朝イチでなんばん焼く。100キロ。
辛い方の品種はもう最盛期。中辛がもっとノッてくれないと・・・と思いながら。
朝といえど炭の遠赤効果で汗ぐっしょり。
その足で南三陸へ。
昨年の海の手山の手ネットワーク発足から繋がりが出来た埼玉・日高の人たち「日高くるくるネット軍団」がやってきました。
代表を務める紙さんは無農薬・無化学肥料の自家採種できる野菜や花のタネを販売する「たねの森」を経営する自営業者。
以前からGAIAを通じて知っていて種も買っていたけれど、震災後にリアルに交流が始まりました。
海山がスタートしたところに「東北応援」の声をあげてくれて、それ以来、販売を通じて支えてくれました。
これまでに累計1万枚にせまるほどの新聞バックを世に出してきましたが、お客さん第一号はこの紙さんなんです!
そんな彼が仲間とともに被災地を巡り、もう一度「震災復興を考える機会を」と一泊二日でやって来てくれました。
東北村の村営学校という形でお招きし、現地の私らも共に考えた時間でした。
みんなが初めてという南三陸へ。
先日もお伺いした小野寺さんの畑へお邪魔し昼食。
震災前後の話、そして復活した菊の話を伺いながら手作りのおもてなしを受けました。
海山ネットとして数回伺っているけれど、やっぱり行く度にその「心境」を聞くと、現実の厳しさが伺えます。
「生きる」拠点の住処を失っての仮設での生活。
菊を再開したものの、やはり心の芯からほっと出来る場所を失った、そして今だに新たな場所を作れる見通しの無い現在がどれほどの心労をもたらしているか・・・
こういう厳しさは、実際に感じないとわからないと思う。
震災とか、復興とか、言葉だけは感じ取れないし絶対的な距離がその濃度を薄めてしまうと感じます。
救いだったのは、我々が訪ねて行く事が、良くも悪くも前に進む、未来をもう一度作るんだ!という気持ちを喚起してくれるという話をしてくれた時。
それでもやっぱ、我々と現地でも距離があるし・・・そう言って頂いた言葉がとても重かったですね。。なんとも。
嬉しいことに、みんなが来るというのでプレゼントの花をたくさん用意してくれてました。
折角なのでみんなで花束を作るプチワークショップ、花生産者の仕事を少しだけれど体験できたのは貴重。
少しでも効率良く、という手作り道具もアチコチにあり学びの時間でした。
小野寺さんとお別れした後、
時間も無かったのですが、南三陸中心街だった場所で「感じる時間」を。
夕方近くだったのですが、地盤沈下の影響がすごい。
アチコチの穴から海水が溢れ出し、一面があっという間に侵食されていってました。。。
その後、一行を鳴子温泉までお連れしして大沼旅館に宿泊。
海山ネットメンバーも勢揃いして夕食を共にした後、海山教室。
皆で車座になってザックバランに交流&復興、支援を考える時間。
現地で動く我々も、遠くから応援してくれるクルクル軍団も想いは同じ。
だけども、時間が経つにつれ、日常から、震災があったという事実がだんだんと薄れて来てしまった。。
自分たちは誰の為に、何を目的に今の活動をしているのか、続けるのか。
間違っていけないのは、やるべきだからやっている、忘れてはいけないから喚起し続ける為、ではないということ。
それじゃ、息切れしちゃうもんね。
短い時間だったけれど、素の自分の内面を吐露しあうこういう場が、まずは一番必要だなと思った夜でした。
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