こんにちは。
おかげさまで、朝から仕立て屋さんを回っております。
(お仕事があるからならこそなのでありますね)
何かと無理を言える仕立て屋さんがいてくれて、本当にありがたいのです。
仕立て屋さんと呉服屋のあたしが、ともに「嬉しい、楽しい、幸せ」という関係が維持できるように、ささやかながら頑張りたいと思っています。
さて、先日のNHKの番組「プロフェッショナル」で、「山岳警備隊・山田智敏(ちとし)さん」を取り上げておりました。
その山田さんが番組のコメントで、「おかげさま、おかげさま・・・」と言うのです。
40歳と言っておられましたが、40にして「おかげさま」という言葉は、よほどの経験がないと自然とでては来ないと思ったのだね。
お仕事の現場である「お山」は、時としておよそ常人の限度をはるかに超えた修羅場ともなりえるのでありましょう。
そんな中を、若い部下を率いて先導する彼には、「私」の限界を知ることこそが、生きる上(もっというと、関わる皆が生かされる上)でのとても大切な何かの基準になっているのであろうと推測できました。
そんな事を感じていた本日、お客様がご来店。
お嬢様とお母様が、振袖をご覧くださいました。
お嬢様がこんなことを申されました・・・
「成人式で、あまり目立ちたくはないのです・・・」
目立つという意味も、言葉の上ではどうとでも取れる言葉ですが、そのときのそのお嬢様の雰囲気を感じるあたしは、突然でしたが、
「秘すれば花ですね!」
と、口をついていたのでありました。
元来好きなようにやっている商いですが、この頃はそれに拍車がかかりまして、時には英語が、時には禅語が飛び出したりいたします。
(その代わり、今どきの流行の言葉は知らないのでありました・・・ゴメンネ)
通じたかどうかは別にして(というか、コイツは何を言っているのだ?と思われているかもしれないということは無視をして)、「格別目立ちたくはないけれど、それながらの自我の存在というものは主張したい」という意向を汲み取ったあたくしです。
早速に「これは良いと思います」と断言できる着物をお目通りいただきまして、ありがたくご成約。
そして思う・・・
あたしにできることはたかだか知れておりますが、それながらの己の限界を確かめながらお客様に最大限のことしようということがすべてであろうと思うのです。
過小でも過大でもなく、今のあたしの「これが、今のあたしそのままです」というのを判断するあたし自身というのは、常にあってよいと思うのでありました。
それは別の言葉を借りれば、
「おかげさまで、今ここのあたしでいられます」
ということなのだなぁと思うのよ。
・・・必要な時にあたしがいて、それで役に立てば、それがなによりありがたいと思うのでありました。(その判断は、観客しかできません)
「秘すれば花」と言った自分自身で、それを反芻するのでありました。
(でもね・・・何かしら思い立つものがあったときは、ドカーンと出来るあたしでありたいとも思うのであります。・・・だから、いざ鎌倉!に備えて、準備は怠らないようにしたいのだよ)
おかげさまで、朝から仕立て屋さんを回っております。
(お仕事があるからならこそなのでありますね)
何かと無理を言える仕立て屋さんがいてくれて、本当にありがたいのです。
仕立て屋さんと呉服屋のあたしが、ともに「嬉しい、楽しい、幸せ」という関係が維持できるように、ささやかながら頑張りたいと思っています。
さて、先日のNHKの番組「プロフェッショナル」で、「山岳警備隊・山田智敏(ちとし)さん」を取り上げておりました。
その山田さんが番組のコメントで、「おかげさま、おかげさま・・・」と言うのです。
40歳と言っておられましたが、40にして「おかげさま」という言葉は、よほどの経験がないと自然とでては来ないと思ったのだね。
お仕事の現場である「お山」は、時としておよそ常人の限度をはるかに超えた修羅場ともなりえるのでありましょう。
そんな中を、若い部下を率いて先導する彼には、「私」の限界を知ることこそが、生きる上(もっというと、関わる皆が生かされる上)でのとても大切な何かの基準になっているのであろうと推測できました。
そんな事を感じていた本日、お客様がご来店。
お嬢様とお母様が、振袖をご覧くださいました。
お嬢様がこんなことを申されました・・・
「成人式で、あまり目立ちたくはないのです・・・」
目立つという意味も、言葉の上ではどうとでも取れる言葉ですが、そのときのそのお嬢様の雰囲気を感じるあたしは、突然でしたが、
「秘すれば花ですね!」
と、口をついていたのでありました。
元来好きなようにやっている商いですが、この頃はそれに拍車がかかりまして、時には英語が、時には禅語が飛び出したりいたします。
(その代わり、今どきの流行の言葉は知らないのでありました・・・ゴメンネ)
通じたかどうかは別にして(というか、コイツは何を言っているのだ?と思われているかもしれないということは無視をして)、「格別目立ちたくはないけれど、それながらの自我の存在というものは主張したい」という意向を汲み取ったあたくしです。
早速に「これは良いと思います」と断言できる着物をお目通りいただきまして、ありがたくご成約。
そして思う・・・
あたしにできることはたかだか知れておりますが、それながらの己の限界を確かめながらお客様に最大限のことしようということがすべてであろうと思うのです。
過小でも過大でもなく、今のあたしの「これが、今のあたしそのままです」というのを判断するあたし自身というのは、常にあってよいと思うのでありました。
それは別の言葉を借りれば、
「おかげさまで、今ここのあたしでいられます」
ということなのだなぁと思うのよ。
・・・必要な時にあたしがいて、それで役に立てば、それがなによりありがたいと思うのでありました。(その判断は、観客しかできません)
「秘すれば花」と言った自分自身で、それを反芻するのでありました。
(でもね・・・何かしら思い立つものがあったときは、ドカーンと出来るあたしでありたいとも思うのであります。・・・だから、いざ鎌倉!に備えて、準備は怠らないようにしたいのだよ)