叙情が喪われてしまって久しい。素直に、夕焼け空に感動していたのに、今では笑われてしまう。夕方、九十九里浜で夕景色を見ていると、妙なジジイが妙なことをやっていると言われてしまう。下手すると、不審者になっちまう。とくに、アベックが好きそうな風光明媚な場所でたたずんでいると疑われてしまう。灯台のあるようなすてきな場所である。
また、流行歌そのものも、叙情的とは言えない。テレビでは、ジャンジャカ・ジャンジャカとまるで騒音のような音楽&コマーシャルが流れているではないか。リズム優先だから。
あれじゃぁ、叙情的な感性を育てることなんかできやしない。
子守歌も聞かれなくなったそうである。聞かれなくなったどころか、歌われなくなったそうである。
そもそも、夕焼け空も、朝焼けも現代の子どもたちは知らないのだそうだ。塾に通っているから、自然との接点もない。ともかく現代の子どもたちは忙しい。学校の勉強もである。
そんなに勉強ごっこをしていて大丈夫かと思ってしまう。
精神を病むのではないのか。
うつが蔓延しているのだ。登校拒否もうつの影響があるのではないかと思ってきた。なんでそんなに勉強勉強と駆り立てるのか。競争社会だからか。
そんなに競争してなんになるのだという疑問が以前からあって、子どもたちがかわいそうになる。
そこでハタと気がついたことがある。
つまり、現代の日本は縦社会の意識がないのだということである。ミンナ横並びで、平等なのである。つまり、向こう三件両隣と全部一緒でなくては気が済まないという社会になってしまったのだ。
縦社会でもまれていないのだ。
昔から年長の先輩がいて、ガキ大将もいたのに、そういう経験をしていないのが、現代の子どもたちである。
ボキなんか、東北の寒村にある神社で寺で、ずいぶん殴られたもんである。それが良い経験になっていったのである。
苦学してもくじけなかったというのは、そういうところで生きる力が養成されたのである。
だから、生き方に迷いがない。つまり、俺はアホだからという前提が崩れないのだ。
こいつは大きなポイントである。
さらに、叙情的でもある。夕方に感動したりしているのだ。今でもである。
もののけがはびこっているのだ。うつもそうだ。現代日本社会には、もののけがいるのだ。
昔の人々は、そういうもののけを恐れた。極端に恐れた。
もののけからの脱却。
それをボキは目指そうと思っている。
マジに。
さ、明日も早い。
バイトで千葉市に行く。
寝る。
19:15だけど。
(^0^)