今月初旬のサイクリングの最中、佐久間にある二本杉峠に立ち寄りました。
峠には看板にはこんなことが書かれています。
<看板に書かれていた昔話>
「昔、戦国武将がこの峠にさしかかってな、弁当を食べようとしたがな箸がない。近くの杉の小枝を切って食べ終わった後、二本の箸を地面にさしてこう言った。「私が出世したら、お前も大きく育て」その木は明治10年頃に切られたが木の周りが20メートル、高さ50メートルもあったそうな。その武将は家康だとか信州の遠山城主だとか、中には弘法大師だとか言われているが言われているが、古い話だねなあはっきり分からん」
これを読んでみて戦国武将がと言っておきなら、最後に弘法大師まで出てきて、よく分からないなんて書いてあったりして脈絡が無いところもあるのですが、掘り下げみると重い白いだろうと思います。
昔話は、口伝に伝わってきていて、語る人によっても違ってきたりします。
また、何か伝えたいことがあった時にも使われていたそうです。
そんな視点で見てみると杉の小枝を刺して大きなスギとなったいうところは、スギは挿木で増やすことができるということを子どもに伝えるために物語仕立てにしたのだろうと思って看板をみました。
そんなことを、ふと思い出しネットを見てみると、この話を随分掘り下げて見ている記事を発見しました。 NPO法人 天竜川・杣人の会「初版・さくま昔ばなし「二本杉峠の大杉」より」へのリンクこのブログを見ると深く掘り下げ見ていて大変面白かったです。
一つの昔話ですが掘り下げてみると様々なことが見えてくるだろうと思っています。(管理人)
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「昔、戦国武将がこの峠にさしかかってな、弁当を食べようとしたがな箸がない。近くの杉の小枝を切って食べ終わった後、二本の箸を地面にさしてこう言った。「私が出世したら、お前も大きく育て」その木は明治10年頃に切られたが木の周りが20メートル、高さ50メートルもあったそうな。その武将は家康だとか信州の遠山城主だとか、中には弘法大師だとか言われているが言われているが、古い話だねなあはっきり分からん」
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リンク先も拝見しましたが、杉の大きさと時代背景と矛盾しているようですね。
そもそも、こういった話が、口伝えだったこと、伝えたい本質(この場合は杉を挿木で殖やすこと)があること、といった徒然さんの分析に、なるほどと思いました。
コメントありがとうございます。
昔は語り部によっていろいろなことが伝えられていたそうです。色々なことを伝えるのに普通に話したら面白くないので物語したてにして伝えたそうです。
そんな話の一つだと思います。
もう、亡くなれましたが以前、河合の元田の方に天生の伝説を話してもらった時も現代の話も交えて語っていただいたことがありますが。とても面白かったですよ
地元の方が語る伝説を聞くというのは、とても意義深いことですね。
はい、籾糠山の止利仏師伝説の話です。
天生のツアーでお願いして語っていただいたのですが、その時のリクエストが、綺麗な話では無く、昔囲炉裏端で話された語りとして話をしてほしいというものですので一般的に知られているのとはちょっと違っていました。