ミヤネ屋が放送内容を訂正 旧統一教会追及「パフォーマンスっぽい」発言に共産党から抗議

2022年07月28日 11時06分38秒 | 事件・事故

7/26(火) 16:28配信J-CASTニュース

日本共産党ツイッターより

 ニュース番組「情報ライブ ミヤネ屋」(日本テレビ系)は2022年7月25日、日本共産党と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関係を巡り誤解を招く内容を紹介したとして、番組内で訂正した。

<【画像】吉川美代子氏の釈明全文>

 22日の放送では、野党の旧統一教会への追及について出演者が「パフォーマンスっぽい」と発言する一幕があった。共産党は事実無根だとして、謝罪を求めて抗議していた。

■共産党「公党の名誉を毀損する」

 発言は、元TBSアナウンサーの吉川美代子氏から飛び出した。

 野党による旧統一教会の問題追及チームについて「共産党などのコメントを見ていますと(中略)世間の注目が集まっているこの時に急に言い出すというのはちょっと一部パフォーマンスっぽい」と指摘した。司会者から、追及は政争の具にせず超党派で進めるべきではないかと問われての発言だった。

 共産党は23日、抗議声明を発表した。旧統一協会による霊感商法や高額献金、マインドコントロールなどの問題は1970年代以降、機関紙「しんぶん赤旗」や出版物、国会質問で何度も訴えており、「吉川氏の発言は、日本共産党が40年以上も前から、旧統一協会による数々の問題を追及するとともに、一貫して被害者救済に尽力してきた事実に全く反し、公党の名誉を毀損する誹謗中傷であり、コメンテーターとしての資格が根本から問われるものである」と反論。

 制作した読売テレビには「このような発言に疑問を呈することもなく放送を終了し、『事実に基づく報道』という放送局としては最低の基準さえ顧みない内容となったことに厳しく抗議する。番組内で、公党にたいする事実に反する誹謗中傷が拡散していることへの厳重な謝罪と、すみやかな訂正がおこなわれるよう強く求める」と要求した。

アナウンサーが訂正
 抗議を受け、ミヤネ屋の25日の放送では、アナウンサーが「(22日の放送で)共産党が旧統一教会の問題についてこれまで取り上げていないと捉えられるような内容がありましたが、実際には共産党は1970年代以降、旧統一教会の被害の実態について国会で取り上げてきた事実があります」と事実上の訂正をした。

 吉川氏の発言を「吉川美代子氏 共産党の旧統一教会追及は『パフォーマンス』」と報じたデイリースポーツも26日までに削除し、「共産党のこれまでの行動実績などが不足していた」と説明している。

 吉川氏はインスタグラムで「コメント最後に『被害者がいる現実をきちんととりあげてほしい』と言ったことが一番伝えたいことです」などと釈明している。番組で吉川氏は「パフォーマンス」発言ののち、「本当に必要なのは、実際に被害者がいて、食べるものもなくなるくらいお金を出してしまった人もいる。そういうことをきちんと取り上げてほしい」と要望していた。

 


旧統一教会の名称変更めぐる「黒塗り開示」に批判 文化庁に理由を聞いた

2022年07月28日 10時57分01秒 | 事件・事故

7/27(水) 20:44配信 J-CASTニュース

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が長年希望していた名称変更が突然、文化庁に認められたことについて、2015年8月の決裁文書の開示を受けたところ、変更理由が黒塗りになっていたと、共産党の宮本徹衆院議員がツイッターで明らかにした。

【画像】共産党の宮本徹氏が黒塗り開示を投稿

 宮本氏は、宗教法人は税制上の特例を受けており、国民への説明責任があるとして、黒塗り部分は開示すべきだと批判している。なぜ開示しなかったのか文化庁の話を聞いた。

■共産党の宮本徹氏が、決裁文書の開示を受けてツイート

 名称変更するときは、宗教法人法に基づく規則を変更して文化庁から認証を受ける必要があるが、開示文書では、その「規則変更理由」の部分2、3行すべてが黒塗りになっていた。

 この開示文書の写真は、宮本氏が22年7月26日にツイッターで投稿した。

 宮本氏は、黒塗り開示を批判し、「隠さなければならない事情が書かれているのでしょうか。開示を求めます」と訴えた。旧統一教会からは、15年6月2日に申請があり、決済手続きが8月18日に始まって、同26日の決裁と同時に認証されていた。

 旧統一教会は、現在の「世界平和統一家庭連合」に名称変更できないか、1997年に初めて文化庁に相談している。しかし、霊感商法などが社会問題化していたことから、当時文化庁宗務課長だった前川喜平氏は、「実体が変わらないのに、名称を変えることはできない」と断ったと、20年12月1日にツイッターで明らかにしていた。

 その後も長い間、名称変更が実現していなかったが、自民党の下村博文衆院議員が文科相だった15年に、旧統一教会から申請が初めて行われて変更が実現している。

 下村氏はそれまで、旧統一教会系の日刊紙「世界日報」にインタビュー記事などが複数回載るなどして、教会との関係が指摘されていた。安倍晋三元首相の銃撃事件を受けて、週刊誌がこのことを取り上げようとすると、下村氏は22年7月13日、当時の文化部長が決裁しており、自分に伺いを立てることはしていないと文化庁に確認したとツイッターに投稿した。

 

 

「情報公開法に基づき、すべての法人に開示していない」
 下村氏は、7月21日の囲み取材でも、文化庁の担当者から当時、報告を受けたものの、文化部長の判断で変更を了承したとして、自身の関与を否定している。

 とはいえ、旧統一教会については、自民党など政治家との関係がメディアなどで取り沙汰されている。それだけに、決裁文書の開示を受けた宮本徹氏は、「申請前、あるいは申請から決裁までの間に政治家からどういう働きかけ、リアクションがあったのか」とツイッターで問題提起した。

 文化庁の宗務課は27日、宮本氏から国会議員として資料請求があったため、前日の26日に宮本氏に決裁文書を提出したとしたうえで、名称変更の理由を開示しなかったことについて、J-CASTニュースの取材にこう説明した。

「誤解がないように話しますが、今回に限ってのことではなく、すべての法人に対して同様に開示していません」

 開示しない理由については、情報公開法第5条2号のイに基づくと説明した。そこでは、行政文書開示について、「公にすることにより、当該法人等又は当該個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるもの」の情報を除くとされている。

「今回だけ特別な取り扱いをしたわけではなく、隠したということもありません。名称変更は、要件がそろっていればよく、申請が出ましたので受理しました。政治的な理由はありません。なぜこれまで申請がなかったのかは、法人側の事情もあると思いますが、こちらでは承知していません」

(J-CASTニュース編集部 野口博之)

 


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新興宗教が怖い、と言われる理由を教えて下さい。

2022年07月28日 10時41分44秒 | 社会・文化・政治・経済

創価学会や幸福の科学、エホバの証人等の新興宗教が怖いと言われたり、ヤバいと言われるのはなぜですか?(前提として新興宗教を信仰してい るわけではないです。)

日本は一応、信仰の自由があるので新興宗教と言われる類いのものを信じるのは自由だと思うのですが、自由な筈なのになんか差別的…偏見みたいなもので見られてると言う様に感じます。

確かにカルトに近いような新興宗教が怖い、と言われるのはなんとなくわかるのですが、新興宗教でもカルトチックでは無いものもあると思うし… 芸能人の方も「この人は〇〇を信仰してる」とわかるとなんか干されたりしてるイメージがあります。

(記憶に新しいのは清水富美加さんとかですかね…) もしかしたら自分の育った環境が新興宗教に偏見を持ってるだけなのでしょうか…自分で調べてもいまいちよくわからなかったので、偏見等は無しで、詳しく教えて下さい。

補足

出来るだけ多くの方の意見が欲しいのでギリギリまでBAは決めないです、よろしくお願いします

 

