ひそやかな追憶、今その先を
真っ赤に染まる、これが君の最期?
「…なんて、なあ」
息ひとつ口もと苦い、微笑んでも。
それでも頬ふれる風やわらかに乾いて、遠い秋を懐かしむ。
仰ぐ視界、埋めつくす赤に。
「奥多摩は秋だな…馨?」
呼びかけて唇ふれる風、乾いて、けれどほろ甘い。
かすかに渋い甘い冷気、とりまく梢ふかく深奥から髪を梳く。
さくり、登山靴の底なぞる音ひそむ道、山の色たち深く聲を呼ぶ。
『ほら紀之、あのワーズワースの詩みたいだね?』
あの聲、なつかしい懐かしい遠い秋だ。
あの詩みたいな今この頭上、色、真紅に深紅ほろ苦い甘い風。
「Here, under…his dark sycamore, and view」
唇かすかに詞うつろう、秋に君が謳ったから。
落葉かすめる登山靴、頬ふれる冷気ほろ甘い、かすかな静かな水の匂い。
それから見あげる木洩陽の赤、そして穏やかな静かな、透けるほどに明るい声。
『イギリスの秋もきれいなんだ、紀之も一緒に行こうよ?』
Here, under this dark sycamore, and view
These plots of cottage-ground, these orchard-trufts,
Which at this season, with their unripe fruits,
Are clad in one green hue, and lose themselves
ここ、楓の木下闇に佇んで、そして見渡せば
草葺小屋の地が描かすもの、果樹園に実れる房、
この季節にあって何れも、まだ熟さぬ木々の果実たちは、
緑ひとつの色調を纏い、そしてひと時に消えて移ろいゆく
「with their unripe fruits, …and lose themselves」
ほら、口ずさんで傷む、悼む。
だって喪った瞬間みたいだ?
“ with their unripe fruits, Are clad in one green hue, and lose themselves”
まだ熟していなかった、君の時間は。
君の想いひとつ一途に輝いて、そして一瞬のように、
「っ…かおる…」
名前こぼれて瞳が熱い。
眼ふかく深く燈される、あの消えてしまった瞬間のままだ。
「どうしてだよ…かおる、」
想い零れて名前になる、視界ゆるく滲んで熱い。
ほら仰いだ梢たち深紅ゆらいで、きらめいて、あのころの熱あふれだす。
“狙撃され殉職したのは”
ほら冷たい活字が浮かびだす、告げられる訃報の記事。
あんなふうに君を見送るだなんて残酷だ。
「かおる…なんでだろうなあ、」
声ひとり、呼びかけても応えてなんてくれない。
紅葉きらめく森の道なつかしくてきれいで、けれど思ってしまう、君の最期の視界は、
「なんで…おまえが殉職なんだよ?」
なぜ?
ずっと問いかけている、だって不似合いすぎる。
『わらってくれてもいいよ…男がお菓子を焼くなんて、ね?』
気恥ずかしそうに笑った、そのくせ甘い匂い穏やかな瞳。
父子家庭で育った家事好きで、だから留学が決まったときも料理の話をしていた。
『オックスフォードならではのお菓子ってあるんだよ、父と住んでたとき好きで』
奨学金で留学を決めた秀才、それがなぜ「殉職」したのだろう?
あんなに秀才だったくせに、登攀も慎重なくせ大胆だった、そのくせ家庭的なこと言うくせに?
「あんな旨い菓子つくるくせにさ…殉職なんざしてんじゃねえよ、」
こぼれだす悪態に君、笑っている?
ほら紅葉そめる梢ざわめく、あの音に風にひそやかな笑い声を聴く。
こんなふうに探して捜して、ずっと捜しながら歩いた山路もう幾年だろう。
「いるんだろ…馨?」
呼んでしまう、どうしても。
こんなこと愚かだ、だってもう何年も前に消えてしまった。
それでも木洩陽ゆらす赤、朱、深紅きらめく梢に道に逢えるのだと信じている。
「万葉集でも山に探すってあったよな…馨も言ってただろ、」
語りかけて落葉さくり、さくり、登る山路に紅葉がふる。
きらめく木洩陽そめる赤、朱、深い紅から光さして秋を懐かしむ。
『見て紀之、あそこの枝すごくいい色…きれいだね、』
ほら自分を呼んで笑って、穏やかな瞳が紅を映す。
この山嶺の秋が好きだった、幼いころから歩いていると笑っていた君。
あんなにも何度も君と歩いた山路、それでも逢えない、こんなに歩いているのに?
