早いもので、今年もひと月終わりました。
先月は風邪に苦しめられしんどかった。
たくさんのご心配ありがとうございました。
昨日、今日とチーム四万十来訪。
今回が今シーズンラスト、最終回。
先日の高知会議後の地元の反応などを踏まえ、
代表曽木さんのアイデアで、普段折り子として関わってる地元インストラクターが参加しやすい場所をと
岩出山で初日の会議をやりました。
なぜニューヨーク?
を言う前にあえて海山の立ち上がりの話から、四万十へとつながり、
そしてタッグを組んで進行するプロジェクトまでを冒頭に振り返ってスタート。
四万十は総大将・畦地さんを始め、梅原先生、ともこねーさん、洋行さんと、スペシャリスト揃いでもあり、
まだまだ見劣りする我々海山との関わりは、ともすれば四万十主導と思われがちなのは仕方がない。
ねーさんの言葉が印象的。
「始まった三年前から”タノシムチカラ”をキーワードにやってきた。
”タノシム”というと遊び半分と誤解されがちだけれども、ものごと進めば必ずカベやトラブルは付きもの。
そこを、メンバー皆であえてアタマにアソビ(余白)を持つぐらいの気持ちで知恵を出し合い、
一つ一つ山を超えてゆく。これがタノシムというエネルギー」
その言葉通り、出会って以来、年に5,6回、一度に3日ほどじっくりと私達の現状に耳を傾けてチカラを貸してくれてきました。
それは「こうすればええやんっ」というものではなく「仲間」として接してくれた。
出来ないよ、ふつうこんなことは。お金をもらったって出来ない。
それが、ホントにうれしかった。。。
初めて会議に参加した折手のおばちゃんが発した会議終わりの言葉が全て。
「な~~~んだってやぁ!ず~っと、えら~ぐ高知の人らに世話んなって来たんだっちゃ!
それがよ~~~っくわがった! 恩返ししねくてねー!」
まずそのホントの一歩が新聞バックコンクールinN・Y。
関わるものみんなで東北から、どんな新聞バックコンクールをやりたいのか、
タノシムココロ全開で出し合いました。
なんでニューヨーク?の根本はここ東北新聞BAGのコンクールをどんなものにするか。
それはつまり継続。仕事としてスタートした仕事である新聞BAGを継続するための仕掛け。
これが発端。
そして、はじまりの四万十があり、今では350人を超える新聞BAGインストラクターがいる。
そんな御縁がさらに加わったら東北の為の新聞BAGの切り口や見方がたっくさん出来る。見つけられる。
まさしくこれが根っこのカタチ。
振り返れば海山も「海も山も顔会ってないだけでお互いに支えあってきた地元だろう」と始まった共に興したプロジェクト。
そこに四万十が同じ気持で地方のご縁で加わってくれた。
なら今度は共に発信しようよ、どこに向かってくんだ!?「ニューヨークだろう!」という梅原先生のコトバでみんな、腑に落ちた。
四万十についていくのではなく、テーマの中心といえどまだ難しいところも沢山ある東北が舞台でもない、ともにタノシムチカラ全開で望める場所。
それがニューヨーク。
発信はでっかく、作る価値は小さくともしっかりと確実に。
自営業を通じてずっとアタマにあったコトそのまま、梅原先生もズバリ!さすがでした。
初日。沢山のアイデアが出て盛り上がって終了。
夜は最後ということもあり、鳴子温泉にて大交流会。
いつものようにワイワイたのしく、そして学びの第二弾。
ねーさんのマル秘プレゼンテーション付。
これはほっかぶりにすごくヒントになる素晴らしいもの。
ぜひともカタチにしたいものです。
今回は後半三時間は歌いっぱなし! はっちゃけぶっちゃけ気づけば日付が変わってました(笑)。
今日一番うれしかったのは、鳴子に住むインストラクターK條さんが、これまででいっちばん!心から楽しい顔でぶっちゃけてたこと。
いつにもまして記憶に残る一日になりました。
明けて2日目。
結局帰れずに鳴子に私も泊まってしまってみんなと一緒に出発。
古川に移動して会議。
気仙沼から小野寺くんも合流し、まとめの会。
ここからが本番。
千里の道も一歩から、の精神で、こっちの仲間と少しずつニューヨークまでの階段をカタチにしていきます。
みなさん、ふつつかものな私ですが、どうぞチカラを貸してください!
よろしくお願いいたします!
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