ベストアンサー
羽衣ララちゃんルン@友利んりん

2020/4/23 2:55

伝統宗教と新興宗教は、政治で言えば保守と革新の関係です。 伝統宗教は長い年月の荒波にもまれて教義や歴史が研ぎ澄まされました。 対する新興宗教は試行錯誤を繰り返している渦中にあります。

伝統宗教は代々の信者と言う安定した地盤を持ってきました。

最近になって脅かされはじめていますけどね。

対する新興宗教にはそれがなく、急成長により一代限りの信者をたくさん囲みこんでいます。

つまり、世代交代すると信者が離れてしまいます。

ですから、神罰だの仏罰だので脅したり、他の宗教は害悪だと批判したり、自分たちだけが唯一正しいと主張する事で優位にたとうとします。 その結果、カルト的な思考に陥ります。

そのような理由から、新興宗教には信頼がなく、胡散臭いイメージが湧いてきます。

人というのは、やはり歴史の長さと言う安定性に安心感を感じます。 新興宗教にはそれがないのです。

 

宗教が怖いというくせに初詣や修学旅行等で神社、寺巡りをする理由を教えてください。

補足

哲学やスピリチュアル、自己啓発とは宗教は何が違うのでしょうか。

 

ベストアンサー
rac********

2021/9/24 9:33

他の方も仰ってますが、初詣や神社・寺巡りは宗教色よりも文化や歴史の側面が強いですよね。

一方、キリスト教の歴史など特に分かりやすいのですが、新しくできた宗教というのは得てして嫌悪の対象になりやすいのです。

それが何百年と時間をかけて様々な事件や喜ばしい出来事を経験し、年末年始に挨拶するような、また制服を着た子供が建物を見上げるような存在へと変わっていく。

古い宗教は、正しく文化というにふさわしいと思います。

新しい宗教は嫌悪の対象になりやすいんだから私は**や**は嫌。

怖い人もいるし。布教しようとがっついてくるような若者は嫌。

スピリチュアルは私もよく分からないのですが……あえて言うなら超小規模の宗教を自らの発声のみで表現している、ってところなのかも知れませんね……自己啓発と哲学は宗教とは違いますよ。

自己啓発は、著者の感性や経験による成功方法の提案。つまり『こうやったらうまくいったよ!皆もやってみようよ!』というお話。

哲学は、人間とは何か、心とは何か、といった課題を理論的に説明しようとする学問です。考えているだけなので押しつけはしませんし、他の興味深い意見が出てきたら真剣な目で頷くでしょう。 寺社仏閣巡り、始めてみると結構いいですよ。

ちょっとした本を読んでから行けば、『あっ、この印はこれだ!』『ここの形がこうなってるってことは……そうか、こう言いたいのか!』と、パズルのように楽しめます。おすすめです。 新しい宗教は怖いけど。

 

宗教は怖いイメージが強いのですがどうしてなんですか?やっぱり暴走してしまうと恐ろしいことになったり、自由がない。という理由からなんですか?

補足

宗教では盲目になってはいけないのですか?

 

ベストアンサー
myt********

2022/7/23 18:49

現在の宗教は多岐に渡り何が正しいかわからないですよね。

本来、神仏を信仰するということは、全てを内包するということで、真実を求める姿が正しい姿だと思います。 自分で学ぶこと、自分自身に自信を持つこと、排他的にならないこと❗️

こういう事が大切なんだと思います。 数の力は大きいです。

しかし、情報化社会ですので、学ぼうと思ったら一人でも学べます。 盲目になってはダメです。

全てを内包することが大切ですので、広い心で学びましょう❗️
怖いですね。 僕は理解できないです。 家庭が崩壊するほど献金したり。 何でそんなに信じるんだろうか。

自分の未来は自分で切り開かないと意味ないと思う。

 

 

 


宗教」が怖い!日本人

2022年07月28日 10時40分00秒 | 新聞を読もう

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人間観2009年3月


宇都隆史/卒塾生

解っているようで解らないのが「宗教」。
本文では宗教の本質について人間観に基づく考察を行うと共に、国家における宗教のあるべき姿についての見解を提唱したものである。

 
1 「日本人は無宗教」の嘘
 「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれて、「無宗教です。」と答える日本人は少なくありません。日本人にとってはあまり違和感のないこの回答ですが、海外では目を丸くされることがあります。なぜならば、海外では無宗教の人間なんてあり得ないのが普通だからです。日本人にとっての無宗教というのは、「特定の宗教を敬虔に崇拝しているわけではない」という位の意味なのですが、それは複数の宗教を容認する文化のない西欧の人々には理解不能な感覚なのです。日本人が宗教的な感覚に恐ろしく鈍い原因は、成人になるまで公教育において宗教を学ぶ機会が皆無だからに他なりません。(一部のミッション系の学校を除く)ところが、実は日本人ほど非常に宗教に寛容な国民はいないのです。年の暮れともなると宗教の多様性はより顕著となります。多くの日本人の年末年始の過ごし方を見てみると、師走の二十五日にはクリスマス【キリスト教】を祝い、大晦日にはお寺の除夜の鐘【仏教】を聞きながら年を越して、年が改まれば氏神様の神社【神道】に初詣をし、ご先祖様の仏壇【道教】に灯明をあげる。たった10日間程の間に4種類もの宗教的行事を行いながら、少しも違和感を伴わないのは我々日本人くらいのものでしょう。

 宗教問題を議論していると、日本人の国民宗教は何かというテーマが良く出てきます。評論家の山本七平氏は「日本教」という言葉を用いました。宗教学的には仏教も儒教もキリスト教も、日本に入ってくる時点で戒律や規範が取り払われ、エートスだけが抽出され「日本教」に変化されるというのです。つまり、日本人は行事の度に信者でもないのにキリスト教徒や仏教徒のように振舞うのではなく、日本教の信者として各々の行事を行っているに過ぎないと考えれば理解できるのです。

2 宗教とは何か
 さて、いったい宗教とは何でしょうか。この質問に対して、自分なりの考えで即答できた日本人をほとんど見たことがありません。何故私たち日本人の多くが宗教に疎いのかと言えば、教育の機会に恵まれていないということに加え、宗教を何か禍々しいものとして捉えているからではないでしょうか。知らない物に対する漠然とした不安が先に立つのでしょう。しかし、学ばなければ不安は消えませんし、宗教的無知はカルト教団などに対する精神的防衛力を欠くことにも繋がります。そこで、そもそも宗教とは何かという本質的な問題について、少し考えてみたいと思います。

 「宗教」という言葉は、明治時代になって「religion」の訳語として造られた新しい言葉です。レリジョンの元々の意味は「繰り返し読む」という意味です。キリスト教の文化圏である欧米においては「宗教と言えばキリスト教であり、神の言葉が記された聖書を繰り返し読み、神との契約を履行すること」これこそが信者の証なのです。宗教とは何かという問いに対し、社会学者のマックス・ウェーバーは「宗教とは行動様式のことである」と定義しました。つまり、人間の行動を意識的あるいは無意識的に突き動かしているものを総称して宗教であると唱えました。さらに言えば、信仰の対象となる神様の有無は関係なく、倫理道徳や習慣風俗も一種の宗教であるというのです。前述した山本七平氏は、このマックス・ウェーバーの説に則り、「日本人は特定の宗派に属していないだけで、日本人たる独特の行動様式を持っている。それが日本教である」という社会学的解釈をしたわけです。この説に則ると、信仰だけでなくイデオロギーもまた宗教の一種であると解釈でき、マルキシズムも資本主義もある意味、一宗教であると言えます。

