薄氷
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第83話 辞世 act.32-another,side story「陽はまた昇る」
黄金の木洩陽、ブナの森だ。
When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-
When in the blessd time of early love,
Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
祝福された季節に、
僕の心愛しい人と、ふたり連れだって
初恋の時は祝福の季、
はるか歳月を超えて 同じ季を日々に歩めるなら、
枯れてしまった池に 荒んでしまった岩山に、
そして切なき山頂の道しるべ、
あふれる喜びの心と若い黄金やわらかな光
『周太、北岳草を見に行こう?』
ほら、あなたの声が笑う。
白皙の横顔ふりかえる、ダークブラウンの髪が黄金を透かす。
深紅のウェア広やかな肩に白が舞う、苔ふかい緑あわく雪そめる。
“Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene”
ああ、僕はかえって来られたんだ。
「しゅう…周太、起きて?」
あれ、お母さんの声?
「…おかあさん?」
呼びかけて瞳ゆるやかに開かれる。
視界にじんで蛍光灯が白い、その真中で母が微笑んだ。
「起きて周太、すぐ出るわよ、」
華奢なコート姿で腕のばしてくれる。
凛々しい束ね髪そっと頬かすめて肩から温もりくるむ、カーディガン袖通し瞳瞬いた。
「…出るってお母さん、どこいくの?こほっ…、」
尋ねながら現実が映る、ここは病室だ。
―さっきまで英二と話してたんだ僕、見送ったまま寝ちゃって…だからあんな夢、
あれから時間どれだけ経ったのだろう?
「ズボンは履き替えましょう、外は寒いわ、」
着がえ渡してくれる笑顔すこし硬い、なにがあったのだろう?
知らず眠った間に変化が起きたらしい、すぐ着替えながら訊いてみた。
「おかあさん、今って何時なの?…どこにいくの?」
「今は8時すぎよ、お腹空いたかな周?」
答えながらダッフルコートのフード被せてくれる。
フードごとマフラーくるり結わえられ、分厚い靴下に登山靴を履くと手を引かれた。
「腕時計は嵌めているわね、携帯ちゃんと持ってるし、他に私物ある?」
訊かれて見た右手、携帯電話ひとつ握りしめている。
眺めたまま眠ってしまったらしい、気恥ずかしくマフラー埋まりながら口開いた。
「伊達さんの車に鞄と着がえた服があると思う…合格発表の帰り道そのまま来たから、」
「なら大丈夫ね、行きましょう、」
凛々しい束ね髪の笑顔はいつものまま優しい。
けれど黒目がちの瞳すこし硬くて、もう解かる状況に言った。
「待ってお母さん、僕ここを勝手に出たらダメなんだ…違反になるから、」
今、任務中の事故で自分は入院している。
そこには守秘義務と報告義務を負うはずだ、けれど母は手を繋いだ。
「もういいのよ周、退院手続きも済ませたから良いの、いきましょう、」
きゅっ、
小さな手が握りしめてくれる、その力は華奢なくせ堅い。
温かな手に引かれベッド降りて、音もなく開かれた扉に制服姿が立った。
「4分はあります、行きましょう、」
低い澄んだ声が告げて、その瞳すこし笑ってくれる。
浅黒い精悍な貌あいかわらず冷静で、そんな先輩に尋ねた。
「伊達さん?どういう意味ですか、」
「湯原は黙ってついてこい、湯原さん2分で行きますよ?」
シャープな眼ざし微笑んで母を見る。
応えて小さな白い横顔はうなずいた。
「はい、かけっこなら私も周太も得意です、」
「よかった。湯原、行くぞ、」
いつもの声が呼んで鋭利な瞳こちら見る。
まっすぐな視線に状況すぐ解かって、口開きかけて言われた。
「2分だ、話す暇はない行くぞ、」
制帽のつば少し直して踵かえす。
紺色の背中すぐ歩きだして母の手がひいた。
「周っ、」
踏みだして速足に引かれて歩きだす。
その歩調どんどん速くなって階段に着き、伊達がふり向いた。
「…走るのは2階の踊り場までだ、その先は夜間出口まで監視カメラがある、歩くほうが怪しまれません、」
低めた声に白い横顔うなずいて、繋いだ手また引かれる。
掌のなか華奢な震えは温かい、そっと握りかえし階段を駆けだした。
たん、たんたんっ、
三人分の足音、けれど思ったより大きくない。
気がついて見た隣、スーツの足元は運動靴だった。
―スーツに運動靴なんて、お母さん元からそのつもりで?
