・太閤秀吉が能にたいへん興味があったのは、有名です。奥様の寧々さんに、自慢している手紙があって、なかなかほほえましい。
・文禄2年に、九州名護屋の陣から出した手紙は実にユニーク。
・「のふ 十ばん おぼへ候
一まつかぜ 一おい松 一みわ
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・つれづれを慰めるために秀吉さんは、能の稽古を始めます。能の謡いというのが、非常に文学性に富むからでありますが、ここに秀吉さんは学問としての楽しみを見つけています。
・当時の語り芸能としては、平家物語や太平記が有名でありますが、このどちらもわたくしは大変好きでありまして、当時の人々がどういうふうに語り芸能を味わっていたのだろうというのが、実に興味があるのであります。
・当時の日本人は今よりかなり教養があったのではないかと思うことしきりであります。秀吉さんは、戦国の世を生きてきたのですから、勉強をしている時間もなかったでありましょう。ところが、手紙類を拝見するとなかなかのものがある。
・信長さんもそう。相当の能に対する教養があります。
・今日は、子を想う母のこころを扱った能の文章を読んでいて、たまらなくなりました。能の場面では笹の葉を出すことがあるのですが、あれは母親の千々に乱れた切ない愛情を表しているのだということを知って、ほんとうに一瞬の動きと、言葉の重みにいまさらながら感じいっておりました。
・「百萬」という作品があります。奈良に住む女曲舞々(おんなくせまいまい)の名手である百萬が、西大寺のあたりで我が子を見失う。そのため狂乱となり、我が子を求めてさすらっているところから始まる有名な作品であります。
・京都の嵯峨野の清涼寺、室町時代の頃には、大念仏という今で言うなら多くの人が集まる日があって、雲霞のごとく人々がいたのであります。そこに百萬が出かけます。我が子を求めてです。
・百萬は白拍子系の歌い手でありますから、その声は実にきよらかであって、やわらかく、聞いている人を切なくする。しかも子を想う母のこころが祈りとなっているから、さらに聞くものに訴えてくる。
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・当時の民衆がどのような「感じ方」をして生活をしていたのかということがわかるようであります。日本の古典を学ぶことによってしみじみと味わうことができるのが文学の良さであります。
・いかなる知的エリートも、分析力や批判力にすぐれていても、たくましい民衆の「生きる力」や、ものごとの「感じ方」にはかなわないのではあるまいかというのが、以前からのわたくしの考えていることであります。わたくしもまたたくましい民衆の、あるいは庶民の一人でありますから。
・期末試験が近いので、在校生諸君は、どの教室でも熱心に学習をしておりました。頼もしいかぎりであります。こういう姿こそ、学ぶ者の特権であります。
・いいものであります。実にいい。
・また明日!