と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

世界で一番美しいのはなんのドレスかって思うと夜も眠れない・・・・相撲の褌もドレスの一種ってか(^0^)

2016年11月27日 18時58分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

開高健のエッセーを読みながら、gymに行ってwalkingしていた。machineである。これでけっこう時間が持つから、ありがたいもんである。



開高健のエッセーというのは、gymに行く前に古本チェーンで108円で買った「知的な痴的な教養講座」(集英社文庫)である。さすが開高健である。エッチな話題もすこぶる楽しいし、作家としての教養の深みもあるからたまらんのである。もっともボキのような庶民はエッチな話の方がかなり楽しかったのだが。

で、本日のお題である。

世界で一番美しいのはなんのドレスか?ってぇことである。

チャイナドレスか。うううううううむ。実はボキ、チャイナドレスを見たことがないのである。ホンモノをである。退学した某大学には中国人留学生がたくさんいたが、まさか普段の授業中からチャイナドレスで大学に来るバカはいない。だから見ることがなかったのである。学問優先であるからだ。

しかしである。

そういう拙い体験でしかないけど、チャイナドレスもまた美しいのだろうと想像している。すなわち、実際に目で見たことがないのだから、想像するしかない。これが一番美しさを考えるときには効果的である。映像で見せられても、感受性の乏しいボキにはその美しさがよくわからないのだ。

これはいわゆる発禁本であってもそうだろう。字面から想像してあれこれ楽しむから、楽しいのである。だから現物は見たいけれども、見ない方がいい。そういうひねくれた考えを持っているから、じっさいに体験したことがないというだらしなさに陥るわけである。

文学っていうのは、そういうもんであろう。字面から想像してみるからいいのである。源氏物語だって、映像であれを見せられたらゲンナリである。ややこしい原文を四苦八苦しながら読解していくから楽しいのである。想像をたくましくしていくからである。桐壺なんかどったけ美人で妖艶だったろうかとか思ってしまうのである。

インドにも素敵なドレスがたくさんある。しかし、インドのドレスはつつましい。ズボンをはいていて、その上にスカートのようなものを着用している。扇情的ではないのである。こっちは実際に劇場でも見たし、インドの女性は目鼻立ちがはっきりしている。だから、いい。なかなかである。タレントでもそうなのだから、いかにインドの文化が優れているかが理解できる。サリーは、確かに美しいと思う。見たからである。

ヨーロッパ系の国々ではどうか。どうも、体力勝負的な立ち位置が見えてきてゲンナリする。夏は、特にそうだ。今のうちに日光浴をしてしまおうと考えているとのことで(現地ガイドに聞いたこと)、短い短パン姿やランニングみたいな半裸が多い。もっともボキは、6月・7月しかヨーロッパに行ったことがないからそう感じるのだろうけれども。さらに、あのパリの女性達が好んで着ているふわっとしたドレスは、いろんな隠し事があるらしいと聞いてから、これまたゲンナリしたっけ。ヨーロッパ人は風呂に入る習慣がないから体臭がきつい。シャワーはあびるのだけれども。それに、ヨーロッパに行くと、必ずホテルにビデがくっついているのは、そういう現実をふまえて作られていると聞いてなるほどと思ったっけ。そうすると、あまり興味がわかない。ううううううううううううむと唸っているしかない。

じゃぁどこがいいんじゃ?

と聞かれても困る。

どこでもいいからである(^0^)。

でも、ロシアの美女はいいらしい。

これまた実際にロシアに行って見るしかないですな。来年。夏に。美しいだろうなぁ。それとも・・・・・トホホなのかな。どっちでもいいようなもんだが。

相撲で稀勢の里がまた優勝できなかったから、今日は実におもしろくない。

どれだけ応援しても、彼はボキの期待に応えてくれない。

まるで世の中の多くの美女たちのようである。

ああああああああああああああああああああああああああああ。

今日は、千秋楽であったから、飲めない酒を一合だけ飲むことにした。

稀勢の里に捧げるつもりじゃ。

泣きたいよん。

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・・・・・・・・・・チーン!