だけど来てくれた最初からこの靴だったろうか?
不思議で、けれど今は訊く暇ないまま3フロア駆けおりた。
「…っ、こんっ、」
軽く咳きこんで呼吸ゆっくり整える。
せりあげる感覚やわらいで、ほっと吐いた息に制服姿がふりむいた。
「警備人には俺が話をします、会釈だけしてください、」
「はい、行きましょう、」
母がうなずいて繋いだ手また握りしめられる。
まとめ髪の横顔は凛々しくて白く小さい、こんなに華奢な女性に自分は何させているのだろう?
―お母さんと伊達さんで僕を逃がそうとしてるんだ、班長から…おとうさんを殺した人から、
ふたりは「誰」が「何」をしたのか解って、だから今こんな無茶をしている。
その結果は幸運ばかりと限らない、願いたくない可能性にマフラーの影そっと微笑んだ。
―もし見つかったら僕が盾になろう、あのひとの…観碕さんのターゲットは僕だもの、
あのひと、観碕征治。
ここを指揮するのは岩田班長、その背後にいるのは観碕なのだろう。
観碕が狙いたいのは自分のはず、それなら自分だけ捕まれば気が済むはずだ。
―あとは伊達さんが何とかしてくれるよね、きっと…目算もなくこんなことしない人だもの、
考え肚底めぐらせながら階段を降り、最後のステップ静かに踏む。
20時すぎたロビーは人がいなくて、向こう小さな扉をコート姿いくつか出てゆく。
「いいですね…あの人たちに紛れてください、」
低い声そっと囁く、その言葉に母がうなずく。
華奢な横顔は蒼いほど白い、それでも落着いたアルトが微笑んだ。
「行きましょう、車が待ってるわ、」
ショルダーバッグ肩かけ直し微笑んでくれる。
繋いだ手かすかに汗ばんで硬い、その温もりと歩く前を制服姿が行った。
かつ、かつ、かつ、
澱まない靴音、紺色の背中は端正まっすぐ歩いてゆく。
すこし離れた後ろ母と歩いて、小さな窓口に伊達は立ちどまった。
「おつかれさまです、状況はいかがですか?」
低い響く声は落着いている。
蛍光灯のした横顔は制帽の影しずむ、その前で警備員らしき男が答える。
「ご指示通りマスコミは敷地の外です、面会人に紛れた者が1名いましたが帰らせました、」
「その録画チェックさせて下さい。面会時間も終わりですよね、ここも閉鎖してもらえますか?出られる方は通して構いません、」
「わかりました、こちらへどうぞ、」
聞える会話にマフラーの影から視界そっとなぞる。
通用口の外は暗い、それでも退出したばかりの面会人たちと解かる。
戸外も敷地内は照明それなり明るいらしい、状況を確認しながら歩いて、そして母の手が扉ひらいた。
「…は、」
白い息ひとつ隣くゆらす、ふり向いた真中ちいさな横顔が白い。
ルージュ優しい唇かすかに微笑んで、だけど硬い眼ざしが言った。
「あの門を出るのよ?」
言葉のむこう道の先、門を車いくつか出てゆく。
帰ってゆく面会人たちなのだろう、がらんとした駐車場を母が手を引いた。
「むこうの山茶花の下の車よ、黒い松本ナンバー、」
さくり、さくりさくり、ぱきっ、
踏みしめる雪がやわらかい、まだ新しい雪だ。
それでも合間ときおり音割れる、もう凍りだした道に母を見た。
「…凍ってるから気をつけて?」
「ありがとう、滑りにくい靴だから大丈夫よ、」
アルトやわらかに応えてくれる、その声もかすかに硬い。
緊張をしている、そんな横顔に瞳ふかく熱せりあげて声こぼれた。
「…ごめんねお母さん、こんな、」
ほんとうにごめんなさい、こんなふう巻き込んで?
そう告げて謝りたい、他にも謝らないといけない、謝ること沢山ありすぎる。
それほど自分が選んだ道は母を苦しめた、そうして今も冒させている危険の背から呼ばれた。
「湯原、どこに行くつもりだ?」
ぱきっ、
靴底に氷が割れる、その音に鼓動ゆっくり軋みだす。
この声が誰かなんて解かる、これが探し追いかけた涯だろうか?
