という言葉、近頃よく耳に。
その商品「どこのだれがどうやって作っているか」
を、公開する事か。。。
よくスーパーの商品のバーコードなんかを携帯で
読み取ると、その生産から流通までの情報が見れる
というヤツ。
これをわが町の道の駅でも導入するとかしないとか、
そんな内容が中心で来月理事会を開くらしい。
今月頭の理事会でもその話は出たが、皆概ね必要無し
との意見。
必要でしょうか?
結構お金が掛かって大変らしいのはさておいても、
お客さんの立場としてみても、使った事は一度もない。
必要なのはそんなものでは無い気がする。
怖いもんには手を出さなければ良いだけの話。
そんな判断さえ出来ないの?と思う面もあるし。
私がこっちに帰って農家をやろうと思った時、昔の
「物物交換」を想像していた、それが理想。
自分は自分の必要とするもの全てを作り出す事は出来ない。
昔は野菜作る人、魚を捕る人、肉を持ってる人、何か手に職持つ人。
自分のもつ「商品」を代金に、欲しいものと交換していた。
イメージしたのは、そんな色んな人種がお隣さんに居て、
垣根の向うから「ちょい!今日いい鯛釣れたから、あんた
とこのそのうまそ~な白菜と交換してや!?」ってな感じ。
そこでは自分を鍛える目とモノの価値を判断する目が自然に
養われる。
その理想は今でも変わってない。
自分は自営の道で、自分の作れるモノを世に提供し、その対価を
頂き生活している。
商売という流れの中でも、その商品価値を伝え、支持が
あって今の自分がいる。
その事に、とてもありがたい という想いを持っている。
その「間」にある大事な部分が、今の世の中で欠けているのかも、
と思う。合理化と情報化が進んでいく程。
触れ合えば簡単に分かりそうな事をイチイチ制度化してしまう面
倒臭さを当たり前と見る世の中って、少し残念だと思いませんか?
テレビもそうだが、学校の教壇に立つ友人の話を聞いても、何だか
インターネットの世界と勘違いしちゃってるんではないの?という
怖い話ばかり。
必要な最低限の「ゆとり」くらいは持ちたいものだ。
帰って来い来い物物交換社会!!!
その商品「どこのだれがどうやって作っているか」
を、公開する事か。。。
よくスーパーの商品のバーコードなんかを携帯で
読み取ると、その生産から流通までの情報が見れる
というヤツ。
これをわが町の道の駅でも導入するとかしないとか、
そんな内容が中心で来月理事会を開くらしい。
今月頭の理事会でもその話は出たが、皆概ね必要無し
との意見。
必要でしょうか?
結構お金が掛かって大変らしいのはさておいても、
お客さんの立場としてみても、使った事は一度もない。
必要なのはそんなものでは無い気がする。
怖いもんには手を出さなければ良いだけの話。
そんな判断さえ出来ないの?と思う面もあるし。
私がこっちに帰って農家をやろうと思った時、昔の
「物物交換」を想像していた、それが理想。
自分は自分の必要とするもの全てを作り出す事は出来ない。
昔は野菜作る人、魚を捕る人、肉を持ってる人、何か手に職持つ人。
自分のもつ「商品」を代金に、欲しいものと交換していた。
イメージしたのは、そんな色んな人種がお隣さんに居て、
垣根の向うから「ちょい!今日いい鯛釣れたから、あんた
とこのそのうまそ~な白菜と交換してや!?」ってな感じ。
そこでは自分を鍛える目とモノの価値を判断する目が自然に
養われる。
その理想は今でも変わってない。
自分は自営の道で、自分の作れるモノを世に提供し、その対価を
頂き生活している。
商売という流れの中でも、その商品価値を伝え、支持が
あって今の自分がいる。
その事に、とてもありがたい という想いを持っている。
その「間」にある大事な部分が、今の世の中で欠けているのかも、
と思う。合理化と情報化が進んでいく程。
触れ合えば簡単に分かりそうな事をイチイチ制度化してしまう面
倒臭さを当たり前と見る世の中って、少し残念だと思いませんか?
テレビもそうだが、学校の教壇に立つ友人の話を聞いても、何だか
インターネットの世界と勘違いしちゃってるんではないの?という
怖い話ばかり。
必要な最低限の「ゆとり」くらいは持ちたいものだ。
帰って来い来い物物交換社会!!!