 

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病気になったのは結果だろうから、結果に働きかけても意味はないだろう。むしろ大事なのは原因である。

2016年11月27日 09時32分51秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

エコノミークラス症候群になってみて、しみじみ思うことがある。



それは、「結果」であるということである。

エコノミークラス症候群になってしまったということがである。つまり、結果という現象があってボキはそれに苦しめられたということになってしまった。退職と同時に、せっかく入学させていただいた某大学大学院博士後期課程も退学であったし。それもまた結果であった。

病気になったという結果にどう働きかけても無駄である。なにも変化させることはできない。ましてや、退学したという結果も修正不可能である。ボキの人生の汚点である。永遠に記憶にとどめておきたいものであるが、その程度でしかない。ボキの人生の汚点なんて、山のようにあるからである。そのうちの一つでしかない。決定的ではないという意味で。つまり、汚点であるけど、それもまたアホなジジイを奮起させてくれる大事な材料であるからだ。

さらに、戒めとしてこれから死ぬまで人生後半の指針としていきたいからだ。こんなことはなんの自慢にもならないというのは、十分承知の上である。あたりまえである。

じゃ、なぜこんなくだらないことを拙ブログに書くのかとなると、ボキのようになってほしくないからである。

現象にとらわれてしまって、精神が狂っていたのである。平常心を失っていたのだ。そんなに、狂うほど博士号が欲しかったのである。だから自嘲しているのである。基地外であると真実思っているし。

こういう挫折を経験していると、人生、これから慎重に生きていくのだろう。たぶん。ボキは。

で、結果としての病気は、ドクターが・クスリが治してくださるのである。

素人のボキが、どんなに知識を身につけても話にならない。

それはあくまでも結果に働きかけているからである。無駄なことである。起こってしまったことは変えられない。結果よりも、その結果を招来した「原因」の方こそ重視していくべきである。

原因を変えなければ、また再発してしまうではないか。

生活習慣のデタラメさ、悪業三昧の生活、他人を蹴落とし、オノレの書いた論文こそ一番、成果主義で真っ赤に染まったボキの悪化した頭脳、論文の体裁もまったくなっていないゴミ論文の山々。

寒気がする。

あああああああああああああああああああああああああああああああああ。。

勘違い人生である。

ガンの自然退縮ということで研究をなさった九州大学の故池見名誉教授が書かれていた本をちょっとだけ見たことがある。

そこには、末期ガンから自然退縮した患者さんの共通事項が書いてあった。

①告知を受けていること

②告知後に実存的転換を起こしていること

これである。

特に②の方である。

実存的転換とは、「末期ガンの告知を受けても自暴自棄にならず、精神的試練を克服し、残された時間を悔いなく生きてゆこうと前向きな気持ちに転換すること」である。

病気になると人生観が転換するとよく言われる。

確かにそうである。

ボキも転換してしまった。

ボキの場合もまさに「残された時間を悔いなく生きてゆこうと、前向きな気持ち」になったのだ。まさにそうである。否定できない変化である。

だから生涯学習ごっこからは退却しないことに決めた。

たとえどんなに成果がなくても、笑われても、無駄金を使っていると言われても、一度決めたことはやり通すことにした。

そういう意味では頑固ジジイである、ボキは(^0^)。

だから、病気は「呼びかけ」であったのである。アホなジジイのボキに、変化を促してくれたのである。病気からである。病気というのは、そういう意味でボキには神さん・仏さん・キリストさん・マホメットさん等々である。いろんな神々である。インドに行ってしみじみそう思った。インドだって汎神論である。ヒンドゥー教に直に接してそう思ったのである。

いい人生の後半を生きていきたいものである。

あ、後半ではないな。

もう2/3は生きてしまったから。

あと少しだけである。余生は。

 

わははっはははっはははっははっはははっははっはは。

 

そういえば、徒然草7段には、四十歳前に死ぬのが理想だと書いてあったなぁ。兼好法師は、七十過ぎまで生きてしまったらしいから、困っただろうけど。

ボキ?

死ぬまでは生きていますから、ご安心を。

Bye-bye!

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開高健が見た戦場 泥沼ベトナムから

2016年11月27日 08時42分54秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

これもまたいい資料になる。

ありがたいもんです。

しかし、現代の日本はあまりにも安住しすぎでありますよ。

文学者で、戦争を描いた人間は、開高健がトップですなぁ。

 

 

 

開高健が見た戦場 泥沼ベトナムから

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1/5 “本物”じゃないと我慢できない 開高健/講演

2016年11月27日 08時22分19秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

こういう動画をアップしていただいたことを感謝申し上げます。

しかし、開高健さんは、しゃべることと書く文章が一致している稀有な作家ですなぁ~~~~。

実にすばらしいです。

 

 

1/5 “本物”じゃないと我慢できない 開高健/講演

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11月26日(土)のつぶやき

2016年11月27日 05時30分59秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/