「なあ馨…紅葉の季節だ、いるんだろ?」
いると言ってほしい、君に。
想い見つめる頭上が赤い、かさり、立ちどまって風ふれる。
あのころ黒髪なびいたザイルパートナー、けれど今もう自分の髪は銀色まじる。
あのままに君は若いのだろうか、それとも死者とて髪は白くなる?
「いるんだろ…」
呼びかけた木洩陽、佇んだ登山靴ほの明るい。
ゆれる陰翳やわらかな紅色、朱、赤く埋めつくす森に響いた。
「…います、」
今、声?
「っ…」
呑みこんだ息、深紅の光に水色うつる。
きらめく木洩陽かさり、かさり、紅葉ふみわける登山靴の音。
『やっぱり紀之だ…おまたせ、』
君の声が呼んで、少し遅れて君がくる。
すこし羞んだような穏やかな声、涼やかな穏やかな瞳が笑う。
そんな日常だった山の靴音そのまま似て、見つめる真中すっと黒髪ゆれた。
「あ、やっぱり先生でした、」
あの声が笑って、でも違う呼び名。
ほっと息ひとつ自分も笑った。
「おう、俺だよ。おはよう望くん、」
笑いかけた真ん中、水色明るい登山ジャケットが来る。
木洩陽やわらかな黒髪ゆれて、穏やかな声が弾んだ。
「おはようございます先生、お待たせしましたか?」
黒目がちの瞳が笑いかける、朗らかに自分を映す。
その目元あまり似ていない、そのくせ声は懐かしくて笑った。
「やっぱり馨と声よく似てるな、馨と教授も似てたけど、」
あのザイルパートナーも恩師と似ていた、あの声だ。
懐かしくて嬉しくて笑った視界、小柄な学生は微笑んだ。
「はい、母もそういいますけど…僕の声、祖父とも似ているんですね?」
「似てるな、穏やかなクセ澄んでてさ、」
応えながら見つめる真中、友の遺児が笑ってくれる。
なつかしい面影より繊細な面差し、芯は強いけれど華奢な肩。
あの目元と似ない黒目がちの瞳、けれど眼差しふかく深く燈るのは、あの真直ぐな光。
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10月31日誕生花モミジ紅葉
大月晦日、紅葉―Harmonia
真っ赤に染まる、これが君の最期?
「…なんて、なあ」
息ひとつ口もと苦い、微笑んでも。
それでも頬ふれる風やわらかに乾いて、遠い秋を懐かしむ。
仰ぐ視界、埋めつくす赤に。
「奥多摩は秋だな…馨?」
呼びかけて唇ふれる風、乾いて、けれどほろ甘い。
かすかに渋い甘い冷気、とりまく梢ふかく深奥から髪を梳く。
さくり、登山靴の底なぞる音ひそむ道、山の色たち深く聲を呼ぶ。
『ほら紀之、あのワーズワースの詩みたいだね?』
あの聲、なつかしい懐かしい遠い秋だ。
あの詩みたいな今この頭上、色、真紅に深紅ほろ苦い甘い風。
「Here, under…his dark sycamore, and view」
唇かすかに詞うつろう、秋に君が謳ったから。
落葉かすめる登山靴、頬ふれる冷気ほろ甘い、かすかな静かな水の匂い。
それから見あげる木洩陽の赤、そして穏やかな静かな、透けるほどに明るい声。
『イギリスの秋もきれいなんだ、紀之も一緒に行こうよ?』
Here, under this dark sycamore, and view
These plots of cottage-ground, these orchard-trufts,
Which at this season, with their unripe fruits,
Are clad in one green hue, and lose themselves
ここ、楓の木下闇に佇んで、そして見渡せば
草葺小屋の地が描かすもの、果樹園に実れる房、
この季節にあって何れも、まだ熟さぬ木々の果実たちは、
緑ひとつの色調を纏い、そしてひと時に消えて移ろいゆく
「with their unripe fruits, …and lose themselves」
ほら、口ずさんで傷む、悼む。
だって喪った瞬間みたいだ?