あの春、桜の夜に父は消えて、そして辿った十四年の涯は。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI [Spots of Time]」抜粋自訳】
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周太24歳3月
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第83話 辞世 act.32-another,side story「陽はまた昇る」
黄金の木洩陽、ブナの森だ。
When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-
When in the blessd time of early love,
Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
祝福された季節に、
僕の心愛しい人と、ふたり連れだって
初恋の時は祝福の季、
はるか歳月を超えて 同じ季を日々に歩めるなら、
枯れてしまった池に 荒んでしまった岩山に、
そして切なき山頂の道しるべ、
あふれる喜びの心と若い黄金やわらかな光
『周太、北岳草を見に行こう?』
ほら、あなたの声が笑う。
白皙の横顔ふりかえる、ダークブラウンの髪が黄金を透かす。
深紅のウェア広やかな肩に白が舞う、苔ふかい緑あわく雪そめる。
“Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene”
ああ、僕はかえって来られたんだ。
「しゅう…周太、起きて?」
あれ、お母さんの声?
「…おかあさん?」
呼びかけて瞳ゆるやかに開かれる。
視界にじんで蛍光灯が白い、その真中で母が微笑んだ。
「起きて周太、すぐ出るわよ、」
華奢なコート姿で腕のばしてくれる。
凛々しい束ね髪そっと頬かすめて肩から温もりくるむ、カーディガン袖通し瞳瞬いた。
「…出るってお母さん、どこいくの?こほっ…、」
尋ねながら現実が映る、ここは病室だ。
―さっきまで英二と話してたんだ僕、見送ったまま寝ちゃって…だからあんな夢、
あれから時間どれだけ経ったのだろう?
「ズボンは履き替えましょう、外は寒いわ、」
着がえ渡してくれる笑顔すこし硬い、なにがあったのだろう?
知らず眠った間に変化が起きたらしい、すぐ着替えながら訊いてみた。
「おかあさん、今って何時なの?…どこにいくの?」
「今は8時すぎよ、お腹空いたかな周?」
答えながらダッフルコートのフード被せてくれる。
フードごとマフラーくるり結わえられ、分厚い靴下に登山靴を履くと手を引かれた。
「腕時計は嵌めているわね、携帯ちゃんと持ってるし、他に私物ある?」
訊かれて見た右手、携帯電話ひとつ握りしめている。
眺めたまま眠ってしまったらしい、気恥ずかしくマフラー埋まりながら口開いた。
「伊達さんの車に鞄と着がえた服があると思う…合格発表の帰り道そのまま来たから、」
「なら大丈夫ね、行きましょう、」
凛々しい束ね髪の笑顔はいつものまま優しい。
けれど黒目がちの瞳すこし硬くて、もう解かる状況に言った。
「待ってお母さん、僕ここを勝手に出たらダメなんだ…違反になるから、」
今、任務中の事故で自分は入院している。
そこには守秘義務と報告義務を負うはずだ、けれど母は手を繋いだ。
「もういいのよ周、退院手続きも済ませたから良いの、いきましょう、」
きゅっ、
小さな手が握りしめてくれる、その力は華奢なくせ堅い。
温かな手に引かれベッド降りて、音もなく開かれた扉に制服姿が立った。
「4分はあります、行きましょう、」
低い澄んだ声が告げて、その瞳すこし笑ってくれる。
浅黒い精悍な貌あいかわらず冷静で、そんな先輩に尋ねた。
「伊達さん?どういう意味ですか、」
「湯原は黙ってついてこい、湯原さん2分で行きますよ?」
シャープな眼ざし微笑んで母を見る。
応えて小さな白い横顔はうなずいた。
「はい、かけっこなら私も周太も得意です、」
「よかった。湯原、行くぞ、」
いつもの声が呼んで鋭利な瞳こちら見る。
まっすぐな視線に状況すぐ解かって、口開きかけて言われた。
「2分だ、話す暇はない行くぞ、」
制帽のつば少し直して踵かえす。
紺色の背中すぐ歩きだして母の手がひいた。
「周っ、」
踏みだして速足に引かれて歩きだす。
その歩調どんどん速くなって階段に着き、伊達がふり向いた。
「…走るのは2階の踊り場までだ、その先は夜間出口まで監視カメラがある、歩くほうが怪しまれません、」
低めた声に白い横顔うなずいて、繋いだ手また引かれる。
掌のなか華奢な震えは温かい、そっと握りかえし階段を駆けだした。
たん、たんたんっ、
三人分の足音、けれど思ったより大きくない。
気がついて見た隣、スーツの足元は運動靴だった。
―スーツに運動靴なんて、お母さん元からそのつもりで?
