ボキには専門と呼べるものがなにもない。自称他称問わずである。情けないけど、それが真実だ。なにをやってもド素人である。
柔道も然り。高校からやってきて、高校の柔道部顧問までやって、40代半ばで行政に出てしまってそれっきり。ちびっ子柔道も社会体育でやってきたが、これも不完全燃焼。思い切ってやったという思い出がない。4段だが、長男に比べたらド素人である。長男は剣道の専門家であるからだ。
国語もド素人だなぁ。だいいち、16年もの長い長い時間を管理職でやってきてしまった。その間授業をやっていないからだ。だから、今のバイトで鈍っているなぁと慚愧の思いでいるのだ。
信仰もそう。仏教に非常に興味があるのだが、これもまた不完全燃焼である。知らないことが多すぎる。こっちはとてもじゃないが、生涯学習でやれるようなものではないからだ。かなりの専門性が要求される。寺での修行も要求される。
ううううううううううううううううううううううううううむ。
その時々で選択をして生きてきたのだが、後悔ばかりある。
で、考えたらもう死ぬまで時間が残されていないではないか。いままで生きてきた倍の時間があったらと考えることもあるが、そんなことは事実上できないことである。
100歳以上は無理だろうから。生きているのが。
でも、逆転の発想もしてみてよろしいのではないのか。
西行がそうだ。
僧としては、素人同然だろうと思う。高野山に行ったり、一時は神道にも興味を持った。旅も繰り返していた。東大寺の勧進僧として陸奥の藤原一族にも会いに行っている。歌人としての功績は大である。しかし、これもそれだけにのめり込んだわけではない。
だから、西行であっても良いのだとボキは自分を慰めているのだ。素人でもあれだけのことをやったからだ。西行さんは。
もっとも西行とオノレを比較しているってぇことは、嘲笑の因となる。笑わせやがると言われるだろう。アホかいなということになる。どったけオノレを高評価しているのだ?って。
違うのである。高評価しているのではない。素人だけども、それなりに学ぶチャンスはあるのではないかと思っているからである。
素人だからと言ってなにもやらないのが、危険である。
素人だって良いのだ。素人だからこそ、やれることもあるのだ。
専門家気取りで、周囲の方々全部をバカ呼ばわりして、世間との交際を絶ってしまうのがいちばん良くないのだ。
さ、今日もバイトから帰ってきて、これから夜の塾である。タノシミである。そういえば、塾で英語も数学も教えているが、これも素人である。だからノートを作って、自分なりに勉強しているのである。
惚けないだけ良いかと思っている(^0^)。
ヾ(*´∀`*)ノ