萌芽、いく春も。
弥生二十日、鬱金香―seedling
儚げで、けれど強く終わらない。
「思いだすのよ、最近ね?」
すこし低くなった、けれど綺麗な声が見つめる。
その口もと皺また深くなった、けれど瑞々しい眼が僕を見る。
「思いだす、って?」
笑いかけて訊いて、湯呑そっと口つける。
唇ぴりり熱い備前、金属じみて、そのくせ柔らかな熱に伯母が微笑んだ。
「あのひとのことよ、アキちゃんは憶えてないわね?」
あのひと、
そう伯母が呼ぶ人は決まっている。
もう七十は過ぎて、そのくせ乙女みたいな瞳に笑った。
「憶えてるもなにもさ、俺まだ生まれてないよね?」
「あら?そうだったかしらね、」
さらり唇が微笑んで茶をすする。
湯呑やわらかな湯気のむこう、皺きれいな瞳が微笑んだ。
「あのひとはね、ひとまわり歳が違ったでしょう?お父さんみたいで、お兄さんみたいで、…そういうのアキちゃんならわかるわよね?」
あ、また「わかるわよね?」だ。
こんなふう伯母は無垢ぶつけてくる、この齢かなり離れた親族に口ひらいた。
「前のダンナサンのこと、夫だけじゃない愛情があるってコト?」
再婚、その事実を知ったのは何年前だったろう?
記憶たぐるダイニングテーブル、母よりずっと年上の瞳は微笑んだ。
「そういうコトよ…いまさらかしらね?」
いまさら、
そう微笑んだ瞳ふかく、時はるか遡る。
まだ自分が生まれる前の時間、そこに生きていた伯母の幸福。
けれど今ひと時ただ遠くて、それでも見つめる瞳ゆっくり瞬いた。
「あのひとに今、会いたいなと思うのよ…言えないけど、」
言えない、その相手は誰なのか?
たぶん一人だけじゃない、もの言いたげな瞳に笑いかけた。
「言えないのは伯父さんと、前のダンナサン?」
「そう、」
茶色い髪すなおに頷いて、その耳もと銀色ひとすじ光る。
隠しこんだ白髪ふる時のかたわら、彼女は微笑んだ。
「息子たちにはもっと言えないわね?彼にも言わないし言いたくないし、今がもちろん大事だもの。でも…会いたいなと思うのよ、」
伯母は愛している、息子たちを、今の夫を。
それは疑うべくもなくて、だからこそ口ひらいた。
「ユキ兄ちゃん達もホントは、会いたい思ってるんじゃない?」
従兄たちは本音、なに想う?
その深層たちの母親は微笑んだ。
「そうよね…ほんとの父親だものね?」
「だね、」
笑いかけて湯呑ふれて、かすかな熱あまく薫る。
澄んだ馥郁やわらかなテーブル、窓ゆれる陽に声ゆれた。
「だからこそかしらね、あのひとと過ごせなかった時間の分まで一緒にとも思うわ…春をいくつも、いくつも一緒にって、」
消えてしまった時間、それを今ここに手繰らせる。
そうして戻せる願いあるのなら?そんな言葉に笑いかけた。
「伯母さんは幸せだね、ふたりの男と幸せになれたなんてさ?」
ふたりと、
それを本当は、伯母が望んだことだろうか?
それが「ひとりと」なら本当は幸せだったかもしれない、でも現実は違う。
現実に伯母は夫を亡くして、それから過ごした孤独と哀しみが呼んだ「ふたりと」この今だ。
最初から望んだわけじゃない、それでも辿りついた幸福に誰が責められるだろう?
「幸せかしら、私?」
問いかけてくる瞳が自分を映す、どこか困ったような、求めるような視線ゆれる。
もう七十を過ぎゆく瞳、その透明な自責に笑いかけた。
「一人を幸せにするだけでも大変じゃん?二人の男を幸せにできたんならさ、すごい幸せなコトだろ?」
二夫にまみえず、なんて言葉も知っている。
けれど幸せそこにあるのなら選んでほしい、泣き続ける時間よりずっと。
もう消えてしまった時間、泣いても戻せない幸福、それでも戻せる願いあるのなら?
だから笑ってほしい現実の今、皺やわらかな目もと和んだ。
「そうね…幸せだわね、私?」
そして戻せる願いあるのなら、幸福ひとつ芽をひらく。
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3月20日誕生花チューリップ
弥生二十日、鬱金香―seedling
儚げで、けれど強く終わらない。
「思いだすのよ、最近ね?」
すこし低くなった、けれど綺麗な声が見つめる。
その口もと皺また深くなった、けれど瑞々しい眼が僕を見る。
「思いだす、って?」
笑いかけて訊いて、湯呑そっと口つける。
唇ぴりり熱い備前、金属じみて、そのくせ柔らかな熱に伯母が微笑んだ。
「あのひとのことよ、アキちゃんは憶えてないわね?」
あのひと、
そう伯母が呼ぶ人は決まっている。
もう七十は過ぎて、そのくせ乙女みたいな瞳に笑った。
「憶えてるもなにもさ、俺まだ生まれてないよね?」
「あら?そうだったかしらね、」
さらり唇が微笑んで茶をすする。
湯呑やわらかな湯気のむこう、皺きれいな瞳が微笑んだ。
「あのひとはね、ひとまわり歳が違ったでしょう?お父さんみたいで、お兄さんみたいで、…そういうのアキちゃんならわかるわよね?」
あ、また「わかるわよね?」だ。
こんなふう伯母は無垢ぶつけてくる、この齢かなり離れた親族に口ひらいた。
「前のダンナサンのこと、夫だけじゃない愛情があるってコト?」
再婚、その事実を知ったのは何年前だったろう?