だけど来てくれた最初からこの靴だったろうか?
不思議で、けれど今は訊く暇ないまま3フロア駆けおりた。
「…っ、こんっ、」
軽く咳きこんで呼吸ゆっくり整える。
せりあげる感覚やわらいで、ほっと吐いた息に制服姿がふりむいた。
「警備人には俺が話をします、会釈だけしてください、」
「はい、行きましょう、」
母がうなずいて繋いだ手また握りしめられる。
まとめ髪の横顔は凛々しくて白く小さい、こんなに華奢な女性に自分は何させているのだろう?
―お母さんと伊達さんで僕を逃がそうとしてるんだ、班長から…おとうさんを殺した人から、
ふたりは「誰」が「何」をしたのか解って、だから今こんな無茶をしている。
その結果は幸運ばかりと限らない、願いたくない可能性にマフラーの影そっと微笑んだ。
―もし見つかったら僕が盾になろう、あのひとの…観碕さんのターゲットは僕だもの、
あのひと、観碕征治。
ここを指揮するのは岩田班長、その背後にいるのは観碕なのだろう。
観碕が狙いたいのは自分のはず、それなら自分だけ捕まれば気が済むはずだ。
―あとは伊達さんが何とかしてくれるよね、きっと…目算もなくこんなことしない人だもの、
考え肚底めぐらせながら階段を降り、最後のステップ静かに踏む。
20時すぎたロビーは人がいなくて、向こう小さな扉をコート姿いくつか出てゆく。
「いいですね…あの人たちに紛れてください、」
低い声そっと囁く、その言葉に母がうなずく。
華奢な横顔は蒼いほど白い、それでも落着いたアルトが微笑んだ。
「行きましょう、車が待ってるわ、」
ショルダーバッグ肩かけ直し微笑んでくれる。
繋いだ手かすかに汗ばんで硬い、その温もりと歩く前を制服姿が行った。
かつ、かつ、かつ、
澱まない靴音、紺色の背中は端正まっすぐ歩いてゆく。
すこし離れた後ろ母と歩いて、小さな窓口に伊達は立ちどまった。
「おつかれさまです、状況はいかがですか?」
低い響く声は落着いている。
蛍光灯のした横顔は制帽の影しずむ、その前で警備員らしき男が答える。
「ご指示通りマスコミは敷地の外です、面会人に紛れた者が1名いましたが帰らせました、」
「その録画チェックさせて下さい。面会時間も終わりですよね、ここも閉鎖してもらえますか?出られる方は通して構いません、」
「わかりました、こちらへどうぞ、」
聞える会話にマフラーの影から視界そっとなぞる。
通用口の外は暗い、それでも退出したばかりの面会人たちと解かる。
戸外も敷地内は照明それなり明るいらしい、状況を確認しながら歩いて、そして母の手が扉ひらいた。
「…は、」
白い息ひとつ隣くゆらす、ふり向いた真中ちいさな横顔が白い。
ルージュ優しい唇かすかに微笑んで、だけど硬い眼ざしが言った。
「あの門を出るのよ?」
言葉のむこう道の先、門を車いくつか出てゆく。
帰ってゆく面会人たちなのだろう、がらんとした駐車場を母が手を引いた。
「むこうの山茶花の下の車よ、黒い松本ナンバー、」
さくり、さくりさくり、ぱきっ、
踏みしめる雪がやわらかい、まだ新しい雪だ。
それでも合間ときおり音割れる、もう凍りだした道に母を見た。
「…凍ってるから気をつけて?」
「ありがとう、滑りにくい靴だから大丈夫よ、」
アルトやわらかに応えてくれる、その声もかすかに硬い。
緊張をしている、そんな横顔に瞳ふかく熱せりあげて声こぼれた。
「…ごめんねお母さん、こんな、」
ほんとうにごめんなさい、こんなふう巻き込んで?
そう告げて謝りたい、他にも謝らないといけない、謝ること沢山ありすぎる。
それほど自分が選んだ道は母を苦しめた、そうして今も冒させている危険の背から呼ばれた。
「湯原、どこに行くつもりだ?」
ぱきっ、
靴底に氷が割れる、その音に鼓動ゆっくり軋みだす。
この声が誰かなんて解かる、これが探し追いかけた涯だろうか?
あの春、桜の夜に父は消えて、そして辿った十四年の涯は。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI [Spots of Time]」抜粋自訳】
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