 しかし、私は個人的にこの解釈に釈然としません。学問的にはそうなのかもしれない。しかし、何か自分の中で腑に落ちないところがあるのです。つまり、マックス・ウェーバーの解釈は私達日本人の宗教観にそぐわないのではないかと思うのです。そこで、宗教とは何かを考えるために、宗教は哲学や思想と何が違うのかということを考えてみます。この三者の関係を私は次のように解釈しています。哲学とは、宇宙や人間の根本原理を追求する学問の一つです。思想とは宇宙や人間の根本原理の中に、行動するための動機となりえる社会的意義を見出したイデオロギーの総称ではないでしょうか。そして、宗教とはこれに「信仰」というキーワードが加わったものだと思います。つまり、思想の中に人智を超えた神聖なものを見出し、それを畏怖し奉るときに、「宗教」と言えるのでしょう。この信仰の対象は、絶対者や神である必要はなく、自然の力や宇宙の摂理などでも良いのです。そう考えると、宗教は精神的に弱い一部の人が必要とするような禍々しいものではなく、人間が知的活動をし、社会的生活を営んでいく上で必要な精神的行動の一つではないかと私は思うのです。

3 宗教と政治の正しい関係とは
 ここで、宗教と政治の関係について考察してみます。良く聞きなれた言葉に「政教分離」というものがあります。しかし、誤った解釈がまかり通っているのが現状です。私は、日本国憲法が良くないと思っています。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 この政教分離の起源は、ローマ教会にあります。政治の混乱と分裂の中、ローマ帝国は宗教の影響力を国の統治に利用するため、キリスト教を国教に指定します。しかし、ローマ帝国は東西に分裂したため、ローマ教会は政治的後盾を確保するために、協会が各国の国王に戴冠する教会と政治の二人三脚の体制が出来上がりました。これを、二王国論といいます。(政治的権力は国王が、宗教的権威は協会が握る二元的な体制)しかし、信仰と政治権力が強力に結びつくとロクなことはありません。なぜならば、信仰を理由に戦争を起こしたり、教義に反した政策はとれなくなったりするからです。そこで、ルターの行った宗教改革以降、信仰と政治を分離することを原則としたのです。つまり、憲法にある「政教分離の原則」とは、宗教的権威と政治的権力の分離を徹底させるということに他なりません。しかし、憲法の20条を見るかぎりでは、政治の中に宗教色が入ることすらも認めないようにもとられます。だから、国や公的機関が祭事を行ったり、公人がこのような行事に参加したりすることを極端に問題視するのです。ところが、ここで本質を考えてみましょう。政治が社会的生活を効率的に統治システムであるとすれば、宗教は社会生活を有意義に営むための精神的支柱です。この二つは国家を統治する上で、もっといえば人間が社会的な営みを行うために必要不可欠な両輪であるとは言えないでしょうか。政治は別の言い方で「政(まつりごと=祭事)」ともいいます。どの国家にとっても、政治は宗教的側面と切っても切れない関連性があるのが当たり前なのです。つまり、必要なのは両者のバランスなのです。「政治的権力と宗教的権威の分離は徹底する。しかし、一方が過ぎるようなことがないように双方の調和を保つ」これが政治と宗教の正しい関係であり、国家の安定を作り出す基本原則であると私は考えます。日本の歴史を眺めると、平和の続いた時代には宗教と政治の調和がとれていたのではないかという仮説が成り立ちます。このような仮説に立って大東亜戦争を振り返ると、最大の政治的失敗は、「軍部の独走」というよりも、天皇という宗教的権威を政治的権力の頂点に据えた明治以降の国家体制そのものにあったと考えられるのです。

 翻って、現代の国家体制を見てみると、政治的権力から宗教的権威は切り離されたものの、敗戦のショックにより、国家から「宗教」というものを極端に排除した、バランスを欠いた国家体制になっているのが非常に気になります。(公明党の問題は、紙面の関係上ここでは触れません。)

4 日本精神の再興には、知的闘争が必要である。
 最後に、何故人間にとって宗教が必要かということについて考えてみましょう。
 私達人間が他の動物と決定的に異なる部分は何でしょうか。それは、我々に知性があるということです。人間は生きる上で、普遍的な命題にぶつかります。例えば、「生きることに何の意義があるのか」「人は死んだらどうなるのか」「この世界はどのように生まれ、そしてどこへ向かおうとしているのか」など、ただ生きていくだけなら必要のないこのような問いの数々。しかし、知らないことに対して知ろうとすることこそが知性の知性たるゆえんであり、人間の本性であるのです。フランスの思想家パスカルの「人間は自然のなかで最も脆い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。」は至極名言であると言わざるを得ません。そして、歴史を大局的に眺めると、それは自らの存在意義を確かめ、それを肯定するために先人達が苦悶してきた「知的闘争の歴史」だということが解るでしょう。私たちの祖先は、人間が誇り高い存在としての地位を獲得するために、未知のものと格闘し、この世界や宇宙に対して、偉大な価値と意味を見出すための知的試みを繰り返してきた。その試みの一つが宗教であり、人類発展の原動力であったと言っても過言ではありません。

 ところが、昨今の日本人は、思考するという訓練をしていないために、精神的に非常に未発達なのが解ります。最近の犯罪の傾向を見てみても、短絡的で衝動的な理由による犯罪が多いのもそれを良く表しているではありませんか。かつて世界に誇った日本精神はいったいどこへいったのでしょう。国家崩壊の最大の危機は、外的の侵入などではなく、国民の精神の頽廃にあります。吉田松陰先生や安岡正篤先生といった、日本を率いてきた大思想家達はこのことをよく理解していました。

 よって、私は21世紀の日本の真の繁栄には、日本精神の再興が必要不可欠であると信じて止みません。そしてそれは、日本人が日本人たるゆえんに対して、もう一度知的闘争を挑むことを意味しています。そこに日本人が気づいたとき、我が国は再び世界に名だたる一流国家として他国の信頼と尊敬を集めることができるでしょう。その具体的手法である「行動哲学としての農本生活」の説明は、また次の機会に譲ることにいたします。

 終わりに、藤田東湖先生が若き松陰先生に送られた金言を持って結びといたします。

「国難襲来す 国家の大事と雖も 深憂するに足らず 深憂とすべきは 人心の正気の足らざるにあり」

<参考文献>

小室直樹 著  「日本人のための宗教原理」 徳間書店
橋爪大三郎 著 「世界がわかる宗教社会学入門」 筑摩書房
2009年3月 執筆

 松下政経塾とは
松下政経塾は、パナソニックの創業者・松下幸之助によって設立されました。その原点は、「物と心の繁栄を通じて、平和で幸福な社会を実現したい」と願う強い想いでした


7月の鈴木さんの絵手紙

2022年07月28日 07時11分15秒 | 日記・断片

10日ぶりであろうか、早朝散歩に行く。
そこで、7月の絵手紙を鈴木さんからいただく。
何時もの月なら26日前後の日付けであるが、今月は22日だった。
「絵手紙、早いですね」
「暑いので、気合を入れて書いたので」と鈴木さんが言う。

ちなみに、鈴木さんと西村さんコンビの午前5時からの早朝散歩は、15年余続いているだろうか?
実業家の鈴木さんは当時、現役であった。
往きは利根川の堤防から、約2㌔先の<かたらいの郷>まで行き、帰りは吉田地区の田圃道から青柳地区まで戻ってくるコースだった。
散歩のコースは現在、八重洲地区だけの約1・5㌔に縮小された。
鈴木さんは、キリンビールの工場に近いマンションから自転車でスーパーマーケットのオコウまで着て、体操を約15分。
それから散歩に向かう。
西村さんは、散歩の後に5分ほど体操をするが、当方は太極拳の真似事を1分ほど。
猫のタマや野良猫のチビ黒の写真を撮っている。
猫のシマやルークも時には、近寄ってくる。
当方が可愛がっていた猫の太郎は外に出してもらえず、家の出窓で外を見ているだけだ。
太郎は脚が短い猫で、実に可愛い姿なのだ。

「かたらいの郷」は、1階は研修室・クッキングサロン・和室などのコミュニティの場、2階はつつじの湯・大利根の湯の浴室をはじめとしたリラクゼーションの場があります。

あらゆる世代の交流を目的としたスペースで、どなたでもご利用になれます。


紀藤弁護士 旧統一教会に超党派での対応要望 同時刻に蓮舫氏は「自民党」ツイート

2022年07月27日 21時29分11秒 | 事件・事故

7/27(水) 17:11配信 デイリースポーツ
 

紀藤正樹弁護士

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の霊感商法の訴訟を担当してきた全国霊感商法対策弁護士連絡会の紀藤正樹弁護士が27日、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」に出演し、国会議員に向けてあらためて旧統一教会と決別することを求めた。

