今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「角川は文庫でも古株のほうで岩波や新潮の仲間だったのに『横溝正史フェア』以来文庫の性質をかえてしまった。横溝正史何十点で合計千万部も売れば性質も変ろう。
角川は良書でも売れないものは絶版にして売れるものだけ出す方針をきめたから、他もこれに倣ったら森村誠一赤川次郎など売れるものが続出して、売れないものも続出して結局は棚のとりっこになった。
競争というものは悪いことではない。ただまかりまちがうととめどがなくなる。電卓がそうである。あれは五千円かせめて三千円どまりならよかったが、我を忘れて二千円千円ついにはぱちんこ屋のおまけになってしまった。このたぐいに時計がある。時計もおまけになりつつあるのではないか。
文庫本を月に八点だす社がある。十点出す社がある。二十点近く出す社がある。岩波新潮角川は古株だがほかに講談社文藝春秋集英社徳間書店そしてあらたにPHP文庫光文社などが参加する。かりに一点四万部毎月十点出す有力版元が十社あるとすると合計四百万部になる。この数字はひと月に文庫を買う人口を凌ぐ。
文庫はひと月かぎりの命になった。あとからあとから押しよせてくる文庫に書店は恐怖にかられるようになった。そのひと月のうちに四万部売切れる作者は一人か二人であとは売れない。時間をかければ売れるものも、あとのが押しよせてくるから返品して迎えいれなければならない。かくて文庫は文庫という名の月刊雑誌になったのである。版元は自ら墓穴を掘ると知りつつ掘るのは棚のとりっこをして自分の棚をひろげて相手の倒れるのを待つのである。相手を倒すか自分が倒れるかのどちらかだから一ぬけたとぬけられないのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)