ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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復活の感じです

2013-01-08 14:53:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨晩のこと、お陰さまでありがたい商いが続きまして、祝杯の意味もあり~ので久しぶりに焼酎を2合ほど飲んでみました。

う~む・・・どうやら、体が受け付けてくれます。

地獄めぐりを一巡したようで、お父さんは復活しますた。(たぶん)

体さん、ありがとう。

(酒が美味しく飲めるのが、あたしの健康のバロメーターだったりして・・・)


さて、今日はこんな写真から。



昨年暮れに、お客様がそれはそれは見事なつぼみのユリを下さった。

「お店の隅にでもボーンと置いてくれたら良いですよ」

と言われましたが、あまりに見事で、正月4日まで休む店に置いておいてはもったいない。

ということで、じいちゃん宅の玄関正面に活けてみた。

当初蕾の頃は花器が重すぎるかと思いましたが、こうして咲いてみたら、予想以上に見事なバランスとなりました。

池坊ならぬ木偶の坊のあたくしです。

・・・いかが?

とは言え、この花器。

実は御玄猪(おげんちょ=一般的には薄端とも言われます)と呼ばれまして、本来は木(基本的には松)を活ける花器なんよ。

花を活ける花器ではないんだな。(活けてもいいけど、木が必要)

が、そこはそれ、木偶の坊のあたくし。

己の生き方同様に、好きなようにやっちゃいます。

見る人が見たら、おかしいのだね。

でもね、今ここにあるもので、最善ができたらそれもええと思う。(身勝手なあたし)

思いは一つなのよ・・・

花に対しては、「キレイに咲いてね

見る人に対しては、「キレイと思っていただけたら嬉しいな


床の花は、贄(にえ)だと思う

と、かつてのあたしのお茶のお師匠さんが言ったことがある。

(この方、今では宗匠にまでなられました。最近は全く音信不通です。出来の悪い弟子ですみません・・・恥ずかしくて、顔が出せない)

それを聞いたとき、「あぁ、確かにそうなのだ」と心深く感じたのを覚えています。

花の命を床に置き換えたとき、花は別の使命を帯びます。

それを彼は「贄」と呼んだ。

ならば尚の事、その命を粗末にはできぬ。

そんなことを思ったものです。


最近とみにヨボヨボとした爺ちゃんが、今朝も言いました。

「毎朝見るけれど、見事な百合だねぇ」

それを聞いて、喜ぶあたし。

そして、そんなあたしは花に向かって囁く。

「・・・ありがとうね」


2013年、P復活初日の朝のひと時ですた。