記憶たぐるダイニングテーブル、母よりずっと年上の瞳は微笑んだ。
「そういうコトよ…いまさらかしらね?」
いまさら、
そう微笑んだ瞳ふかく、時はるか遡る。
まだ自分が生まれる前の時間、そこに生きていた伯母の幸福。
けれど今ひと時ただ遠くて、それでも見つめる瞳ゆっくり瞬いた。
「あのひとに今、会いたいなと思うのよ…言えないけど、」
言えない、その相手は誰なのか?
たぶん一人だけじゃない、もの言いたげな瞳に笑いかけた。
「言えないのは伯父さんと、前のダンナサン?」
「そう、」
茶色い髪すなおに頷いて、その耳もと銀色ひとすじ光る。
隠しこんだ白髪ふる時のかたわら、彼女は微笑んだ。
「息子たちにはもっと言えないわね?彼にも言わないし言いたくないし、今がもちろん大事だもの。でも…会いたいなと思うのよ、」
伯母は愛している、息子たちを、今の夫を。
それは疑うべくもなくて、だからこそ口ひらいた。
「ユキ兄ちゃん達もホントは、会いたい思ってるんじゃない?」
従兄たちは本音、なに想う?
その深層たちの母親は微笑んだ。
「そうよね…ほんとの父親だものね?」
「だね、」
笑いかけて湯呑ふれて、かすかな熱あまく薫る。
澄んだ馥郁やわらかなテーブル、窓ゆれる陽に声ゆれた。
「だからこそかしらね、あのひとと過ごせなかった時間の分まで一緒にとも思うわ…春をいくつも、いくつも一緒にって、」
消えてしまった時間、それを今ここに手繰らせる。
そうして戻せる願いあるのなら?そんな言葉に笑いかけた。
「伯母さんは幸せだね、ふたりの男と幸せになれたなんてさ?」
ふたりと、
それを本当は、伯母が望んだことだろうか?
それが「ひとりと」なら本当は幸せだったかもしれない、でも現実は違う。
現実に伯母は夫を亡くして、それから過ごした孤独と哀しみが呼んだ「ふたりと」この今だ。
最初から望んだわけじゃない、それでも辿りついた幸福に誰が責められるだろう?
「幸せかしら、私?」
問いかけてくる瞳が自分を映す、どこか困ったような、求めるような視線ゆれる。
もう七十を過ぎゆく瞳、その透明な自責に笑いかけた。
「一人を幸せにするだけでも大変じゃん?二人の男を幸せにできたんならさ、すごい幸せなコトだろ?」
二夫にまみえず、なんて言葉も知っている。
けれど幸せそこにあるのなら選んでほしい、泣き続ける時間よりずっと。
もう消えてしまった時間、泣いても戻せない幸福、それでも戻せる願いあるのなら?
だから笑ってほしい現実の今、皺やわらかな目もと和んだ。
「そうね…幸せだわね、私?」
そして戻せる願いあるのなら、幸福ひとつ芽をひらく。
鬱金香:チューリップ、花言葉「思いやり、美しい瞳、優しさ、理想の恋人」ピンクのチューリップ「愛の芽生え、誠実な愛、幸福」
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きっと私を諭す?ため。私のための作品だと
うぬぼれて嬉しくて。
これ読んで、自分の独りよがりの短絡的な思考に今更のように嫌気がさしたところです。
でも基本的には私の気持ちも伯母様と同じだということにも気がつきました。
年齢や状況によって違うと思うのだけど、時をおけば、夫として複数の人を愛することは確かに出来るような気がします。
そしてそれか普通の感情だとも思います。
私は唯一無二と思い込み、それを他人にもそうして欲しいと思うあまり、自己中心の考え方しかできなかったのです。
いい年をして成長していませんね。トホホ。
元気出てきました。後少しの人生だけどちょっと
飛んでみようかなあ。笑わないでください。
有難うございました。
春の写真楽しみにみています。
先日のご質問から、正月のコト思い出しつつ書いてみました、笑
誰かと幸せを築けることは、その人の心の豊かさが無くては無理なんじゃないかな?と。
それが一度だけじゃなくてもイイと思います、まあ不倫はアウトですけどね、笑
不倫は結局のトコ誰かを泣かせるモノで・そーゆー不幸が土台にあるモノはホントの意味で幸福にはならんじゃないかなと。
だからこそ、幸せを共に築いた人を亡くした時、再び誰かを幸にできることは尊いのではないかな?と。
danさんは感受性がきれいで豊かな方だなと、いつも文章から思います。
飛んで跳んでみることも、きっと素敵にできるのではありませんか?