 紀藤氏は2019年に国会議員に向けて、旧統一教会の関連団体などに「賛同メッセージを送らないこと」「選挙で信者の支援をうけないこと」を要望していた。昨年9月には安倍晋三元首相が旧統一教会関連団体のUPFに動画メッセージを送ったことに対して抗議文も送っていた。安倍氏を銃撃した山上徹也容疑者はこの動画を見て、安倍氏をターゲットにするようになったとされている。

 紀藤氏は「何度も警鐘を鳴らしてきた」とし、立憲民主党、共産党の会合にも出席したと伝えた。自民党は人事の関係で現時点では「動きにくい」状況であるとしたが「できたら超党派でやっていただきたい」と国会全体で問題に対応してもらいたいという意向を示した。

 旧統一教会については「反社会的な活動を長年継続している団体」と説明。「一般論で検討すると間違う」と「政教分離」の問題ではなく、霊感商法を行っている団体と政治家の関わりの問題として扱うべきとした。

 MCの宮根誠司は「政争の具ではなく、まさに超党派で国会でしっかり話さないと政治不信になりますよ」と紀藤氏に同意した。番組で「超党派」について語っていたのとほぼ同じ時刻に、立憲民主党の蓮舫参院議員は自身のツイッターで「そろいもそろって、支援を受ける宗教団体の一つとか、選挙応援を受けただけと口にする自民党議員。」とつぶやいていた。

 

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旧統一教会の名称変更めぐる「黒塗り開示」に批判 文化庁に理由を聞いた

2022年07月27日 21時20分49秒 | 事件・事故

7/27(水) 20:44配信 J-CASTニュース

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が長年希望していた名称変更が突然、文化庁に認められたことについて、2015年8月の決裁文書の開示を受けたところ、変更理由が黒塗りになっていたと、共産党の宮本徹衆院議員がツイッターで明らかにした。

【画像】共産党の宮本徹氏が黒塗り開示を投稿

 宮本氏は、宗教法人は税制上の特例を受けており、国民への説明責任があるとして、黒塗り部分は開示すべきだと批判している。なぜ開示しなかったのか文化庁の話を聞いた。

■共産党の宮本徹氏が、決裁文書の開示を受けてツイート

 名称変更するときは、宗教法人法に基づく規則を変更して文化庁から認証を受ける必要があるが、開示文書では、その「規則変更理由」の部分2、3行すべてが黒塗りになっていた。

 この開示文書の写真は、宮本氏が22年7月26日にツイッターで投稿した。

 宮本氏は、黒塗り開示を批判し、「隠さなければならない事情が書かれているのでしょうか。開示を求めます」と訴えた。旧統一教会からは、15年6月2日に申請があり、決済手続きが8月18日に始まって、同26日の決裁と同時に認証されていた。

 旧統一教会は、現在の「世界平和統一家庭連合」に名称変更できないか、1997年に初めて文化庁に相談している。しかし、霊感商法などが社会問題化していたことから、当時文化庁宗務課長だった前川喜平氏は、「実体が変わらないのに、名称を変えることはできない」と断ったと、20年12月1日にツイッターで明らかにしていた。

 その後も長い間、名称変更が実現していなかったが、自民党の下村博文衆院議員が文科相だった15年に、旧統一教会から申請が初めて行われて変更が実現している。

 下村氏はそれまで、旧統一教会系の日刊紙「世界日報」にインタビュー記事などが複数回載るなどして、教会との関係が指摘されていた。安倍晋三元首相の銃撃事件を受けて、週刊誌がこのことを取り上げようとすると、下村氏は22年7月13日、当時の文化部長が決裁しており、自分に伺いを立てることはしていないと文化庁に確認したとツイッターに投稿した。

「情報公開法に基づき、すべての法人に開示していない」
 下村氏は、7月21日の囲み取材でも、文化庁の担当者から当時、報告を受けたものの、文化部長の判断で変更を了承したとして、自身の関与を否定している。

 とはいえ、旧統一教会については、自民党など政治家との関係がメディアなどで取り沙汰されている。それだけに、決裁文書の開示を受けた宮本徹氏は、「申請前、あるいは申請から決裁までの間に政治家からどういう働きかけ、リアクションがあったのか」とツイッターで問題提起した。

 文化庁の宗務課は27日、宮本氏から国会議員として資料請求があったため、前日の26日に宮本氏に決裁文書を提出したとしたうえで、名称変更の理由を開示しなかったことについて、J-CASTニュースの取材にこう説明した。

「誤解がないように話しますが、今回に限ってのことではなく、すべての法人に対して同様に開示していません」

 開示しない理由については、情報公開法第5条2号のイに基づくと説明した。そこでは、行政文書開示について、「公にすることにより、当該法人等又は当該個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるもの」の情報を除くとされている。

「今回だけ特別な取り扱いをしたわけではなく、隠したということもありません。名称変更は、要件がそろっていればよく、申請が出ましたので受理しました。政治的な理由はありません。なぜこれまで申請がなかったのかは、法人側の事情もあると思いますが、こちらでは承知していません」

(J-CASTニュース編集部 野口博之)

 

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“統一教会”と国会議員 教団の「名称変更」情報開示で“黒塗り” 

2022年07月27日 21時12分24秒 | 事件・事故

関連団体の月刊誌に大臣室での写真も

7/27(水) 20:54配信 日テレNEWS

霊感商法などが社会問題となっている「世界平和統一家庭連合」いわゆる“統一教会”と国会議員との関わりが、27日もまた明らかになっています。安倍派幹部の下村元文部科学大臣もそのひとりで、野党が追及する考えです。

    ◇

“統一教会”の関連団体が主催する「ピースロード」というサイクリングイベント。その様子を撮影した動画では、懸命にペダルをこぐ人たちが映っていました。

動画の音声
「コロナ禍の中でも世界平和のために汗を流す青年たちの姿が、各地で注目を集めています」

動画で映されている横断幕には「ピースロード・イン・ジャパン」の文字。日本でも夏になると、全国各地で開催されています。

このイベントを巡り、教団との関与が浮上したのが、平井卓也前デジタル大臣です。2016年、香川県で行われた「ピースロード」の実行委員長として名前が記載されていて、去年は「世界平和」と書かれたたすきをかけ、香川県実行委員長として会合に参加していました。

さらに、地元市議のFacebookに掲載された写真で平井氏の2つ隣に座っているのは、現在の内閣官房副長官を務める磯崎仁彦氏です。2人に浮上した教団との関係。それぞれ、事務所に問い合わせてみると…

平井氏の事務所
「去年、実行委員長を務めた」

磯崎氏の事務所
「ピースロード香川の会合には出席した」

    ◇

教団と政治家を結ぶ、いくつもの接点。

野党が追及しているのは、自民党・安倍派の幹部である下村博文議員です。

共産党 宮本徹議員
「この(教団の)名称変更は、新たな被害の拡大につながった可能性があるわけですよね」

下村議員が文部科学大臣を務めていた2015年、教団の名称変更が行われましたが、自身の関与を否定しています。この経緯について、文化庁に情報開示を請求したところ…

共産党 宮本徹議員
「『規則変更理由』という所が真っ黒で出てきたんですけども」

名称変更を認めた理由の欄が、真っ黒に塗りつぶされていました。また、教団が提出した文書に至っては、内容がまるごと黒塗りにされていました。共産党の宮本徹議員は、全てを閲覧できるよう交渉中だといいます。

共産党 宮本徹議員
「被害を広げないために、名称変更は認めないということでやってきたわけですから、政治の圧力でゆがめられていたとしたら、本当に極めて重大な問題だと思います」

