年末を迎える。
今年ほど、天変地異に始まり、しかもそれが未だに尾を引いている年は無い。3月11日のことである。この経験を境に、多くのことを考え、感じたことであろう。犠牲になった方々のことを思うと、実に痛ましく残念なことである。心よりお悔やみを申し上げる。また、実際に被災地となったわたしたちはこの体験は、生涯忘れてはならないことであり、防災の観点から子々孫々語り伝えていかなければならないことでもある。それが26年度から防災の学びを導入する県立銚子のミッションでもあると考える。
さて、20日の生徒会役員認証式でも申し上げたが、「自分のこと」しか考えていないのでは、話にならない。生徒会役員になった生徒たちは、少なくとも「他のために」という視点があったから役員になったのだと思う。
全校の皆さんには申し上げた。自分の業績のために、自分の頭の良さを周囲に認知させるために、自分の偉さを表現するために、自分の所属するせせこましい小さな組織のために・・・・・・多々あるそういう思い込みから脱皮してほしいということである。
たとえば、わたくしは職業柄いろいろな学者先生の論文を拝見させていただく。その論文が、自分の実績のためだけに書かれているものはすぐわかる。読む人への配慮が無い。理解できないのは、おまえのアタマが悪いんだろうという姿勢が見える。確かに、それはそうであろうが、あまりに露骨ではいかがなものか。世界に名だたる天才ならおっしゃることの幾ばくかは理解できるのであるが。しかし、そうしたスタイルの学者先生で、学問の世界で歴史に残るというような方を知らないのである。
逆に、この論文を読んで読む人に影響を与えたいとか、悩んでいるひとを助けてあげたいとかの、「他のために」志向をしている論文はおもしろい。迫力が違う。
実に乱暴な論理であることは承知の上で、教育とは本質的に愛あるおせっかいであるとも言いたい。生徒のために、先生方は実に面倒を見てくださる。事細かに、微に入り細に入りご指導をくださる。わたくしも例外ではない。わたくしは未だにいろいろな先生方にご指導をいただいている。ありがたいものである。還暦になってもまだ勉強中の身であるのだから。
おせっかいでなくては、こんな還暦の人間を指導するなどということすら思いつかないことである。そういう意味で、わたくしは感謝申し上げているのである。
在校生諸君はどうであろうか。
感謝の気持ちで先生方のご期待に応えているだろうか。先生方のご指導に、ご自分の努力でもって学んだことを、あるいは考えたことを、感じたことをきちんと整理して応えていただきたい。さらに記憶にとどめていただきたい。それが、「KR情報」のある教育的営為でもある。先生方が教え、生徒がそれを学ぶ。学んだ結果は先生方に返す。先生方はさらにそれを生徒に投げかける。これが「KR情報」である。若干23歳の新任教師時代に先輩達から徹底的にたたき込まれた授業設計の思想であった。
いまでは想像もつかないだろうが、わたくしにだって新人教師時代はあったのであり、実に小生意気な屁理屈ばかり言っているまるっきり実践の伴わない青臭い新人教師であった。それを指導してくださったのだから、実におせかいな、ありがたい、我慢強い先輩達であった。今でも感謝申し上げている方々でもある。
そして、さらに追い打ちで、生活は可能な限りシンプルにせよということも教えていただいた。決まり切った生活が、一番自分の頭を快調にするというのである。よって、わたくしの教師生活は、家と学校と柔道場とのこの三つしかない。すこしでもそれを外れると論文が読めない、書けない。もっと言えば常に上機嫌にして、友人・同僚や家族とのトラブルもない方がよろしい。そうするとアカデミック・ハイとでも呼ぶべき、ある種の知的欲求が満足された状態が来る。この時が勝負である。積み重ねをしてきたからこそであろうが、結論が見えるのである。論文で言えば全体像が見える。
武道でも同じであった。下手ながらも柔道を45年もやってきて、今もなおやっているのは、このアカデミック・ハイを、知的満足を味わいたいからに他ならない。学問も、武道も同じところを目指していたのである。
平成23年も終わる。されど在校生諸君は、ますます成長なされませ。学ぶことであります。健康・安全・事故に注意せよ。元気で始業式で会いましょう。
校長 外山日出男