実を刺してもダメだから、そっとね、』
ふわり、父の声が記憶から微笑みかける。
この季節の休日、晴れた日に梅の実を摘んで、こうして台所の椅子に座って父と手仕事をした。
母が好きなコーヒーを淹れながら、サイフォンの音をオルゴールにして、父の話してくれる異国の物語を聴いていた。
ケルト神話、グリム童話とアンデルセン童話、ローマの神々の物語。それからマザーグースの歌、ワーズワスの詩。
懐かしい遠い物語や詩を聴きながら、ここに座ることが毎年の楽しみだった。
あの優しい時間はもう、戻らない。
けれど今は、訪れてくれた幸せな笑顔がある。
父の合鍵を胸に提げて、この家の扉を開いて、母と自分の時を温めてくれる人がいる。
だからもう、戻らない時間に哀しむことはしない。
「周太、手伝えることある?あ、梅の実をきれいにするんだ?」
ほら、きれいな笑顔が笑いかけてくれた。
この笑顔のために今、サイフォンは動いてくれている、それから母の為に。
「ありがとう、英二…でも、もうじきコーヒー出来るから、お茶にしよ?」
笑いかけて竹串を置き、梅の実を籠に入れる。
ほら、サイフォンの音が止まる。そうしたら今の幸せを3つ並べたマグカップに充たす事が出来る。
ふるい懐かしい記憶のなかもマグカップは3つ並んでいた、その1つは今は戸棚に座っている。
紺青色のマグカップの持主は今、姿を見れず体温も消えてしまった。
『周、コーヒーが出来たよ?…蜂蜜たくさん入れて、ミルクもたっぷりにしようか?』
やさしい穏やかな低い声、ほろ苦く甘く深い香、異国の物語と詩の時間。
もう戻らない遠い日の風待月、梅雨の晴れ間の休日、きれいな笑顔。
あの幸せを喪った瞬間は、もう世界が滅んだのだと想った。
喪った。
その現実の哀しみに心は壊れて、記憶ごと笑顔は封じ込まれて消えていく。
そうして残された父への想いに辿り始めた、孤独への道と真相を探す挑むだけの日々。
けれど今はもう笑いかけてくれる人がいる、その笑顔の温もりが孤独の氷壁を熔かしてくれた。
そして蘇えった大切な記憶と心は、今、幸せに温かい。
…たくさんの幸せを、ありがとうございました
ただ懐かしく、温もりを思い出しては記憶への感謝が、あまやかに優しい。
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窓の向こう、ゆるやかに暮れる空の雲は黄金いろ。
まだ青い中天を仰ぐよう薄紅が空を藤色に染めていく、もう金色の太陽は眠りの支度を始めている。
あざやかな黄昏が少しずつ空を浸しだす、透明な色彩たちが天をひろやかに彩らせる。
けれど、雲が微かにくすんで見えるのは、きっと夜来の雨があるのだろう。
…夜中は雨かな?でも、夕月は見られるかな
いま、風待の月、まるい実を灌ぐ雫に空は水無しになる月。
だから雨降ることが季節の姿だと、遠い記憶に聴いた。
ふるい幸福だった時間の声、香、そして笑顔が懐かしい。
ことと、こととっ…
やさしい音が、サイフォンから香りだす。
ほろ苦く甘い馥郁が瑞々しい梅に織られていく、ほら、ふるい記憶が香に微笑みだす。
手許は竹串を動かし、まるい実からヘタを外していく。この今みたいにコーヒーを淹れながら梅を整えた、幼い日が懐かしい。
『周、実はやさしく持つんだよ?指の跡を付けないようにね…あと、実を刺してもダメだから、そっとね、』
ふわり、父の声が記憶から微笑みかける。
この季節の休日、晴れた日に梅の実を摘んで、こうして台所の椅子に座って父と手仕事をした。
母が好きなコーヒーを淹れながら、サイフォンの音をオルゴールにして、父の話してくれる異国の物語を聴いていた。
ケルト神話、グリム童話とアンデルセン童話、ローマの神々の物語。それからマザーグースの歌、ワーズワスの詩。
懐かしい遠い物語や詩を聴きながら、ここに座ることが毎年の楽しみだった。
あの優しい時間はもう、戻らない。
けれど今は、訪れてくれた幸せな笑顔がある。
父の合鍵を胸に提げて、この家の扉を開いて、母と自分の時を温めてくれる人がいる。
だからもう、戻らない時間に哀しむことはしない。
「周太、手伝えることある?あ、梅の実をきれいにするんだ?」
ほら、きれいな笑顔が笑いかけてくれた。
この笑顔のために今、サイフォンは動いてくれている、それから母の為に。
「ありがとう、英二…でも、もうじきコーヒー出来るから、お茶にしよ?」
笑いかけて竹串を置き、梅の実を籠に入れる。
ほら、サイフォンの音が止まる。そうしたら今の幸せを3つ並べたマグカップに充たす事が出来る。
ふるい懐かしい記憶のなかもマグカップは3つ並んでいた、その1つは今は戸棚に座っている。
紺青色のマグカップの持主は今、姿を見れず体温も消えてしまった。
『周、コーヒーが出来たよ?…蜂蜜たくさん入れて、ミルクもたっぷりにしようか?』
やさしい穏やかな低い声、ほろ苦く甘く深い香、異国の物語と詩の時間。
もう戻らない遠い日の風待月、梅雨の晴れ間の休日、きれいな笑顔。
あの幸せを喪った瞬間は、もう世界が滅んだのだと想った。
喪った。
その現実の哀しみに心は壊れて、記憶ごと笑顔は封じ込まれて消えていく。
そうして残された父への想いに辿り始めた、孤独への道と真相を探す挑むだけの日々。
けれど今はもう笑いかけてくれる人がいる、その笑顔の温もりが孤独の氷壁を熔かしてくれた。
そして蘇えった大切な記憶と心は、今、幸せに温かい。
…たくさんの幸せを、ありがとうございました
ただ懐かしく、温もりを思い出しては記憶への感謝が、あまやかに優しい。
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