一方、教団側は「“世間の批判をかわすため”に名称を変えたかのような批判は、事実無根の的外れな憶測、決めつけにすぎません」「正体隠しではなく、かねてから名称変更を望んでいた」などと反論しています。

また下村議員は、名称が変更された翌年に教団の関連団体から6万円の献金を受けていたことが明らかになっていますが、それ以前にも関わりがありました。実は、関連団体が発行する月刊誌で少なくとも3回、表紙を飾っていたのです。

月刊Viewpoint 2014年2月号より
「世界日報主筆が文部科学省の大臣室で論じ合った」

いずれも、下村氏の大臣室でインタビューを行った写真が掲載されています。そのインタビュー記事では…

下村氏(月刊Viewpoint 2014年2月号より)
「ダボス会議に安倍総理と私が行って」
「日本から世界を変えていく貢献をしたいという精神的なことを発信していきます」

団体のインタビュアー(月刊Viewpoint 2014年2月号より)
「それは素晴らしい」

続々と浮上する政治家と教団との関わり。野党は、さらに調査を進める方針です。

事】


創作欄 父の死、夫の死の7月

2022年07月27日 18時34分14秒 | 創作欄

競馬好きで、阪神タイガースファンの祖父が亡くなったのは、平成9年、1997年だった。
「21世紀まで、生きたいな」と娘や孫たちに言っていたそうだ。
でも願も惜しくも、<あと3年>で逝ったのだ。
娘の敏子が午前2時に目覚め、トイレの行った時、風呂場の電気が灯っていた。
几帳面な父親が、「風呂場の電灯を消し忘れたのか?」といぶかり、風呂場のドアを開けると父親の信一が湯舟に沈んでいたので、驚愕して父親を助け起こした。
娘の夫の銀治が慌てふためき救急車を呼んだ。
不審な死とも考えられたことから警察官もやってきた。
そして、家族全員が刑事たちから事情聴取を受ける事態となる。
テレビ好きの父親は、家族の誰よりも遅く午後11時過ぎに風呂に入るのが習慣となっていた。
夕食後は、日本酒の熱燗を2合飲みながら、テレビでナイター野球を観戦していた。
結局、検視の結果<死因は心筋梗塞>であった。

皮肉なことに15年後、敏子の夫も心筋梗塞拘束で亡くなった。
酒好きの夫は高校の同窓会の日、懇親会後に熱海のホテルの湯舟で急死する。

友人たちが止めたのに、3度も一人で温泉風呂へ向かったそうだ。
47歳の若さだった。
父の死、夫の死、いずれも敏子の誕生月の7月であった。


利根輪太郎の競輪人気番 今度こそ!

2022年07月27日 12時04分54秒 | 新聞を読もう

GⅢ 佐世保競輪 九十九島賞争奪戦

人気を背負った新田 祐大選手は2日間、競輪ファンたちの期待を裏切ったのだ。
最終日、<今度こそ>と期待するのは必然。
競輪ファンは、新田の選手絡みの車券に投票して負けて、このまま引き下がれない心境となる。
初日の特選はメンバーから車券に絡まなくても<仕方ない>と諦められた。

だが、2日目は勝てるだろうと期待した。

レース評
新田は完調ではないが、このクラスなら能力一番。
武藤がマークだが、門田を利す渡部の連対も。
佐藤と瀬戸にはシビアな攻め
1番人気は3番新田 祐大選手と1番武藤 龍生選手の3-1(1.8倍)
だが、新田選手は期待を裏切り5着となり、配当は2車単8-2が2万820円(25番人気)、3連単8-2-1 15万1,840円(152番人気)の大穴となる。

では、3日目は?8番の山口 敦也選手に競りこまれた。
なめれたものだ。
そでも、何とか1着に。

7月26日 最終日7月26日

新田断然 11レースS級特秀

並び 1(97競り)6 5-2 8-3 4(単騎)

レース評
新田はワンランク上だ。
格違いの走りで他を圧倒。
番手は大森と岡田で競りだし、俊敏な渡部が相手。
不破−村田との絡みも。

1番人気1-3(3.9倍

結果

3-5 4,110円(13番人気)

3-5-1 1万4,160円(41番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 3 村田 雅一   11.2    
2 5 渡部 哲男 1/2車輪 11.3    
3 1 新田 祐大 3/4車身 10.9   S  
  4 4 山口 貴弘 1車身1/2 11.3      
5 9 大森 慶一 3/4車身 11.0      
  6 2 原 誠宏 1車輪 11.5      
  7 6 竹山 陵太 1/8車輪 10.9      
8 8 不破 将登 2車身 11.8   B  
9 7 岡田 泰地 3車身 11.4

戦い終わって

戦い終わって写真

 圧倒的人気の新田祐大は届かずまさかの3着。

中団から捲った渡部哲男に切換えた村田雅一が交して1着。

「不破将登君が主導権を取ってくれて新田君が構えてくれた。あれなら飛んで来ても1人かなと。不破君が落ち着いて駆けてくれた。渡部さんが中団から早めに来て何とか止めたかったけど。その後ろを捌いたのは最低限。新田君も来ると思ってシビアに行かせてもらった。準決は伊藤信さんが強かったから。オールスターに向けて課題は見つかった」。
 捲った渡部が2着に粘り「不破君はまだ伸びて行く感じがあったから、もっと待って仕掛けたかったけど。新田君に被るよりは無理やり。その結果、新田君が行きやすくなっても仕方ないから。今回の自力はたまたま出ただけ。でも何かがかみ合って来て、もがいた時の感じが違う。要因はひとつではなく色々。なんとなく理想の走りができるように」。


善の生命を開花していく 推進力は「学ぶ」こと

2022年07月27日 11時57分29秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽人間が人間として、真に人間らしく、善の生命を開花していく。
自身の尊い生命と同じく他者の生命を尊重する。

使命を果たしていく推進力は「学ぶ」ことである。

▽苦しい時ほど、前を向き、不屈の負けじ魂をも燃え上がらせて、学び抜くことだ。

▽人類は、真の正義が勝ち栄えるための生命力と英知と情熱を待ち望んでいる。

▽どの分野であれ、偉業は「まず、人ありき」である。
先頭に立つ人の<信念に生きる姿勢>。
また目標を達成するための努力と真剣な行動。
そこから信頼、団結、勝利の力は育まれていくに違いない。

▽中心軸がぶれてしまえば、力強い回転は生まれない。

▽真実の言葉は不滅で最上。

▽志を守り譲らない者が世を創るのだ―ゲーテ


自由からの逃走

2022年07月27日 09時45分06秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
現代の「自由」の問題は、機械主義社会や全体主義の圧力によって、個人の自由がおびやかされるというばかりでなく、人々がそこから逃れたくなる呪縛となりうる点にあるという斬新な観点で自由を解明した、必読の名著。
 

商品説明

 『自由からの逃走』はドイツ生まれの社会心理学者エーリッヒ・フロムによって1941年に発表された。
フロムはヒトラーの全体主義に世界が震撼するその最中に、この作品を世に送り出した。このことは本書が単なる研究者向けの論文ではなく、ナチに追われてアメリカに帰化した著者自身の「時代の狂気に対する叫び」でもあったことを物語っている。

   本書はナチズムに傾いていくドイツ国民とそれを先導した独裁者の心理状態を詳細に説明し、人々に「なぜ」を明らかにしている点で非常に興味深い。あの狂気を生んだ悲劇の根源は、「自由」という人類に与えられた恩恵であった。

その分析に触れるとき、読者は、本書が今もなお警鐘を鳴らし続けていることに気づくだろう。

   自由であることの痛烈な孤独と責任の重さを受け止め、真に人間性の実現といえる自由を希求することなくしては、人類にとって望ましい社会は生まれない。フロムは問う。

幸福を追求するために選んだ自由が果たして「本当の自由」といえるだろうか。「選ばされた自由」にごまかされてはいないか。

気づかぬうちに他者に対する加害者となっている自分を許してはいないか。

   フロムは、個人が生きるその社会の姿を理解することなしに、自由に生きることなどありえないと語る。本書は、国家のあり方という問題に対してだけではなく、現代に生きる個人がその人生を充足させるためにはどう生きるべきかという問題に対する重要なヒントとなっている。(齋藤佐奈美)