“ with their unripe fruits, Are clad in one green hue, and lose themselves”
まだ熟していなかった、君の時間は。
君の想いひとつ一途に輝いて、そして一瞬のように、
「っ…かおる…」
名前こぼれて瞳が熱い。
眼ふかく深く燈される、あの消えてしまった瞬間のままだ。
「どうしてだよ…かおる、」
想い零れて名前になる、視界ゆるく滲んで熱い。
ほら仰いだ梢たち深紅ゆらいで、きらめいて、あのころの熱あふれだす。
“狙撃され殉職したのは”
ほら冷たい活字が浮かびだす、告げられる訃報の記事。
あんなふうに君を見送るだなんて残酷だ。
「かおる…なんでだろうなあ、」
声ひとり、呼びかけても応えてなんてくれない。
紅葉きらめく森の道なつかしくてきれいで、けれど思ってしまう、君の最期の視界は、
「なんで…おまえが殉職なんだよ?」
なぜ?
ずっと問いかけている、だって不似合いすぎる。
『わらってくれてもいいよ…男がお菓子を焼くなんて、ね?』
気恥ずかしそうに笑った、そのくせ甘い匂い穏やかな瞳。
父子家庭で育った家事好きで、だから留学が決まったときも料理の話をしていた。
『オックスフォードならではのお菓子ってあるんだよ、父と住んでたとき好きで』
奨学金で留学を決めた秀才、それがなぜ「殉職」したのだろう?
あんなに秀才だったくせに、登攀も慎重なくせ大胆だった、そのくせ家庭的なこと言うくせに?
「あんな旨い菓子つくるくせにさ…殉職なんざしてんじゃねえよ、」
こぼれだす悪態に君、笑っている?
ほら紅葉そめる梢ざわめく、あの音に風にひそやかな笑い声を聴く。
こんなふうに探して捜して、ずっと捜しながら歩いた山路もう幾年だろう。
「いるんだろ…馨?」
呼んでしまう、どうしても。
こんなこと愚かだ、だってもう何年も前に消えてしまった。
それでも木洩陽ゆらす赤、朱、深紅きらめく梢に道に逢えるのだと信じている。
「万葉集でも山に探すってあったよな…馨も言ってただろ、」
語りかけて落葉さくり、さくり、登る山路に紅葉がふる。
きらめく木洩陽そめる赤、朱、深い紅から光さして秋を懐かしむ。
『見て紀之、あそこの枝すごくいい色…きれいだね、』
ほら自分を呼んで笑って、穏やかな瞳が紅を映す。
この山嶺の秋が好きだった、幼いころから歩いていると笑っていた君。
あんなにも何度も君と歩いた山路、それでも逢えない、こんなに歩いているのに?
「なあ馨…紅葉の季節だ、いるんだろ?」
いると言ってほしい、君に。
想い見つめる頭上が赤い、かさり、立ちどまって風ふれる。
あのころ黒髪なびいたザイルパートナー、けれど今もう自分の髪は銀色まじる。
あのままに君は若いのだろうか、それとも死者とて髪は白くなる?
「いるんだろ…」
呼びかけた木洩陽、佇んだ登山靴ほの明るい。
ゆれる陰翳やわらかな紅色、朱、赤く埋めつくす森に響いた。
「…います、」
今、声?
「っ…」
呑みこんだ息、深紅の光に水色うつる。
きらめく木洩陽かさり、かさり、紅葉ふみわける登山靴の音。
『やっぱり紀之だ…おまたせ、』
君の声が呼んで、少し遅れて君がくる。
すこし羞んだような穏やかな声、涼やかな穏やかな瞳が笑う。
そんな日常だった山の靴音そのまま似て、見つめる真中すっと黒髪ゆれた。
「あ、やっぱり先生でした、」
あの声が笑って、でも違う呼び名。
ほっと息ひとつ自分も笑った。
「おう、俺だよ。おはよう望くん、」
笑いかけた真ん中、水色明るい登山ジャケットが来る。
木洩陽やわらかな黒髪ゆれて、穏やかな声が弾んだ。
「おはようございます先生、お待たせしましたか?」
黒目がちの瞳が笑いかける、朗らかに自分を映す。
その目元あまり似ていない、そのくせ声は懐かしくて笑った。
「やっぱり馨と声よく似てるな、馨と教授も似てたけど、」
あのザイルパートナーも恩師と似ていた、あの声だ。
懐かしくて嬉しくて笑った視界、小柄な学生は微笑んだ。
「はい、母もそういいますけど…僕の声、祖父とも似ているんですね?」
「似てるな、穏やかなクセ澄んでてさ、」
応えながら見つめる真中、友の遺児が笑ってくれる。
なつかしい面影より繊細な面差し、芯は強いけれど華奢な肩。
あの目元と似ない黒目がちの瞳、けれど眼差しふかく深く燈るのは、あの真直ぐな光。
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