 
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm、1900年3月23日 - 1980年3月18日)は、ドイツ社会心理学精神分析哲学の研究者である。
ユダヤ系マルクス主義ジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。新フロイト派フロイト左派とされる。
 
フロムの思想の特徴は、フロイト以降の精神分析の知見を社会情勢全般に適応したところにある。
フロムの代表作とも言える『自由からの逃走』ではファシズムの心理学的起源を明らかにし、デモクラシー社会が取るべき処方箋が明らかにされている。
フロムによれば人は自分の有機体としての成長と自己実現が阻まれるとき、一種の危機に陥る。
この危機は人に対する攻撃性やサディズムマゾヒズム、および権威への従属と自己の自由を否定する権威主義に向かうことになる。
自分自身の有機体としての生産性を実現する生活こそが、それらの危険な自由からの逃避を免れる手段だと説いた。
フロムは、バールーフ・デ・スピノザと同じく「幸福は徳の証である」と考えていた。
つまり生産的な生活と人間の幸福と成長を願う人道主義的倫理を信奉するとき、人は幸福になれるとした。
 
 
 
高1男子です。親からの冬休みの宿題として、書評をします。

フロムが一貫して主張することは、「~からの自由」(消極的自由)は個人を孤独にさせ、その孤独は無力感を生み、人々は無力感による不安や絶望から逃れるために何かに服従しようとし、結果、自由から逃走してしまうということです。
自由から逃走した人々は社会の歯車や自動人形と化してしまうことにフロムは大きな危機感を覚えています。自由になるためには、「~への自由」(積極的自由)を自発的に求めて外界とのつながりを持ち孤独感を解消する必要があるといいます。

本文では無力感に打ちひしがれている人々が、彼らにとって魅力的な隷属への欲望をはねのけ、積極的自由の原動力である自発性を獲得できるかどうかという事には触れておらず、自由からの逃走に対した自由への前進といった内容が豊富でなかったことが残念な点でした。
しかし、自由からの逃走をサディズムとマゾヒズムの共棲関係と関連させて説明したところや、それぞれの社会階級ごとに分けてその性格を述べた内容はとても分かり易く、納得することが出来ました。

フロムの主張に関して身近な例を考えてみると、学校の部活動が思い当たります。部活という時間的束縛から逃れたいと思っていたとしても、もっともらしい理由(例えば帰ったとしてもやることが無いから等)を付けて合理化して、部を抜けた時の孤独感を回避しようとし、他の部員との関係を保つためだけに、もしくは部活という肩書を得て安心するためだけに、結局束縛を甘んじて受けることはフロムの消極的自由の回避のメカニズムを象徴しているように思います。

この例からも、私たちのごく身近にも服従の心理が働いていることが分かります。この本は、日々の生活を省みて「自由から逃走してはいないか」と自分自身に問いかけるきっかけになると思います。
 
 
 
 
『自由からの逃走』は、共同体の絆から自由になった近代人は孤独感や無力感にさいなまれており、自由から逃れようとする傾向にある…ということを指摘した本です。けっこう読みづらい本だったので、これから学ばれる方のために本文を要約してみました。

フロムは「序文」で、近代人は前個人的社会の絆から自由になったと述べます。近代人は自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られるそうです。
第一章は「自由ー心理学的問題か?」です。ファシズムが国民を魅惑した方法を理解するためには、われわれは心理的要素の役割を認めざるをえないとフロムは考えます。
第二章は「個人の解放と自由の多義性」です。個性化の過程において、個人が完全に解放される以前に存在する一連の絆を「第一次的絆」とフロムは呼びます。
子どもが成長し、第一次的絆が次第にたちきられるにつれて、自由を欲し独立を求める気持が生まれてきます。子どもは個性化が進むにつれて強くなっていく一方、孤独が増大していきます。孤独な子どもは、権威への服従か自発的行動かの二者択一を迫られます。
第三章は「宗教改革時代の自由」です。中世社会の人間はまだ第一次的絆によって世界と結ばれていましたが、ルネッサンスの時代になると貴族とブルジョアは自由と孤独を得ます。ルッター主義とカルヴィニズムは、都市の中産階級や貧困階級、また農民にいきわたっていた無力と不安の感情とともに、自由と独立の新しい感情をも表現していました。
第四章は「近代人における自由の二面性」です。近代社会の機構は、同時に二つの仕方で人間に影響をあたえています。その二つの仕方というのは、人間はよりいっそう独立的・自律的・批判的になったことと、よりいっそう孤立した・孤独な・恐怖にみちたものになったことです。資本主義社会がもたらした孤独と無力の感情は、気晴らしをする一般の普通人にはおおいかくされています。
第五章は「逃避のメカニズム」です。マゾヒズム的な人間は劣等感・無力感・個人の無意味さの感情にとりつかれており、外側の権力によりかかろうとします。サディズム的人間は孤独感と無力感から逃れるために、他者を支配しようとします。サド・マゾヒズム的性格のうち、ことに神経症的ではなくて正常な人間をさすばあい、フロムは「権威主義的性格」と呼びます。
権威主義的性格の人間は権威をたたえ服従しようとする一方、みずから権威となって他のものを服従させたいと願います。サディズムとマゾヒズムの根底には対象との共棲がみられますが、破壊性は対象を除去しようとします。破壊性もまた、たえがたい個人の無力感や孤独感にもとづいています。
孤独や無力を克服するために個人が自分自身であることをやめることを、フロムは「機械的画一性」と呼びます。
近代社会において自動機械となった人々は、安定をもたらしてくれるような権威に、たやすく従属しようとします。
第六章は「ナチズムの心理」です。
労働者階級や自由主義的およびカトリック的なブルジョアジーの消極的なあきらめの態度と対照的に、ナチのイデオロギーは下層中産階級によって熱烈に歓迎されました。ヒットラーのパースナリティ、かれの教説およびナチの組織は権威主義的な性格構造の極端な形態を表現しており、ヒットラーと同じような性格構造を持った民衆に強く訴えました。
ヒットラーは大衆をサディズム的方法で軽蔑し愛し、神・運命・必然・歴史・自然にマゾヒズム的に服従しました。
第七章は「自由とデモクラシー」です。われわれの社会では、感情や思考、意志的行為における独創性が欠如しているとフロムは考えます。自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲にすることなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道です。
人間が社会を支配し、経済機構を人間の幸福の目的に従属させるときにのみ、また人間が積極的に社会過程に参加するときにのみ、人間は現在かれを絶望ー孤独と無力感ーにかりたてているものを克服することができると、フロムは結論づけています。
 
 
 
社会心理学者のフロム氏による代表作です。本書は80年ほど昔の本になりますが、2019年現在で読んでもまったく色褪せない内容を含んでいると思いますし、おそらく80年後にもまだ読まれているでしょう
。歴史を作り上げていくのは「社会的経済的条件」「イデオロギー」についで「社会的性格」が重要な役割を果たす、というのが本書の主張になります。具体的には自由からの逃走を引き起こすような「社会的性格」の存在に本書は警鐘を鳴らしているわけです。

人間は束縛からの自由を得るとき(フロム流に言えば消極的な自由を得た時(〜からの自由))、気持ちの高揚感を得ると同時に、孤独感や自分の無意味感、無力感を同時に感じてしまいます。
その際に人間が取りうる行動としては大きく2つある。
1つは「積極的な自由」つまり、「〜への自由」ということで積極的・自発的に活動を行うこと。
もう1つはより大きな権威などに寄り添って自分の自由を放棄してしまう、つまり自我を失うけれども心の拠り所を得る行為にでるわけです。
後者の例として本書ではプロテスタンティズムやナチズム、またサディスティック/マゾヒスティックを例として挙げています。
おそらくこの現象は社会の激変期に起こりやすいのだと思うのですが、AIやロボットが人々の仕事を置き換えていくような時代が本格的に到来すると、フロムが警鐘を鳴らしているような「社会的性格」が広く出現するかもしれない、と思いました。
 
 
 
昔の本なので、古典としての知識拡充で読もうと思い手に取りましたが、正に今の日本人が読むべき本だと感じました。
今の日本の幾らお金があって時間があって自由でも、自由である事が逆に安定せず、生き甲斐を失い、結果自らを全体の方向性に偏らせ自由を捨ててしまうこの状況は、正にこの本で語られている内容です。
 
 
 
人間の摂理について論文調で論旨が展開される.主題ははっきりしていて,自由を2種に区分したうえで人々の行動を論じている.論文調なので読みにくいと感じる人がいるかもしれないが,慎重な書きぶりには安心感がある.
後半のフロイト云々の部分はいまひとつ論旨との関係がしっくりこなかった.その時代の流行なのかも.
 
 
 
 
 

マインド・コントロールとは何か

2022年07月27日 09時37分01秒 | 社会・文化・政治・経済

西田 公昭  (著)

内容(「BOOK」データベースより)

破壊的カルトの誘いのテクニックから、組織内での心理操作、脱マインド・コントロールまで、豊富な実例と心理的実験をあげながら、その原理を明快に解き明かす。防衛と抵抗のために、すべての人がいま実学として知るべきマインド・コントロールのすべて。

内容(「MARC」データベースより)

多くの人が一生のうち何回か破壊的カルトからマインドコントロールの攻撃を受けるだろう。その時人はどう対処するだろう。それに抵抗したり防衛したりは出来る。正しい知識を持つことがその最大の防御になるのだ。
 
 
 
本書は「洗脳」を個人を強制的に拘禁し、精神構造を強制的に生理的に変化させる
昔からある方法とし、
「マインド・コントロール」は、より洗練された手法で必ずしも身体的拘束を伴わず、
「破壊的カルト」が対象に意識させず秘密裏に行う心理操作、と定義しています。
心理学上「マインド・コントロール」という言葉は(少なくとも本書出版当時は)定義されて
おらず、似たような概念の「セルフ・コントロール」「自律訓練法」「心理療法」とは異なり
良い意味で使われるものではないとしています。

なお破壊的カルトとは「警戒すべき幾つかの特徴を持つ、組織された反社会的な集団」
とのことです。意識操作の手法として国家が研究してきた「洗脳」の歴史やメカニズム、
それをさらに高度に発展させた「マインドコントロール」について、心理学的な研究、実験
などを基に大変細かく科学的に整理された本です。破壊的カルトによるマインドコントロール
の利用手法なども紹介されます。

著者は科学者としてマインドコントロールの是非を問うような定義づけが、既に抵抗を
感じるとしながら研究方法としては主観を排して客観的に追求したいとしており、
私個人の感想としても特に主観を強く感じるようなものはないかな、と感じました。

人間は生き物としてパターン、習性をもっていてそれを薬物など外的要因で目に見える形で
もって変化させる洗脳とは違って、対象に操作を意識させず、あるいは自らに判断させている
と誤認させるといった手法のマインドコントロールのテクニックのひとつひとつは、
その程度こそ異なれど私たちの生活に身近なものです。セールス、勧誘、コマーシャル、
世の中には他人の無意識を誘導しようとする目的のものは溢れています。そうしたものが
どういう理屈でなされているか科学的に解説されます。

「マインドコントロール」という言葉からはやはりカルトなどを連想してしまいどこか怪しい、
神秘的なものにも捉えてしまうのですが、実は人間の思考と意思決定のプロセスを科学的に研究
し尽くした末に成立しているものだということがわかります。
人間が外からの刺激に基づいて意識(ビリーフ)を形成していく以上、悪意を持ってその刺激を
操作されてしまっては程度は異なれどどんな人間でも逃れようがない、ということもわかります。
人間の思考/意思決定プロセスに興味のある方にもおススメです。
 
 
 
洗脳とマインドコントロールの違いの説明や、
実際の事件・臨床実験などのデータを多数交えながらの解説がとても分かりやすく説得力があります。
この本を読んで、マインドコントロールに対する恐怖心や考え方がガラッと変わりました。
マインドコントロールはとても科学的なもので、だれにでも被害にあう可能性があるのだと思い知らされました。

カルト集団の例を中心に順を追って解説されていますが、
この本を読むことでマインドコントロールの仕組みが理解できます。
抽象的な言葉などでごまかしたり恐怖心をあおったりしているだけの中身のない本ではなく、
社会臨床学や心理学などの実験や社会的事件などをきちんと示して、
人の思考や心の原理について分かりやすい言葉や例で説明してあるので納得できます。

高校教師がナチス支配下の全体主義を教えるために授業で始めたゲームが、
全校生徒を巻き込んでマインドコントロールされた集団へと変貌してしまう「ザ・ウェーブ」の事件の話がとても印象的でした。

またマインドコントロールからの脱却方法についての説明や、
カルト集団から離脱した人たちやその家族のリアルな証言が何とも言えない気持ちにさせられました。
 
 
 
 巷間に溢れている「思い通りにする〜」や「〜の心が手に取るようにわかる」本はすべて、
この本を焼きなおしているのか?と思わせるような網羅性です。
 もちろん、マインドコントロールに焦点を当ててますが洗脳との違いも詳しく書かれています(NLPのような擬似的な心理学は対象外です)。
 平易な書きぶりですが学術書としても読めます(軽い読み物だと思うとしんどいかも)。

 私たちの行う判断の脆さを痛感させられる本です。
 有名なミルグラムの実験も記載されています。
ヒトラーひとりを憎悪して「ありえない」「許すべきでない」「二度と起こさせない」と感情的に思う人たちが、
また同じように名前の違うヒトラーを易々と生み出す可能性が書かれていると思います。
(つまり東条英機やオウムを個人的に非難しても意味がない)
状況といったものがもつ重要さ・・・一度作られた状況に対して人間は逃げるのではなく同化して状況の強化に手助けしてしまう。
人間関係や情報の分断や偏向性がもつ恐ろしさ・・・人間関係が分断されて一定の情報を多量に浴びると、間違った判断に誘導されていても自分で判断したものだと思うようになる。色付けされた概念を前もって利用させておくと、個々人の信念体系に影響をあたえ、間違いに気づきにくくなるどころか、自己に都合のいいように解釈しだす(2ch等は負のイメージ概念で構成されているので、そこにどっぷり浸かっていれば、自ら負のイメージ世界を構成しだすというように読めます。もしかすると表現の自由で守られていますが暴力や性についても同様かも)。

 「自分の意志しだいでどうにでも自由になると思い込んでいることが多い」だから「やってみなきゃあ、わからない。とりあえず経験してみてからでも遅くはない」という軽い気持ちで動くが、それは非常に要注意なのだ。ふたたび抜けようと思っても、動き出したものは個人レベルでも社会レベルでもなかなか止めることができない。→ちょっと意訳しましたが、それってまるで民主党政権を選んだことのようにも・・・・

 最後にエイリッヒフロムを引用されています。
 人間は不安を抱くものであり、現代人はそれから逃げようとして自由を放棄し、強力なものに支配してもらいたいと願う傾向がある。
 だから単純で断定的、権威的な話を、よいと判断してしまう。
 根っこにあるのは、なかなか見直すことができない個人の思考のrigidity(固さ)であり、曖昧なものに対する嫌悪感であり、これが他者からの影響を易々と受けさせる原因である。つまりそれが人の心理の弱さの正体である。
 としています。
 ひょっとしたらそれが社会の問題の正体なのかもしれません。

 単なるオウム事件等のような特殊な事件だけでなく、社会のあり方、個々人のあり方を根本的に問い直す契機にもなりうる本ではないかと思います。
 
 ちょっと社会へ敷衍してレビューしましたが、この本が書かれた17年前より人々の心理的状況は悪くなっているように思います。それだけ不安が増しているのでしょう。危険です・・・

 ☆5つでもいいですが、できれば最新の知見を含んだものも読みたかった、この17年間を俯瞰してほしいという個人的欲求から☆一つ減らしました。

巧妙化する「カルト宗教」の勧誘手法 SDGs、就活、ボランティア…富裕層女性は「心」で落とす〈dot.〉

2022年07月27日 09時30分02秒 | 事件・事故

7/26(火) 7:00配信 AERA dot.

ある国立大学に設置されたカルト宗教勧誘に注意をうながす看板。画像の一部を加工しています(2014年)

安倍元首相の銃撃死亡事件で、山上徹也容疑者(41)の母親が入信している「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に注目が集まっている。信者の家庭を崩壊させるほど献金をさせる実態が取り沙汰されているが、そもそもこうした「カルト」とも呼ばれる宗教団体は今、いかにして一般人を勧誘しているのか。専門家に取材した。

【写真】「偽装勧誘はしてない」と答えた教団の教祖はこちら

*  *  *
「このイベント、怪しくないでしょうか」

 旧統一教会や、2006年に教祖による女性信者への性的暴行疑惑などが社会問題化した「摂理」(キリスト教福音宣教会)などの宗教団体と対峙してきた全国霊感商法対策弁護士連絡会の渡辺博弁護士のもとに、最近、ある大学の関係者から情報が寄せられた。

 イベントのテーマは「SDGs(持続可能な開発目標)」。テーマ自体は気候変動や環境保全と絡む大事な問題だが、大学側が怪しいと直感したのは、主催者の名称がイベント名を冠した「~実行委員会」とだけ書かれていた点だ。実在の団体名などは記されておらず、実行委員会のことを調べても、主催者の実態や事務所などの拠点があるのかがはっきりしなかった。

 渡辺弁護士が調べた結果、旧統一教会が絡んだイベントだと分かった。

 近年、旧統一教会や摂理が、こうしたSDGsに関する講演などのイベントを、正体を隠して開催するケースが目立っているという。

 スポーツ活動やゴスペルサークルなどに偽装した勧誘は昔から続く手口だが、時代の流れに合わせ「表の顔」を変えているようだ。

 渡辺弁護士が解説する。

「全国の大学がこうしたカルト宗教によるSDGs関連のイベントに頭を悩ませています。主催者について、『~実行委員会』などと正体を隠していること。また、信者の大学生が、その分野が専門の教授に『ぜひ先生のお話を』などと取り入って実際に登壇してもらうため、おかしなイベントだとは分からない。その先生は何も知らずに登壇してしまうので、むしろちゃんとした講演会だというお墨付きを与えてしまうのです。参加者の名簿をもとに勧誘につなげるのだと思います」

渡辺弁護士によると、大学生などの若者には、SNSを通じて接触してくるケースも多いという。

 ツイッターで「#春から〇〇大」など新入生だとわかるハッシュタグや、就活を控えた学生に、学生生活や就活のアドバイスと称して、現役学生や卒業生の信者が近づいてくるという。

 摂理は、主に大学生らの若者を勧誘のターゲットにしている。SDGs以外にも、環境問題やボランティアなどに関心のある「意識の高い学生」を狙い、有名企業で活躍する信者らが登場するイベントに誘ったりする。その道に興味がある学生にとって、勧誘の入り口を魅力的に仕上げているのだ。そうした徹底的な正体隠しによって、警戒心を抱かせずに関係をつくった後、「聖書を学ぼう」などと徐々に宗教色を出し始め取り込んでいく。

 一方で、統一教会のメーンターゲットは中高年の裕福な女性である。

 特に狙われやすいのが、山上容疑者の母親のように、配偶者と死別するなどし、深い悲しみや孤独を抱えている人だという。

 2人1組で家を訪問し、「手相を見る」などと話しかけるのが常套の手口。普通はここで断りそうなものだが、悲しみの底にいる人は誰かに話を聞いてほしかったり孤独を抱えたりしているため、会話に応じてしまうのだという。

「彼らは本当によく話を聞きます。長い時間をかけて、その人が抱えているつらさや思いにじっくり耳を傾けます。苦しい時に話を聞いてくれるので、信頼が生まれてしまうのです」(渡辺弁護士)

 次のステップは、集会への勧誘だ。名目は「供養を学ぶ会」であったり、「大病を克服して生きている人の話を聞く会」だったりするのだが、2人1組の信者には役割分担がある。一人が熱心に誘う役目で、もう一人は「私も誘われて参加してみたら、とても勉強になったんですよ」などと相づちを打ち、不安を取り除くのだ。

「人間関係が出来上がった後になって『因縁や祟り』などの話を持ち出します。『先祖が地獄で苦しんでいますから、今できることを精いっぱいやりましょう』などと、一気に数千万円の献金をさせる。世界平和統一家庭連合の名前を出し正体を明かす前に、献金させてしまうこともあります」(渡辺弁護士)

 渡辺弁護士によると、過去には、若くして税理士の夫を亡くし、悲しみにくれていた40代の女性が、こうした手口で取り込まれた。

 子どもの将来のために使うはずだった夫の生命保険金を全額献金し、実家の両親にも高額の壺を買わせた。教団からはさらに高麗ニンジンを使った商品の販売ノルマを課せられており、両親に数百万円で買い取るよう要求したところ、拒否された。

 ノルマが苦になったのか、女性はその後、実家近くの川で自殺したという。

 大学などで若者をターゲットにする際は、一人でいる人を狙うケースが圧倒的に多いと渡辺弁護士は言う。

 全国の多くの大学が「カルト宗教による勧誘が続いている」としてホームページ(HP)や入学時のオリエンテーションなどで学生たちに注意を促している。大阪大学は「ボランティアやスポーツサークルを隠れみのにしたカルト団体に要注意」として、勧誘のパターンを動画にまとめて公開した。青山学院大は旧統一教会と摂理を「危険な宗教団体」と名指しして、HPで勧誘活動への注意を呼び掛けている。スポーツ活動やコンサート、ボランティアなど声かけの手口はさまざまだが、首都圏のある私大の担当者は「ラウンジや共有スペースに一人でいるときに声を掛けられることが多い」と説明する。

 学内や学校の近くで一人でいるときに話しかけられたら、一度注意をした方がいい。イベントが魅力的でもまずは主催者を確認し、何者かが分からなければ学生課に相談するのも手だ。

「入信してからの対応は難しいので、声をかけられた時点ですぐに相談にきてほしい」(前出の担当者)

 こうした宗教団体は勧誘していることを誰かに話されるのを嫌がるため、渡辺弁護士もすぐ誰かに話すことを推奨する。

「勧誘された時、『友達に相談しますね』などと言ってみること。また、友人でも親でもいいので、誰かと会ったり、誘われたことを話すことが大切です。自分はいい人だと思っていても、第三者は冷静ですから、何かおかしいと気づいてくれることがよくあります」

 渡辺弁護士らは、旧統一教会の反社会的行為は明らかだとして安倍元首相を含め多くの政治家たちに、旧統一教会と関係を持たないよう要請する文書を送り続けてきた。ただ、「選挙の手伝いなど、政治家が助けてほしいと思っている場面に巧妙に登場するのが旧統一教会」(渡辺弁護士)といい、ずるずると関係が続いている現状がある。ただ、政治家とのつながりを示すことで教団の活動を正当化し、さらには捜査当局の忖度までも生んでいるというのが団体と対峙してきた専門家らの見解だ。

 渡辺弁護士がかつて会った統一教会の信者は、「狙った人は全員落とす自信がある。ただ、落とすまでに手間がかかる人は避け、手間のかからない人を狙う」と話したという。

 政治には頼れず、捜査当局も動かないなら自分で身を守るしかない。どんなに魅力的な誘いに映ったとしても、信じる前に何か一つでも行動する。そして、相手に「面倒くさそうだ」と感じさせることが必要なのかもしれない。(AERA dot.編集部・國府田英之)

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